ダイモス
「ダイモスに行く?」
ミーティングルームには、ゴーガイヤを除いた全員が集まっていた。もちろん、ザワディもいる。実はゴーガイヤも誘ったのだが、「俺いイ」と農場から出てこなかった。
「資源は足りてはいるけど、あそこは設備も整っているし、寄って悪いことはないですね」
ダーは言いながら、いたずらっぽい目でジュニアを探っている。
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
「まあね」
と、うそぶくジュニア。
「ダイモスもいいけどさあ。火星も降りようよ」
ユズルヒノがぐずり出した。
「この間、姉ちゃんの家に遊びに行ったときは、時間がないからって降りられなかったんだ。またいつ来れるかわかんないし、降りようよ」
「あたしも火星行ってみたい」
とアンヌワンジル。
「ああいう重力圏の惑星はファライトライメンにはあまりなくて、ものすごく熱いか寒いかで極端だったから、その…」
「岩山登り?」
「そう、パパが、火星は楽しい、って」
とびきりの笑顔にかわったアンヌワンジルに、カオルヒノも応じた。
「良いですねえ。ワタシ、自分が体を動かすのは苦手ですけど、他の人がそういうことするの見るのは大好きなんです」
「ダイモスの用がすんでから火星に行けばいいさ」
ジュニアも反対はしなかった。
「ダイモスまで行ったら、火星に降りるのなんてすぐだ。逆に寄らない理由がない」
「火星ですか、楽しみですね」
などとエイオークニまで言いだしたので、ダーがいぶかしげな顔でたずねた。
「あなたも降りるんですか?」
「いけませんか?」
エイオークニは驚き、そして、ちょっと寂しそうな顔でダーに問い返した。
「いけなくはないけど…、いまさら火星?」
「だって、私は一度も火星に行ったことないんですよ」
エイオークニの必死さが、ありありと伝わってくる。
「一度くらい、行ってみたいですよ」
「ああ、まあ、そう言われてみれば、そうだけど…」
ちょっと間をおいて、ダーは微笑んだ。
「あなた、あいかわらずおもしろいですね。…不思議な人」
「不思議じゃありません。普通です」
笑うダーに、エイオークニは憮然と返した。それを見て、ダーがまた笑った。
火星の衛星ダイモス。
ダイモスには宇宙船を建造した宇宙基地がある。宇宙船は、初めて胞障壁を超えた航宙船だから、ダイモス基地も、それなりに手を入れても良さそうなものだが、太陽系政府というか、実質、地球合議体の勢力範囲が、いまだ地球引力圏の外まで達していない。他の胞宇宙からの来訪者も光子体以外はほぼ0に等しいため、ダイモス基地は、ほったらかしの状態だった。
「なあ、兄ちゃん」
ダイモスに接続したエアロック、宇宙船の最終ゲート手前で、ユズルヒノがたずねてきた。
「エイオークニ、って、どう思う?」
「どうって言われてもなあ」
ユズルヒノの質問の意図がわからない。ジュニアは、てきとうにはぐらかした。
「まあ、普通に変な人だと思うよ」
「変か?」
「変だよ」
ふーん、とユズルヒノは、腕組みしながら考えている。
「じゃあ、ばあちゃんとくっつけちゃっても大丈夫かな」
「何の話しだよ?」
「ザサンの友だち、って話しがあったじゃないか」
「あったけど…、何の関係があるんだよ?」
「兄ちゃん言ったろ? 第2類量子コンピュータには第2類量子コンピュータの友だちがいたほうがいい、って」
「ああ、そうだな」
「でも、ばあちゃんは最初の第2類量子コンピュータなんだ。だから、ちょっと特別で、なんていうかな、あとからできた第2類量子コンピュータだと友だちになりにくい」
「ああ、まあ…、言いたいことは、なんとなくわかる」
「でも、人間じゃあ、友だちはむりだよな?」
「無理だ」
「でも、変な人間なら、人じゃあないのだから、なんとかなるかな、って思ったんだ」
「…お前、かしこいな」
「だろう? で、うまくいくと思うか?」
ユズルヒノは、ジュニアのヘルメットのバイザーをのぞき込むように、上目づかいでたずねた。
こんなこと、聞かれたほうのジュニアだって、困る。
「こればっかりは、わからんなぁ。エイオークニがどれくらい変な人間で、あとはダーがどれくらい変なコンピュータなのか、まだ俺にもよくわからないからな」
「そうだなあ」
ユズルヒノは胸の前で組んでいた腕をほどくと、上に向けて背伸びした。
「ま、あたたかく見守るしかないか。もともと変な人間と変なコンピュータなんだから、うまくいかなくたって、だれも驚きゃしないしな」
「この施設をザサンの完全管理下におけばいいのですね」
カオルヒノがヘルメットをジュニアにくっつけて、直接振動を介してたずねてきた。
「ああ、そうだ」
ジュニアが答えると、カオルヒノはコンソールを操作して、ダイモス基地の全権限をザサンに移譲する。ザサン側の暗号化回線に同調させたので、暗号解除には第2類量子コンピュータ以外だと、文字通り無限大の時間がかかる。火星の地上基地はもともとダイモス側の管理にあるので、少なくとも太陽系の第3惑星と第4惑星軌道内のすべては、ザサンが掌握したことになる。
「やってしまってから言うのもなんですけど」
カオルヒノはころころと笑う。
「こんなことして、誰か怒ったりしませんか?」
「怒るやつなら山ほどいる」
ジュニアはすっとぼけた。
「怒ることしかできないけどな。俺たちもすぐここからいなくなるし、ザサンは残るけど、もうやつらに手出しはできない」
「やつら、ってどんな方々ですか?」
「知らないよ。興味ないし。文句があるんならそっちからこい、って話しだ。直接追いかけてくるんでもなけりゃ、相手する気はないな」
「追いかけるって、ワタシたちを?」
どうやって? とカオルヒノが、心底、不思議そうな顔で問う。
「知らん、それこそやつらが考えることだろ?」
「まあ、そうですね」
カオルヒノは、笑うのをやめた。
「さあ、お仕事も終わりましたし、いったん帰って、火星に降りる準備をしましょう。おなかがすくとたいへんだから、降下前に間に合うようにおばあさんがお昼を作ってくれてるはずです」
「昼めしは何だろうな」
「サンドイッチだって言ってましたよ。たまごサンドとトマトサンドです」
「トマト、か」
トマトと聞いて、ジュニアは急に、ゴーガイヤのことを思い出した。
「ゴーガイヤは、俺がトマトを食べてると、じっと見てるんだ。それで、食べ終わるとほっとしてる。いったい、あれは、何なんだろうな?」
さあ? とカオルヒノも小首をかしげた。そして、宇宙にはよくわからいないことがたくさんありますからね、などと、もっともらしく言うのだった。