2 今世のリズ
アストリア国北西部にある小さな村。
リズはつる植物で編んだカゴを抱えて歩いていた。中には摘みたての木イチゴがたくさん入っている。
前世の記憶を持ったままこの村で生まれ、育ち、リズは十七歳になった。
身分は何と王族! ――ではなく前世と同じ平民だ。幼い頃に父親を、そして昨年母親を病気で亡くしたが、伯母家族が近くにいるため何とか平和に暮らしている。
家へと向かっていると、村人の一人が声をかけてきた。
「あら、リズじゃない。カゴに入ってるのは木イチゴ? そんなにたくさん、すごいわね。どこで見つけたの?」
「集会所の裏のブナ林よ。少し入ったところの茂みの中」
「相変わらず見つけるのが上手ねえ」
村人は感心したように何度もうなずいた。
リズは生まれつき勘が良かった。まるで天啓かお告げのように、ふとひらめくのだ。
今朝も起きて朝食を食べている時に、ふと思った。ブナ林の茂みに木イチゴがたくさん実っていそうだと。
「虫の知らせ? それとも第六感というやつかしらね」と亡くなった母親はあきれたように笑ったものだ。
小さい頃から、こうやって誰も知らない場所から果物や木の実を採ってきたり、村人たちの失くしたものがどこにあるか言い当てたりした。だから村の人たちはリズの事を不思議な、ちょっと変わった少女だと思っている。
それは何事かひらめくと途端に走りだしたり、地面に穴を堀り始めたりする奇抜な行動のせいもあるし、「アルビノ」と呼ばれるリズの真っ白な髪と深みのある赤い目、透きとおるような白い肌といっためずらしい外見のせいもあるのかもしれない。
(帰ったら、さっそく木イチゴのジャムを作ろう)
カゴを両手で抱え直して、ほくほくと家へ急ぐ。
その通り道の小高い丘の上に、領主であるカーフェン男爵の屋敷があった。門の中には、見た事のない大きくて立派な馬車が止まっている。
リズは思わず立ち止まった。
(そういえば王宮からの使いが、カーフェン男爵の娘のエミリア様を迎えに来ると、みんながうわさしていたっけ)
次期聖女候補として、である。
村のみんなは騒いでいたけれどリズは興味がない。
足早に過ぎ去ろうとした時、門の中から声をかけられた。
「ねえ、そこの君。ちょっといいかな?」
二十代半ばくらいの青年だった。漆黒の髪と目、品の良さそうな顔立ちと均整のとれた体に白いシャツがよく似合っている。この辺りでは見た事がないから、王宮からの使いの一人なのだろう。
「何ですか?」
「おかしな事を聞くけど、銀色の小さな鍵を知らないかな? ずっと探しているけど見つからなくて」
たった今、会ったばかりのリズが知るわけがない。
あきれたが、青年もそんな事は承知の上でリズに聞いたようだった。溺れる者は藁をもつかむというやつか。心底、困っているようだ。よほど大事な鍵らしい。
年下のリズ相手にシュンと肩を落として、情けなさそうな顔をしている青年があまりに哀れで、気付くと口を開いていた。
「わかりました。ちょっと待ってください」
乗りかかった船である。リズはカゴを地面に置いて、大きく深呼吸した。
「勘」はお告げのように突然ひらめく時もあるけれど、意識を集中させて見える時もあるのだ。
ゆっくりと目を閉じる。
鳥の鳴き声と、木々が風にざわめく音が聞こえてくる。
どこからか湿りけを含んだ風が吹いてきた。リズの肩の上で切りそろえられた白い髪が巻き上がる。
白い小さな花びらが、ひらひらと周りを舞い、透けるような白い頬をかすめていった。
まるで、そこだけ現実でないような、神がかったような光景に、青年は言葉もなくぼう然と見入っている。
(鍵……黄色いひも……これは客間? ベッドの下……)
夢から覚めたようにゆっくり目を開けた。深い光を放つ赤い目で青年をまっすぐ見すえると、青年は気圧されたように後ろに一歩下がった。
「黄色いひもがついた銀色の鍵ですよね? カーフェン様のお屋敷の客間、右側のベッドの下にありますよ。そんな気がします」
リズの言葉に青年は驚愕の表情になった。
「どうして、わかるんだ!? しかも、ひもの事まで……」
「勘です」
「勘!?」
「はい」
絶句する青年に
「それじゃあ、これで。失礼します」
リズは軽く頭を下げると、カゴを抱えて再び家へと歩き出した。
* * *
翌朝、リズは昨日の青年に、カーフェン男爵の屋敷へ来るようにと呼び出された。それだけでもびっくりなのに、通されたのは裏口の土間ではなく客人用の居間だった。
カーフェン家になんて足を踏み入れた事もないし、前世が前世だったため貴族も、貴族の屋敷も苦手だった。前世での一連の出来事があざやかに思い出されて気持ち悪くなる。早くここから出たい。
扉の前で固まったように両手を握りしめているリズに、昨日の青年――ロイドが身を乗り出してきた。
「探していた鍵だけど本当にベッドの下にあったよ。どうして、わかったんだ?」
「勘です」
昨日と同じ言葉を繰り返す。青年ロイドは納得できないというように顔をしかめたが、リズだって他に答えようがない。
隙あらば部屋を出て行こうとしているリズに、ロイドはソファーのひじ掛けに頬づえをつきながら首をかしげた。
「不思議だ。魔力……というわけじゃないよな、アルビノだし」
この世界では魔力を持つ者はその力の大小に関わらず、必ず黒い髪と黒い目を持って生まれてくる。だから産まれた瞬間に魔力を持っているかどうかがわかるのだ。
しかしリズは黒とは真逆の、白い髪に赤い目である。魔力持ちでない事は一目でわかる。
ロイドが言った。
「国が次期、聖女候補を捜しているんだ。知っているだろう?」
リズはうなずいた。
アストリア国を聖なる力で守る聖女。王宮の奥深くにある神殿にこもっていて滅多に姿を見せないが、現、聖女はかなりの年齢だと聞いた。
「それで国は慌てて、僕たち神官を使って次の聖女候補を捜している。そして王宮に集められた候補たちの中から次の聖女が選ばれるんだ」
もう一度うなずいたが、なぜ自分にこんな事を話すのかわからない。
聖女になる条件は魔力持ちである事だ。つまり黒髪に黒目、それが絶対で最低条件だった。
このカーフェン家の令嬢エミリアも黒髪黒目の魔力持ちで、だからこそ神官であるロイドたちはエミリアを迎えに来たのだ。
どう考えてもリズには関係のない話だった。
リズは村の特産品である草木染めの織物で生計をたてている。今取りかかっている織物の納品日が近いから早く帰りたいのに。
ちょっとイライラしてきたリズを、神官ロイドが真剣な顔で見すえた。
「本題だが、君を王宮へ連れて行きたい。聖女候補としてね」
「は?」
「確かに魔力持ちではないから最低条件も満たしてはいないんだが――君には何かあるよ。何か特別な力が。うん、あると思う」
何をわけのわからない事を言ってるんだ。アルビノのリズが聖女からは一番遠い存在だと子供でもわかるのに。
リズはため息をついた。
「帰ってもいいで――」
「僕たち神官は国王から命を受けて、ここに来ている。だから僕の言葉や行動は、いわば王命だ。そこのところ、よろしく」
神官ロイドが明るく笑った。
何が、よろしくだ。人を脅しておいて本当に聖なる神官なのか――と心の中で悪態をつき、ふと気付いた。
「――つまり私とエミリア様の二人を聖女候補として王宮に連れて行くって事ですか?」
「いや、君だけだ。エミリア嬢は確かに少しは魔力を持っているが、僕が確かめたところ、とてもそこまでの素質はなかったよ。残念だけどね」
嫌な予感がした。とても嫌な予感が。
エミリアは貴族の令嬢らしく、とてもプライドが高い女性だからだ。
その予感は当たった。
さらに翌日、リズは再びカーフェン家に呼び出された。というより無理やり連れて行かれたのだ。
神官ロイドの鍵を盗んだという罪で。
しかも、リズが盗むところをエミリアが目撃したという事だった。