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16 前世のユージン2

 ハワード家の領内を治めるグルド家のお嬢様も、ちょくちょく父親の見舞いにやって来た。

 実は初めて門の前で会った時、ユージンの立ち居振る舞いからお嬢様に下男扱いされたのだ。その後でユージンが当主の血を引くとわかったお嬢様は態度をころっと変えてすり寄って来たけれど


(何だ、この女。鬱陶(うっとお)しい)


 そうとしか思わなかった。執事は事あるごとにお嬢様の株を上げるように絶賛したが、下男扱いの事がなくても、ユージンにはどこがいいのか全くわからなかった。

 きれいなのは着ているドレスだけじゃないか。内面は全く違う。優しくて思いやりのあるセシルとは比べ物にならない。


 そのまま顔と態度に出ていたのだろう、お嬢様はプライドを傷つけられたのか真っ赤な顔で「こんな物いらないわよ!」と、はめていた指輪を投げつけてきた。

「こんな物で私の気を引けるなんて考えないでちょうだい! 執事を通してしか私に渡せないくせに!」


 意味がわからない。

 セシルに贈ろうとしている指輪に似ているが、リングの部分が金色でもっと濃い青の石が付いた指輪だった。


 とりあえず「いらないそうですよ。俺もいりませんけど」と執事に渡した。

「……ありがとうございます」と受け取りながら複雑な面持ちになる執事を見たのは初めてだった。


 セシルとは何通か手紙をやり取りした。

 しかし会いに行こうとすると見計らったように断りの手紙がくる。大家のおばさんの姪に双子の赤ん坊が生まれて世話を手伝っているので忙しい。だから自分も会いたいが、またにしてくれないかと。そんな内容だった。


(仕方ないよな……)


 セシルは人に頼まれると多少の無茶をしてでも助けてあげようとする性格だ。そこが好ましくもあり心配な部分でもあるのだが、そんなセシルが無理だというのなら本当に無理なのだ。


 執事から領地経営やらハワード家の歴史やらも細かく説明された。跡継ぎでもない自分には関係ないじゃないかと思ったが「給料の範囲内かと」と穏やかにさとされると何も言えず、渋々聞いた。



 セシルと離れてから六十日が過ぎ、再び宝石商人がやって来た。

 渡された「セシルへ」と刻まれた指輪がこの前見た物とどこが違うのか全くわからなかったが、とりあえず買えたのだ。喜ぶユージンに、商人は愛想もそこそこに怯えた様子でさっさと屋敷を去って行った。


「セシルに指輪を渡したいので一度帰ります」


 執事に告げると、またもやセシルから「今は忙しくて会えない」と手紙が来た。何か変だ。ふと疑問がわき、手紙の内容を無視して帰ろうと荷物をまとめた。

 するとまた手紙が届いた。衝撃的な事に「他の人と結婚します」との内容だった。


 世界がひっくり返るかと思った。冗談かと思い何度も読み返すが、その通りで。しかも確かに見慣れたセシルの字なのだ。ユージンは荷物も置いて屋敷を飛び出した。


 セシルと一緒に暮らしている部屋は空室になっていた。荷物も何もかもがなくなっていて、もちろんセシルの姿もない。何だ、何が起こったんだ。頭がガンガンした。

 とにかくセシルを捜した。どうにかして直接、話がしたかった。


 セシルが仲良くしていた階下に住む大家のおばさんは留守で、焦ったユージンは集合住宅の全ての部屋のドアをノックした。けれど答えは皆「他の男と結婚して出て行ったようだ」だった。

 元より付き合いのなかった住人もいるけれど、そこそこ親しくしていた人たちもいる。けれど皆、目を合わせないようにすぐさま扉を閉められた。


 何だ。何なんだ。訳がわからないままセシルの勤め先へと走った。貴族御用達きぞくごようたしである仕立て屋のさらに下請けの工房だ。そこでも同じ反応だった。「誰かと結婚して引っ越して行ったと聞いた」

 そして気まずそうに、さっさと話を切り上げようとする。詳しく聞こうとすると逃げて行ったり怒ってくる者さえいた。


 セシルが近所のパン屋で出会い友人になったという女性の家へも行ってみたが、隣の者に「急いで引っ越して行ったみたいだよ。行き先は知らない。王都を出て行くとは言ってたけどね」

 もちろんパン屋の店員たちも知らなかった。


 もとよりセシルも家族はおらず身寄りもない。ユージンは途方に暮れた。


 セシルが他の男と結婚しただなんて、ユージンを裏切っただなんて信じられない。セシルがそんな薄情な女性でない事はよく知っている。

 それでも、これほど皆が口をそろえて言うのなら本当の事じゃないのか――。暗い気持ちがゆっくりと心に忍び込んできて、ユージンはそれを追い払うように急いで首を激しく左右に振った。認められなかった。


 どん底まで落ちた心と疲れ切った体を引きずって部屋に戻ると、大家のおばさんがいた。最後の頼みの綱だ。ユージンはすがった。

 けれど、おばさんの返事は無情なものだった。


「セシルはもういないよ。他の人と結婚して部屋を出て行ったからね」

「他の人って誰と!? お願いです、一度会って話がしたい。どこへ行ったのか教えてください!」


「知らないよ。私に話したらユージンに教えるだろうと言って教えてくれなかったんだから。

 ――でも別にいいじゃないか。あんたは貴族の跡継ぎになるんだろう。平民のセシルとはもう何の関係もないじゃないか」


 本当だったのか? 床に膝をつき呆然となるユージンの手から指輪がこぼれ落ちた。石の色からセシルに贈るためのものだとわかったのだろう、大家のおばさんが目をいた。


「あんた、それ……ひょっとして貴族になるつもりなんてなかったのかい? あんた、セシルと結婚するつもりで……」


 おばさんが言葉に詰まる。様々な感情が一気に噴き出してきて、とても言葉に出来ないという面持ちで体を震わす。そして、ユージンから逃げるように両手で顔をおおった。


「もうセシルはいないんだ。お願いだよ、ユージン。私らも生きていかなきゃならないんだ……! セシルの事は忘れておくれ。もう、あきらめておくれ!」


 そして震える手でセシルから頼まれたという手紙を差し出してきた。見慣れた便せんに見慣れた文字。いつものセシルの手紙だった。

 ユージンは祈るような気持ちで手紙を開けた。


 だがそこには「自分を想うなら捜さないでくれ。ユージンには悪いと思っているが、自分は新たな幸せをつかんだ。お願いだから邪魔をしないで欲しい。少しでも自分を想ってくれているなら、どうかあきらめてくれ」という事が書かれていた。


(嘘だろう。セシル……)


 ユージンは手紙を握りしめ、体を丸めて、むせび泣いた。



 ぼろぼろのすり切れた布のようになってハワード家に戻ると、ベッドに横たわる父親から、実は遠縁の子供テオとの養子縁組手続きがうまくいかず、すまないがとりあえずユージンを跡継ぎとして正式な承認を受けたと告げられた。


(どうでもいい……)


 耳では聞こえているが頭には入ってこない。そんなユージンを見越したのか、後ろに控えていた執事が小さく微笑んで続けた。

 どうだろう。このまま跡継ぎとして生きてみてはどうか。そしてグルド家の令嬢と結婚してみては? 恋人のセシルには裏切られたのだから、その傷を癒すためにも――。


 ユージンはぼろぼろだった。満身創痍だったから執事は難なく丸め込めると思ったのだろう。だから


「俺はセシル以外の女性と結婚する気はありません」


 とユージンが返した時、初めて素の顔になった。何を言われても驚きを表に出さなかった執事が、初めて雷に打たれたように驚愕の表情で固まった。


「……セシルはユージン様を裏切ったのに、ですか?」

「ええ」


 心はぼろぼろでも、何も考えられなくても、それはいわば根幹にある揺るぎない魂の思いのようなものだった。


 ぼろ雑巾のようなユージンが力なく笑いながらもそう言った事に、初めて執事が顔をゆがめた。まるで自分の力の及ばない事があるのだと思い知ったように。


 父親のこけた頬に、ためらいのような後悔のような色がちらりと浮かんだ。

 それからも何度も結婚を勧められたが、ユージンは頑として首を縦に振らなかった。



 テオとの養子縁組はユージンが行った。テオが当主の座を得られる年齢になるまで、後見人という立場でハワード家の後を継ぐという条件で。


 セシルの事は捜せば嫌がるだろうと思いつつも我慢できず、こっそりと生まれ育った故郷や修道院などへも行ってみたりしたが手がかりはなかった。


 それからユージンはセシルの事は忘れるよう努めた。ともすれば捜し出して問い詰めたくなる自分を必死に止めた。セシルが捜すなと言ったのだ。頼むから忘れてくれと。

 ユージンが悪かったのだ。セシルを置いてハワード家へ行ったから、セシルを不安にさせたから――。だからせめて、その願いだけでも叶えたかった。自分にできる事はそれくらいだと思った。


 三年後、父親が亡くなった。医者もあの状態でよく、と驚く程の執念で、苦しみながらの壮絶な最期だった。

 テオが当主になれる年までの二年間、ユージンがハワード家の当主になった。途端に父親の近くにいた使用人たちが屋敷をやめていった。大家のおばさんや集合住宅の住人たち、セシルの勤め先の工房主たちも遠くへ引っ越したのか、いなくなっていた。――まるでユージンが当主になった事で、セシルの件で嘘をついた事がばれて報復を恐れるように――。


 テオは素直な優しい子だった。親子というよりは年の離れた兄弟のようだったが、ユージンによくなついてくれた。ユージンが大事に持っていた指輪に興味津々だった。


 それから十年後、ユージンは三十代半ばでその生涯を終えた。

 枕元で泣くテオと、すっかり年をとった執事が頭を下げ続けているのを見ながら――。

次は前向きな話です。


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