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15 前世のユージン1

 ――「ハワード家へ行ってくるよ。大丈夫、すぐに帰ってくるから」


 セシルに笑って言い残し、ハワード家の使いの者に案内されて立派な屋敷の門をくぐる時まで、ユージンにはまるで現実味がなかった。

 一つにはずっと平民として生きてきた自分が実は貴族だったなんて、ちゃんちゃらおかしいし、もう一つにはユージンにはハワード家の跡継ぎになる気など、これっぽっちもなかったからである。


 ハワード家へやって来たのは、ずっと知りたいと思っていた実の父親の顔を見るため、それと恋人のセシルに贈る指輪を買うためだった。


 この時代、王都内といえど、ちょっと良い宝石店に平民であるユージンが入って行っても相手にしてもらえない。平民相手の宝石売りといえば露天商のまがい物くらいだ。

 だが貴族の屋敷になら、ひいきの宝石商人がやって来る。渡りに船だ。「これしかない!」と思った。


 このアストリア国では昔から結婚相手の女性に贈る指輪は、その女性の目の色と同じ色の石が付いた物だと生涯幸せになれると言われている。

 セシルは物静かで優しくて控えめで、とても思いやりのある女性だった。貧乏だったけれど文句なんて一言も言わず、いつも隣で優しく微笑んでくれる。


 郊外の孤児院育ちで、親もいないユージンに世間の風は決して暖かいものではなかったけれど、セシルといれば耐えられた。

 生まれて初めて自分は幸せだと、そう思えた。


 だから自分ができる限りの最高の指輪を贈りたかった。

 セシルの喜ぶ顔が見たい。それだけだった。




「君がユージンか……」


 初めて会った父親――ハワード家の現当主は聞いていた年齢よりもかなり老けて見えた。

 それもそのはず、一年前に妻を、そして半年前にユージンの異母兄弟にあたる一人息子を亡くしてから寝たきりになり、もう長くないという。


「すまない。君には謝る事しかできない。本来なら顔を見る事さえかなわない立場なのに、こうして君に会えて話せた。心から感謝している。最期に良い夢を見られたよ。ありがとう」


 生気のとぼしい目に涙を浮かべて弱々しく微笑む。

 ユージンは呆気にとられた。相手は貴族だ。どんな傲慢な態度をとられるのかと覚悟していたのに。


「本来なら私から会いに行くのが道理だが、私はもう起き上がる事もできないんだ。呼び出してしまってすまない」

「……俺は跡継ぎになる気はありませんよ」

「ああ。構わない」


 あっさりと肯定されて、ますますぽかんとなってしまった。

 詰め寄られたら積年の恨みを込めて殴って逃げようなどと考えていたのに、跡継ぎになる必要はないという。


 いぶかしげな顔になるユージンに、父親のこけた頬がゆるんだ。


「使いの者が言ったんだな。私はそんな事は考えていないよ。本音を言えば、君に後を継いでもらいたいが――。十八年間、君を放っておいたんだ。そんな虫のいい事は考えていない。遠縁の親戚にテオという男の子がいる。その子を養子にもらおうと準備しているところだ」


「……だったら、なぜ俺を呼んだんです?」

「私はもう長くない、最期に一目、君の顔を見たかったんだ。今まで本当にすまなかった。ミリア――亡くなった君の母親によく似ている。ありがとう。もうこれで思い残すことはないよ」


 青白い頬に感謝を込めて微笑む父親に、ちょっと心が動きそうになって、ユージンは慌てて心を引き締めた。


 つい先日ハワード家の使いの者から初めて父親の事を聞いた時、浮かんだ素直な感情は「怒り」だった。自分と母親を捨ててから十八年間放っておいたのに、今さら後を継いでくれだなんて勝手すぎる。ヘドが出る程だ。


 きっと傲慢な態度で接してくるだろうから、言い返して罵倒してやろうと思っていたのに。

 ユージンは複雑な気持ちで天井をあおいだ。これでは怒りの持って行きようがないじゃないか。


 と突然、父親が苦しそうにうめき始めた。


「旦那様!」


 筆頭執事が飛び込んできて薬を飲ませ、慌てて駆けつけたメイドたちに素早く指示を出す。ユージンが壁際でひたすら呆然としている間に、医者の処置により父親は穏やかな呼吸を取り戻して眠りについた。


「ユージン様、少しよろしいですか?」


 執事に誘われてユージンは部屋の外へと出た。

 筆頭執事のバトラーはハワード家に勤めてすでに三十年以上のベテランだった。昔、孤児で道端に倒れて餓死寸前のところをユージンの父親に助けられたという。


「執事である私が申しましても信じて頂けないかとは思いますが、旦那様は素晴らしい方です。あの時旦那様に助けて頂かなかったら、私は道端でゴミのように死んでおりました。命の恩人です」


(そんな事を言われても……。孤児だった俺は放っておかれたわけだし)


 わき上がった反発心がユージンの顔にそのまま書いてあったようで、執事が小さく微笑んだ。そして言おうか言うまいが悩むように視線をそらせ、やがてゆっくりと口を開いた。


「ユージン様の母親はこの屋敷のメイドでした。私も一緒に働いておりましたから存じております。彼女は妊娠した事を誰にも告げずに出て行きました。そして出て行く時に、寝室の棚にあったわずかですが現金と奥様の宝石類を盗んでいったのです」


(……!?)


 はじかれたように顔を上げたユージンを、執事が静かに見すえた。


「使用人の窃盗は死罪です。ですが旦那様は彼女を追及しませんでした。あれは慰謝料代わりだ、だからお前たちも他言無用だと事情を知る私たち数人に口止め致しました。ですから私どもは努めて彼女を――ユージン様の母親を忘れるようにこころがけたのです。幸か不幸か、王都を出たようでしたので。

 ですからユージン様を見つけるのがこんなにも遅くなってしまいました。お許し下さい」


 深々と頭を下げる執事に、ユージンは何も言い返せなかった。本当か嘘かなんて今となってはわからないのだから。


 それでも負い目ができてしまった。母親は犯罪者かもしれないのだ。

 顔がこわばるユージンに、執事が真剣な顔でますます深く頭を下げた。


「お願いがございます。旦那様はもう長くはないのです。医者にもそう言われました。

 実は奥様とご子息を次々に亡くして以来、旦那様の笑顔を見たのは久しぶりなのでございます。あんなに喜ぶ顔を見るのは……。ユージン様、もう少しだけ旦那様のおそばにいて頂けませんか? どうかどうかお願い致します」


 ユージンには断る事などできなかった。


 足取りの重いユージンに屋敷内を案内しながら、執事が言った。


「感謝致します。ごり用の物があれば何なりとお申し付け下さい」

「――指輪が欲しいんです。貴族の屋敷には良い宝石商人が来ると聞いて。あんまりお金は持っていないんですけど、小さくても良いので本物の石が付いた指輪が欲しいんです」


「それは、もしや一緒に暮らしている恋人に贈る結婚指輪ですか?」

「ええ、まあ」


 顔をそむけつつも照れるユージンは、執事の表情がほんの一瞬だけ厳しくなった事に気付かなかった。

 執事はすぐさま、にこやかな笑みを浮かべた。


「そうですか、おめでとうございます。しかし残念な事に、出入りの宝石商人はつい最近来たばかりなのでしばらくは来ないかと。なるべく早く来るように言っておきますので、もうしばらくこの屋敷でお待ちください。この宝石商人は王都内でも非常に人気があります。恋人の方はきっと喜んでくれますよ」



 セシルには手紙を書いた。「跡継ぎにはならないが父親の命が残りわずかな事。すまないがもうしばらくここにいて、そしてセシルへの青い石のついた指輪を買ってから帰る」と。


 執事に言われハワード家の使いの者に渡すと、しばらくしてセシルからの返事を持ってきた。確かに見慣れたセシルの字だった。「わかった、ゆっくりしてくるといい。指輪を楽しみに待っている」との内容だった。

 ユージンはホッと息をついて、セシルを感じ取るかのように何度も何度も手紙を読み返した。


 執事はさらに「こちらのわがままで屋敷にいてもらっているのだからお金を払う」と言ってきた。丁寧に辞退したが、確かにユージンは今仕事に行っていないし、提示してきた金額はユージンの給料の優に三倍はあった。セシルに楽をさせてやれると思い、セシルに届けてくれと頼んだ。


 すぐに「お金をありがとう」と手紙がきた。「こちらは大丈夫。ゆっくりお父さんを看病してあげて。指輪を楽しみにしている」と。

 良かった。喜んでくれていると安心した。


 父親の容体は悪いまま、セシルと離れて三十日が過ぎた。やっと宝石商人がやって来てユージンはワクワクしながら指輪を選んだ。


「これにするよ」


 高価なものではないけれど、セシルの目の色と全く同じ、早朝の空のような爽やかな青色の石が付いた指輪だった。

 すると満面の笑みを浮かべていた商人が視線を壁際へやった途端、顔をこわばらせた。


「――申し訳ありません。この指輪は少し傷があるようで。もうしばらく待って頂けませんか? そうすれば、これと同じきれいな指輪をお持ちしますので」


 肩を落とすユージンの背後で、壁際に立っていた執事が小さく微笑んだ。

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