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22 今世の公爵

(この人を知ってる気がする……)


 なぜだろう。アイグナー公爵に会った事なんてないのに。

 ザワリと何か得体の知れないものが体中をうような感覚に寒気がした。原因をつかもうと必死に「勘」を張り巡らしていると、突然、頭の中に前世のセシルとしての記憶が流れ込んできた。


「必ず戻って来るから」とユージンの笑った顔、「ユージン様は私と結婚するのよ」と嘘をついたグルド家のお嬢様の冷たい顔、そして「平民のくせに」といとわしげに顔をゆがめたハワード家の執事の顔――。


(なぜ、今?)


「キーファ殿下は」と再び話し始めたアイグナー公爵の声に、リズはハッと我に返った。


「え? 何ですか?」

「キーファ殿下は本当に君の事を気に入っておられるのかな? それとも君が殿下を惑わしているだけか? 娘のグレースがキーファ殿下の婚約者に決まった。邪魔をしないでもらいたいのだがね」

「……!?」


 一瞬にして、考えていた事が全て消し飛んでしまった。

 キーファとグレースが婚約?


 もちろん二人の婚約にリズは何の関係もない。身分だって天と地ほど違うし、前世とは違い恋人同士でも何でもない、ただの他人なのだから。

 わかっている。頭ではちゃんとわかっているが心がついていかない。


 必死に抑えているのに体が震える。冷や汗がき出してきた。

 これではまるで前世と同じじゃないか。ハワード家の執事からユージンが結婚すると知らされて何も出来なかった前世と――。


 動揺するリズの様子に公爵が笑みを浮かべた、その時


「リズ!」


 息を切らせて駆けつけてきたのはキーファだった。

 いつものふてぶてしい態度とは違う青ざめてかすかに震えてさえいるリズの姿に、驚いたように目を見張り、そしてリズをかばうように公爵との間に割り込んだ。


「彼女に何の用ですか? アイグナー公爵」


 目の前にある広い背中も、抑えたような声音も、ぬるい風に吹かれる焦げ茶色の髪も、全身が怒りに満ちている。


「殿下、誤解しないで下さい。偶然会って話をしていただけですよ。彼女は私の娘のグレースと同じ聖女候補ですから」


 公爵の顔に慌てて機嫌を取るような笑みが浮かんだ。


(……前世とは違うんだ)


 リズは安堵のあまり泣きそうになった。キーファとは身分も違うし恋人同士でもないけれど、確かに目の前にいる。


 だんだん気持ちが落ち着いてきて「ねえ」と小声で話しかけると、ぐるんと勢いよくキーファが振り向いた。整った顔が、切れ長の目が明らかに怒っている。

 リズはまともに見返した。


「あなたとグレースの婚約が決まったと公爵に言われた。本当なの?」


 まさかこの場で、しかも王太子に直接聞かれるとは思っていなかっただろう公爵の頬が引きつった。

 キーファの顔が赤く染まる。怒りは最高潮に達したようだ。


「公爵、嘘を言わないでもらいたい。何度も話をもらいましたが了承した覚えは一度もありません。俺だけでなく、父である国王もあざむいているとわかった上で言っておられるのですよね?」


 表情は怒りに満ちているのに、冷静な物言いが逆に怖い。

 公爵が慌てたように言いつくろった。


「もちろんです。その娘はどうも私の言葉を曲解したようでして。私はきちんと、わきまえておりますとも。では、これで失礼致します」 


 逃げるように、公爵はその場を去って行った。




「大丈夫か?」


 勢い込んで、しかし心配そうに聞いてくるキーファに、リズはうなずいた。

 前世とは立場が違う、けれど確かに側にいていつでも話ができる、それはとても安心できる事だとわかったのだ。


「大丈夫」と心の底からの笑顔を見せるリズに、キーファがまぶしそうに目を細め、何を見とれているのだと気付いたように急いで顔をそむけた。


 リズは考えた。「勘」ではっきりとは見えなかったが、それでも前世の光景が見えた。


「私は魔力持ちじゃないけど、たまに不思議なものが見えるの。聖女候補に選ばれたのもそのせい。さっきアイグナー公爵を見てたら、なぜかはわからないけど前世のハワード家に関する人たちが見えた」


 キーファは目を見開き、そして考え込むように口元に片手を当てて言った。


「――わかった。調べてみる」



 * * *


 馬車を待たせてある前庭へと急ぎながら、アイグナー公爵は苦々しげに舌打ちをした。


 公爵には前世の記憶があった。

 およそ五百年前、名門ハワード家の筆頭執事だったバウアーとしての。


 だからキーファが子供の頃に持っていたという青い石のついた古い指輪を見た時、息が止まるかと思った。前世のユージンが恋人セシルのために買った指輪とうり二つだったからだ。


(まさかキーファ殿下はユージン様の生まれ変わりだというのか……!?)


 薄々おかしいとは思っていたのだ。幼いキーファが五百年前の王都の様子をまるで見てきたように話す事があると耳にした時から。


 あり得ない。そう思ったが自分という生まれ変わりがいるのだ、他にいてもおかしくない。

 しかしこんな身近に、しかも前世で縁深かった者だなんて。


(皮肉なものだ。いや、幸運というべきか)


 馬車に乗り込むと、ピカピカに磨かれた小さなテーブルに、ひげの生えた公爵自身の顔が映った。


 前世で、ユージンとセシルに対して悪い事をしたとは思っている。

 しかし後悔はしていないし、もう一度前世に戻ったら同じ事をするだろう。いや、恩人である旦那様のためにもっと上手くやる。


 途中までは思い通りに進んだのだ。若造で人の良いユージンを上手く丸め込めたし、セシルだってちょうどいい時に死んでくれた。

 それなのに最後の最後で、ユージンは誰とも結婚せず直系の子孫を残さなかった。どれだけ言っても頑として受け付けなかった。

 あれだけは心残りだ。生まれ変わった今でも。


 (だから今世は――)


 今世こそは上手くやる。必ず望みを叶えてみせる。


 せっかく公爵家の嫡男に生まれ、爵位を継いだのだ。前世で仕えていたハワード家の分も、今世のアイグナー家を盛り立ててみせる。

 キーファと娘のグレースを結婚させるという野望もその一つだ。王族と懇意になればアイグナー家の基盤はより強固なものになるのだから。


 キーファに前世のユージンとしての記憶があるのかはわからない。確かめてみようかとも思ったが、やめた。もし確認した拍子に思い出されでもしたら大変だからだ。やぶをつついて蛇が出たらかなわない。


 それに例えキーファにユージンの記憶があったとしても、前世で嘘をついてセシルとの仲を引き離したのが執事だとは知らない。それを今世で確かめるすべもない。

 そして何より公爵が執事の生まれ変わりだと知らないのだ。


 なぜ前世の記憶を持っているのかとずっと疑問だったが、このためだったのだ。今世こそ自分の願い通りに、キーファと娘のグレースを結婚させてみせる。今世では障害となるセシルはいないのだから。

 そう思っていたのに――。


「邪魔だな」


 思わず歯ぎしりをした。

 あのリズ・ステファンという娘。


 今まで何度となく色々なツテを使ってグレースを婚約者にと推してきたのに、公爵の黒いウワサを警戒してか良い返事をもらえなかった。黒いウワサはほとんどが真実だからごり押しもできない。

 だから標的をキーファ本人に変えた。


 美形で聡明で大層人気のある王太子は、驚くことに浮いたウワサ一つない。何かと用事をつくり王宮に出入りして観察していたが、お気に入りの女性も特定の女性もいないようだった。


 いける、と思った。グレースも乗り気だし、おまけに聖女候補に選ばれた。キーファと接触する機会も増える。

 公爵令嬢と王太子、何の不足もない。あとはグレース本人がキーファに気に入られるだけだ。我が娘ながら美貌も知性も備えている。これで全てがうまくいく。


 しかし密偵の神官から定期的に届く神殿内の様子を聞いて驚愕した。

 キーファが関心を抱いているのはグレースではなく、平民でアルビノの娘だというのだ。


 その神官が言うには


「これまで特定の女性を作らなかったキーファ殿下が運命の出会いを果たしたかのようだ。リズの名前も知らないうちから激しく見つめ合い、何度も呼び出しては二人きりで会っている。自らリズの荷物持ちまで買って出て、自分に出来る事なら何でもすると熱を持ってアピールしているようだ」と。


(とんでもない事だ!)


 しかもアルビノゆえすぐに候補から外れるだろうと思っていたのに、最も大きな聖なる芽を育てる、一番の有望株だと。


 公爵の歯ぎしりが深くなった。

 先程「キーファとグレースの婚約が決まった」との嘘に、リズは明らかに動揺していた。リズもキーファを想っているという事か。


(――邪魔な娘だ)


 前世のセシルといい、いつの時代にも邪魔な娘というのは存在するものらしい。

 しかもリズの、あのふてぶてしい表情と態度。公爵自ら話しかけているというのに一切、物怖ものおじしなかった。

 そこが気が弱くて扱いやすかったセシルとは決定的に違う。


(セシルは上手い具合に死んでくれたが、リズはどうか? まずは娘のグレースに任せるが、どうにも出来なかったらその時は――)

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― 新着の感想 ―
此処迄読めば誰でもわかるだろ~と(^^;) 当時この執事に加担した侍女やら、セシルの周辺の人らもやっぱ転生してんのかな?
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