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二十秒


「聖水ってのは、こんなに利くもんなんだなァ。酸をぶっかけられた気分だ。まぁ、もう治ったがな」


 二十秒ほどの時間稼ぎを決心した頃、殺人鬼は聖水による浄化作用に耐えきっていた。その体表から立ち上っていた煙が消え、熱した鉄に水を浴びせたような音はもうしない。全快したと見るべきだ。

 聖水の効果で動きが少しでも鈍くなったなどと、淡い期待を抱くべきじゃあない。


「んんー? お前ら何を企んでる?」


 一人、折部凛の前に出た俺を、殺人鬼は訝しんだ。


「教えてくれるとでも思ったか」

「ふん……まぁ、いいさ。ぶっ潰せば、それで済む話だッ」


 その鬼の足で、鬼の脚力で、殺人鬼は駆け抜ける。対するこちらも人成らざる脚力で迎え撃ち、公園の中心部にて激突した。


「思い馳せし絡新婦じょろうぐも。水面に濡れし、蜘蛛の糸」


 先手を打ったのは殺人鬼だ。奴は突然、地面を滑ったかと思うと草刈り鎌の如く足払いをかけてくる。それを躱すために跳躍して空中へと逃れるが、それは相手の思う壺だった。跳び上がったことで格好の的になってしまい、追撃がくる。

 鬼の爪が突き放たれ、鬼の腕が唸りを上げた。

 直線を突き進んだ鬼の爪にな辛くも反応して捕食したはいいが、しかし次の攻撃に反応が遅れる。突きに気を取られすぎて、鞭のように撓った鬼の腕に、一瞬、対応が間に合わない。

 脇腹を強く打った鬼の腕を、その直後に捕食したが生まれた勢いは殺せない。直ぐに身体は地面と平行に吹き飛び、公園の遊具に激突する。背骨に鈍く響いた痛みを無理矢理かみ殺し、負傷を再生させながら体勢を立て直す。


「絡み付き、絡み取り、固く結びて決して解くなかれ」


 邪魔な俺を排除した殺人鬼は、一直線に折部凛へと向かっている。此処から駆け付けたのでは間に合わない。危機的状況を前にして、しかし死を奪われたことで鈍化した感覚が功を奏す。焦ることなく、狼狽えることなく、冷静に頭が回転し、その対処法を思い付く。


「これでもッ!」


 今まさに衝突した遊具。公園に必ずと言って良いほどある、シーソー。その長細い板を土台から強引に引き剥がし、接合部分を破壊する。


「――食らえッ!」


 そして、投げ付けた。

 一直線に目標へと向かったシーソーの板は、見事に敵の意表を突く。いくら殺人鬼と言えど、遊具が飛んでくるとは思うまい。殺人鬼はろくな対処も出来ずに、シーソー板に襲われる。その身に生じた予想外の衝撃に押し出され、今度は奴が地面を転がった。


「拘束せよ。捕縛せよ。絡めて離すな。四肢を縛りて水底へ誘え」


 時間稼ぎが終わるまで後少し。

 畳みかけるために地を蹴った。全速力で殺人鬼にまで肉薄する。あと数メートル近付けば間合いに入る。そこで、その時点であることに気が付く。今だ立ち上がらない殺人鬼の違和感に。そして、その鬼の手に何かを握り込んでいることに。


「しまっ――」


 殺人鬼が行き着いた場所、転がって停止した場所、そこは砂場だった。


「気付くのが遅いんだよォッ!」


 咄嗟に瞼を閉じようとするが、間に合わない。勢いよく散布されたモノ。正体は砂だった。至って原始的な目潰しだ。子供騙しのような単純な手だが、ものの見事に嵌まってしまい、俺は痛みと共に視覚を失った。

 目に走る痛みに怯む。その隙を殺人鬼は見逃さない。

 胸に、心臓に、異物が入り込んでくる。鋭く、無骨で、不快な何か。それは俺の皮膚を裂き、肉を抉り、肋骨を折り、肺を傷付け、心臓を破壊し、背中にまで突き抜ける。

 喉の奥から込み上げる血を吐き捨てた。その赤の滴りが落ちる様を眺めていると、自分の身体が浮いていることに気が付いた。鬼の腕に貫かれた後、持ち上げられたと知る。

 自分よりも下の位置にある殺人鬼の顔は、酷く歪んでいた。目潰しの影響で霞みがかる視界でも、それが笑みだと分かる程度には、その表情は禍々しいものだった。


「これで死ぬのは二回目だなァ。どうだ? また生き返るのか?」

「――はッ! はッはッはッ!」

「あん?」


 血反吐を吐きながら、笑う。

 殺人鬼の勘違いを、見当違いを、大いに笑った。


「悪いな。ここは元から動いてないんだよ」


 自身の胸を貫いた鬼の腕を掴む。


「二十秒だ。たしかに、稼いだぞ」


 そして、時は来た。長い長い二十秒が、たったいま過ぎ去った。


「あぁ、大したもんだぜ。誠一郎、あんたは勝ったんだ」


 その言葉の続きを紡ぐように、折部凛は叫ぶ。


不逃結界ふとうけっかい水網縛衣すいもうばくい


 そう言葉を紡ぎ終えると、瞬く間に変化が起こった。

 土の地面が変わり果て、水面へと置き換わる。何処までも深く見える底知れぬ水の底。そこから水面を越えて殺人鬼に絡み付くは、数えるのも億劫になるほどの蜘蛛の糸だった。

 糸は幾重にも張り巡らされ、網となり、衣となり、殺人鬼の総てを拘束する。そして、ほんの少しだけ水底みなそこへと引きずり込む。ちょうど膝の辺りまで。


「なッんだ、これはッ!」


 殺人鬼はその剛力をもって蜘蛛の糸を引き千切ろうとする。しかし、鬼の力を持ってしても、その糸が切れることはなく。それどころか、すこしの綻びさえも見受けられない。あの蜘蛛の糸は、糸で出来た衣は、完全に殺人鬼を拘束していた。


「結界だよ。装備が装備なもんだから、出来損ないだけれどね」

「出来損ない、だと」

「そう、これはこのまま水底まで引きずり込んでお終いな結界なのさ、本来ならね。でも、今は縛り付けるだけで精一杯だ。あぁ、でも勘違いしないほうがいい。私が此処で、この剣を突き立てている限り、あんたに自由はない」


 見れば、折部凛の周囲にだけ公園の地面が残っていた。後はすべて水面だ。それ以外には空しかない。別世界にでも来た気分だが、けれど結界の中にいる。そう考えると、納得も出来た。


「誠一郎、私は此処から動けない。手柄はくれてやるぜ。良いとこ持っていきな」

「あぁ、そうさせてもらう」


 胸を貫いた腕を捕食し、自由を得る。身体に空いた穴は、すぐに塞がった。

 過度な運動と傷の修復で、残存する生命力が底を尽きかけている。だから、補充するとしよう。この殺人鬼を、捕食することで。


「俺は……死ぬのか」

「あぁ、死ぬよ。自分が殺した相手に、殺されるんだ」

「そうか……そいつも、悪くはねェかな」


 蜘蛛の糸に拘束され、身動きの取れない殺人鬼へと手が伸びる。すこしの困難もなく、容易く辿り着いたのは、奴の無防備な額だった。


「遺言はそれだけか」

「あぁ……でも、もっと暴れたかったなァ」


 その言葉を最後に、殺人鬼の姿が掻き消える。

 この手に宿った捕食の能力は、一切の慈悲もなく総てを平らげた。殺人鬼は存在ごと生命力へと変換され、俺の肉体に隅々まで行き渡る。そうして目の前に残ったのは、水面にたゆたう衣の形をした蜘蛛の糸のみ。

 やることリストその一、殺人鬼の捕食。終了だ。


「終わったか」


 そう、誰に言うでもなく呟いて、後ろを振り返る。

 この目に協力者である折部凛を収めた時、俺は予想外の言葉を投げ掛けられた。


「待て、誠一郎。頼むから、そこを動かないでくれ。あんたを攻撃したくない」

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