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13 クレアの話

「ユージン……の事?」


 思ってもみない言葉に返す声がかすれた。心臓が早鐘を打ち始める。

 クレアの口から、なぜユージンの名前が出てくる? 五百年も前の先祖の事なのに。


「これを見て欲しいの」


 クレアがカバンから何か小さい物を取り出して、リズに差し出した。


「うちのハワード家に代々伝わる物なの。ユージン・ハワードが生涯、大切に持っていた物なんだって」


 クレアが差し出したのは指輪だった。青い石がついた銀色の指輪。


 見た瞬間、胸が締め付けられるように苦しくなった。のどの奥が小刻みに震える。まさかという期待感と、あり得ないと否定する気持ちが入り混じる。


(嘘。でも、もしかして……)


 この石の色。明るい早朝のような爽やかな青。

 これはセシルの目の色だ。前世で毎日、鏡越しに見ていた自分の目の色とそっくり同じだった。


 震える手で銀のリングの内側を見てみれば、刻まれた文字は確かに「セシルへ」


(夢じゃない?)


 けれど現実だという証拠に、手の中で指輪は確かな存在感を示している。


(何で? 何で、どうして……?)


 真っ白になる頭の中で疑問だけが次々とわき起こる。

 前世でユージンがハワード家へ行ってしまう前、セシルに告げた言葉がよみがえった。

「戻ったら指輪を贈るよ。セシルの目の色と同じ、青い石の付いた指輪をね」――。


(用意してくれてたんだ……)


 結婚相手のために贈る指輪を。愛しい相手に贈るための指輪を――。

 胸が痛いくらい締め付けられる。涙がこぼれ落ちた。


 ユージンは他の人と結婚したがセシルを忘れてはいなかった。ユージンの心の中にはほんの少しだけでも確かにセシルがいたのだ。それだけでも神様に感謝したくなるくらい、嬉しくてたまらなかった。


 壊れ物のように両手のひらで指輪を大事に大事に包み込み、嗚咽おえつをもらすリズに、クレアが驚いたように目を見開いた。それから安心したように微笑んだ。


「良かった。やっぱりリズに話すべき事だったんだ。この指輪は普段は両親の寝室の棚に閉まってあって決して表には出さないの。家族以外の誰も知らないし。

 私は魔力持ちだけど、たいした魔法は何も使えないって前に話したでしょう? でも今回聖女候補として神殿に呼ばれて……おかしな話なんだけど、この指輪を持ってこないといけない気がしたの」


 クレアが頬を染めて誇らしげに笑う。

 まるで生まれて初めて自分の魔力が役に立った、という風に。


「この指輪の持ち主はユージンだけど、指輪を後世まで残して欲しいと言ったのはユージンの息子のテオ・ハワード。ユージンはこの指輪は自分と一緒に墓に埋めて欲しいと頼んだらしいけど、息子のテオはそうしなかった。テオは自分の子供たち――ユージンの孫よね――に、こう言い残したそうよ。


『何百年先かはわからない、けれどいつか必ずこの指輪を渡さなければいけない人が現れる。だから絶対に指輪を手放してはならない』

 テオ・ハワードも黒髪黒目の魔力持ちだった。まあ私と一緒で、あまり役に立たない魔力持ちだったと伝えられているけど。確かな魔力があったんだわ」


 クレアが遠い昔に聞いた事を思い出すように、ゆっくりと話す。


 リズは心が一杯でなかなか言葉にならず、やっとの事でかすれ声が出た。


「……ユージンにはテオという男の子が産まれて、幸せに暮らしたのね」


 ユージンは良い息子と孫たちに囲まれて幸せな人生を送った。もちろん悔しい気持ちも悲しい気持ちもある。不公平だと恨む気持ちも奥底にはある。

 けれど、ユージンが幸せそうで良かった。

 前世の自分が――セシルが死ぬまで愛し続けた相手が幸せで良かった。


 涙をぬぐいながら微笑むリズの前で、クレアが首を横に振った。


「違う。テオはユージンの本当の子供じゃないの。遠縁の子で、養子として引き取られたんだって」


 リズはゆっくりと目を見開いた。心臓が小さく跳ねた気がした。

 クレアが続ける。


「ユージン・ハワードは一度も結婚しなかった。生涯、独身だった。恋人に裏切られて、でもその恋人が忘れられなかったとか何とか。昔、ひいおばあちゃんから聞いた事だから本当かはわからない。

 でも貴族って何より血統を重んじるから、当時は結婚しない事にものすごく反対されたそうだけど、ユージンは頑として首を縦に振らなかったそうよ」


(……何? どういう事?)


 考えがついていかない。頭の芯がしびれたように上手く動かない。


 ユージンはあのグルド家のお嬢様――セシルを冷たく見下したあの令嬢と結婚したのではなかったのか。

 だってハワード家の執事はセシルにそう告げたではないか。お嬢様もそう言っていたではないか。


(嘘だったの?)


 ユージンはあのお嬢様と結婚しなかったのか。結婚せずにハワード家を継いだのか。でもそれなら、このセシル宛ての指輪の説明がつかない。セシルの事を忘れていなかったのなら、生涯大事にするほど愛していたのなら、一度でも会いに来るか手紙をくれてもいいはずだ。


 でもセシルの元へは帰って来なかった。手紙さえ一通もこなかった。

 セシルはハワード家へ行ってからすぐに流行り病にかかり、あっという間に亡くなってしまったけれど、それまではずっとユージンと暮らしていたあの集合住宅の一室にいたのだから。


 それに「恋人に裏切られた」とは何だ? セシルは裏切ってなどいない。むしろユージンに裏切られてからも、ずっとユージンを想っていた。どういう事だ?


 混乱するリズの前で、クレアが思い出したように小さく笑った。


「その指輪ね、絶対に手放すなと言われたけど、この五百年の間に何度か売ってしまおうと考えた事があるそうよ。まずは二百年前に没落してハワード家が平民になった時。それほど高価な指輪ではないけど、売れる物はゴミでも何でも全て売ったと聞いたから。


 もう一度は今から十年くらい前、私が七、八歳の時。私の父親は庭師なんだけど、知り合いの男にだまされて多額の借金を背負ってしまったの。両親は口にしなかったけど、たぶん私や他の兄弟たちを売らなければいけないくらい切羽詰まったらしい。

 もうダメだ、一家心中しかないと決めた矢先、頬に傷跡のある黒いマント姿の二十代半ばくらいの若者がね、颯爽と現れてあれよあれよという間に危機を救ってくれたらしいの。借金は全てきれいに消えて、父をだました知り合いの男は二度と姿を見せなかったって。

 あのマントの恩人がどこの誰なのか両親も知らなくて、捜したんだけど結局わからなくて。でも私たち家族は今でもあの人に深く感謝してる。


 ごめん、話がそれたけど、それ以外にもチラホラと手放そうかと思った事があったと聞くわ。

 でもリズにとって、とても大事な物なのね。テオ・ハワードが言った『いつか現れる、渡さなければいけない人』ってリズの事だったんだ。ご先祖たちが手放さずにいてくれて本当に良かった」


 渡せて良かったと満足そうに微笑むクレア。リズは大きくうなずいた。


「五百年の迷いを解いてくれるような、とても大事な物。ありがとう、クレア。この指輪を持ってきてくれて、渡してくれて。本当にありがとう」


「そんな――私の両親は、私がずっと魔力持ちが負担だと悩んでいたのを知っていたから、今回聖女候補として選ばれた時ものすごく喜んでくれたの。やっぱり魔力持ちで産まれてきた事には大きな意味があったんだって。

 でも聖なる芽が出なくてダメだったから……正直、心が重かった。どういう顔で両親に会えばいいのかわからなくて。でも指輪の事で役に立てた。私の魔力持ちは無駄じゃなかった。私、胸を張って家に帰れるわ」


 晴れやかな笑みを浮かべるクレアに、リズは言葉にならず「うん、うん」と何度も何度もうなずいた。


 二人同時に席を立つ。と、クレアが申し訳なさそうな顔になった。


「指輪は渡せたけど、ご先祖のユージンの話は私が子供の頃に、昔話としてひいおばあちゃんたちから聞いただけだから、あいまいな部分も多いの。ごめんね」

「充分だよ」


 リズは笑って首を横に振った。それに――。


「大丈夫」


 朝から降り続いていた雨はいつの間にかやんでいた。窓から明るい太陽の光が差し込んでくる。

 リズは指輪をしっかりと握りしめ、輝く赤い目に力を込めて笑った。


「詳しく知っている人に、今から会いに行くから」

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