ザサン
ベリーフィンがいいかげんなのは、いまにはじまったことではないけれど、これは、ちょっとヒドイと思う。
ザサンの通過儀礼を一緒に見よう、と言いだしたのは、ベリーフィンだ。
ザサンは太陽系初の第2類量子コンピュータで、10年前に月の裏側、ラグランジュ2で構成外殻の建設がスタートしている。
ザサンの構築は汎胞宇宙プロジェクトで、太陽系以外からも光子体の顧問を何人か構築委員会メンバーとして招請するという、鳴り物入りの凄さだ。
とはいえ、第2類量子コンピュータ構築委員会のメンバーに名を連ねている光子体は、あまりぱっとしない連中だし、太陽系側の面々は、どこかの大学教授とかばかりで、もっとしょぼい感じがした。
ジュニアは、そんなことするより、宇宙船乗組員に指示を仰ぐとか、あるいは直接ダーにでも聞いたほうが、よっぽどいいんじゃないかと思うのだが、そこは大人の事情でいろいろあるんだろう。
もっとも、こんなことが言えるのは、ジュニアが情報キューブの内容を直接読み取っているからで、友だちのベリーフィンなんかに言わせるとだいぶ事情が違う。
ザサンは、太陽系初の胞障壁踏破可能な航宙船で、他の胞宇宙との交流のさきがけとなる、エポックメイキングなシステムなのだ。
宇宙船はどうした? とジュニアでなくてもつっこみたくなる話しだが、少なくとも太陽系内では宇宙船のことは、なかったことになっている。
――まあ、いろいろあるんだろう
誰のせいか? ということならジュニアにも心当たりがある。まぼろしの初代太陽系統一政府主席あたりが、いちばん責を負いそうなところだ。もっとも、彼の失踪も判然としないところがあるから、彼には彼の都合があるのかもしれない。
そんなこんなで、ジュニアとしては、ザサンの通過儀礼については、あまり期待はしていなかった。第2類量子コンピュータは胞障壁物理学の応用なのに、委員会のメンバーで胞障壁に詳しいのが1人もいないのだから、期待しろというほうが無理だ。
だが、ベリーフィンは、そうは思っていない。
「正しく宇宙を志す者なら」
ベリーフィンは、本当にこう言った。
「ザサンの通過儀礼に興味をもってしかるべきだ」
俺、正しくないからいいよ、というジュニアの意見をベリーフィンは聞き入れてくれない。
「ジムドナルド」
ベリーフィンはジュニアのことをジムドナルドと呼ぶ。そりゃあ、そうだ。ベリーフィンはジュニアの父さんのことなんか知らないし、ベリーフィンにとってジムドナルドと言えば、どこか得体のしれないハンサムボーイ、同級生のジムドナルドだけだ。
「ジムドナルド、俺たちは一緒にザサンの通過儀礼を見届けるんだ。それが俺たちの義務だ」
ネットワーク放送なんだから家で見てればいいんじゃないか? とジュニアはベリーフィンに言ったのだが、許してもらえなかった。
「画面が小っちゃかったら、迫力ないだろ」
それで、ジュニアは15分前から商業施設の野外シアターの前で、チョコシェークをちびちび飲みながら、時間をつぶしているのだ。自分から誘っておいて、すっぽかすのは、ベリーフィンらしいと言えばらしいのだが、こうも度重なると腹もたつ。
だいたい、ザサンの通過儀礼と言ってはいるが、実際にはザサンに対する第0次の人格付加であって、人間でいったら、産まれたての赤ん坊が、おぎゃぁ、と産声を上げるようなものだ。本格的な稼働にはまだ数年、ことによったら数十年はかかるわけだし、映像的にも大画面で見たからどうというものではない。
――あいつ、俺のことヒマだと思ってるんだろうなあ
ジュニアは、実際、ヒマなのだから、その点だけはベリーフィンが正しい。
いそがしかったら、そもそも、こんな場所にいるはずがない。
開始5分前にいたっても、シアターの3D映像にほとんど変化はない。画面の半分を使って、ネットワーク放送のキャスターが図解つきで通過儀礼の説明などしているが、ところどころ間違えるので耳障りだ。ただ、観客の受けはそれほど悪くなく。シアター前のテーブル席は8割がた埋まっていた。
ボーっとしながら、ちびちびチェコシェークを飲むジュニア。そのとき、テーブル席のあちこちからどよめきが起った。
何かあったか、とシアターの画面に目を向けるも、そちらはとくに何もない。あらためて席の客の視線を探ると…
――なるほど
ジュニアは自分の目に入ってきたモノに納得した。これなら、皆、騒然とするのも無理はない。
だが、
どちらのほうにより驚いたのだろう、それを思ってジュニアは苦笑した。
すらりと立ち姿も美しい、金髪の少女が透き通るような髪をなびかせながら歩いてくる。
そのとなりには、たてがみもいかつく1頭のライオンがつき従っていた。
あまりに自然にライオンが少女のとなりにいるので、
周囲の人々も逃げるのを忘れて、ただ固唾を飲んで、1人と1頭を見つめていた。
少女は当たり前のように、テーブルをはさんだジュニアの真向かいに腰かける。
ライオンもまた、少女のとなりに腰を落として、大きくひとつアクビした。
「こんちは」
少女が言った。
こんにちは、ジュニアは、少女とライオンにあいさつした。
「あなた、本は好き?」
「好きだよ。情報キューブも、紙の本も好きだ」
よかった、少女の緊張がほぐれ、その口許に笑みが浮かんだ。
彼女は、肩から下げたバッグのふたを開けて中身を取り出すと、テーブルの上に並べた。
「これ、あなたにあげるから」
言いながら、少女はテーブルの上に出した5冊の本を、1冊ずつ指さす。
本の表紙には「ワンダー7」と題名が書いてあって、1巻から5巻まで、巻数がふってあった。
「ちゃんと読んでね。大事なことだから」
「ああ、ちゃんと読むよ」
ジュニアの返事を聞いて、少女は微笑んだ。立ち上がると、かたわらのライオンに声をかける。
「行こう、ザワディ」
皆が、唖然として声も出せずにいる中、少女とライオンは、また、当たり前のように去っていった。
「おう、悪い、悪い。また遅刻だよ。もう、はじまっちゃってる?」
あいかわらず頓着なしのベリーフィンだが、周囲の人の目が、シアターのスクリーンではなく、ジュニアのいるテーブルに釘づけなのに気づいて、あわててたずねた。
「どうした? なんか、あったのか?」
「たいしたことじゃないさ」
ジュニアは、テーブルの上の本を片づけながら答えた。
「それにしても、失敗したな」
「失敗? ああ、もう、はじまっちゃてるもんな、通過儀礼。悪かったよ、な、このとおり」
スクリーンとジュニアに交互に視線を向けつつ、目の前でおがみ倒すベリーフィンに、一瞬、とまどいの表情を見せたジュニアだったが、すぐに気づいて笑い出した。
「違う、違う。ザサンなんかどうでもいいんだ。でも、ほんとうに失敗だった。あんな美人だなんて知らなかったからな。もっと早く会いに行ってれば良かったよ」
ジュニアは空を見上げた。
ジュニアの見ているのは、青く晴れわたった空でなく。そのむこうの漆黒の闇、そこに瞬く星々の光だった。
「でも、遠かったからな。ちょっと、たいへんだったかもしれん。でも、いまなら、もう大丈夫だ。母さんの好きそうな金の髪だった。双子たちにも早く教えてやらなきゃな」