ハビタブルゾーン
ジュニアはミーティングルームのすみっこに、特大のソファを持ち込んだ。
父さんの言うことは、いちいちうさん臭いが、納得できるものもないではない。
そのうちのひとつが「男はベッドになんか寝るもんじゃない」だ。
こりゃあいい、と思ってジュニアはもっぱら家で実践していたのだが、父さんが帰ってくると、どかされた。
「俺のソファだ」
まあ、その言い分はもっともだと思ったので、ジュニアもそこは引いてやった。
でも、ここは宇宙船だ。
父さんはここにはやってこないだろうし、たとえ来たとしても、
「俺のだ」
で、おい返せる。
さっそくザワディがやってきて、ソファの端っこのにおいを嗅ぐと、へんな顔をして去っていった。
「気に入らなかったかな」
ジュニアが独り言を言うと、そんなことはありませんよ、と後ろで声がした。
「ライオンは他人の寝床になんか寝ませんから」
言いながら、カオルヒノは、ジュニアのとなりに腰をおろす。
「お兄さんのにおいがしたから、自分のじゃないと思ったんでしょう」
ところで、お兄さん、と、カオルヒノは、ジュニアの目をまっすぐ見すえて言う。
「また嘘をつきましたね」
ジュニアのまなじりがほんのわずかひきつった。カオルヒノでなければ見逃してしまうほどだ。
「お姉さんは双子と違って純粋で騙されやすいのだから、そういうことをされると困ります」
「旅の目的なんか誰にもわからない、これは本当のことだろ?」
「いちいち我家のお父さんのことを引き合いにだされるのも困るのです」
カオルヒノはそう言って、小さく嘆息をついてみせた。
「お父さんは、ずっと、ああなのでしょうがないですけど…。よくわからないまま正しいことをはじめるのは確かですが、終わったときには、ちゃんと理解していますよ」
「そりゃ、俺の父さんより頭がいいんだから、それぐらいは普通だろ?」
「お姉さんは、まだそのへんの事情をよく知らないのですから、あまり誇張されると困るのです。最近、双子のことをお姉さんは特別な人あつかいします。ワタシもユズルヒノも普通の女の子です。お父さんお母さんが、ちょっと変わっているだけなのに…」
――いや、それは、どう考えても違うだろ。アンヌワンジルのほうが正しい
とにかく、困ります、をカオルヒノは連発した、ビスクドールのように艶やかな面持ちに、少しばかりの愁いを浮かべつつ、ジュニアをたしなめるようにカオルヒノは言葉を続ける。
「この旅の目的にしても、他の人はともかく、お兄さんが知らないハズがないのですから、そういうことは、きちんとお姉さんに説明していただかないと」
「そりゃ、そうだが…、アンヌワンジルには、誰も知らないとは言ったが、俺が知らないなんて、ひとことも言ってないぞ」
「そういうところが、姑息で卑怯なのです」
カオルヒノは、花のように笑い、抱きついて頭をジュニアの胸に押しつけた。
はいはい、そう言ってジュニアは、いつものようにカオルヒノの頭を撫ぜた。
「リーボゥディルが来てたって?」
「ああ、さっきまでいたよ」
ユズルヒノの体から湧き出す気色が、彼女の感情を物語っている。
「アタシには挨拶なしか、だいたい、アイツ、アタシよりちっちゃいくせに、アタシを無視するとか、なってない」
――だから、かかわるのヤなんだろ
念のためだが、実際にはリーボゥディルのほうが、わずかに大きい。ユズルヒノに言わせると、光子体は焦点がぼけているから、実際より大きく見えるだけなんだそうだ。
「いろいろ忙しいらしい、しばらく会えない、とか言ってた」
「それは、かまわない」
ユズルヒノはそっけない。
「こっちから用もないしな。だいたい、アイツはおやつも持ち歩かないんだ。一回もアイツからもらったことがない」
食うか? とジュニアはポケットから銀紙に包まれたフルーツケーキスティックを取り出した。ありがとう、と満面の笑みで受け取ったユズルヒノは、ていねいに銀紙をむいていく。
「どこで仕入れたんだ? こんなもの? オーダーシステムか?」
「材料はな。キッチンはダーしか使わないから、空いてるんだ。暇つぶしに作った」
「まだ、あるか?」
口いっぱいにほおばったケーキを、やっとの思いで飲み込んだユズルヒノが、たずねてくる。ほら、と、ジュニアは更にポケットから2本取り出し、それで手持ちは空になった。
「とりあえず、これだけだ。また作ってやるから、持ってけ」
両手に1本ずつ、ケーキスティックを握りしめ、ユズルヒノは鼻歌を歌いながら、ミーティングルームを出ていった。
「あ、あの…」
かけられた声に、ソファの上でジュニアがまぶたを開けると、目の前にアンヌワンジルの顔があった。
「ケーキ、ありがと…、おいしかった」
ああ、と起き上がった、ジュニア。ユズルヒノは独り占めにしたわけではなかったらしい。
ジュニアは、ソファのすみに置いていた小箱を、そのまま、アンヌワンジルに差し出す。
「さっき、追加で作った。食べる?」
いや、いい、いい、アンヌワンジルは、両腕を突き出してしり込みしながら、手をめいっぱい振る。
「嫌いなのか?」
ジュニアが小箱を戻そうとすると、いや、そうじゃなくて、好きだけど、とアンヌワンジルは煮え切らない。
「…ふとるから」
「だいじょうぶだよ。あまりカロリー高くならないように作ってあるから」
「ほんと?」
「ああ」
目を輝かせたアンヌワンジルは、それでも、おずおずと遠慮がちに、小箱の中から銀紙に包まれたケーキスティックを1本取り出した。
銀紙の上から匂いをかいでうっとりしている、アンヌワンジルは、やっぱりかわいいな、と思った。
「ジュニアは、ほんとうに、何でもできるんだねえ」
ケーキスティックを掌の中に、アンヌワンジルは、キラキラした瞳でジュニアを見つめる。
「双子には、ずいぶん、鍛えられたからな」
ジュニアは笑った。
「いつも、余分に作らないと、俺の分がなくなっちまうんだ」
「そんな食べるの?」
「食べる。とくにカオルヒノが」
「え?」
「ユズルヒノはな、あれは、キャラでやってるから、食いしんぼうに見えるけど、ほんとはそれほど食べない。カオルヒノはむちゃくちゃ頭を使うらしくて、糖分摂取がはんぱじゃない。足りないと砂糖水飲んでるくらいだからな。足りなくなると、ユズルヒノがなんとかしてることが多かったけど、宇宙船ではそのへん、ダーがうまくやってくれると思うが…」
「そんなすごいの?」
「頭の中に胞障壁が詰まってるんじゃないかと思うくらいだよ。あれはたぶん母親似だ」
「気づかなかった」
「まだ、気づくようなことはじめてないからな。ザサンの仕上がりが悪ければ連れていっただろうけど」
「それもよくわからない」
アンヌワンジルは、しょんぼりと肩を落とした。
「あたし以外のみんなは、ザサンの立ち上げ機に何しに行ったのかわかってたみたいだけど、あたしにはわからなかった」
「そうか?」
ジュニアは怪訝そうな顔をした。
「俺、そんなにわかりにくいことしてたか?」
「ザサンを元気づけてるようにしか見えなかったよ?」
「それ、やりに行ったんだよ。なんだ、ちゃんとわかってるんじゃないか」
「なんでそんなことするのか、わからないもん」
「悪いやつに、ふらふら付いてったら困るだろ。第2類量子コンピュータが敵に回ったりしたら厄介だし」
「でも、いっしょに連れてこなかった…」
「あんぐらい言っとけば、だいじょうぶだろ。仮にも第2類量子コンピュータなんだし、馬鹿じゃないんだから」
はー、とアンヌワンジルは、大きく嘆息をついた。あたしには無理、と小さくつぶやく。
「そこまで言うなら、こっちも言うけどな」
ジュニアは言ったが、とくに責めているような口調でもなかった。
「途中で、魔法みたいなことして3人壁に叩きつけたろ? あれのほうが、よっぽどどうかしてる」
「あれは、…あれは、違うの」
何がどう違うのか、とつぜん、大仰に両手を振り回して、アンヌワンジルが言い訳する
「あれは、無重量でしか利かないし、ほんのちょっと速度ベクトルを曲げただけなんだよ。相手が素人だから、派手に見えただけで…、ジュニアだって、ちょっと練習すればできるよ」
「じゃ、お願いするかな」
「え?」
「練習、教えてくれるんだろ?」
もちろん、まかせといて、とアンヌワンジルは胸を張った。でかいな、とジュニアは思った。
不意に寝苦しさを感じて、ジュニアが目を開くと、胸の上にユズルヒノの脚がのっかっていた。
なんだ、こいつ、と脚をどけても、また、寝返りをうって、どん、と腹の上に乗せてくる。
ソファから起き上がろうとするが、右足はカオルヒノがしっかり捕まえていて、身動きがとれない。こっちも、すやすやと寝息をたてている。
あきらめて、そのまま、二度寝しようと思ったが、頭の後ろがやけに柔らかい。
見上げると、アンヌワンジルが、ジュニアに膝枕を貸したまま、ソファにもたれてうつらうつらしている。
ま、いいか、と思って。
ふたたび目を閉じて、ジュニアはすぐに寝入った。
もういちど、目を覚ましたとき。
ソファに寝ていたのは、ジュニアだけで、
おそらく、ダーが焼いているのだろう、目玉焼きの匂いが、鼻腔をここちよくくすぐった。