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14 王太子との話

 リズは走った。第二神殿内の長い廊下を、前を見てひたすら走った。



 ついさっき神官ロイドが言っていたのだ。

「神官長に話を通してもらったよ。キーファ殿下が、この前会った広間の前の廊下、その突き当たりで待つとさ」


「ありがとうございます!」

「えらく張り切ってるな……あれ、その指輪?」


 リズの手にあるクレアからもらった指輪を見て、ロイドが驚いたように指差した。


「地中に埋まっていた――キーファ殿下の持っていたびた指輪にそっくりだ。うん、あの古い指輪から錆びを落としたら、まさに、それ」

「そうですか」


 キーファが子供の頃に大事に持っていたという指輪は、あのグルド家のお嬢様が付けていた金の指輪ではなく、セシルに宛てた銀の指輪に似ていた物だった――。

 リズは改めて指輪を握りしめた。


 詳しい事はよくわからない。五百年前の真実も、ユージンが何を考えていたのかも。

 けれど嬉しい。ユージンの心の中に少しでもセシルがいた事が、ずっと願っていた事が叶った事実が何より嬉しくてたまらない。

 リズは笑った。


「行ってきます、ロイドさん」

「お? おお……行ってらっしゃい」


 ロイドが訳がわからないという顔をしながらも小さく笑った。




 約束の場所に、すでにキーファは来ていた。

 リズの気配を感じたのか、ためらいがちにゆっくりと振り向き、そして一心不乱に走ってくるアルビノ娘の姿にギョッとしたように目を見張った。


 リズは気にせず、息を切らしながら「これ!」と指輪を差し出した。


 途端にキーファが驚愕の面持ちで固まり、まるで夢を見ているように呆然と口を開いた。


「これは……どうして、ここにあるんだ? 何で君が持って……俺の墓に一緒に埋葬してもらったはずなのに」

「埋葬しなかった。テオ・ハワードが残して代々伝わり、今のハワード家の子孫が私にくれたの」


 キーファが目を見開く。


「今の……ひょっとしてクレアか?」


 リズは驚いた。


「クレアを知ってるの?」

「名前だけ。直接会った事はない。聖女候補としてここにいるとは聞いていたが」


 そして熱に浮かされた様に「そうだったのか、テオが……」とつぶやいた。


「テオ・ハワードは、いつか絶対にこの指輪を渡さなければいけない人が現れる。だからそれまで絶対に手放すなと、そう言い残したそうよ」


 リズの言葉に、キーファの目がなつかしそうにうるんだ。


「そうか……テオの奴、魔力持ちなのにろくな魔法が使えないといつも泣いていて、そのたびになぐさめたものだが。何だ、ちゃんと……立派な魔法が使えたじゃないか」


 指輪を見ながら、うるむ目で、しかし嬉しそうに笑う姿は確かに父親のものだった。

 リズの――セシルの知らないユージンの顔だ。その事に少しだけ胸が痛み、リズはささやくように言った。


「テオはユージンの息子なんでしょう? 養子だった、と」

「ああ、そうだ」

「ユージンは生涯、誰とも結婚しなかったとも聞いたけど」

「……ああ、その通りだ」


 キーファはリズから顔をそむけて、うなずいた。リズはキーファの横顔を見つめた。まるで何かを隠したがっているように頬が引きつっている。

 リズは慎重に告げた。


「その指輪は私に――セシルにくれようとしたのよね? どうして? 私、ユージンはあのグルド家のお嬢様と結婚したんだと思ってた」


 途端にキーファが顔をゆがめた。


「何を言っているんだ? 他の男と結婚したのは君の方だろう」


(は?)


「何を言ってるの? セシルは結婚なんてしてない」


 当然だという思いを込めて言い返すと、キーファが小さく目を見張った。

 まさかと疑う気持ちより心底嬉しいと思う気持ちの方が勝ったというように頬が輝いたが、それは一瞬の出来事だった。すぐさま自分をいましめるように唇を噛みしめると、キーファが低い声で言った。


「嘘はつかなくていい。君から手紙がきて、信じられなくて実際に君に確かめに行った。

 でも、あの集合住宅の部屋に君はいなくて部屋もからっぽで、方々捜したけれど見つからなかった。そうしたら君が母親のように慕っていた大家のおばさんが、セシルは他の男と結婚して部屋を出て行ったと教えてくれたんだ」


(はあ?)

 

 ぽかんとなるしかない。だって意味がわからない。

 セシルは手紙なんて出していない。


 階下に住む大家のおばさんとは確かに親しくしていた。とても優しいお人好しのおばさんで、親のいないセシルにまるで母親のように良くしてくれた。ユージンがハワード家に行ってしまってからも、帰ってこないと泣くセシルをなぐさめてくれたし、流行り病にかかってからは親身に見舞いにも来てくれた。

 それなのにユージンに嘘をついた? なぜだ?


「よくわからないけど……とにかくセシルは誰とも結婚してない。結婚なんてできない。あの後、ユージンがハワード家に行ってからしばらくして流行り病で死んだもの」


「え?」とキーファが聞き返す。その口調から表情から、本当に初耳なのだとわかった。

 キーファが目をしばたかせながら、ゆっくりと口元を片手でおおう。真っ白になった頭の中で必死に考えをまとめているように見えた。


(手が大きいな。指も長い)


 関係ない事を考えるリズに、キーファの視線が戻ってきた。整った顔立ちがまるで別人のように青ざめている。


「死んだ? セシルが、あの後すぐに……」

「まあね……」


 リズは顔をそらせた。

 リズを見つめるキーファの顔があまりにも哀れで、あまりにも悲しげで見ていられなかったからだ。


「じゃあ俺が会いに行った時は、君はもう……。だから部屋がからっぽで荷物も何もなくて、君の姿もなかった――」


 フラフラと力を失ったように壁にもたれ、一瞬で老けたようにさえ見える目元を、真摯しんしにリズに向けてきた。多大なショックを受けながらも必死にまっすぐ向き合おうとしているように見えた。


「――で死んだのか?」

「え?」


 うめくようなかすれ声は、よく聞き取れなかった。


「一人で死んだのか……?」


 リズは息を呑んだ。これはユージンだ。そう、わかった。ユージンに聞かれているのだと。


 言葉が出ない。凍りついたように固まるリズの姿は、何よりも雄弁に肯定の意を示していたのだろう。


「嘘だろう……」


 キーファが呻き声を上げながら両手で顔から頭をおおい、もたれていた壁に沿ってその場にズルズルと座り込んだ。


「何がどうなっているんだ。俺は何て事を……」


 微動だにしない姿から、リズは視線を外し窓の外を見た。

 廊下の壁に等間隔に並ぶ大きな窓からは、あふれんばかりの緑が光を受けてキラキラと輝いて見える。それと、キーファの姿は何て違うのだろう。


 ユージンはセシルが他の男と結婚したと思っていたのか。そしてユージンを捨てたと。

 互いが互いに捨てられた、裏切られたと勘違いしていたのだ。

 そして勘違いしてもなお、互いが互いの事を想い続けていたというのか。


(皮肉だな)


 リズはキーファに視線を戻した。傷だらけで血まみれで満身創痍のその姿は、あとほんの一刺しで倒れてしまいそうだ。

 なるべく刺激しないように静かに聞いた。


「前に言ったよね? 私たちは互いに思い違いをしているんじゃないかって。その通りだった。でも、まだわからない事がある。聞かせてよ、ユージンに起こった事を」


 リズの、そしてセシルの知らない五百年前の事実を。


 その言葉に応えるように、キーファがゆっくりと顔を上げて話し始めた――。

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