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17 前世の決着

 第二神殿内の廊下で、キーファ王太子からユージンの話を聞き終えたリズは高い天井をあおいだ。

 むなしさと胸を突き刺すような悲しみの中で、ふつふつと怒りが込み上げてくる。窓から差し込んでくる明るい日差しでは、なぐさめられそうにもないほど強い怒りだ。


(セシルもユージンも、だまされていたんだ)


 ハワード家の執事たちに。


(冗談じゃない。ふざけんな――だわ!)


 うおお! と髪をかきむしりたい衝動にかられるリズの前で、壁に沿って座り込み両手で頭を抱えていたキーファが悲痛なうめき声をあげた。


「あの手紙はセシルが書いたものじゃなかったのか……」


 愛するセシルのせめてもの願いだと血を吐くような思いであきらめただろうに、実は嘘だったなんて。そして、だましたのがずっと側にいた執事だったなんて。

 ユージンの――キーファの苦痛はどれ程のものか。


 リズはためらいがちに聞いた。


「その執事がセシルの字に似せて書いたって事?」

「――いや、あれは確かにセシルの字だった。だから筆跡の専門家を雇って偽の手紙を書かせたか、それか、そういう能力を持つ魔力持ちを雇ったかだと思う」


 苦悩しながらもキーファは必死に頭を働かせているようだ。

 そして充血した目で廊下の一点を見つめながら、喉の奥からしぼり出すような低い声でつぶやいた。


「やっとわかった。父は口では俺に――ユージンに後を継ぐ必要はないと言っていたが本心じゃなかった。でも十八年間放っておいたユージンへの負い目から口に出せずにあきらめていて、だから筆頭執事のバトラーが代わりに実行したんだ。バトラーは父を命の恩人だと言っていたから」


(そういう事か)


 セシルたちが住んでいた集合住宅の住人たちや、セシルの仕事場の人たち、そして友人。「セシルは死んだのではなく他の男と結婚して王都を出て行った」と嘘をつけと、執事が言い含めたのだ。

 ユージンがセシルをあきらめてグルド家のお嬢様と結婚するように。


 グルド家はハワード家の領内を治める家だったから、事情のある平民くさいユージンが相手だろうが文句は言えない。お嬢様がつけていた金の指輪も、ユージンからだと嘘を言って執事が渡したものだろう。

 そういう意味ではお嬢様も被害者と言えなくもないが、ユージンに振り向いてもらえなかった事でセシルに暴言を吐き嘘をついた事は許せる事じゃない。


 セシルの仕事場は貴族御用達きぞくごようたしの仕立て屋の下請け工房だった。仕事場の人たちも集合住宅の住人達も、名門のハワード家ににらまれたら暮らしていけなくなる。


 おそらく急に王都から引っ越して行ったという友人は執事に反抗したのだろう。だから王都内にいられなくなった。


 大家のおばさんも、そうだ。手紙に書かれていたという「姪に双子の赤ちゃんが生まれた」は本当だ。でもセシルは世話なんてしていない。双子は生まれついての難病で王都内の施療院に入院していたからだ。

 おばさんが嘘をついたのは、セシルを置いてハワード家へ行ったユージンを怒っていた事ももちろんあるだろうが、娘同然にかわいがっていた姪を置いて王都から出て行くわけにはいかなかったからだろう。


(……!)


 悔しい。悔しくてたまらない。

 セシルやユージン、おばさんや友人たちは確かに平民で、名門の貴族からしたらただのコマにしか見えなかったのだろうが、人をだましてそんな事をする権利なんてないはずだ。


 自分たちの欲のためにユージンをだまし裏切り、セシルたちの仲を引き裂き、それを脅して隠ぺいした。

 ずっと、だまし続けた。そんな事が許されていいはずない。


 リズの赤い目が静かに、けれど燃えるように輝いた。


(聖女になったら――)


 次期聖女になれたら何か変わるだろうか。変えられるだろうか。


 もう二度と、前世のような悲しい思いをしないように。

 他の誰かにも悲しい思いをさせないように。


(聖女になれたら――!)



 不意にキーファが青ざめた顔で聞いてきた。


「金は? ユージンがハワード家にいた間の金をセシルは受け取ったんだよな?」


 最後の望みのような、すがるような言い方だった。


 リズはとっさに反応できず「お金?」とつぶやいた。

 キーファは絶望したような顔で、けれどすさまじい怒りと悲しみが一気に込み上げてきたように歯を食いしばった。


「あいつ、俺たちの事を何だと思って……!!」


 五百年分の怒りだった。

 爪を立てて髪を、顔をかきむしるキーファを止める事は、リズにはできなかった。


 やがてキーファが顔を上げた。


「すまない」


 かすかに震える声には誠実な響きがあった。


「俺がちゃんと確認しなかったからだ。執事や父親の言う事を真に受けて疑いもしなかった。君に裏切られたと思い込んで、君を一人で死なせた。すまない。

 謝って済む事じゃないとわかっているが、本当にすまない」


 深く深く頭を下げる。そしてゆっくりと顔を上げて、充血した焦げ茶色の目でリズをまっすぐ見つめてきた。


つぐなう。俺は君に一生をかけて償う」


 やつれてぼろぼろなのに確かに決意を固めた顔だった。


(強いな)


 ユージン自身もだまされたというのに、信じていた人物たちに裏切られて悔しい気持ちも恨む気持ちも人一倍だろうに。

 自分もハワード家の一員だった事から逃げずに全てを呑み込んで、セシルに――リズに償うと言っている。人生をかけて。


(強い。そして……真面目だ)


 前世のユージンとは違う。ユージンも誠実で一途だったけれど、これ程強くはなかった。少しだけ寂しくなり、慌ててその考えを否定した。


(当たり前だよね)


 リズがセシルじゃないように、キーファももうユージンではないのだから。


 執事に嘘をつかれてだまされた事は決して許せない。ぶちのめして、ボコボコに叩きのめしてやりたいくらいだ。


 けれど「セシルへ」と刻まれた銀の指輪はユージンの人生をかけた想いそのものだった。

 裏切られてなどいなかった。セシルがずっとユージンの事を思い続けていたのと同じように、ユージンもセシルを思い続けてくれた。

 それがわかったのは、ものすごく幸福な事だ。

 

 セシルだって、執事やグルド家のお嬢様の話を鵜呑みにして捨てられたと思い込んだ。

 セシルもユージンもお互いに確認不足だったのだ。当時の二人としては精一杯やったけれど、もっともっと他に出来た事はあったのかもしれない。


(それに――)


 リズもまた指輪の事で勘違いしてキーファの話を聞こうともしなかった。やっと聞こうと決心したのはつい最近の事だ。

 恥ずかしさと情けなさを心の内にまるごと抱えて、リズはぎゅうっと両手を強く握りしめた。


(……反省しよう)


 そして今世にかすんだ。そうでなければ前世の記憶を持って生まれ変わった意味がない。

 リズは銀の指輪を両手でそっと握りしめた。


「償いなんてしなくていいよ、どっちもどっちだったんだから。……この指輪はセシルがもらっておく」


 リズではなくセシルが。

 ゆっくりと微笑んだ。


「ありがとう」


 死ぬまで想い続けてくれて。


「前に言ったよね? 前世とは違うって。その通りだよ。もうセシルとユージンじゃない。今の私はリズで、あなたはキーファだ。お互いに、新しい今世の自分を生きていこう」


 今世の人生を。

 力強く生きていこう。


 向かい合うキーファが真摯しんしな目をリズに向けた。


「だったら俺は君の力になる。ならせてくれ。今度こそ、必ず」



 * * *


 ハワード家の子孫であるクレアはぱんぱんにふくらんだカバンを持って、神殿を振り返った。聖女候補の選定に落ちたので、これから家に帰るところだ。


「胸を張って帰る」とリズには言ったけれど、正直気持ちは晴れない。


(仕方ないよね……)


 のろのろと馬車に乗り込む寸前で「クレア」と、ためらいがちに声をかけられた。

 振り向くと、そこには何とキーファ王太子の姿があった。


「キ、キーファ殿下!?」


 びっくりなんてものじゃない。そりゃ王宮の奥にある神殿にいたのだから何度か姿を見た事はあったが、まさか声をかけられるなんて。しかもクレアの名前を知っている。びっくりし過ぎてカバンを落としそうになった。


 そんなクレアを、不思議な事にキーファはなつかしそうな顔で見つめてきた。


「すまない。君が昔の知り合いに良く似ているもので。――テオというんだ」

「私のご先祖様にもテオがいますよ。同じ名前ですね」

「そうだな」


 心なしかキーファの目がうるんでいるように見える。なぜだ。


 王太子に声をかけられてすでに驚いているのに、さらに王太子がただの平民である自分に向かって頭を下げたから、さらにさらに驚いた。


「で、殿下!?」

「指輪を伝えてくれてありがとう。君のおかげだ。心から感謝している」


 ハワード家の――ユージンの指輪の事だろうが、どうしてキーファから礼を言われるのかわからない。

 それでもキーファの言葉が心の奥底から出た本心だという事はわかった。


「聖女候補として残念な結果になった事は聞いた。でも君が候補としてここに来てくれた事を本当に感謝している。ありがとう。俺が言っても何のためにもならないかもしれないが、君は立派な魔力持ちだと思う」


「そ、そんな……! 私、ずっと役に立たない魔力持ちだと言われてきて。でも、本当にその通りで……あの、ご先祖のテオもそんな感じだったらしいんですけど……!」


 パニックになってしまって自分が何を言っているのかわからない。

 そんなクレアにキーファが確信を込めて微笑んだ。


「そんな事はない。君も、君の先祖のテオも――人を幸せにしてくれた。最高の魔力持ちだ」


 クレアはぽかんとなった後でうつむいた。


 嬉しかったのだ。

 ずっと役に立たない魔力持ちだと言われてきたから、キーファの言葉は心に、体に染みわたるくらい本当に嬉しかった。


「元気で。何かあったら構わず言ってくれ。また、必ず力になる」


 真剣な顔でそう言って去るキーファの後ろ姿を見つめた。そして


(あれ?)


 キーファに近付いてきた側近の男。三十代半ばくらいの黒いマントをはおった男が誰かに似ているような気がした。

 側近がこちらを見て軽く会釈した。その頬には傷跡があった。


(……!?)


 十年前、クレアの家族を借金の危機から救ってくれたという、どこの誰かもわからない男。両親が捜しても見つからなかった男。その男の特徴と一致する。


(……まさかね)


 苦笑した。だってキーファ王太子の命令で動く側近だ。十年前と言えばキーファだってまだ九歳の子供じゃないか。しかもキーファはクレアの家族――ハワード家になんて何の関係もないのだから。


 それでも心が軽くなった。カバンを持ち、颯爽と顔を上げて馬車に乗り込む。


 広い車内の大きな窓からは白く輝く神殿が見えた。

 クレアは笑顔でふかふかの座面に腰を下ろした。


(胸を張って家に帰ろう)


 心の底から、そう思った。

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