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邂逅


「無糖と微糖、どっちがいい?」

「微糖」

「あいよ」


 がこん、と音が鳴って自動販売機から缶コーヒーが落ちる。それを拾い上げた女は、公園のベンチにまで戻ってくる。そしてそこに腰を下ろした俺に、微糖の缶コーヒーを手渡した。


「苦いのダメなのか?」

「飲めなくはないけど、好き好んで苦いのなんて飲みたくないんだよ」


 無糖のコーヒーが飲める俺って格好いい。は、中学と一緒に卒業した。あまり思い出したくない過去の一つだ。


「はっはー、正直な奴だな。えーっと」

「真事疑誠一郎」

「誠一郎か。私は折辺凛おりべりんだ。凛でいいぜ、よろしくな」


 夜中に剣を振り回すような女とは、正直よろしくしたくない。けれど、一応は相槌を打っておく。話を円滑に進めるため、少々のことは気に止めないことにする。

 貰った缶コーヒーの飲み口を開けて一口分、喉に流し込む。味はあまりしない。風味は仄かにしか感じない。甘味もしないから、すこし苦い水を飲んだ気分だ。半生半死と成って、成り果てて、味覚も嗅覚も痛覚も、感覚という感覚が若干、麻痺しているように鈍い。

 これじゃあ無糖を選んでいても、結果は変わらなかったかな。


「どうした?」

「いや、なんでも」


 俺の表情の変化に目敏く気付いた折部凛に、そう返事を返す。生きた心地がしない。そんなことを言っても、何にもならない。

 それよりも本題だ。情報収集という目的が俺にはある。やることリストその一、殺人鬼の捕食を達成するために、俺はこの折部凛から情報を聞き出さなければならない。それにこの先も妖怪の捕食を続けるなら、彼女の正体も知っておいたほうが都合がいいはずだ。

 夜風に流された雲がまた月を隠した頃、話は動き始める。


「グールってのは、一体なんなんだ? 屍食鬼、だっけ」

「えーっとだな。たぶん、信じられないだろうけど、世の中には魔物って存在がいるんだ。所謂、お化けやバケモノって奴だ。妖怪って言ったほうが伝わりやすいかもな」

「妖怪」

「そっ。あー、でもゾンビって言ったほうが、この場合いいかもな」


 やはりグールはあのゾンビのことだったか。


「で、そいつらと戦って滅するのが私達の仕事だ。だから、こうして帯剣してるし、年がら年中、魔物や妖怪のケツを追いかけ回してる」

「それは……なんだ、職業なのか?」

「職業と言えなくはないかな。正確に言えば、陰陽師だの、退魔師だの、祓魔師だのと色々と名称はあるんだけれどさ」

「にわかには信じがたい話だな」


 不睡に死を奪われていなければ、きっとこの言葉を本気で言っていただろう。

 お化け? バケモノ? 妖怪? この女、危ない宗教にでも嵌まっているんじゃあないのか? そんな風に、奇異の目で見ていたに違いない。今となっては、半生半死になってからは、もうそんな自然な考えが出てこない。

 口先だけで普遍を装い、ただただ投げられた言葉をキャッチボールみたいに受け取るばかりだ。


「なら、あの変な水が入った瓶。あれも攻撃か何かなのか? そのグールって奴への」

「あぁ、そうさ。まさか普通の人間に当たっていたなんて思いもしなかったけどね。しっかし、あのグールは何処行ったんだろ? 気配がまるごと消えてたし……」


 ここで俺が食ったって言ったら、どんな反応をするのかな。

 そんな馬鹿な真似はしないけれど。


「にしても、瓶を投げるなんて随分原始的なんだな」

「まぁね。でも、瓶はオマケなんだぜ? 本命は中の水」

「水が?」

「そう。あんたも聖水って言葉くらい聞いたことあるだろ?」


 聖水。魔を祓い、穢れを祓う、普通の水ではない、特別な聖なる水。深くは知らないが思い浮かべたことと事実に、そう大きな違いはないと思う。ゲームや漫画の影響で、知名度はかなり高い。


「その聖水を使うと、グールが倒せるのか?」

「大抵はね。穢れを祓う霊験あらたかなお水様だ、悪しき者はたちまち浄化されて御陀仏さ」

「どんな風に?」

「そりゃあ、こう、ジュワッとだよ。モンスターパニック映画に出てくる被害者よろしく、凄い勢いでグールが溶ける。あいつら元から腐ってっからなー。すぐに溶けて骨も残らないんだ。あぁ、でも人には無害だから安心してくれ」

「そう、か」


 穢れを祓う聖水。悪しき者が浴びれば消滅する。

 その存在を知って、安堵する自分がいた。自分とゾンビ――グールが、同じではないと分かったからだ。聖水を浴びたグールは浄化されて消滅する。でも、俺はそうはならなかった。頭から聖水を浴びても何事もなく、平気でいる。


「はっ! はははっ!」


 穢れた存在じゃあない。悪しき者でもない。

 そうと分かって随分と気が楽になった。こんなに良い気分になるのは久しぶりだ。感情を抑えようにも方法が分からず、ついには口から声となって出て行ってしまう。


「どうした、どうした? もしかして瓶の当たり所が……」

「いや、違うよ。そうじゃあない。ちょっと嬉しいことがあってさ。うん。それだけだよ、本当に」


 折部凛は、けれど怪訝そうな顔をしたままだが、俺はとても愉快な気分だ。

 缶コーヒーの残りを総て一気に飲み干して、ベンチから立ち上がる。見上げた空は、心なしか何時もより綺麗に映る。月が、星が、これほど美しく感じることなど、今後もう一度あるか無いかだ。俄然、やる気が湧いてきた。

 はやく、はやく生き返りたい。そう、柄にもなく星々に願う。


「そう言えば、あんたはどうしてこんな夜中に――」


 言葉は途切れ、聞こえなくなる。正確には、聞けなくなった。

 身体は押し寄せる衝撃に耐えきれず宙に浮かんだ。浮遊感など感じる間もなく、そんな余裕もなく身体が地面を滑空する。辿り着いた先は、公園を仕切る柵。鉄格子とも取れるそれに衝突し、肺の中の空気が総て外へと押し出される。


「誠一郎ッ!」


 腕が、右手が動かない。二の腕から捻れて関節が真下を向いている。

 足が、左足が動かない。骨が砕けたのか、爪先が在らぬ方向を向いている。

 背骨の辺りに鈍痛が生じた。腹部にも痛みと身の内側を掬われるような感覚がある。左手を自分の腹部にまで持っていくと、有るべき物がそこになかった。俺の胴体、腹部には肉がなく、大きな風穴が空いていた。


「な……にが、おこった」


 視線を上げる。目を自分の身体から、公園のほうへと向ける。

 そうして視界に収まったのは抜刀してこちらに背を向けた折部凛と、もう一人。自らの片腕を異形のモノへと変貌させた、見覚えのある男だ。俺はあの男を知っている。桜の花弁が舞い散る中で、俺はあいつに殺された。


「くそッ――たれがァァァァッ!」


 喉の奥から込み上げる血を吐きながら、獣のように叫ぶ。

 またか、またなのかと咆える。いったい何度、幾度、俺を殺せば気が済むんだ。爆発した感情は止まることを知らず、荒れ狂う濁流となって口から放出される。それを塞き止めることは出来なかった。


「待ってろ……今すぐ、食らってやるッ」


 ため込んだ十日分の生命力を全身に注ぎ、肉体の修復を開始する。

 風穴の空いた胴体に肉を詰め込んで埋め立てた。前のめりとなり、地面に付いた捻れた右腕が、逆再生のように回転して正位置に戻る。在らぬ方向を向いた左足で地面を踏みしめ、砕けた骨に芯を通す。

 立ち上がる。傷を、怪我を、負傷を再生しながら無理矢理にでも立ち上がる。今、折部凛と戦っている殺人気の元へと向かうために。

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