21 花が咲く
第二神殿内の広間には十一の聖なる芽がずらりと並べられていた。「何か」が咲いてもすぐに対処できるようにと集められたのだ。
常に見張りの神官がいるものの、今のところ変なものが咲いた候補などおらず、みな普通のかわいらしい花ばかりだ。
そして入れ物も成長度合いもばらばらの芽の中で、悲しい事に飛びぬけて規格外の大きさのリズの芽にだけまだ花が咲いていなかった。
つぼみすら見当たらない。
(どうしよう)
緑の葉だけがモッサリと茂る、聖なる――木とにらめっこをしながら、リズは焦っていた。
このままだと聖女候補から外れてしまう。「必ず聖女になってね」と言ってくれたハワード家の子孫であるクレアに顔向けできない。それに――。
(それに?)
心の中のモヤモヤを晴らそうと頑張っているリズの背後から、公爵令嬢グレースとひそひそ娘ナタリーの会話が聞こえてきた。
「さすがはグレース様です! こんな綺麗な深紅の花は他の候補たちには咲かせられません!」
「ありがとう、ナタリー。あなたの花も素朴でとてもかわいらしいわよ」
「そんな! 光栄です!」
グレースの機嫌が良い事が嬉しいのか、ナタリーが頬を真っ赤に染めて大声をあげている。
グレースも花をつけるのは遅い方だったが、今では小ぶりながらも豪華な鉢には優美な大輪の深紅の花が見事に咲いていた。
(いいな)
悔しさとうらやましさが入り混じる。込み上げる焦燥感にリズは唇を噛みしめた。
「あれ、何ですか!?」
ナタリーの驚いたような声の先には、細かい花びらがフリルのようにいくつも重なった小さくて可憐な花があった。確か宮廷魔術師の娘のものだ。
リズも思わず目を見張った程に、その花は真っ黒だった。
「すごい。黒い花なんて初めて見ました!」
「そうね。でもまあ、その者にふさわしい花が咲くと神官長様がおっしゃっていたものね」
知ったような顔でうなずくグレースを、離れたところから当の宮廷魔術師の娘がじっと見つめている。
「リズじゃない! ――嘘! リズの花、まだ咲いてないの!?」
ただでさえ丸い目をさらに丸くしたナタリーに声をかけられた。大きな高い声には純粋な驚きと心底心配するような響きが含まれている。
その響きにリズも気付いたが、同時にグレースも気付いたようだ。一瞬不快そうに眉を寄せたものの、すぐにいつもの微笑みが浮かんだ。
「嫌ね、ナタリーったら。そんな言い方をしたらリズに失礼でしょう?」
「え? いえ、そんなつもりは――!」
「私も驚いたわ。リズの芽は群を抜いて大きいから、てっきり一番初めに花が咲くだろうと思っていたもの。でもやはり結果は結果だものね。神官長様のおっしゃった通り『その者にふさわしい花が咲く』のよ」
おっとりとした口調だが切れ長の黒い目は実に楽しそうに輝いている。
リズの花が咲かない事が心底嬉しくて仕方ない、そんな輝きだった。
(……!)
リズはうつむいたまま両手を強く握りしめた。心の底から悔しさがわき上がってくる。
バカにされている事ももちろん悔しいが、一番はそうじゃない。
(嫌だ)
このまま終わりたくない。
聖女候補から外れたくない――。
それは自分でも驚くくらい、心の奥底から込み上げてくる強い思いだった。
「――まだよ」
両手を握りしめたままリズは顔を上げた。両目に力を込めてグレースをまっすぐ見返す。
「まだ、わからないでしょう。まだ、あきらめない。私は次期聖女になるために、ここにいるんだから」
リズの透きとおるような白い頬に確かな意思が浮かぶ。
心の高ぶりとともに赤い両目が強い光を放った。
グレースが気圧されたように息を呑んだ。
高ぶっている時のリズはまるで神がかっているようで、悔しさに顔が引きつるグレースですら一時も目が離せない、そんな感じだった。
その時
「ちょっと! ちょっと見て下さい!」
とナタリーの悲鳴のような声がした。
リズの聖なる木、その枝の先に突然、大きな固いつぼみがついた。つぼみはどんどん柔らかく、大きくふくらんでいく。
これほど早く、目で確認できる程のいちじるしい成長なんてあり得ないのに、まるで魔法でもかかっているかのように、リズの、グレースたちの目の前で爆発的な成長を遂げていく。
「すごい……!」
柔らかくふくらんだつぼみがゆっくりと開いていく。
真っ白な花びらだった。リズの肌より、髪より、さらに白い。
手のひら程もある五枚の花びらが一斉に開いていく様は、まるでこの世のものではないような幻想的な光景だ。
皆、驚き過ぎて声も出ない。グレースもただただ目を見開いてリズの花を見つめている。
ほのかに甘い香りがしてきた。
凛と咲ききった聖なる花は、他の何色をも寄せ付けない、何色にも染まらない、まさに純白の花だった。
「きれい……」
息を呑んで見つめていたひそひそ娘のナタリーから、ため息のような声がもれた。
おそらくナタリー自身も声に出たとは気付いていないだろう、心からのつぶやきだった。
その隣ではグレースがこわばった顔でリズの花をにらみつけていた。先程までの余裕はどこへ行ったのか、青ざめてさえいる。
「おめでとう。やっと花が咲いたね」と声をかけてきたのは神官ロイドだ。
「ロイドさん、いつからいたんですか?」
「けっこう前から」
驚くリズに答えてから、ロイドが公爵令嬢グレースに向かって小さく笑った。
「確かに『その者にふさわしい花が咲く』だね。君の言った通りだった」
一瞬、視線で殺せるなら殺してやりたいといった強い光を目に浮かべたグレースが、身をひるがえして広間を出て行った。
ひそひそ娘のナタリーが急いで後を追う。
ロイドがリズに向かって笑った。
「もしかしたら聖女になるという決意を確かめていた花なのかもな」
「なるほど。――あの花、私にふさわしいですか?」
「うん。そう思うよ」
思いがけない素直な言葉に、いや何かあるなと予想する。
「だって、あの咲き方はさすがだろう。予想ができないというか、普通と違うというか、ひねくれているというか?」
(やっぱり)
顔をしかめるリズに、ロイドがもう一度小さく笑った。
「良かったな。綺麗な花じゃん」
聖なる木が応えるように、咲いた花が、茂る葉が、風もないのにサワサワと揺れた。
* * *
リズは食後の散歩をしていた。村での食事より遥かに豪華な三食が、聖女候補たちは食べ放題なので、貧乏性のリズはついつい食べ過ぎてしまう。
(あれ?)
第一塔門からこちらに早足で歩いてくるグレースを見つけた。
気に入られていない事はわかっているので、とっさに塔のかげに隠れる。気付かれなかったようで、グレースは目を向ける事もなく第二神殿へと戻って行った。
代わりに、グレースが話をしていた相手――父親のアイグナー公爵に見つかってしまった。選定中の神殿には関係者以外出入り禁止なので、たとえ家族といえど入口であるこの第一塔門までしか入れない。
「おや? 君はリズ・ステファンだね」
どうして名前を知っているのだ。いぶかしげに眉を寄せるリズに、公爵がグレースと良く似た口元に穏やかな笑みを浮かべた。
「キーファ殿下が君の事を気に入っていると耳にしたのだが、本当なのかな? 本当なら実にうらやましい話だと思ってね」
「さあ、わかりません」
臆する事なく、しかしむやみに卑下する事もなく、冷静に答えるリズに公爵がかすかに目を見張った。思っていたものと違ったというように笑みを消し、攻め方を変えるべく探るような視線を向けてくる。
しかしリズはそれどころではない。
(何だろう。この嫌な感じは……)
はっきりとはわからない。「勘」でいくら見ようとしても薄皮が一枚張っているようにぼやけて、つかめないのだ。
それなのに肌がピリピリする。胸の中がざわつく。
何だ。この感じは何なんだ。込み上げてくる不快感の元をさぐるように、リズもひたすら公爵を見つめた。




