12 選定一回目
「え?」
どういう事なのか。前世でユージンの結婚相手の――グルド家のお嬢様の指に光っていた指輪はリングが金色だった。夢に見るほど、あざやかに脳裏に焼き付いているのだから確かだ。
それなのに子供の頃のキーファが大事にしていた指輪は銀色だという。
(何だろう……?)
もちろん金色と銀色、たいした違いではない。デザインはそっくりだったからだ。
けれど何かが引っかかる。心にもやがかかったようで焦る。
今さらながら、キーファ王太子と会った時に言われた「前世にあった事と今世の君の反応が上手くつながらない。互いに思い違いをしているんじゃないか」との言葉を思い出した。
あの時一度はちゃんと話を聞こうと思ったのに、その後ですぐに指輪を見て気が動転してしまい、キーファを拒否して逃げてきてしまった。
(ちゃんと話を聞けば良かった)
ムクムクと後悔が湧き起こった。
いつも、こうだ。恋人だったユージンの事がからむと冷静でいられなくなる。
前世の事はリズの心をそれだけ大きく占めている。引き抜こうとしても決して抜けない太い杭のように。
(悔しいからだろうな……)
思わず自嘲した。
ユージンに裏切られたのに、捨てられたのに、セシルは――前世の自分は死ぬまでユージンを想い続けた。想い続けて一人きりで死んだ。
それをバカな事だと思うのは今世のリズだ。ふざけた人生だった、何てもったいない事をしたんだと情けなくなるくらいに。
それなのに今世のリズもまた、ユージンの生まれ変わりであるキーファに会ったら、キーファの中にいる自分を探してしまった。
いるはずがないのに、自分は捨てられたのに、まだ恋人の心の中に少しでも自分が残っている事を願ってしまった。
最悪だ。自分が情けなくて、みじめでたまらない。
――でももし、そうじゃなかったとしたら?
リズが前世で起こったと思っている事と事実が少しでも違ったら?
ユージンの心の中にほんの少しでもいい、セシルがいたのだとしたら――。
考えると、たまらなくなった。
思えば前世での事を「勘」で見ようとした事は一度や二度ではない。いつも心にあったのだから。
けれど一度として何かが見えた事はない。雑念が、心の痛みが邪魔をした。
キーファに会ってちゃんと確かめよう。
リズはきっぱりと顔を上げた。
確かめたうえで、リズの思っている前世と変わらなかったとしたら今以上に後悔するはめになるだろうけれど。その確率の方が高いかもしれないけれど。
それでもいい。ちゃんと確かめよう。
赤い目に力を込めてリズはそう決心した。
「ロイドさん! キーファ殿下に会いたいんですが、どうやったら会えますか?」
「は? いきなりだね……」
「誰に頼めばいいんでしょう? 神官長ですか?」
「まあ神官長なら話を通してくれると思うけど、今夜はもう無理だろ。明日の朝、聖女候補の選定が終わったら伝えておくよ」
「お願いします。忘れないでくださいね」
「わかった……」
珍しくグイグイくるリズに圧倒されたようにうなずいたロイドは「本当にキーファ殿下がからむと別人だな」と、ぼやいている。
「じゃあ部屋に戻ります」
神官ロイドに言い残し、走って部屋に戻ったリズは、しかしドアを開けた瞬間息を呑んだ。
「何、これ……」
割れた植木鉢の破片と土が床に散乱し、井戸水を汲んで置いておいた壺も倒れて、じゅうたんが水浸しになっている。
そして部屋の中央には、鉢も土もないのに床にぴんと根を張って、青々とした短い枝と葉を自由に広げている聖なる芽が、すっくと立っていたからである。
朝がやってきた。外はあいにくの雨だ。
第二神殿内の広間には聖女候補たちと神官たちが集まってきていた。
芽が出て姿を見せた候補たちは、三十人ほどいた中のわずか十二人だった。発芽した植木鉢やら壺やらを大切そうに持ち、みな誇らしげな顔をしている。
その中にはヒソヒソ三人娘のうちの一人と、あのいかにも上流貴族の令嬢もいた。
リズは鉢が粉々に割れてしまっていたので、芽を小脇に抱えて持ってきていた。何しろ、もう芽とは呼べないくらいリズの腰ほどの高さまで成長していたからである。
根がむき出しの聖なる植物を、まるで荷物のように脇に抱えて広間にあらわれたリズに、候補たちが目を剥いた。
「ちょっと何してるのよ!?」
「何って、植木鉢が割れてたから」
「だからって、その持ち方はないでしょう!? 聖なる芽なのよ!?」
「いや、だって他に持ち方がない……あ、肩にかついでくれば――?」
「違うから!!」
「元気がいいのう」と神官長が笑いながら入ってきた。
候補たちはピタリと口を閉じて、深く礼をする。
候補たちの芽は形も大きさも様々だった。色はさすがに赤や青といったものはないが、形と大きさは本当に人それぞれだ。
十二人中一番端にいたリズのところへ、まずやって来た神官長は、にこやかな笑顔をおさめて
「これはまた……」
絶句している。
他の候補たちの芽はその名の通り「芽」であるのに、リズのはすでに「芽」と呼べるものではない。
腰くらいの高さまで成長したそれは太い茎とたくさんの葉がわさわさと繁っている。そして白い根がむき出しになっている。はっきりと異様だ。
神官長はその異様な芽と、無表情で見返してくるアルビノ娘とを何度も見比べて「ほほう」とつぶやいた。
何か感銘を受けたかのように何度もうなずいているが、きっと他にかける言葉がないからだろう。
「ほほう、ほほう」とうなずきながら、順番に十二人の聖なる芽を見ていく。
みな小さな二枚の葉が顔を出していたり、ひょろりとした柔らかそうな茎がちょこんと土の上に出ていて可愛らしい。
(私のとだいぶ違う)
リズはちょっとだけ落ち込んだ。
最後は五十代後半くらいの最年長の女性だった。
彼女の芽を見てリズはちょっと安心した。リズのものとまではいかないが、けっこう大きく、細かい緑色の葉がわさわさと何枚も重なっていて、他の候補たちのものよりリズに近かったからだ。
ところが足を止めた神官長が笑みを消した。そして静かに、冷たいともとれる声音で告げた。
「これは本気かな? それとも私を試しているだけかね?」
途端に最年長の顔が真っ赤になった。
体を震わせ「申し訳ありませんでした」と蚊の鳴くような声で謝ると、深々と頭を下げた。そして逃げるように広間を出て行った。
「何なの? あの候補は失格って事? どうしてよ?」
「ちゃんと芽が出ていたじゃないの」
候補たちはわけがわからないようで顔を見合わせてざわめいている。
(何で?)
リズも、ぽかんとなった。
興味なさそうな顔で壁にもたれて腕組みをしていた神官ロイドが言った。
「あれは人参だ。聖なる芽じゃなくて、ただの人参の芽だよ」
どうしても聖なる芽が出ないから、畑の人参の芽をこっそりと植え替えたのだろう。必死なのだ。気持ちはわからないでもない。
だが、人参かい! と、その場にいた者はみな心の中で突っ込んだはずだ。
「ご苦労だった。ここにいる十一人を、第一回目選定の合格者とする」
神官長が厳かに告げて、一回目の選定が終わった。
リズはためらいがちにクレアの部屋のドアをノックした。
「リズ、来てくれたの」
笑顔で出迎えてくれたクレアの部屋はきれいに片付いていて、テーブルには荷造りが終わりパンパンにふくらんだカバンが置かれている。
「これから家に帰るわ。リズは選定に受かったわよね? ――良かった。私、離れてもずっと応援してるから。嫌だ、そんな顔しないで」
泣きそうになり慌てて下を向いたリズをなぐさめたクレアは、ちょっと考えるように天井をあおぎ、それから決心したように口を開いた。
「あのね、リズ。突然、変な事を言い出すようだけど。リズに関係あるのか、よくわからないんだけど。……何でだろう、伝えなくちゃいけない気がするの。私のご先祖のユージン・ハワードの事を――」