ダイレクション
「俺、何かやったかな?」
ジュニアの質問は唐突なことが多い。聞かれたユズルヒノは慣れっこなので、そのこと自体はあまり気にはならないらしい。
「兄ちゃんが、何かしたわけじゃないな」
兄ちゃんが、と、わざわざ言うあたり、ユズルヒノには心当たりがあった。
「姉ちゃんのことだろ?」
「ああ、最近、ちょっと避けられるてるみたいだ」
「やったのは、ばあちゃんとエイオークニだ。年寄りは気が短くて困る」
その2人の名を聞いて、ジュニアは、クスリと笑った。
「しょうがねえなあ」
「なんなら、アタシのほうからも言っとこうか?」
「誰にだよ?」
「年寄り2人」
「言うこと聞かないだろ?」
「じゃあ、姉ちゃんのほうに言っとくか」
「やめとけ、もっと話しがややこしくなる」
いろいろ、ありがとな、と言って、ミーティングルームを後にするジュニアの背中に、ユズルヒノが声をかけた。
「気をつけろよ、兄ちゃん。恋する乙女ってのはやっかいだが、恋してない乙女は、もっといろいろ面倒くさいぞ」
アンヌワンジルは、ザワディの首にもたれかかり、その柔らかなたてがみに顔をうずめていた。
彼女が物心つく前から、ザワディはアンヌワンジルのそばに侍り、ずっと一緒に育ったのだ。
「ねえ、ザワディ」
アンヌワンジルは問うた。
「ジュニア、って、どう思う?」
ザワディは、大きくあくびした。
ザワディはいつも大事な話しのときに、興味ないふりであくびをする。
かさっ、とアンヌワンジルのとなりで、草をかきわける音がした。
隣に腰かけたジュニアに、ひ、と小さく悲鳴をあげてアンヌワンジルは立ち上がった。
「エリスに行く」
逃げ出そうとしたアンヌワンジルを、ジュニアは、その一言で場に釘づけにした。
「いろいろ、手伝ってほしいことがある」
アンヌワンジルは、ザワディとジュニアの間で躊躇していたが、やがて、あきらめて、そのまま腰をおろした。
「エリス、って?」
おそるおそる、たずねる、アンヌワンジルに、ジュニアは笑顔で答えた。
「太陽系外縁天体のひとつで、準惑星だ。ディスノミアっていう衛星も持ってる。公転軌道面が44度と急角度に傾いているのも特徴だ。天文学的にもおもしろい天体なんだろうが、俺たちにはあまり関係ないな」
「じゃあ、どうしてエリスに?」
「第一光子体の乗り捨てた宇宙船がある」
「行くの?」
思わず身を乗り出したアンヌワンジルに、行くよ、とジュニアは応じた。
「わかった」
アンヌワンジルは立ち上がった。もう逃げている場合ではない。母親ゆずりの強い光がその瞳にやどった。
「それで、そのつぎは?」
忘れ物を確かめるように、問うたアンヌワンジルに、ジュニアは短く答えた。
「次は、胞障壁だよ」
よし、と、誰に言うでもなく独り言ちたアンヌワンジルは、背筋をぴっ、と伸ばすと、軽くこぶしを握り、ゆるかなピッチでビオトープゾーンを駆け抜けていく。いつものトレーニングコース。いつものアンヌワンジルに戻った。
後ろ姿を見送ったジュニアは、ザワディのそばに寄った。
「面倒かけるな、すまん」
気にすんなよ、と言いたげな顔で、ザワディは、あおん、と哭いた。
「第一光子体の宇宙船ですか?」
カオルヒノが子リスのようなどんぐり眼をくるくる回して言う。
「どうして、そんなところに行くんです?」
「光子体がいそうな気がするんだ」
「光子体ですか…」
カオルヒノの瞳の光が消える。あからさまに興味をなくしたようだ。
「光子体は、それほど珍しいものではありません。最近は、地球にもよく来ているようですよ」
「地球には大量の情報キューブがあるからな。位置同定して来訪するだけならたいして難しくはないさ。ただ、地球は情報密度もエネルギー密度も高いから、生半可な光子体だと自分を維持するのはたいへんだろう」
光子体は、情報の固定にもっとも軽い質量0の光子を使う。情報体の中でも外乱に一番弱く、自己の情報核を維持するのがとても困難だ。第一光子体や、ラクトゥーナル、アグリアータ、そしてリーボゥディルといった一線級の光子体でもなければ、きちんと環境を整えてやらないと地球上では存在することすら難しい。
それに、とジュニアは意味深な口調でつけくわえた。
「第一光子体の宇宙船の中なんかうろついてる光子体は、普通のやつらとは、ちょっと違うだろうからな」
「エウロパにいた光子体みたいにですか?」
「あるいは、火星にいた光子体みたいに、だな」
「どちらも同じ光子体でしょうか?」
「さあな、まだよくわからない。だから、確かめてみたいと思っている」
カオルヒノは思案気に、人差し指で鼻の頭をこすった。
「この話し、ユズルヒノには、もう、しました?」
「まだだよ、これから話そうと思ってる」
「こんどは、双子が両方いないといけないかもしれません。ユズルヒノに、そう伝えてください」
「自分で言うわけにはいかないのか?」
いきません、と、カオルヒノはきっぱり否定した。
「お兄さんが中継することに意味があるのです。理屈はいいですから、ちゃんとユズルヒノに伝えてください」
「…と、いうわけなんだが」
ジュニアは、カオルヒノに言われたまま、ユズルヒノに伝言した。
「わかった、か?」
「ああ、まあ、わかったけど…」
ユズルヒノは、ちょっと困った風で、それでも苦笑しながら言い返した。
「ずいぶん面倒くさい方法で解決することにしたんだな。姉ちゃんの機嫌はなおったみたいだから、…いいけど」
「何の話しだ?」
「何のって…、姉ちゃんの話しじゃ、なかったのか?」
「…ん、ああ、…そうなるかな。まあ、そういうことなんだが…」
ジュニアも言われて、なんだか確かにすわりが悪い。
「エリスに行くんだよ」
「聞いた。衛星の双対軌道に乗り捨ててある第一光子体の宇宙船だ」
「そうだ、4重極解の解法起点に行く。だから、俺とアンヌワンジル、ユズルヒノとカオルヒノが必要だ」
「4重極だからな、4人いる」
「そうだ、…合ってるよな?」
「合ってるよ。…ああ」
ここでようやく、ユズルヒノが納得した。
「…そういう話しだったのか、やっと、わかったよ」
確かにわかりにくいよな、まだすこし不安げなユズルヒノの顔を見ながら、ジュニアは笑った。