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20 償いと御用聞き

 翌日リズが廊下を歩いていると、ちょうど通り過ぎた聖女候補の部屋からけたたましい悲鳴が聞こえてきた。


「どうしたの!?」


 リズが飛び込むと、ひそひそ娘のナタリーが床に座り込み、助けを求めるように真っ青な顔を向けてきた。小刻みに震える目じりには涙すら浮かんでいる。

 何事だと息を呑むと


「は、花が! 私の聖なる芽に花が咲いたのよ!」


(は?)


「――おめでとう」

「おめでたくないわよ! 食べられちゃうじゃないの!」


 ナタリーは本気で怯えている。リズはナタリーの芽に近寄った。

 古い植木鉢に植えられた小さな枝の先に、指先ほどの大きさの黄色い花が咲いていた。「聖なる花」だから普通の花とは違うだろうが、見た目は普通にかわいらしい花だ。


 リズは微笑んで、五枚の花びらのうち一枚の先にかすかに触れた。可憐な花びらはやわらかく、さわっても何も変わる気配はない。


「ちょっと近寄らない方がいいわよ! 噛まれたらどうするの!?」


 ナタリーはパニックになっている。


「噛まれもしないし食べられもしないよ。綺麗な花じゃない。良かったね」


 いつもと変わらないリズの態度に、だんだんと落ち着いてきたようだ。神官長は「危害を加えられるかもしれない」と言っただけで「必ず」とは言っていない事を思い出したのかもしれない。


「そう……普通の花なの……」


 拍子抜けしたようにつぶやき、そして目の前にいるのがリズだとわかりハッと我に返ったらしい。


「そ、そんな事わかってたわよ。ちょっと取り乱しただけよ!」


(素直じゃない子だな)


 ツンデレというやつか? デレの部分を見た事はないが。

 リズより少し年下か、ふんわりしたドレスのスカートを握りしめ丸い頬を真っ赤に染めて、何やかんやとわめくナタリーを眺めていると


「何事なの?」


 とアイグナー公爵の娘グレースが眉をひそめて、部屋に入ってきた。一瞬リズに目を止めたが、すぐにそらせる。


「グレース様! 私の芽に花が咲いたんです!」


 ひそひそ娘のナタリーが嬉しそうな顔で告げるとグレースの顔がこわばった。植木鉢に急いで目をやり、黄色い花をにらんだまま一言も発しない。ナタリーがオロオロし始めた。


「あの、グレース様……?」

「良かったじゃない。聖女候補たちの中で、あなたが一番乗りね」

「本当ですか! ありがとうございます!」

「まあ一番先に花を咲かせたから聖女に最もふさわしい、という基準にはならないと思うけれどね」


 優雅な笑みを浮かべながら、さらりと言う。

 ナタリーの嬉しそうな笑顔が一瞬で消えた。


「花が咲いたと、あまり声高に言わない方が良いと思うわ。自慢げな言動は聖女にふさわしい行為だとは思えないし」


 流れるような話し方と絶やさない笑みのためか、言われているこちらが悪いのではという気になってくる。ナタリーの元気がどんどんなくなっていき、最後にはシュンと肩を落としてしまった。

 さっきまでのリズに対する勢いとは別人だ。長い黒髪をまとめた銀の飾りも落ち込んだように悲しげに揺れている。


「誤解しないでね。私はナタリーのためを思って言っているのよ」

「は、はい! もちろんわかってます!」

「良かったわ」


 ドレスの長いすそを優雅にひるがえしてグレースが部屋を出て行った。リズの目の前を通り過ぎたにも関わらず一瞥いちべつもされなかった。完全にいないものとして扱われている。

 嫌がらせは色々とされてきたが、ここまで徹底的だと逆に見事だと感心した。


 グレースがいなくなった途端ナタリーが声を張り上げた。


「ちょっとリズ! えらくキーファ殿下と親しげだけど、あまりいい気にならない方がいいと思うわ! 身分が全然違うんだし周りの目もあるのよ。それにグレース様もいらっしゃるんだし!」

「――心配してくれてるわけ?」

「そ、そんなわけないでしょ! 心配なんて、全然、ちっともしてないわよ!」


(あれ?)


 驚いて、リズはまじまじとナタリーを見た。きつい言葉とは裏腹にナタリーの顔は焦ったように真っ赤になっていたからだ。

 もしかしてナタリーの花を心配ない、綺麗だと言ったから少し気を許してくれたのだろうか。


(本当に素直じゃない子だな)


 思わず笑みがもれた。

 ますます赤くなったナタリーが恥ずかしさを隠すようにプイと横を向いたので「じゃあ」と部屋を出ようとすると「それと!」と呼び止められた。


「何?」

「……何でもないわ。またにする」




 リズが部屋を出て一人残ったナタリーは誰に聞かせるともなくつぶやいた。


「アイグナー公爵が娘のグレース様をキーファ殿下の婚約者に推していると、もっぱらのウワサだけど……まだ、ただのウワサだものね」



 * * *


「ねえ聞いて。ついに聖なる花が咲いたの! でも普通の花らしい花だったわ」

「私もよ。赤い小さな花。神官長様ったら驚かせないで欲しいわ」


 候補たちに次々と花が咲いていき喜びの声があふれる。

 そんな中、群を抜いて大きなリズの聖なる芽には、ちっとも花が咲く気配がなかった。


(咲かないなあ)


 成長はしている。リズの背も抜かしてしまったし、わさわさと茂る枝と葉は、ますますわさわさしてきた。もっさり、と言っていい。けれど花のつぼみすら見つからないのだ。


(どうしよう?)


 自室で一人、芽と向かい合っているとさすがに焦ってくる。

 怖ろしい事に、焦りは人を普段とは違う考え方や行動へと導くものだ。


 前に聞いた神官ロイドの「芽は候補自身が持つ聖なる力で成長する」との言葉を思い出し、リズは芽に向かって念を送ってみた。目を閉じ気持ちを落ち着けてから両手を突き出し


(はああ!)


 とか、よくわからない気合いを心の中で叫びながら何か飛ばしてみるものである。

 普段のリズなら絶対にしないが、焦りとは本当に怖ろしいものなのである。しかも、さらに怖ろしい事に


「――何をしているんだ?」


 驚いた。リズにしては珍しくビクッと体を震わせて恐る恐る振り向くと、入口のドアが開いていて、その手前でキーファ王太子が呆気に取られた顔で立っていた。

 元より田舎育ちのリズに鍵をかける習慣はないが、ノックの音も、かけられたであろう声も夢中で聞こえなかった。


(まさか見られた!?)


 不覚だ。

 しかし唇を引き結んだキーファはいつもと同じ真面目な表情をしていた。


(見られてなかったのかな? ――いえ、違う)


 リズの「勘」が告げている。赤い目に力を込めてキーファを見すえると、気まずそうに視線をそらされた。


「……その、何をしていたんだ?」

「別に何も」

「いや、何かしていただろう? こう怪しいというか、おかしな動きを――」

「何もしてない」


 絶対に認めるつもりはない。逆に「何の用?」と聞くと


「何か俺にできる事があればと思って来てみたんだが」


 御用聞ごようききか。王太子なのに。


「大丈夫だから」

「何でも言ってくれていい。君に償うと、力になると誓った」

「本当に何もない。むしろ帰って欲しい」


 これ以上、失態を重ねないうちに。


「そうか。わかった」


 キーファが寂しそうに目を伏せてドアが閉まる。実に悲しそうな姿だった。

 間髪入れず、リズは音を立てないようにドアを細く開けて、そっとのぞき込んでみた。


 キーファが廊下の壁に手をついて、こちらに背を向けている。その丸くなった背中が小刻みに震えていた。


 声を出すのをこらえながら笑っているのだとわかった。

 リズのおかしな行動をばっちり目撃し、しかしさすがにリズの目の前で笑うのは失礼だと思ったのか必死に我慢して、今それが爆発したらしい。


(屈辱だわ……)


 よりにもよって一番見られたくない相手に。

 まだ笑い続ける広い背中を呪いながらリズは静かにドアを閉め、うおお! と白く細い髪をかきむしった。

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