トランスポーター
「ザワディは? ザワディは、どこにいる?」
いつも、ミーティングルームやビュッフェでうたた寝をしているザワディが、今日に限って見当たらない。ジュニアは宇宙船の中を駆けめぐって、やっと、農場でゴーガイヤのとなりにザワディを見つけた。
「やあ、ザワディ、ここにいたんだ」
なんだ? という顔で、ザワディはジュニアを見つめる。
「火星に降りるんだ。いっしょに来てくれ」
ザワディは、ひとつ、大きくあくびをすると、四肢を伸ばしてジュニアのそばに歩み寄った。
「ザワディも火星に行くのカ?」
問うゴーガイヤに、ジュニアはザワディのたてがみを撫ぜながら答えた。
「そりゃそうさ、この宇宙船の中で、火星に降りたことがあるのは、ザワディだけだ。いっしょに行ってもらわなけりゃ、困っちまう」
違いなイ、ゴーガイヤはジュニアの答えに体をゆすって笑った。
多目的機の乗組員室には、双子とアンヌワンジルとザワディ、それにエイオークニがいた。ジュニアは扉を隔てた操縦室にいる。
「ワクワクしますね」
などと言いながら、乗組員の中でエイオークニだけが、すでにヘルメットをつけている。
アンヌワンジルは銃の手入れに余念なく、エイオークニの独り言など耳に入らない。カオルヒノはザワディのたてがみに顔をうずめているので、まわりの音は聞こえないらしかった。
「えらい入れ込みようだな、ハッチが開くまでは、まだずいぶん時間あるよ」
しかたなく、というわけでもないのだろうが、ユズルヒノが声をかける。
「そりゃあ、そうですが、私、火星は初めてなんですよ。もう、楽しみで」
「他の胞宇宙の惑星には行ったことあるんだろう?」
「もちろん、行きましたよ。でも、なかなか機会がなくて、太陽系は素通りしてたんです。本当は月にも行きたかったんですが、我慢しました」
「月って? 地球の月か?」
「そうです」
「姉ちゃんが兄ちゃん連れに行ってる間に、行っとけば良かったのに」
「月は知人に会う可能性があったので、寄ることができなかったんです」
エイオークニはヘルメットをかぶったままうなだれた。
「地球を離れてだいぶたちましたが、その…、地球を出るときにはいろんなものを放り出したままにしてしまったので…」
ああ、とユズルヒノは、同情のまなざしをエイオークニにむけた。
「そういえば、それなりに偉かったんだっけ?」
「ええ、まあ、それなりには…」
エイオークニの目が火が消えたように澱んだが、それも一瞬で、また快活な笑顔に戻ってまくしたてる。
「でも、火星には、地球人は来てませんからね。まだ無人探査がいいところで、こればかりは、いくら情報キューブにアクセスできるようになっても、数十年では無理なことです。火星には安心して行けますよ」
真面目なのか不真面目なのかよくわからん人だなあ、とユズルヒノはあきれてしまった。なんとなく、ばあちゃんに似てるような気もする。
――こういうのって、長くいっしょにいたりすると、似てくるのかなあ
とくに根拠はなかったが、ぼんやりと、ユズルヒノはそんなことを考えていた。
アンヌワンジルが火星に降りたって真っ先にしたのは銃の的をたてることだった。
宇宙船にも射撃場はあるわけだが、船内では何かと制限が多い。拳銃はともかく、的までの距離が必要なライフルの練習はやりにくい。それに、ゾンダードや地球とほぼ同じに調整されている船内重力での射撃練習よりも、異なる重力地帯での練習のほうがずっと身になる、とアンヌワンジルはママに常日頃教えられていたのだ。
アンヌワンジルの銃は、ジルフーコが作った。ママと同じKar98kというカービン銃のコピーだった。アンヌワンジルは、この銃がとても気に入っていた。
100メートル離れた位置から、アンヌワンジルは60発を的の中心に集めた。
「すごいな、姉ちゃん」
「そうでもない、2発8点がある。ママがいたら呆れられる」
「姉ちゃんの母ちゃんは特別なんだから、気にすんなよ」
興味深そうにKar98kを見つめるユズルヒノに、アンヌワンジルは銃を差し出した。
「撃ってみる?」
「いいの?」
「うん」
わーい、と受け取ったユズルヒノは、ボルトレバーを引いて、次弾を装填した。
軽く構えて銃身を四方に向ける。
遠くに見える山の尾根めがけて、一発ぶっ放した。
反動で上がる銃口を見据え、すばやくボルトアクション、もう一度引き金を引くと、タン、と鈍い銃声がした。
アンヌワンジルは手慣れたユズルヒノの一連の動作に息を飲んだ。
ユズルヒノは、銃口を下げると次弾を装填し、それから、しっかりと銃床をヘルメットにくっつけて固定した。そして、ゆっくりと、的のほうに筒先をむけた。
銃声一発。
銃弾は的の縁をかすめて、はるか遠くに飛び去った。
「すごいな」
見ほれたように立ちつくすアンヌワンジルに、ユズルヒノはカービンライフルを返す。
「とりあえずは、こんなもんだな。ここから先は時間がかかる」
あたしよりスジがいいかも、と手放しでほめるアンヌワンジルに、ユズルヒノは首を振った。
「アタシは、ここまでは早い。銃だけじゃなくてなんでもね。でも、ここから先は普通の人とあまり変わらないんだよ」
「違うでしょ」
アンヌワンジルは笑った。
「普通、じゃなくて、普通の天才といっしょってこと。普通の人は、火星で的になんか当てられないのよ」
カービンを受け取ったアンヌワンジルは、構えると、瞬く間に残弾を撃ち終えた。それを見た双子は、次は岩登りだ、と盛り上がる。
「いや、待ってくれ」
意外にもジュニアが水を差した。
「そいつは後回しだ。先にやっておきたいことがある」
「え? だって…、すぐに出発だろ? 後回しにしたら、もう来れないんじゃない?」
名残惜しそうなユズルヒノに、そうでもないんだ、とジュニアが言う。
「そうでもないって、どういうことです? お兄さん?」
ユズルヒノの代わりに質問したカオルヒノに、ジュニアが答えた。
「これから、調べにいってみないとわからないんだが、もう少し、火星滞在を延ばさなけりゃならないかもしれない」
「調べるって、何を?」
「火星の地上基地」
すぐ近くなんだ、と言うより早く、ジュニアはもう歩き出していた。
火星基地は資源採掘精錬用の基地で、実際にはダイモス側の管制で制御されている。
もともと小宇宙船を建造するために建設されたものだが、その後、宇宙船の建造にも利用された、由緒ある施設なのである。
ひさしぶりに客を迎え入れた火星基地は、かつてタケルヒノが訪れたときのように、機能停止して休眠状態にあった。ただ、保全のケミコさんたちは基地内を闊歩していたので、全機能停止していたわけではないのは明らかだった。
「ああ、やっぱりそうだ」
ジュニアは管理コンソールにアクセスするなり声を上げた。
「何が、どう、やっぱりなんですか?」
問うカオルヒノに、ジュニアはコンソールの表示を指し示した。
「燃料がカラだ」
「燃料?」
「資材運搬用ロケットのだろ?」
横からユズルヒノが口をはさむ。
「水素は火星にはないからなあ」
そういうこと、とジュニアはユズルヒノの言葉を肯定した。
「たぶん、木星からでも運んできてたんだろ。多めに貯めこんでたみたいだけど、宇宙船の建造で尽きた、って感じだな」
「木星から運んできたの?」
「第一光子体がな」
ジュニアは倉庫のほうを指さした。
「燃料さえあれば、火星は重力も小さいし、ダイモスへの資材運搬はロケットが楽でいい。だが、その燃料が尽きてしまった。ダイモスまでロケットを飛ばせないから、資源ストックが倉庫いっぱいになって、それで精錬も止めてしまった。このままだと、ちょっと面倒だな」
「何が面倒なの?」
アンヌワンジルがたずねた。
「ダーは資源は足りてる、って言ってたけど」
「もちろん宇宙船には、火星の資源は必要ありません」
ジュニアに代わってカオルヒノが答えた。
「資源が必要なのは、ザサンなんです。火星というかダイモスで、ザサンは改修されなければならない」
「ザサンが? どうして?」
「ザサンは、いまのままでは、胞障壁を超えられません。だから、ダイモスで改修しなければいけないんです」
「ザサンは、航宙船として設計されたのじゃなかった? それが胞障壁を超えられないって、いまのままでは無理って、どういうこと?」
「まあ、落ち着いて、アンヌワンジル」
そう言ったのは、エイオークニだ。
「この件については、私にも少なからず責任はあるので…。私が言うのもなんですが、ザサンの構築委員会というのはヒドイもので、第2類量子コンピュータが胞障壁物理学の産物であるにも関わらず、構築委員の誰ひとりとして胞障壁のことを知らないというありさまなのです。ザサン自体は基本設計が情報キューブにありますし、ジュニアが大枠を修正してくれたので大丈夫だろうとは思います。ただ、現時点のザサンでは航宙船としての能力に欠ける。ザサン自身が自分を胞障壁が超えられるように改修しなくてはならない」
「そういうことって、できるものなのですか?」
「できますよ。第2類量子コンピュータですからね。最終的にはザサン自体が答えを見つけ出すでしょう」
「だいたい、兄ちゃんはザサンを甘やかしすぎなんだよ」
ユズルヒノがぼやく。
「あんまり、手取り足取りじゃあ、できあがったときに三文安だぞ」
「そういうなよ」
ジュニアは、照れ隠しなのか、ニヤリと笑った。
「そりゃ、ほっといてもザサンは、ちゃんとやるだろうけど、手助けすれば時間の節約にはなる。どちらかというと間に合わないほうを心配したほうがいい」
「そんな切羽詰まってるのか?」
「どうだろな」
そのことについて、ジュニアは肯定も否定もしなかった。
「よくはわからんが、間に合わないよりは、間に合うほうがいいと俺は思うぞ」