霜月組
魔物や妖怪と言った異形の者と戦い、人の世の平穏を守る組織がある。
それは結社であったり、一族であったり、一派であったり、衆であったり、団であったり、隊であったり、党であったりするらしい。
そして、俺が折部凛によって案内されたのは、霜月組という立派な日本屋敷だった。
「こいつはまた、難儀なもんを拾って来たわねえ。えぇ? 凛」
「あっはっはっ」
「あっはっはっ。じゃあないわよ、まったく。前々から突拍子もない子だとは思っていたけど、こいつは想定外よ。予想外すぎる」
日本屋敷には似付かわしくない洋風の机に肘をついた女性。見た目の年齢からして三十代から四十代ほどのその人は、頭を抱えるように顔の半分を手の平で覆い隠した。この人こそが、霜月組の頭であるところの霜月律子さんだ。
「心臓が止まってるのに生きている。自我もある。言葉を話す。話を理解する。動く。腐らない。オマケに聖水を浴びても平気。そんなリビングデッドなんて未だかつて見たことも聞いたこともない」
心底、面倒臭そうに述べた霜月さんは、俺のほうをちらりと見る。
「そして、何よりも問題なのがその捕食という能力。手の平が掠っただけで身体の一部を持って行かれるイカレた能力だわ。しかも、食った分だけ生命力となって糧となる。瞬時に再生すら可能。これが他の奴等に知られたら大騒ぎよ。分かってる? 凛」
「そりゃ勿論。だから連れて来たんだ、ここに」
その返答を聞いて霜月さんは一際大きな溜息を吐いた。
気怠げな顔をして、おもむろに懐から煙草を取り出すと、火を付けて紫煙を燻らせる。吐き出された煙が空気と混ざり合って雲散霧消する頃には、その表情も幾らか和らいでいた。
「朝から晩まで煙吸ってると肺ガンになるぜ? 姉御」
「リスクが高まるだけ、そうでしょ? 煙を吸っていようと吸っていまいと、レントゲンに影が写る奴は写るし、写らない奴は写らないのよ。私は写らない」
「肺は影みたいに真っ黒だけどな」
からかうように折部凛が言い「うるさい」と霜月さんが言う。
端から見ている分には親子のように思えるやり取りだ。苗字が違うし、折部凛も姉御と呼んだことから、実際のところは違うはずだけれど。でも、なんというか、すごく仲が良いようにみえる。
「まぁ、とにかく事情は把握したわ。こう言う事例が出てきた以上、放って置く訳にもいかない。この事は私のほうで何とかしてあげる。でも、いつかは確実に問題になるし、火種は一度ついたらなかなか消えない。そうなったら、しばらくは日陰の生活を送ることになるわ。覚悟だけはしておきなさい。あと、監視も付けなきゃね」
霜月さんは今一度、大きく溜息を吐く。
「あぁ、それと何から何まで上げ膳据え膳って訳にも行かないから、坊やにも仕事をしてもらわなくちゃね」
「それは、あの魔物や妖怪の退治ってことですか?」
「そうよ。いや?」
「いえ、やらせて貰います。今はとにかく、生命力を集めなくちゃあならない状況なので」
どの道、生き返るためには魔物や妖怪との戦闘は避けられない。その一環でこの霜月組が後ろ盾になってくれるのなら、これほど都合の良いこともない。精一杯、頑張らせてもらうとしよう。
「そう、話が早くて助かるわ。それじゃあまぁ、今日は帰ってもらって結構よ。諸々のことはまた後日、改めて知らせるわ。凛、坊やをそこまで送っておやり」
「はいよ」
そうして話は終わり、俺は折部凛に連れられて渡り廊下にでる。
月光に照らされて神秘的に写る枯山水を横目に折部凛の背中を追いかけた。その後、時刻が時刻だからか、誰とも擦れ違うことなく、玄関口にまで到達する。だが、そこで待ち受けていた者がいた。
いや、者というよりかは、獣と言ったほうが正しいか。
「……パグ?」
揃えて置いていた靴の上に、一匹の犬が丸まっていた。
皺だらけの面構えに、垂れた耳。だるだるの皮。濡れた鼻。それは紛れもなく、普段からよく目にする犬種のパグだった。どうしてこんな所にパグが? そう思い、その両脇を掴んで持ち上げる。どうやら眠っていた訳ではないらしく、目が合った。
「なんでこんな所に」
「そいつがあんたの監視役さ」
「このパグが?」
どう見ても普通の犬にしか思えない。特殊な訓練を受けているとか? しかし、なんでまたパグに。その方面に無知だから、勝手なイメージでしかないけれど。こう言うのはもっと大型の犬がやるものなんじゃあないのか? ゴールデンレトリバーとか。
そう疑問に思っていると、何処からともなく声が聞こえてくる。
「おう、坊主。いつまでも持ち上げてないで地面におろしちゃくれないかい」
年季の入った渋い男性の声がして、その声の主を探そうと周りを見渡した。だが、しかし、どうしたことか姿が見えない。この場に居るのは、俺と折部凛と、このパグしかいない。なのに、この声は一体どこから聞こえてくるんだ?
「どこを見てる。てめぇの手元だよ」
そう言われ、手元に目を移す。そこには当然ながらパグがいた。
「そうだ。俺だ。俺が喋ってんだよ、坊主」
言葉と同じタイミングで開く犬の口。それはまるでこのパグが、人の言葉を話しているように見えた。
「……疲れてるのかな? 俺。パグが喋っているように見えるんだが」
「その通りだよ。そいつは人の言葉を話すんだ」
「マジか」
「マジだ。いま見たろ?」
妖怪、グール、鬼と来て、今度はしゃべる犬か。
もう何でもありだな。この驚きにも慣れてきた。
「これから坊主の監視をする銀だ。いい加減、下ろしちゃあくれないかい」
「あ、あぁ、悪い」
言われた通りにしゃべるパグ、銀を静かに足下においた。
しかし、見れば見るほど不思議だ。何がどうなれば、パグが人の言葉を話すようになるんだろうか。そもそも本当に犬なのか? 犬の姿をした別の何かにしか見えない。妖怪か、それとも魔物か、疑問は尽きない。
「これからしばらく、この銀が誠一郎の監視役だ。四六時中、一緒にいるんだから仲良くしときなよ」
「あぁ、仲良くはするけれど……四六時中か。親が許すかな」
今まで捨て犬を拾ったことはなかったけれど、両親が首を縦に振るとは限らない。二人ともいい歳をした大人だ。生き物を飼う大変さとか、躾けの面倒臭さをよく理解している。それを押し切って了承を得るのは至難の業だ。
「あぁ、その辺はたぶん問題ないぜ」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「家に帰ってみればわかるって」
「うん? まぁ、此処で悩んでもしようがないか」
良く分からないまま頷いて、ぺしゃんこになった靴に足を通す。
「……生暖かい」
パグ、銀が上で丸まっていたから妙に暖かい。
まるで豊臣秀吉、いや、この場合は木下藤吉郎か。
「おう、なにしてる。さっさと行くぞ、坊主」
靴を履き終えると、先だって引き戸の前まで移動した銀に急かされる。
相手は犬で、パグだ。なのに、渋い声のせいか年季の入ったおっさんを相手にしている気分になる。なんというか、色々な要素が相まって不思議と逆らう気になれない。今ならどんな言葉で罵られても、軽く流せる気さえする。
「それじゃあな、誠一郎。また明日」
「あぁ、また明日」
玄関の引き戸を開けて外に出ると、折部凛から別れの挨拶が飛んでくる。だから、一度振り返って返事を返して一人と一匹は、夜空の下へと繰り出した。
銀は仕切りに俺のほうを振り返りながら、曲がり角に差し掛かるたび「どっちだ?」と訪ねてくる。道が分からないなら俺の後を付いてくれば良いのに、と思いつつ、聞かれるたびに返事をした。そうして歩きながら、我が家へと到着する。
銀を最初にみた母さんの反応は「拾って来た場所に返してきなさい」だったけれど。銀が「任せろ」と言うので両手で担ぎ上げて突き出してみると、意外なことに母さんはコロッと意見を変えた。
どうやらパグ特有の円らな瞳にやられたらしかった。中身はおっさんだと言うことを知らなければ、簡単に籠絡された母さんを微妙な気持ちで見ることもなかっただろうに。
そんなこんなで、銀との生活が始まりを告げた。