クアドラポール(1)
船外殻改修の終了した宇宙船は、工場区画と農場の間に固定された。
宇宙船の内部については、宇宙船を運航しながら改修を進めることにして、とりあえず宇宙船をエリスの軌道から離脱させる。
「ここからは、もう寄り道なし、胞障壁まで一直線だ」
新しいケミコさんの教育が不十分だとカオルヒノは不満げだったが、間に合わないようなら、胞障壁の手前で時間をとるから、とジュニアが無理やりに説得した。
「どうしてお兄さんは出発を急いだんでしょう?」
ヌガーチョコの端っこを、かりかりとかじるカオルヒノ、ダーもジュニアもおやつはふんだんに作ってくれるので、お腹が空く心配はない。でも、もうヌガーチョコも残りわずかだし、大事に食べないと、とカオルヒノは思う。
「止まってると標的にされやすいからなあ」
ユズルヒノは揺り椅子に座って、足をぶらぶらさせた。この揺り椅子はとても大きい。これからアタシも大きくなるから、と無理を言ってジュニアに作らせたのだ。
「兄ちゃんとしても、早いとこ胞障壁を超えたいだろうし」
「どうしてです? 胞障壁なんて、いつ超えても同じですよ」
「いくら兄ちゃんが凄いって言ったって、胞障壁超える前じゃ、カブト虫のさなぎみたいなもんだよ。それに兄ちゃんだけならまだしも、余計なオマケまでくっついてるしな。変なトラブルとか起きて、親とか出てきたらカッコ悪いだろ」
「胞障壁は超えてしまえば、前も後も関係ありません」
「超えてしまえば、だろ? いまはそうじゃない」
カオルヒノは押し黙り、ヌガーチョコの残りを銀紙に包んでポーチに入れた。
「ケミコさんのことが心配なのはわかるよ」
ユズルヒノは背もたれに身をゆだね、足をバタバタさせる。やっと揺り椅子が動きだした。
「でも、いろいろたいへんだったとは思うけど、新しいケミコさんたちだって、一度は胞障壁を超えて来てるんだ。それに兄ちゃんの超えかたは、父ちゃんとは違う」
「お父さんと、違う?」
「違う。父ちゃんもジルフーコも最初の胞障壁踏破のときには、胞障壁のこと全部わかってるわけじゃなかった。それでも超えたよ。だから、兄ちゃんならきっと大丈夫だ」
「何をしているの?」
管制室、副操縦席の下に頭を突っ込んで、ゴソゴソやっているジュニアに、ダーが声をかけた。
「いや、ちょっとな」
椅子の下から頭を抜いたジュニアは、側板をはめ直す。
「メインとサブのリンクを調整してたんだ。ケミコさんにやってもらってもいいけど、自分でやったほうが微調整が効くからな」
座席の間を、ツー、と飛んで、主操縦席と副操縦席のコンソールやリンクパネルをひと通りチェックしたダーは、スラスターを軽くふかして、帰ってきた。
「主操縦席と副操縦席の制御を連動させたようだけど、何故、こんなことを?」
「いや、4人で操縦するから、そのほうが楽だと思って」
「4人で?」
ダーは驚きの声を上げた。
「だって胞障壁ですよ? できるの?」
「できない理由、何かあったっけ?」
ダーは、いわゆる無限計算を3回転させたほどの時間、押し黙った。それから、ゆっくり言葉を区切りながら、ジュニアに言った。
「そうですね。できない理由は、思いつきません」
「ゴーガイヤ」
アンヌワンジルが呼びかける。
ゴーガイヤは畑仕事の手を休めて、畝の上に腰を下した。
「おう、別嬪さン。どうかしたカ?」
へんなこと言わないでよ、もう。立ったまま、真っ赤にそまったアンヌワンジルの顔は、しゃがんだゴーガイヤの顔とちょうど目線が合うくらいの高さだ。
「おだてたって、おやつなんか出ないよ。そういうのはジュニアに言って」
この間から、ジュニアの料理を手伝ったりはしているが、あまりうまくいかない。こっそり、ひとりで作ったりしてもみるのだが、よくわからないものしか出来てこない。ちょっと落ち込んではいたので、思わず口に出てしまった。
おゥ、そうカ。などと、ゴーガイヤは適当に流す。本当にどうでもいいみたいだ。
「あのね、ゴーガイヤ」
気を取り直して、アンヌワンジルは、ゴーガイヤに要件を告げる。
「ジュニアが、ゴーガイヤの椅子を調整したいから、管制室まで来てほしい、って」
「俺、ここでいイ。椅子はいらン」
「それは、そうかもしれないけど…」
アンヌワンジルは、大きく手を広げて、ゴーガイヤを説得にかかる。
「ジュニアがね。胞障壁の中で、ゴーガイヤに見てもらいたいモノがあるんだって。ゴーガイヤしか見たことないだろうから、他の人じゃダメなんだって」
「ぁン」
「だから、胞障壁を抜けるときは、ゴーガイヤに管制室にいてほしいんだって、今回だけでいいらしいし…」
「今回だケ?」
「…そう」
ゴーガイヤは岩のような顔の中にある小さな目を閉じた。何かを思い出しているように見えた。
わかっタ、とゴーガイヤは立ち上がった。体をゆすって歩く様は、まるで小山のようだった。
エイオークニはケミコさんの1群を引き連れて、ビオトープゾーンの中をてくてく歩いていた。
ちょうど反対側から、ザワディも同じようにケミコさんたちを従えてやってくるのが見えた。
「やあ、ザワディ」
鉢合わせしたエイオークニは、そのまま小川のほとりに腰をおろした。
ザワディもとなりに座った。
双方のケミコさんたちは、引率者が休憩に入ったとみて、近くのケミコさんと互いに遊びはじめた。カオルヒノに教わった鬼ごっこをはじめるケミコさんがいて、けっこうな数のケミコさんがそれに倣った。
「ザワディ」
エイオークニはかたわらのザワディに語りかけた。
「とりあえず、今のところ私にも仕事がありますが…」
ふと、鬼ごっこに興じるケミコさんたちに視線を移し、あまり遠くに行かないように、とエイオークニは声をかけた。
それからエイオークニはザワディの顔を見たが、何か気恥ずかしくて、小川のせせらぎを見つめて、手元の石をひとつ放り投げた。
「ジュニアはもうすぐ胞障壁を超えます」
エイオークニは、そこで言葉を切った。しばらくそのまま黙っていたが、やはり我慢しきれず声に出してしまった。
「胞障壁を超えたら、私にできることは残っているでしょうか?」
ザワディはしきりと尻尾を動かしていた。自分の胴に巻きつけるのだが、尻尾が短くて、それはうまくいかないみたいだった。
同じしぐさを繰り返すザワディに、エイオークニはやっと気づいた。
「そうでした、ザワディ。胞障壁を超えたら、彼がいるのでしたね」
ザワディは、オン、と哭いた。
「彼にむかって、私はどうすればいいですか、などと聞いたらさすがに怒られるでしょうから言いませんけど。そうでした、胞障壁のむこうには、彼がいました」
ケミコさんたちは鬼ごっこに夢中で、しばらく放っておいても良さそうだった。エイオークニは小川のせせらぎに胞障壁を重ねて、その向こう岸に想いをはせた。