25 聖竜
「どうしたんだ!? 何だ、今の悲鳴は!」
「扉の内側から鍵がかかっているぞ! おい、ここを開けないか!」
神官たちが広間の前の廊下に集まり、必死で扉を開けようとしている。
聖女候補たちも悲鳴を聞きつけたのか集まってきた。
「さっきの悲鳴はナタリーじゃない?」
「ナタリーの部屋をのぞいたら姿がなかったわよ。こんな夜中に広間で一体何をしているの!?」
広間の扉は閉まっていても、静かな夜の事、ナタリーの切羽詰まったような叫び声は第二神殿中に響いたのだ。
リズもまた皆の後方で、急くようにざわつく心を必死で抑えていた。ひどく胸騒ぎがして落ち着かない。
ナタリーの身に何か起こっている気がする。しかも良くない事が。
ここへ駆けつけてくる途中で、ふと何かに引っ張られるようにグレースの部屋のドアをノックしたが返事はなかった。そして集まって騒いでいる候補たちの中にもグレースの姿はない。
グレースもナタリーと一緒に広間の中にいるのだ。けれど――。
考えれば考えるほど不吉な考えが浮かんできて、リズは体の前で冷たくなってくる両手を強く握りしめた。
「――扉が開いたぞ!」
一斉になだれ込み、真っ暗な広間の中を神官たちが持つ松明の火が照らし出す。
壁際にずらりと並んだ聖なる木の前で、ナタリーが力なくうずくまっていた。
「ナタリー!」
リズの呼ぶ声にナタリーがゆっくりと顔を向けてきた。涙でぐちゃぐちゃになった顔は怯えたように引きつっていて、そして何よりも右の頬から首にかけて赤くやけどしている。大きな水ぶくれがいくつもできていて、見るからに痛々しい。
「ナタ……」
駆け寄ろうとしてリズは息を呑んだ。
ナタリーの向こう側に転がっているリズの白い大きな聖なる実、それがピクリと動いたのだ。そして中から何かが出ようとしているかのように実が激しく動き出した。
「おい、リズ・ステファンの聖なる実が動いているぞ!」
「何か出てくるのか……!?」
神官たちが一斉に構えた時、実の中の「それ」が目を開けてこちらを見た。
「きゃああ!」
ナタリーが顔をおおって悲鳴をあげる。
獣のような鋭い目は神官たちの持つ松明の火を凝視した。また燃やされるとでも思ったのか目に強い光が宿った瞬間、神官たちの松明が火を噴く。
「うわあ! 何だ、これは!?」
大騒ぎになる中、リズは急いでナタリーの元へ駈け寄った。
「ナタリー、大丈夫!?」
「リズ!」
ナタリーが泣きながら、すがりついてくる。
「一体、何があったの!? その、やけどはどうして……」
「ごめんなさい、ごめんなさい! 私、リズの実を取ってしまった……。そうしたら目が合って、火が、火が……!」
パニックを起こしているように要領を得ないナタリーをなだめつつ、とにかく医務室へ連れて行こうとした時
「危ない!」
と神官ロイドの声がしてリズは背中を思いきり突き飛ばされた。ナタリーごと勢いよく床に倒れ込む。
「ロイドさん、いきなり何を……!?」
するんですか! という非難はリズのすぐ目の前をほとばしっていった白い炎にかき消された。
白い炎はそのまま壁に突き当たり、穴の空いた壁がすさまじい音をたてて向こう側にはじけ飛ぶ。
リズは絶句した。ロイドが突き飛ばしてくれなかったらリズもナタリーも壁と一緒に吹き飛んでいただろう。
「――ありがとうございます」
「礼はいいよ。それより見てみろよ」
床に転がったリズの白い聖なる実。その上部に亀裂が入っていて、白い炎はそこから噴き出していた。
正確に言うと実の中に入っているものが亀裂の裂け目から炎を吐き出している。
「一体何が入って……ちょっとロイドさん、何を笑ってるんですか?」
リズは呆れた。悲鳴と怒号が飛び交う中で、実を見つめるロイドの顔には楽しそうな笑みが浮かんでいたからだ。
「だって今の炎を見ただろ? すごいじゃん。規格外だよ。今までの聖女候補の中であんな実がついたなんて聞いた事ない。何かすごいのが出てくるんじゃないか?」
「何を楽しそうに言って……」
再び、ゴウッと耳をつんざくような音がして目の前を白い炎が駆け抜けた。かすりもしないのに熱風で前髪がちりちりと焼け焦げる。
神官たちが呪文をとなえて何とか抑えようとしているが、白い炎の勢いはすさまじく、神官たちの魔法では抑えるどころか弱める事すらできない。
「すごいね。僕たち神官の魔法なんて相手にされてないよ」
さらに目を輝かせるロイドもどうかと思う。
「おい、見ろ!」と神官のうわずった叫び声が響いた。
全員が息をつめて見守る中、床の上でもがくように、左右に激しく動いていたリズの白い大きな実の亀裂が深くなった。そして、パンッ! とはじけるような音とともに実の皮がはじけ散った。
「出てくるぞ! 気を付けろ!」
隣で明らかにワクワクしているロイドに舌打ちをしつつ、リズは息をつめて見守った。
はじけた実から最初に出てきたのは鋭い爪のついた白い前足だった。
続いて固そうな角のついた精悍な顔、たくましいながらも俊敏そうな体。一対のしなやかな翼がバサリと音を立てて開く。
全身輝くばかりの真っ白な聖竜だった。
リズの二倍の大きさはあろうかという体で見下ろしてくる二つの赤い目が荘厳な光を放つ。
神官たちが息を呑み、呆然とつぶやいた。
「まさか聖竜が出てくるとは……」
「今までの聖女選定でも聞いた事がないぞ……」
皆、息をする事も忘れたように一心に、凛と立つ聖竜を見つめる。
驚きに目を見開いて立ち尽くすリズの元へ、聖竜がゆっくりと四本の足で歩いてきた。
(吸い込まれそうな目だな)
リズと同じ深い赤色の目。さっきの白い炎は恐ろしかったけれど、今は不思議と怖さは感じない。
やがて聖竜が長い首を静かに下げた。リズのすぐ目の前に聖竜の白い頭がくる。ちょっと考えて頭を下げたのだとわかった。リズに向かって。
誰もが一言も発しない中、リズは導かれるように聖竜の頭に手を伸ばした。人間でいう、ちょうど額の辺りだ。短い毛が密集して生えていて意外にやわらかい。
真っ白な聖なる竜の頭をなでるアルビノ娘という図を、その場の誰もが呆けたように見つめていた。
やがて広間のすみから、神官の一人がナタリーを詰問する小さな声が聞こえてきた。
「こんな夜中に広間で何をやっていたんだ? 聖なる木を見張っていた神官がさっき神殿の奥庭で見つかったぞ。背後から後頭部を殴られて気を失い、両手足を縄で縛られていた。君がやったのか!?」
ナタリーが真っ青な顔を一生懸命振って否定する。
「い、いいえ、まさか! グレース様から聞いたんです。神官長様が私にリズの実を取り去って欲しいと言っていたと――」
「まあ、どうなさったの? この騒ぎは何?」
広間の入口から、当のグレースが驚いたように目を丸くして入ってきた。
「え……グレース様?」
ぽかんとなるナタリー。
当然である。広間にずっと一緒にいたはずのグレースが、いかにもナタリーの悲鳴を聞きつけて初めて広間に駆け付けた、という登場の仕方をしたのだから。
恐らくは神官や候補たちが広間に入ってきた時、さっとカーテンのかげにでも隠れ、暗闇に乗じてこっそりと広間を出て、再び何食わぬ顔で戻って来たのだろう。
「まあ、ナタリー。その顔は一体どうしたの?」
グレースが驚いたように目を見開いた瞬間、ナタリーが悲しいほど青ざめた。
グレースがすっとぼけようとしている事を理解したのだろう。あくまで、今回の事はナタリーが一人で考え行動した事で自分は一切関係ないと、態度と行動で示している事を。
ナタリーがあり得ないというように勢いよく頭を左右に振った。夢なら早く覚めて欲しいと願っているかのように。
そして叫んだ。
「神官長様がリズの実が危険だから私に取り去って欲しいとおっしゃられていると、グレース様が言ったんじゃないですか! だから今夜一緒に、この広間に来て……!」
「まあ何を言っているの、ナタリー。嘘をつくのはやめてちょうだい。私は何も言っていないし、神官長様がそんな事をおっしゃったなんて話も聞いた事がないわ。全てあなたが勝手にした事でしょう? リズの実も、自分が聖女になるために邪魔だから取り去っただけでしょう?
ナタリーは以前からリズを嫌っていたものね。ずっとリズの悪口を言っていた事を皆が知っているわ」
「そんな……そうだ、グレース様が私にその話をした時、神官のトマ様も一緒にいたんです! トマ様に聞いてくださればわかります!」
「私ならここにいるよ」
進み出てきた神官トマに、ナタリーが救われたという笑みを浮かべた。
「良かった! トマ様も聞きましたよね? グレース様が私に――」
「残念だが私はそんな事を聞いた覚えはないよ」
悲しそうな顔で首を横に振って否定する。
「ナタリー、君がリズ・ステファンの事を嫌っていたのは私も知っている。しかし、まさかリズを蹴落とすためにここまでするとは考えていなかった」
「トマ……様?」
やけどの痛みも忘れたようにナタリーが呆然とつぶやいた。
その後ろでグレースが困ったような表情をしながらも、まるで湧いてくる笑みを隠すかのように口元に手をやる。
絶望したような表情で立ち尽くすナタリーの姿に、リズは思わず一歩踏み出した。その視界のすみに、壁際に置かれたグレースの聖なる花が映る。グレースの深紅の優美な花びら、それがまるでグレースの態度に応えるかのように、はらり、はらりと次々と床に落ちていった。




