10 クレアと芽
植木鉢から生えた、リズの聖なる芽は日に日に大きくなっていく。
他の聖女候補たちも芽が出たと喜ぶ者もいれば、まだ発芽せず焦っている者など色々だ。
ハワード家の――ユージンの子孫であるクレアもまだ芽が出ないうちの一人で、リズの部屋に相談に訪れたのはそんな時だった。
「発芽させる方法を教えて欲しいの」
板張りの床に膝をそろえて座ったクレアから真剣な顔で頼まれて、リズは戸惑った。
だって教えるも何も種を植えたら勝手に生えてきたのだ。けれどクレアの求める返事はそうではない事はわかるので、リズは慎重に答えた。
「方法は良くわからないけど、神殿内の中庭でもらった(ゴミ同然の)鉢と、同じく神殿内の(ジャガイモ畑の)土を使ったから、それが良かったのかもしれない」
ヒソヒソ三人娘と他の聖女候補たちも何人かもらいに行き、中には芽が出たと喜ぶ者もいたと聞いたし。
するとクレアの顔が曇った。
「もう、やってみたの。それでも芽が出なかった……」
何て事だ。
(どうしよう)
それ以上どう答えていいのかわからず、リズは頭を振りしぼった。
クレアはうつむき、膝の上で両手をぎゅうっと握りしめている。
(嫌だな……)
失礼な事だとわかっているが、クレアを見るとどうしても前世のユージンを、そしてキーファ王太子を思い出す。不様で惨めな自分自身を思い出してしまう――。
思わず顔をゆがめたリズに、クレアがはじかれたように立ち上がった。クレアが失礼なことを頼んだからリズが怒っていると勘違いしたようだ。
「ごめんなさい! 同じ聖女候補なのに、ライバルなのに、こんな事を頼む私がバカなんだわ。頑張ってるつもりなのに全然、芽が出なくて焦ってて……。自分でもう一度考えてみる。本当にごめんなさい!」
泣きそうな顔で部屋を出ようとする。リズは「待って」と急いで引きとめた。
何をしているのだ、自分は。一瞬で後悔した。前世の事にもキーファとの事にもクレアは関係ないのに。
「正直、芽を出させる方法はわからないの。でも一緒に調べたり、誰かに聞きに行ったりする事はできるよ。私で良ければ一緒に探そう」
まっすぐクレアを見つめて言うリズに、「ありがとう……」とクレアが涙ぐんだ。
(さて、どうしようかな)
クレアは神殿内にある図書室の本は一応調べてみたとの事だった。
けれど魔力で植物を育てる簡単な方法などは書かれていたが、魔力持ちが持つ魔力と聖女が持つ聖なる力は異なるものなので参考にならなかったと。
リズは考えた。発芽するまでは、候補たちを神殿に連れてきた上級神官とも接触不可能だ。だからクレアが聞きに行くことは出来ないが、芽が出たリズならいいだろう、という事で神官ロイドに聞きに行く事にした。
教えてくれるとまでは思っていないが、ヒントならくれるかもしれない。しかし
「芽を出す方法? そんなの教えられるわけないだろう……嘘だよ、知らないよ。神官がそんな事を知るわけない。
え? 神官長も知らないかって? そりゃ、そうだろう。知ってたら、神官長が次期聖女になってるよ」
次に聞きに行ったのは、古くからいる神殿付きの侍女たちだ。
「芽を出す方法ですか? 私たちにわかるわけありません。そんな事を知っているのは現聖女様だけでしょう。前の聖女候補たちの時はどうだったか?
ああ、現聖女様が候補だった時代の話ですね。でも六十年も前のお話ですし、選定の方法はその都度変わるようですから……。お力になれず申し訳ありません」
芽が出たという他の聖女候補たちにも聞きに行った。
「方法? 知らないわ。種をまいたら生えてきたんだから」
「そんなの教えられるわけないでしょう、ライバルなのよ! ……嘘よ。リズのやった通りに植木鉢と土をもらってきたら勝手に――いいえ、私の持つ聖なる力で! 芽が出たのよ!」
「私は土には植えていないわよ。神官長様が『思う物に植えよ』って、おっしゃったじゃない? だから壺に水を張って、その中に沈めておいたのよ。そうしたら芽が出たわ。
え? コツ? さあ? 気合いじゃない?」
水に沈めておく方法もクレアはすでに行ったという事で、参考になるものは何もなかった。
クレアの表情がどんどん暗くなっていく。
(まずい……)
「もう一度、図書室へ行って調べ直してみようよ」
リズはそう提案した。
神殿内にある図書室はそれほど大きくはない。歴代の聖女に関する事、国を守る聖なる力に関する事などが記された書物のほとんどは、国の重要極秘文献に指定されていて、神殿の奥深くに閉まってあるからだ。リズたち候補生などが見る事はできない。
それでも図書室内にある、それらしい書物を全て見ようと思ったら莫大な時間がかかる。
こもりっきりで二人はひたすら書物と格闘したが、聖なる力で発芽させるなどという記述はどこにも見当たらなかった。
それでもあきらめず、目を皿のようにして一生懸命探し続けるリズを見て、クレアが静かに微笑んだ。
「ありがとう。リズはもう芽が出たから探す必要なんてないのに、私のためにここまでしてくれて。リズっていい人ね」
「……そんな事、初めて言われた」
「皆わざわざ口に出さないだけよ。私がリズの立場だったら――本当に嫌な人間だと自分でも思うけど、一緒に探したりしないわ。だってライバルが増えるだけだもの」
情けなさそうに笑う。リズはクレアをじっと見つめた。
「勘」の力なんて使わなくても、そばで見ていれば、一緒にいれば、わかる事は確かにあるのだ――。
「探すよ」
そっけなく言うと、クレアが「え?」と聞き返してきた。
「探す。クレアが私の立場でも、クレアは誰かのためにきっと一緒に探してあげているよ」
まっすぐ目を見て言った。
途端にクレアの小さな黒い目がうるんだ。そして「ありがとう……」と消え入るような声が続いた。
しばらく二人は無言で分厚い書物をめくり続けた。やがてクレアが口を開いた。
「リズって魔力持ちじゃないのに魔法使いみたいね。その赤い目で見つめられながら言われると神託みたいに聞こえるもの。
私ね、自分が黒髪黒目で魔力持ちだって事がずっと負担だった。持っている魔力量ってまちまちで、本当に人によるの。私はほとんど魔法なんて使えなくて、でも見た目じゃわからないから『どうして、これくらい出来ないんだ?』って、ずっと言われ続けてきたわ。この髪と目の色が嫌で嫌でたまらなかった。
でもある日聖女候補だって言われて、ああ、私はこのために魔力持ちで生まれてきたんだってわかった気がしたの。初めて認められたようで、すごく嬉しかった。
でも……気のせいだったみたい。私には聖女になるなんて無理だった」
リズは黙って聞いていた。だって返す言葉なんてないじゃないか。
クレアが頑張った事は身に染みてわかる。この図書室の本はほとんど読み終えたというし、種をまいた鉢の日当たりや水加減にも気を遣った。他の候補が発芽したという方法で水にも浮かべてみた。
それでも芽が出ないというのだ。
自分の無力さを噛みしめるしかないリズに、クレアが我に返ったように慌てて笑みを浮かべた。
「嫌だ、愚痴を言っちゃった。ごめんね。――次期聖女になってね、リズ。私、家から応援してるから」
リズははじかれたように顔を上げた。
「待ってよ。もう少し調べたら、もしかしたら――」
「明日までなんだって。第一回目の選定は明日の朝で、それまでに芽が出ていない者は聖女候補から外れる、失格になるんだって。さっき聞いたの」
その日の夜――第一回目の選定日を明日に迎えた前日の夜、クレアがリズの部屋のドアをノックした。
「リズ? クレアだけど」
リズはいなかった。戻ろうとしたクレアは、ふとドアノブを回した。ドアは音もなく開いた。鍵がかかっていないのだ。
一瞬ためらい、おずおずと中をのぞく。ドアからまっすぐ入ったところの、窓際にある汚い植木鉢が目に入った。聖なる種から出たリズの芽は、もう芽とはいえないくらい大きくなっていて、生き生きと色あざやかな葉をたくさんつけている。
「すごい」
クレアは息を呑んだ。同時に顔が曇る。結局、今になってもクレアの芽は出なかった。もう無理だと心のどこかでわかっている。
「どうしてなんだろう……」
思わずつぶやきがもれた。頑張ったのに、自分とリズとは何が違うんだろう。自分は一体、何がダメなんだろう――?
泣きそうな顔でうつむき、込み上げてくる感情を堪えるように両手を強く握りしめる。
しばらくして顔を上げたクレアは何かを決心したような、そんな顔をしていた。
そして震える手でゆっくりと、リズの芽へと手を伸ばした。




