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24 ナタリーと実

「私がリズの実を取り去る……?」


 思ってもいなかった言葉に、ひそひそ娘のナタリーは呆然と繰り返した。


「ええ」と公爵令嬢グレースが優美な笑みを浮かべてうなずいた。

「神官長様に指名されるだなんて、とても名誉な事よね。私も仲の良いナタリーが選ばれて鼻が高いわ」


 とても光栄な事を言われているのに素直に嬉しいと思えないのはどうしてなんだろう。

 ナタリーはおずおずと切り出した。


「あの失礼ですが、本当に神官長様がそう、おっしゃったんですよね……?」

「私が嘘をついていると?」


 途端にグレースの顔色が変わり、ナタリーは慌てて首を横に振って否定した。


「いいえ、まさか! 私なんかがそんな大役に指名されるなんて、とても信じられなくて……」

「大丈夫よ。確かにそうおっしゃっていた。この私が保証するわ」


 ナタリーの家より遥かに身分の高いアイグナー公爵家のグレースにここまで言われては、ナタリーには断る事なんてできない。だいたい断る理由もない。神官長に、そして公爵家の令嬢に任されたのだ。こんな名誉な事はない。

 ――これが本当の話ならば。


 いつから、こんな事を思うようになったんだろう? 

 憧れの存在のグレースを疑うなんて。


(リズに会ったからだ)


 神殿に来たばかりの頃、ナタリーはグレースが話すリズをそのまま信じ込んでいた。もちろんグレースは表立っては悪口を言わず、心配事にかこつけて話していたけれど、それでもにじみ出てくる悪意というものはわかる。


 でも、その通りなのだと思っていた。だってリズは平民で魔力持ちではない。

 それなのに一番大きな木を成長させて、神官長様も驚く程で、何よりキーファ王太子と親しげという、わけのわからない少女だった。

 あまり笑わないし愛想も悪い。おまけに図太いし態度もでかいし、人となれ合わない。いけ好かない少女だ。そう思っていたのに――。


 皆が恐がっていたナタリーの聖なる花を大丈夫だと言ってくれた。きれいな花だと。リズ自身は花が咲かなくて焦っていたはずなのに、ナタリーが花を咲かせた事を素直に喜んでくれた。


「聖なる芽」の時も、クレアという候補生のために一生懸命手伝っていた事を知っている。

 グレースが言う「リズ」と、ナタリーが自分自身で感じた「リズ」は違った。


 その実を取り去る――?

 下手したらリズは失格になるじゃないか。


 ナタリーは息を呑んで目の前のグレースを見つめた。

 信用していいのだろうか? ――わからない。


 グレースの父親であるアイグナー公爵はしょっちゅう王宮に出入りしているし、上級神官たちとも親しいと聞く。グレースの言った通り、公爵令嬢だからこそ耳に入ってくる情報があるというのはわかる。

 でも、さすがにリズの実を取り去るなんて――。


 悩むナタリーを、じっと見つめていたグレースがため息をついた。


「やっぱりナタリーは私の事を信用していないのね」

「そんな事……!」

「いいのよ。信じられないのも仕方ないわよね。でもこの人から聞いたら信用すると思うのよ」


 部屋に入ってきたのはナタリーを聖女候補として神殿に連れてきた、髪の長い上級神官トマだった。


「トマ様!?」

「ナタリー、グレース嬢の言った事は本当だよ。神官長様は秘密裏に、他の候補たちには――もちろんリズにも――知られないように、リズの実を君に取り去ってもらいたいと言っていた。リズには残念だが皆の安全が最優先だとね。私はそれを伝えに来たんだよ」


 いつもと違い目をそらされがちだったが、神官長命令だとはっきり言った。


(本当だったの……?)


 ナタリーは焦った。何て事だ。グレースを疑ってしまったじゃないか。


「申し訳ありません、グレース様! 私、精一杯やらせていただきます!」

「よろしくね」


 勢いよく頭を下げるナタリーの前で、グレースの目が静かに輝いた。




 その日の夜、闇にまぎれてナタリーは静かに広間の扉を開けた。星はなく、月もぶあつい雲で隠れがちだ。窓から見えるのは一面の闇。まるで自分の心中を表しているようで背筋がゾクッとした。

 松明たいまつを持っているが自分の足元しか見えない。自分の息遣いと虫の小さな鳴き声以外、辺りは静まり返っていた。


(これは本当に正しい事なの……?)


 一度は信じたのに、またムクムクと疑問がわいてきた。

 決行は早い方が良いと言われ急遽きゅうきょ今夜になったのだが、グレースも神官トマも少し焦っていたように見えた。大体、とうの神官長にも会っていない。


 何だか強引なようにも思える。

 しかし神官トマが「私が神官長に頼まれた。いわば代理だ」と言っていたし、何より下級貴族のナタリーが上級貴族のグレースを疑うなんてあってはならない事だ。


(これでいいんだ。これが正しい事なんだ)


 自分を無理やり納得させて、ナタリーは慎重に歩を進めた。


 見張りの神官はいなかった。グレースの言った通りだ。

 松明を近付けると、闇の中に一列に並ぶ候補たちの聖なる木が浮かんだ。一番端にあるリズの木を見て驚いた。ぶら下がる実は朝に見た大きさの二倍になっていた。


(すごい……)


 息を呑んで、さらに一歩近づく。心臓の鼓動は今にも爆発しそうなくらい早い。

 何回も深呼吸をしてから、一抱えもある程のリズの実の上部に恐る恐る手をかけた。


 まん丸の白い実の表面には筋が網目のようについていて、中はほぼ見えないが、ぎゅっと何かが詰まっている感じがする。


(早く! 早く取り去らないと……!)


 心は焦るのに、体がそれ以上動かない。まるで全身が凍り付いてしまったように、どうしてもどうしても動かないのだ。


「ナタリー、早くしなさい!」


 広間の扉の前辺りからグレースのきつい声が飛ぶ。

 ナタリーの全身から冷や汗がふき出した。


 不意に「きれいな花じゃない。良かったね」とリズの笑った顔が脳裏に浮かんだ。

 誰もが恐がったナタリーの花をきれいだと笑った。そんなリズなら、この実を取り去るだろうか? 取らずに何とかしようとするのではないだろうか? 誰かの言いなりになるのではなく、この実を取らなくても何かできる方法を、手段を、自分で考えるのではないだろうか――? 


(ダメだ!)


 心の底から強く思った。


「グレース様、私には出来ません!」

「何を言っているの! 神官長様の命令を無視するというの!?」

「でも、でもリズならこんな事しません……!」


 泣きたい気持ちで叫んだ瞬間、不意に「それ」と目が合った。


「え?」


 最初は何と目が合ったのかわからなかった。

 それは実の中で突然、目を開けた。大きな赤い切れ長の、獣のような目。

 実の中には真っ白な体を窮屈そうに丸めた「何か」がいて、その「何か」が目を開けてナタリーを見たのだとわかった。


「ひいっ!!」


 膝から力が抜けて、その場に座り込む。


「どうしたの!?」


 グレースが声を上げたが、声だけで、ナタリーに近寄って来ようという気はさらさらないようだった。


(何なの、これ! 生きてるの!?)


 ナタリーはパニックになって、わめいた。


「目が! リズの実の中に目があるんです! 何か生き物のようなものが……!」

「――松明を持っているでしょう。それで実ごと燃やしてしまいなさい」

「でもグレース様……!」

「出てくる前に燃やし尽くしなさい! 危険なものだと言ったでしょう。これは公爵令嬢としての命令よ、ナタリー!」


 恐怖で一歩も動けないナタリーの前で、実の中の赤い目がゆっくりと動いた。ナタリーの持っている松明の炎を凝視する。これで焼かれてしまうとわかったのだろうか。不意に赤い目が光った。実が激しく動く。まるで実の表面を突き破って、今にもい出ようとしているかのように。


「いや――!」


 ただただ怖くてナタリーは松明をやみくもに突き出した。実の上部――枝からぶら下がっている部分に火が移る。太い枝が燃え上がり、やがてボトン! と不吉な音とともに、期せずして実だけが床に落ちた。


 冷たい床に実が転がる。


 実の中の目が燃えるような熱を帯びた。怒っているのだとナタリーにもわかった。


 底冷えするような冷たい目ににらまれた瞬間、ナタリーが持っていた松明の炎が文字通り火を噴いた。実の上部に押し付けた事で火はすでに消えかかっていたのに、まるで魔法のように急激に炎が舞い上がる。そんな感じだった。


「何これ!?」


 驚愕してとっさに松明を投げ捨てたが炎の燃え上がる勢いはそれよりも早く、ナタリーの右の頬に炎の先がふれた。


「きゃああ!」

 

 熱さと刺すような痛み、そして恐怖がナタリーを襲う。

 顔をやけどでもしたら貴族令嬢としての将来はない。誰とも結婚できなくなってしまう。痛みよりも熱さよりも、その事の方が怖ろしかった。


「助けてください、グレース様!」


 悲鳴をあげて必死で助けを求めるもののグレースが近寄ってくる気配すらない。


 ナタリーは死に物狂いで右の頬を両手で叩いた。皮膚が焼ける匂いがただよう。火はすぐに消えたものの、代わりに突き刺すような激しい痛みが右頬に広がった。

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[気になる点] 「侯爵令嬢としての命令よ」 本人が自ら「令嬢」と言うのはヘン。令嬢とは敬称だから。
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