ウラナイ
「あんた、若いのに死相が出てるねぇ。
残念だけど、もうすぐ命の危険に関わる災いが降りかかるよ」
──この人は一体なにを言っているんだろう?
わたしは『占い師』の老婆を呆気にとられて凝視していた。
「ふむ、猶予はもう一ヶ月もないね。かなり危険な状態だ」
「な、なにふざけたこと言ってんのよ!」
私ではなく、傍らにいた親友のアユミが声を張り上げた。
「よく当たるって評判の占いと聞いたからわざわざ来たのに!
こんなこと言うなんてサイアクのババァね!!」
座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、激昂したアユミが「もう帰ろうよ!」と私を促す。
「ま、待って、アユミ。……わたし、この人からもう少しだけ話を聞きたい。
あの、何かその災い……から身を防ぐ方法とかはないんですか?」
「ミキ?!あんた何言ってんの!こんなのはね、不安を煽るだけ煽って、どうせ最後は何か高い物でもわたしたちに買わせようって魂胆なんだから!」
アユミは占い師の老婆をキッと睨みながら、吐き捨てるように言った。
──話を少し戻そう。
わたし、本上美樹は先月16歳になったばかりの女子高生だ。今日は親友のアユミと、彼氏として付き合いはじめたばかりの「ユウキ」との恋愛運を占ってもらおうと、街でよく当たると評判の占い館にきていた。老婆、と呼んでもよいほど高齢の占い師が一人で運営しているのだが、人づてでよく当たると聞いたのだ。
最初は、普通の恋愛占いだった……と思う。
占い師の老婆はタロットカードを使って、私に選ばせたカードが暗示する結果から「まぁ相性はそう悪くはないね。むしろ、かなりいいようだ」と皮肉そうな口調でユウキとの相性を結論づけてくれた。
その時は、まだわたしもその結果を聞いてアユミと無邪気にきゃーきゃーと笑いあう余裕があった。
しかし。
今日はサービスで総合運を占ってあげようかと言われ、わたしが深く考えずに
「えー、いいんですかぁ?じゃあ、お願いしま~す!」
と能天気に答えた数分後、わたしの顔を静かに観察した占い師から告げられたのが、冒頭の台詞だった。
「何か誤解してるようだけど、あたしゃ自分が視える事実を事実としてお客のあんたに伝えているだけだ。悪いけど、災いの回避方法までは知らないね」
「そ、そんな!占っておいて、それはないじゃないですか!酷いと思います!」
「おかしいねぇ、あたしの占ってやろうかとの提案に応えたのはあんた自身だ。人のせいにするんじゃないよ。自分の運命がタダで知れたんだ、むしろこのあたしに感謝してほしいね!」
老婆はフンッと鼻をならし、わたしは不吉な『占い』が象徴する得体の知れない不安から、少し泣き出しそうになっていた。一度不安を感じはじめると、占い館の独特な薄暗い雰囲気も、臆病で心配性のわたしには恐怖を加速させる小道具のように思えて、どんどん恐ろしくなってくる。
そんなわたしに、アユミが心配そうに声をかけてくれた。
「全部デタラメだからね、こんなババァの言うことなんて気にしなくていいよ、ミキ……」
「う、うん、……。ありがとう、アユミ」
その様子を見かねたのか、老婆は私をしばらくじーっと見つめてから、やがてポツリと言った。
「……まさかこんな結果が出るとは、あたしにもわからないさね。……はぁ、仕方ない。特別サービスだ、一つだけ忠告してあげるよ。
今後は〝さんぽ〟に気をつけな」
「……え?」
わたしは顔をあげて聞き返した。
占い師はわたしとアユミの顔をちらりと見比べてから、もう一度口を開いた。
「危険なのは〝さんぽ〟だと言ったんだよ。あたしには、そう視えてるね。まぁ、死にたくなかったらそれをよく覚えておくことだよ」
「散歩……。散歩をする時に気をつけろ、ということですか?」
わたしが訊くと、老婆は少し困ったように小さく首を振った。
「これ以上はあたしからは言えないね。占いには越えてはいけない領分があるんだ。何かを伝える時は抽象的に、と決まってるんだよ。
例えば、そっちの嬢ちゃんが明日の午後三時に駅前の宝くじ売り場でくじを買えば、一等が当たると具体的に占いでわかったとしよう。でもそれを直接伝えてはいけないんだ。本人に言えるのは〝近々、大金を手に入れるチャンスがある。運試しが吉〟と、まぁこんなもんさね」
「どうしてですか?」
「そりゃ決まってる、人の運命を操るのは神様の仕事だからさ。あたしらみたいな、しがない占い師がその真似事をしたら天罰が当たるんだ。だから、あたしに言えるのはここまでなんだよ。──悪いけどね」
老占い師はわたしに少しだけすまなさそうな顔して、そう言った。
──帰りの道中、そこそこ高かった占い料についてと、あの占い師は客に対して失礼すぎるよ!と悪態をつくアユミに連れられ、わたしは占い館から自宅に帰った。そして、スマホであらためてあの老占い師の経歴や評判を詳しく調べてみて、憂鬱な気分になっていた。
とにかく、彼女の占いはよく当たるという。彼女の抽象的なヒントから探し物が見つかったり、まるで予言のように人の人生の分岐点を言い当てたり、肉親の不幸を暗示したり。
占い師の実力や実績がわかってくると、あんなことを言われただけに一気に不安が押し寄せてくる。
「ミキ、占いなんて気にしちゃダメよ。適当に不安を煽って、きっともう一度相談に来させる作戦なのよ」
「……うん。でも……」
わたしには、気になることがあった。
〝さんぽ〟
実は毎日、朝と夜に父と一緒にエクレアという名の愛犬を連れて「散歩」をするのがわたしの日課なのだ。若い頃、空手と柔道でならした父は体つきもよく、ボディーガードとして優秀な存在でもあったが──。
「エクレアの散歩、しばらくお父さんに任せようかな……。そう言えば最近、近所で不審者が出てるらしいってお母さんも言ってた気がする」
「占いに影響されすぎじゃない?」
アユミが少し不満そうに言う。
「占いのことはともかく、不審者の話は現実のことだし、それは普通に怖いよ」
「まぁ……確かにね。あのババァの占いを信じるようでシャクだけど、ワンちゃんのことはお父さんに任せてミキはしばらく散歩控えた方がいいかもね。…あ、それよりさ!今、うちのパパの病院に入院してるミカの話、聞いた?あれ、チョーウケるよねー!!」
アユミはさりげなく、彼女のお父さんの病院に入院している同級生がどうやら痔らしいよ、という噂話に話題を切り換え、ことさら明るい話題でわたしをリラックスさせてくれた。こういう時、親友の心遣いがありがたい。
しばらく二人でそんな他愛のない話をしていたが、ユウキからLAINで連絡があったので、その日はそれをきっかけにアユミとバイバイした。
次の日から、わたしは事情をそれとなく両親に話し、愛犬の散歩をしばらく父一人でとお願いした。
父も不審者の噂は知っていたので、快く了承してくれた──というか、むしろ過保護で娘のわたしに対して異常なまでに心配性なので、四六時中一緒にいてやろうか、と9割くらいの真顔で言われて閉口したぐらいだ。
学校からの下校も、アユミか彼氏のユウキが交代で付き合ってくれるおかげで、今のところ特に変わったことはなかった。(ユウキには占いのことは伏せ、最近不審者が怖いということで相談している)
それでも漠然とした不安感は、喉の奥に刺さった小骨のようになかなかとれることはなかったけれど。
しかし、何事もなく平穏な時間が1日1日と過ぎていくうちに、不安が徐々に薄れていくのをわたしは感じていた。人は環境に慣れるというし、そもそもあの占い師の『占い』に、まともな根拠などは何もないのだ。わたしは少しづつ、そう考えるようになっていた。
そして、あの占い館に訪れてから三週間以上が過ぎたある日、私の自宅からそう遠くない場所で、幼女を無断で連れ回していた男が逮捕された、というニュースが飛び込んできた。
テレビの報道によると、逮捕されたのは三十代の無職の男で、過去にも同様の事件を起こして逮捕歴があるとのことだった。幸いにも連れ回された少女に怪我はなく、すぐに両親の元に帰れる見込みのようだ、と女性アナウンサーは原稿を読み上げ、一呼吸を置いてから明るく次の話題に移っていた。
「よかったぁ……」
わたしは二重の意味で安堵して、思わず声を出していた。もちろん、こんな事件が起こるのはよくないことだけど、被害者の少女が無事だったこと、そしてわたしが占い師から警告されていた災難の元凶が捕まったことが嬉しかった。早速アユミとユウキに報告しよう。わたしは心の底からホッとして、スマホのLAINを起動させた──。
その二日後。
休日の午前中に、わたしはユウキと海沿いの公園で待ち合わせをしていた。デートを兼ねて、ユウキから何か直接わたしの顔を見て話したいことがあるという。わたしは少し早めに家を出て、彼が来るのをベンチに座って待っていた。
天気がよくて気持ちいい日だけど、今日は人影もまばらで、公園では犬の散歩をしている老夫婦ぐらいしか見当たらない。
何の話だろう?LAINでは言葉を濁していたが、ユウキは何かサプライズ的なことを考えている風でもあった。
少し潮を含んだ風が心地よく帽子を被ったわたしの髪を揺らしている。少し前まで占い師の老婆に警告されてビクビクしていたのが嘘のようだ。
そう言えば、と、わたしは愛用のトートバッグからスマホを取り出してあの占い館のホームページにアクセスした。あの老婆は意外にも、占い館のホームページとブログを自分で更新しているらしく、飼っている猫や自分の日常をけっこう面白おかしく書いているのだ。
最初にホームページにアクセスした時にブログの存在に気づき、後で思い出して読んでみてから、わたしは秘かに彼女のブログのファンになっていたのだが、最近は更新が止まっていたので少し残念に思っていた。
「……あれ、久しぶりに更新されてる?
でも、え、何これ………?」
何日か振りのブログ更新を確認して、わたしは驚いた。
いつもはどんな記事にもそこそこ文章のボリュームがある老婆のブログには、今回の記事には奇妙な一文だけが記されていた。その言葉を読んで、心臓がドクンと高鳴る。
さんぽはとまらない。
さんぽはとまらない……?
あの時言われたのと同じ〝さんぽ〟という単語、そして〝とまらない〟とはどういう意味だろう……?
〝散歩が止まらない〟というのはおかしな言葉遣いだ。〝散歩をやめる〟ならわかるけれど、なぜ老婆はこんな言い回しを、ことさらブログで表現しているのだろう?そして、心配していた不審者は警察に逮捕されたはずなのに。
わたしは混乱する頭を整理しようと、ゆっくり深呼吸を一つした。
老婆は、このブログで一体何が言いたいのだろうか?そもそも、これはわたし個人に向けて言っているのか、それとも単なる独り言で〝さんぽ〟という言葉は偶然で、意味はないのか──。
わたしは思いきって、老婆に真意を問い質そうと、占い館の電話番号を検索しようとした。
そこへ、LAINの着信音が鳴り響き、ユウキからわたしのスマホへメッセージが届く。
なんというタイミングだろうか。わたしはほんの少しだけ迷ったけれど、ユウキのメッセージを先に確認することにして、スマホをLAINの画面に移行する。そして、そのメッセージの内容を読んで──、絶句した。
『大好きなミキへ。
本当にゴメン。オレ、ミキのことが好きで、好きすぎて、本当にどうしようもなかったんだ。
だから、ミキにはオレだけのミキでいてほしくて、もうこうするしか思いつかなかった。
こんな形でしか君への愛情を伝えられなくて本当にゴメン。オレもすぐに後を追うよ……、もし天国という場所があるなら、二人でそこで一緒に幸せになろう。
ミキが心から大好きでした。 ユウキ』
「…………」
これからデートするはずの彼氏から約束時間の直前に突然こんなメッセージを受け取り、わたしの頭は真っ白になっていた。先程の占い師のブログのことも重なっているかもしれない。
わたしは頭が混乱しながらも、ユウキにLAINで返信する。
『え、これってどういうこと?
ユウキ、冗談言ってるんだよね?』
しばらくユウキの反応を待つが、既読にならない。
『ユウキ、今日の待ち合わせ大丈夫なの?』
またしばらく待つが、これも既読にならない。
──どういうこと?!
わたしは、今にも大声で叫びたくなる感情の暴発をどうにか抑えた。
ユウキのメッセージはまるで──、いや、これはどこからどう見ても、これからわたしと無理心中でもしようとしている思い詰めた人間のものだった。
その時、海からの潮風がさーっと強く吹いた。
わたしは被っていた帽子が飛ばされないように、両手で抑えてその風に耐えた。
風がおさまったとき、ふと近くに誰かが立っているのに気づいた。風の強さに思わず目を瞑ってしまったので、わたしはゆっくり目を開けながらその誰かを上目遣いで見ようとする。
その人は細身のシルエットで、ゆったりしたパーカーのフードを目深に被っていた。ちょうど太陽の位置が逆光で、顔はよく見えない。
誰だろう、こんなタイミングでわたしに用でもあるのだろうか?
何か得体の知れないものを感じて後退ろうとした時、その人物がわたしに向けて足を踏み出しながら、ゆっくり口を開いた。
「──ミキ。わたしだよ」
「──アユミ?」
聞きなれた声に一瞬戸惑うわたしに、アユミはさっと距離を詰め──次の瞬間には、わたしに覆い被さるように抱きついてきた。
「会いたかったよ、ミキ」
「ア、アユミ?あなた、一体どうしてここに………あぅっ?!」
突然、首筋に痛みが走った。反射的に親友から体を離し、痛みがあった首を抑える。しかし、すぐに体から力が抜けて膝がガクガク震えはじめた。
なんだか、呼吸が、苦しい。わたしは急激な全身の倦怠感から立っていられなくなり、膝をつこうとしたが、アユミがわたしの体を受け止めた。
「大丈夫ぅ?ミキ?」
「わ……に……なに……した、の」
『わたしに、なにをしたの?』と言いたかったのだが、言葉がうまく出なかった。
そんな私を抱きしめながら、アユミが……、自分にとって一番の親友と信じて疑わなかった少女が、今まで見たこともない笑みを浮かべていた。彼女はわたしの耳元で、そっとささやいた。
「ミキちゃんさぁ~、“筋弛緩剤”って知ってるかな?」
聞いたことは、ある。詳細は知らないが確か危険な医薬品だったような……。
「この筋弛緩剤はA型ボツリヌス毒素……、簡単に言うとフグの毒みたいな薬なんだよ?パパの病院から、こっそり失敬してきちゃったんだ!
それをさ、ほ〜~んのちょっぴりだけ、ミキに注射してあげたの」
「……どう、し、て」
わたしは必死に声を絞り出した。
「理由、わかんないの?あ、鈍感なミキにはわかんないかぁ、あはははははは!」
アユミは静かに嘲笑した。そして、おもむろに語りはじめた。
「あんたが今付き合ってるユウキはね、元々はあたしと付き合ってたの。全然知らなかったでしょ?まぁ、お互い周りには付き合ってることを隠してたからね。でもある日、ユウキから『お前以外に好きな子ができた』って突然切り出されて。あたしは辛かったけど、ユウキのためならって、涙を飲んで別れてあげたの。そしたら、あいつが好きになったって相手がよりによって友達だと思ってたミキだなんて、最初は何の冗談かと思ったわ」
アユミが言うには、わたしがユウキと付き合う直前まで秘密裏にユウキと交際をしていたのだが、ユウキの心変わりで別れることになってしまった。ただ、別れた後も友人関係は維持していこう、ということになったのだという。
親友と彼氏の二人に、そんな経緯があったことを知らなかったのはわたしも大きなショックだったが、アユミは今日のデートのことを何気なくユウキから事前に聞いて相当ショックだったらしい。
「この公園はね、初めてあたしがユウキとキスをした、大切な大切な想い出の場所なのよ!それをあいつときたら、あんたを呼び出して、またここでわたしにしたことと同じことをしようと思ってるって言うじゃない?はっ、自分で何て酷いことをしようとしてるか、あいつはわかってないのよ!」
アユミの声には、愛憎が複雑に入り混じっているように聞こえる。
「だからね、ミキ。これはあたしから、あんたたち二人への正当な制裁なんだよ?ユウキもムカつくけど、ミキ、あんたがユウキとのノロケをいちいち報告してくる態度も相当ムカついてたんだ!わたしの気持ちも知らないで!」
「そ……ん……な」
わたしは戸惑いを隠せなかった。親友と彼氏の間に隠されていた事実、そしてアユミがこんな行動に走った理由が、自分にもあっただなんて。
アユミは怒りの感情を消し、今度は笑みを浮かべた。
「ミキ。あんた、自分がこれからどうなるか知りたい?安心してね、ユウキとあんたの仲は認めてあげる──ただし、地獄でね。今、あたしが着てるこの服、見覚えない?──そう、これユウキの服よ。憐れなミキちゃんは、自分の彼女が好きすぎて暴発してしまった彼氏の手によって無理心中を図られるの。あの世で一緒になるためにね。さっきのLAINも、もうわかってるだろうけど、あたしがユウキのフリして送ったの。ユウキがあんたを殺したと見せるためにね」
アユミは饒舌にしゃべり続ける。
「ユウキもね、この近くのパパの愛人用のマンションに筋弛緩剤を打って監禁してるわ。ミキも今からそこに連れていくけど、万が一誰かに見られてもいいように、ユウキの格好をしてるってワケ。そこでちゃーんと、二人仲良くあの世に送ってあげるからね」
アユミなりに、わたしとユウキを無理心中に見せる工作らしい。わたしは、筋弛緩剤の影響で毛穴から吹き出る汗や悪寒に抗いながら、必死に声を絞り出した。
「ア、ユミ………、もう、やめて……!今なら、まだ引き、返せる、わ。こんな計画、うまくいきっこ、ないよ。ユウキとの、こと……悪かったと、思ってるけど……、こんなの、絶対、よく、ない、……わ」
息も絶え絶えに、わたしは親友に必死に語りかけたが、アユミの反応は冷ややかだった。
「やーーだね!あたしを裏切ったお前ら二人は絶対にぶっ殺すって決めたんだ!ミキ、命乞いならもっと惨めにやりなよ。その憐れな姿次第では、あたしの考えが変わるかもよぉ?」
アユミはわたしの顔を覗きこみながら、口の端を吊り上げて笑った。
「アハハハ、お嬢様育ちのミキには所詮、無理かぁ!どうしたの、助かりたくないのぉ?」
おそらく、土下座して靴を舐めたとしても、わたしをこれっぽっちも許す気のない顔でアユミは笑っていた。
「ア、ユ、ミ……」
喘ぐように彼女の名を呟いてから──、唐突にわたしの脳裏に天啓のようなものが走った。
──そうか、そういうことだったのか……!
だけど、今更こんなこと……!
「ん~~?どうしたの、ミキぃ?黙りこんじゃってさ。もしかして、誰かに助けを求めようとか思ってる?でも残念、そんなことさせないよ?」
アユミは、彼女に隠れるようにわたしが必死に握っていたスマホの存在をあっさりと看破して、それを易々と取り上げた。
「その指じゃあ、どっちにしろ操作なんてできないだろうけどね。ミキ、残念だったね~、頼みの綱が切れてさ」
「……そ、んな、こと……ないよ」
わたしは、力の入らない体を奮い立たせながら言った。
「はぁ……?」
「頼みの綱は、切れて、ない……よ」
わたしの言葉に一瞬怪訝そうに表情を浮かべ、アユミはハッと気づいてわたしのスマホを覗きこんだ。そして彼女はようやく気づいた。
わたしのスマホが、ずっと『通話状態』になっていることに。
「───ッ!ミキぃ、あんた、いつから!」
「…………」
わたしは答えず、荒い息を吐きながらアユミを正面から見据えた。
先程までの態度から一変し、アユミは顔を強張らせ、周囲を見渡そうとして──
誰かが、わたしとアユミの間に強引に割り込んできた。その人は荒っぽくわたしたちを引き離し、驚いた顔のアユミを流れるような動きで鮮やかに投げ飛ばして、一瞬で動きを封じてしまう。アユミが筋弛緩剤の注射器を使う暇もない早業だった。
「……お、父さ、ん!お、そい……よ」
「ハッハッハッ!すまん、遅れたが何とか間に合っただろう?」
アユミを抑え込みながら、キラッと歯を光らせて笑ったのは、わたしの父だった。
わたしは一気に力が抜けて、地面にへたりこんだ。意識が遠退く中、耳の奥で父が何かを言っているのが聞こえたような気がする……。
──数日後。
わたしは病院のベットで横になりながら、傍らで父が果物ナイフを太い指で器用に操ってリンゴの皮を剥いているのを眺めていた。
母は売店に飲み物やわたし用の日用品の買い出しに行っており、病室にはわたしと父しかいない。
「──いろいろ、ありがとね……お父さん」
「……ん?ハッハッハッ、なんだ気にするな!」
父は大笑したが、やがて表情をあらためて訊いてきた。
「少しは、気持ちも落ち着いたか?」
「──う~~ん。正直、わからない」
わたしは素直に言った。筋弛緩剤の影響でまだ体の怠さもあるが、今はまだ、いろんな感情が心で渦巻いている。
元カレと親友のわたしを、無理心中に見せて殺害しようとしたアユミの企ては、デート現場の近くに待機していた父の救助によって、呆気なく潰えた。あの後、通りかかった人に110番通報をしてもらい、アユミは力と技でがっちり取り押さえられていた父から警察に引き渡された。ユウキも、その後何とか救助され、わたしとは違う病院に搬送されて命をとりとめた。彼はわたしより筋弛緩剤を多く打たれて危険な状態だったそうだが、今は持ち直して意識も戻っているという。
過保護で心配性の父が、きっとデート現場の近くにいるだろう、と考えてスマホを父への通話状態にしたのは、ちょっとした賭けだった。アユミもわたしがスマホを使う可能性を考えていたようだが、彼女の誤算は、わたしがワンプッシュで父の携帯へ通話できるようにしているとまでは、思い至ってなかったことだ。
フードを被ったアユミが現れ、筋弛緩剤を打たれた直後に、わたしは即座にボタンを押していたのである。
そのアユミには、わたしとユウキへの殺人未遂、病院への不法侵入、筋弛緩剤の窃盗など、いくつかの罪状の容疑がかかっている。逮捕時こそ激しく暴れたそうだが、現在の取り調べでは今回の成り行きを淡々として話しているという。彼女の父親も事件に関わっていないか、慎重に捜査が行われているようだ。
リンゴを剥き終った父が、手の上でまるで豆腐のようにリンゴを何等分かに切った。その一つを、ひょいと自分の口に放り込む。
「お前から事情は大体聞いたつもりだが、オレにはまだ大きな疑問があるんだ。少し聞いてもいいか?」
「なに?」
「アユミちゃんはお前と占いに行って、お前に悪いことが起こるって一緒に聞いたんだよな?それなのに、どうして自分からその結果通りになるような行動に出たんだろう?」
わたしは苦笑した。
「それは、アユミ自身にしかわからないことだよ。
──あくまで、これはわたしの想像だけど最初に不審者が捕まったって聞いた時に、アユミはチャンスと思ったんじゃないかな」
「チャンス?」
「うん。〝さんぽに気をつけろ〟っていう占いのメッセージが解決した安心感というか、わたしの心の隙間を狙ったんじゃないかなって。でもそれよりも、ユウキが公園デートでわたしへ大胆な行動に出るって知ったことが、最大の引き金だと思うけど」
アユミは占いのことをあまり気にしているようには見えなかったけれど、不審者が捕まってわたしの警戒心が緩んだことは、きっかけの1つだったと思う。
「なるほど、そうなんだろうな。ということは、占いは良い意味で外れたわけか。散歩は関係なかったわけだしなぁ」
「ううん、あの占いは当たってたよ」
「ユウキの君との公園デー……いや、待ち合わせが、占いが指す〝さんぽ〟ということか?さすがに、それは少し苦しい表現だな」
元々、わたしのデートを快く思っていなかった父が苦々しげに言う。
「そうじゃなくて。わたしも気づくのが遅すぎたんだけど」
一呼吸おいてから、わたしは父に言った。
「アユミの名前は──、狩野 歩三……『歩く』『三』で、〝アユミ〟。つまり、〝さんぽ〟なの」
「………あ!」
そう、占い師が警告していたのは、他ならぬアユミのことだったのだ。
わたしも『さんぽ = 散歩』とずっと思っていたのだが、アユミに筋弛緩剤を打たれ、苦しみながら彼女の名を呼んだ時に閃いたのが、これだった。
占い師はアユミが危険だということが、おそらく最初からわかっていたのだと思う。でも当の本人が目の前にいる状況だったので、さすがに直接はマズいと〝さんぽ〟と婉曲な言い回しをした。ブログに書いた〝さんぽはとまらない〟も『アユミはとまらない』という意味の追加の警告だったのだ。
「もしミキ一人だったら、占い師さんもちゃんと教えてくれたのかもしれんなぁ」
父は溜め息をつきながら、またリンゴを頬張る。
「それはどうだろ?あの人、頑固で皮肉屋っぽい感じだったし、占いで直接的なことは言えないって言ってたしね」
わたしは占い師の老婆を思い出し、微かに笑って言った。アユミがいなくても、あの老婆がストレートに教えてくれたかどうかはわからない。でも彼女には、体調が落ち着いたらきちんと御礼を言いに行こうと思っている。
わたしは病室の窓に目をやり、外を眺めた。
天気は快晴で、遠くからトンビが鳴く声が聞こえている。
ユウキとの関係も、これから先はどうなるかわからなかった。彼がアユミとのことを隠していたことは今後大きなしこりとして残るだろうし、この事件を境に彼との関係性が大きく変わるだろうと、わたしは半ば確信していた。
今回のことで、親友のアユミを失った喪失感も大きい。もしわたしがユウキとの経緯と、彼女の気持ちをきちんと理解してあげれていれば、もっと違う未来があったのではないかと思えてならない。
そんなことを考えていると、父が目の前に最後のリンゴの欠片を差し出してきた。
「ミキ。これを食べて早く元気になりなさい」
「ほとんど自分で食べておいて、よく言うね!」
私は笑いながらリンゴを受け取り、早速かじってみる。
「……美味しい」
「元気になったら、またお父さんと〝さんぽ〟に行こうな」
「う〜〜ん」
「行きたくないのか?」
父が不満そうな顔をする。
「ううん、そうじゃないけど。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「──もう、〝さんぽ〟は懲り懲りなの!」
はにかみながら、わたしは父に叫ぶように言った。父はそうかそうかと笑い、ちょうどそこへ母が帰ってきて「あらあらどうしたの?」と話の輪に加わり、病室は一段と賑やかになっていく……。
わたしは両親の話し声をぼんやり聞きながら、
このわたしの心の声を聞いている〝あなた〟に言いたいと思う。
よく聞いて、みんな。
本当の〝さんぽ〟は怖いんだよ?
(~Fin~)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!今まで、人の名前をカタカナ表記する話が苦手だったのですが、今回はあえてそれを行い、逆手にとってミステリーのアイデアとしてみました。
当初の構想よりも少し長い話になってしまったのですが、自分なりに楽しく考えながら書きましたので、読んだ方も楽しんでもらえたら幸いです。