27 グレースの実の最期
左肩の付け根まですっぽりと実に飲み込まれているグレースの顔は、真っ青を通り越して蒼白になっている。歯の根が合わずガチガチいわせながら何とか逃げようとしているが、実はしっかりと張り付いたまま離れる気配はない。
恐怖にすくむグレースの視線が、同じく凍りついたように固まっているナタリーをとらえた。
「ナタリー、助けて! この化け物をどうにかして!」
途端にナタリーの顔がゆがんだ。理不尽だと言いたげに。
「……嫌です。私が助けを求めた時にはグレース様は助けてくれなかったじゃないですか!」
「そ、そんな事、今は関係ないでしょう。公爵令嬢である私の頼みなのよ! それに私たちは仲良しのはずじゃない!」
「仲が良かったら見捨てたりしません! だましたり、嘘をついたりも……!」
しわくちゃになったドレスのスカートを両手で握りしめながら、ナタリーが涙にぬれた顔を向ける。
グレースが目を見張って、あえいだ。まるで絶対に自分に歯向かう事なんてないと確信していた飼い犬に手を噛まれた飼い主のように。
「ねえ、お願いよ。早く助け……!」
必死の形相でグレースが叫んだ瞬間、大きく亀裂を開けた実にグレースは丸ごと飲み込まれた。まさに一飲みだ。悲鳴が張り付いたようなグレースの顔も体も一瞬で消えた。
「くそ、この化け物め!」
「気を付けろ! 食われるぞ!」
聖なる実相手に魔法が効かず、神官たちが剣を構えながらジリジリと包囲していく。リズとナタリーをのぞく候補たちは逃げ出して、すでに広間にはいない。
大きくふくれあがったグレースの実はまだ飲み足りないのか、うろうろと根を床に這わせている。
不意に実の動きが止まった。目当てのものを見つけたようにグルンと半回転する。
向いた先にはナタリーがいた。
「……!」
かばうようにナタリーを抱きしめるリズに応えるように、聖竜が前へと進み出た。
大きくふくれあがった化け物の実は、でこぼこと突き出た表面が激しく動いている。グレースたちが何とか脱出しようともがいているのか。丸飲みされた二人は実の中でまだ生きているのだ。
「きゃああ! もう嫌!」
頭を抱えて泣き叫ぶナタリーの前で、聖竜が大きく口を開けた。
あの白い炎を吐く気だ、とリズにはわかった。あのすさまじい威力では一瞬で実は消し飛ぶだろう。飲み込まれたグレースと神官トマも一緒に――。
(ダメだ)
「待って!」
今まさに炎を吐かんとしていた聖竜は背中の毛を、リズに勢いよく後ろに引っ張られてびっくりしたようだ。炎も思わず引っ込んでしまったようで、振り返っては目を白黒させている。
神官たちが驚愕したように口々に叫んだ。
「おい、聖竜様の、あろうことか毛を引っ張ったぞ!」
「何て罰当たりな事をするんだ。あり得ないだろう!」
リズは無視して聖竜を見すえた。
「お願いがあるの。飲み込まれたグレースとトマの二人を残して、実だけをやっつけて欲しい。できる?」
聖竜が赤い目でじっと見つめ返してきた。「なぜだ?」と理由を問われているようだ。
リズは真剣な声で続けた。
「二人には自分たちがした事をちゃんと告白してもらわなくちゃならない。そうじゃないと、ナタリーが罪をかぶせられたままになる。それに――」
頭を抱えて座り込み、泣き腫らした目を向けてくるナタリーを振り返る。右頬には、くっきりと無残なやけどの跡。
「それに、ナタリーにきちんと謝ってもらわないと」
謝って済む問題ではないとわかっているけれど。それでも、きちんと罪を認めた上で、誠心誠意。それは必要な事だと思う。
リズの真剣な思いが伝わったのか「わかった」と言うように、聖竜が長い首を小さく下げてうなずいた。
「お願いね、聖竜」
さっき思い切り引っ張ったおかげで聖竜の背中の下あたり、白い毛が密集している地肌が赤くなっている。
(痛かったよね。ごめん)
リズが労わるようにさすったところで、聖竜が再びグワアと口を大きく開けた。グレースとトマを残し実だけを滅するための小さな炎が噴射される――はずが予想に反した。
予想外にすさまじかった。
先程の広間の壁をぶち抜いたものよりさらに威力のある白い炎が、耳をつんざくような音と熱気をたてて聖竜の口から吐き出された。
「ちょっと――!?」
(嘘でしょう、伝わってなかったの!?)
焦った心の突っ込みをかき消すかのように、グレースの化け物となり果てた実ごと壁や床が音と煙をたてて崩れ落ちる。圧巻だ。圧巻過ぎて言葉が出ない。
そして――実が跡形もなく燃え尽きた後に、グレースとトマが横たわっていた。顔色が多少悪いだけで五体満足だ。聖竜は頼んだ通りやってくれたのだ。
「二人とも無事だ。気を失っているだけだ!」
駆けつけた神官が彼らの脈をとり、奇跡だというように叫んだ。
やがて二人は前後して目を開けた。生きているという喜びにうち震えながらも、険しい顔の神官たちに取り囲まれている現状を察したようだ。最初に観念したのはトマだった。
一片の容赦も感じられない上司や同僚神官たちの態度に、血の気の引いた顔のトマが床に頭をこすりつけて土下座した。
「全てナタリーの言った通りです。申し訳ありませんでした……」
「神官として許されない行為だぞ! しかもナタリーはお前が連れてきた候補だろう。お前のした事は欲に目のくらんだ最低最悪の行いだ。神殿の裁きを受けた後は神官の身分をはく奪されるだろう。覚悟しておくんだな」
厳しい言葉に、トマが力尽きたように、うなだれた。
壮年の神官がグレースに目をやった。
トマの隣でグレースは悔しそうに顔を引きつらせているが、化け物の実に飲み込まれた事は心底怖ろしかったようで蒼白な顔で唇を噛みしめている。
「グレース、もちろん君にも神殿の裁きを受けてもらう。今回の事は神官長にも王族の方々にも報告する事になる。君は神聖な聖女選定を汚したのだから」
グレースが切羽詰まったように勢い良く顔を上げた。
「これは何かの間違いです! 父に――アイグナー公爵に話をしてからにして下さい!」
「公爵は関係ないよ。ここは神殿だ。君は確かにアイグナー公爵家の令嬢だが、ここではただの一聖女候補に過ぎない」
「いいえ、私は認めません! この私が裁かれるなんて、そんなおかしな事……!」
長い黒髪を振り乱し、あくまで認めようとしないグレースに神官ロイドが近づいて行った。引きつったグレースの顔をのぞきこむ。
「『その者にふさわしい実がなる』と神官長も君も言っていたけど、まさにその通りだったね」
小さく笑った。
「見かけだけはきれいな花だったけど、実の中身はからっぽ。おまけに実自体がみにくい化け物だった」
怒りで頬を紅潮させるグレースに、ロイドが冷たい声で言った。
「もう二度と嘘をつかない方がいい。君たちを飲み込んだ化け物の実は燃え尽きたけど、君の聖なる木はそのまま残っている。
君が嘘をつき続ければ、またあの化け物の実が生るよ。そうしたら今度こそ本当に命がないかもね」
悔しそうに顔をこわばらせながらも、グレースが力なく周りを見回した。
しかし見返してくるどの顔からも、自分の全面降伏しかないと悟ったのだろう。
うなだれ、床に上半身を投げ出し、握りしめたこぶしを何度も何度も床に打ちつけながら、声にならないうめき声を出した。
神官たちに連れて行かれるグレースとトマを見ながら、リズは隣で腕組みをしているロイドに話しかけた。
「聖なる木は何度も実をつけるんですね。知りませんでした」
「僕も知らないよ?」
(は?)
思わずロイドを見上げる。
「……もしかして嘘なんですか?」
「うん」
ものすごく楽しそうな笑顔を返されて、リズはあきれた。
「リズだって、この広間での出来事を聖竜が頭に直接話しかけてきた、とか何とか嘘をついていたじゃないか」
「あれは――他にナタリーの無実を証明する方法が思いつかなくて」
「聖なる竜様を使うなんてリズも悪い奴だよなあ」
ロイドが楽しそうに笑った。
リズはナタリーを医務室へ連れて行こうとしたが、隣にいたはずなのに姿が見えない。慌てて捜すと、壁際でこちらに背を向けてうつむくナタリーの後ろ姿があった。
「早く医務室へ行かないと……どうしたの?」
ひどいやけどもそのままに、ナタリーは自分の聖なる木が植えてある鉢を両手で持って立ち尽くしている。不審に思い、背後からそっとのぞきこんだリズは息を呑んだ。
ナタリーのあざやかな黄色の花はとっくに枯れ落ちていた。花だけでなく葉も茎も全てが茶色くしぼんでいる。
もう二度と実がつく事はない。それどころか茎が伸びる事も、葉を茂らせる事も、もう二度と――。
「……当たり前だわ。枯れ落ちて当然の事をしたんだもの。自業自得よ……ごめんなさい、リズ。本当にごめんなさい……」
震える両手で鉢を抱きしめ静かに涙をこぼすナタリーに、リズはかける言葉が見つからなかった。




