二重惑星(14)
サイユル居住区のすみで。
ヒューリューリーはみんなが目まぐるしく働いているのを、ボーっと眺めていた。
たいていはジュニアの指示で動いていたが、ユズルヒノに言われて宇宙艇の改造をしている者、カオルヒノと光子体遮断フィールドの調整をしている者、ヤンフーリーを手伝ってベルガーの水利工事の計画をたてている者もいた。
ときどき、何を思ったのか、ヒューリューリーにこれからのことを聞きにくる者もいるにはいたが…。
――明日は晴れるといいねえ
などと、半分ぼけた調子で言うものだから…
ヒューリューリーに話しかける者はめっきり減った。
そうして、ただ、サイユルたちが、いろいろなものの準備を進めて数日が過ぎた後、
ベルガーからの客があった。
居住区のすみにたたずむヒューリューリーに、使者殿、と、いつものように語りかけたペシャグラントは、ヒューリューリーの様子が以前と違うことに気づいた。
「あの…、ヒュー・リュー・リー…?」
ベルガーにとっては、とても発音しにくいその名を、ペシャグラントは久しぶりに口にした。
ペシャグラントは、古い友達のことを気づかってか、彼の名をくりかえした。
「ヒュー・リュー・リー、どうしたのです?」
「やあ、レルム、ごきげんよう。私は何もかわりませんよ」
ヒューリューリーは半身を大きく回し、風を切る。
ヒューリューリーが呼んだのは、ペシャグラントの古いほうの名だった。
「レルム、私があなたに初めて会ってから、とても長い時間がたった」
「ええ、 そうです」
「私は、あなたと別れてから、とても長い旅をしました。そして、帰ってきたとき、私は以前の私ととても変わったのだと思っていました」
「たいへんな旅立ったのでしょう?」
ペシャグラントはそう言って、長い嘆息をついた。実際、胞障壁はおろか、となりのサイユルにすら行ったことのないペシャグラントには途方もない話しだった。
いいえ、と、ヒューリューリーの身体が空を切った。
「たしかに、たいへんな旅だったのだとは思うんですよ。ジムドナルドにとって、の話しですけどね。私にとってのことじゃない…。ジムドナルドです…。レルム、あなたが光の殿方と呼んでいるあの人のことです」
光の殿方という名をヒューリューリーから聞いて、思わずペシャグラントの目に涙がこみあげてきた。もし、ヒューリューリーのほかに他人の目がなければ、おそらく、あげてしまったであろう嗚咽を、ペシャグラントは飲み込んだ。
――光の殿方
ペシャグラントがそれを口にするとき、他のベルガーの誰とも意味することは異なっていた。ペシャグラントにとって光の殿方というのは、あの日、箱舟にレルムを乗せ、ほんものの神の鉄槌を目の当たりにさせてレルムを許したあの人以外にはなく、そして、その日から彼はペシャグラントのすべてであった。
ペシャグラントの身体が小刻みに震える。ジムドナルドのことを思うと、いつもペシャグラントはそうなってしまうのだ。それに気づいたヒューリューリーは、やさしく身体を回した。
「ジムドナルドの旅こそが、途方もないもので、私はそれについていっただけだったのです」
いや、それは…、と弱々しく反論しようとするペシャグラントを抑えて、ヒューリューリーは話し続ける。
「…だから、私は、何もかわらなかった。サイユルを出ていったときそのままで帰ってきてしまった。かわったように思えたのは…」
ヒューリューリーは、空にかかるサイユルを見上げ、そして、また、ペシャグラントに視線を戻した。
「…かわったのは、私の故郷とあなた方だったのです」
でも、とペシャグラントは食い下がった。
「あなたは、我々を助けてくれた。そしてあなたの同胞も助けたのですよ?」
「たすけたのは、ジュニアですよ」
「…え?」
「ジムドナルドの息子なのです」
ヒューリューリーは体をぴぃーんと伸ばし、その頭頂で、青空の一点を指し示した。
「見えるでしょう? あの空を巡る宇宙船が。あなたがたが箱舟と呼んでいる私たちの宇宙船よりはるかに大きい、ほんものの航宙船なのです」
ペシャグラントが目をこらして、白い点のように見える宇宙船を探り当てたとき、ヒューリューリーが言った。
「あの宇宙船に、ジムドナルドの息子が乗っています」
突然、ペシャグラントは地にひれ伏した。宇宙船に身体を向けて、そのまま額づいた彼は、もはや誰にはばかることなく慟哭していた。
ペシャグラントの他を寄せ付けぬ一途な信仰を、ヒューリューリーは羨ましいと思った。
「お別れに来ました」
ひさしぶりに宇宙船に上ってきたヤンフーリーは、ユズルヒノにむかってそう言った。
「いろいろお手伝いいただいてありがとうございました。感謝の言葉もありません」
「たいしたことはしてないけどな」
ユズルヒノは照れ隠しなのか、ちょっと横を向いて笑いながら言った。
「ラムラーナポンテの子供を見られないのは残念だけど、それはアナタにお願いするしかないな」
「ラムラーナポンテのお腹の子は、とても順調です。彼女は私の親友です。彼女がとても幸せそうで私もうれしい」
ヤンフーリーは言ったが、その次の言葉は身体のキレがあまりよくなかった。
「…彼女を見ていると、やはり、ああいうことは自然にまかせるのがいちばんなのだと思いました。前にご相談したこと…、忘れてください。私、もうあきらめましたから」
「何を言ってるのかわからないんだが…」
ユズルヒノは怪訝な顔つきで答えた。
「ヒューリューリーとのことを自然にやってくれ、って言ったつもりだったんだが…」
「…でも、でも、ヒューリューリーは、あなた方といっしょに行ってしまうんでしょう? そうしたら、もう…」
「だれが、あんな役立たず、連れてくんだよ。アタシはやだよ」
「え?」
「兄ちゃんにも、そんな話しは聞いてない。もともとヒューリューリーは、アナタだけを宇宙船に乗せるつもりだったらしいけど、アナタはそんな気ないみたいだし、兄ちゃんがやんわりヒューリューリーに断ったって聞いてる」
「私だって、そんなこと聞いてません」
ヤンフーリーの風切り音が、ごう、と唸った。
「私だけ宇宙に放り出す気だったなんて、…私、そんなに、あの人に嫌われてるの?」
「ちがう、ちがう、逆だ、逆」
ユズルヒノは、あわててうち消した。
「サイユルの新世代の中で宇宙に出られそうなのが、アナタしかいなかったからだよ」
ユズルヒノの言葉を聞いたヤンフーリーはの身体が、ぐらぐらと揺れた。
「…そんな、…私、無理です」
「無理かどうかは、よくわからないけど…」
ユズルヒノは、言葉を選びながら、ゆっくりとヤンフーリーに説明した。
「胞障壁を超えられるかどうか、みたいな能力的な話しをしてるんじゃないんだ。いまのサイユルには胞障壁を超えなければならない理由がない、それだけのことだ」
「理由? ですか?」
「ヒューリューリーには理由があった」
とまどうヤンフーリーに考える隙をあたえずに、ユズルヒノはたたみかけた。
「ヒューリューリーが胞障壁を超えなければ、彼だけじゃない、サイユル全体が種族閉塞を起こして袋小路に入りこむ可能性があった。だから、ヒューリューリーは胞障壁を超えて、そして帰ってきた。しばらくはこれで大丈夫なんだ。当座の問題は解決したのだから。あとはゆっくり何世代もかけて、胞宇宙を自由に行き来できるようになればいい」
「そんな…、そんなこと、できるのですか?」
「知らないよ、そんなこと。でも、デルボラはできると思ってたみたいだし、父ちゃんも否定はしなかったみたいだ。アタシはあの2人ほどは頭が良くないから、サイユルと、それにベルガーがこれからどうなるかなんてわからない。どうしても知りたいんなら、兄ちゃんにでも聞いてくれ」
「…いやです。そんな、おそろしいこと…」
「まあ、それが普通の感覚だと思うよ。アタシも兄ちゃんに聞くのはあまりお勧めしないな」
ヤンフーリーの頭の中を様々な思いが駆け巡った。あまりにも思考がぐちゃぐちゃにかき回されたので。ヤンフーリーは、ほんとうならユズルヒノが答えられるはずの問いを、たずねることを忘れてしまった。