一対の黒翼
「随分と苛立ってたみたいだな」
廊下を走り、階段を駆け上りながら先行する銀に問いかける。
「あぁ。そもそも簡易的な降霊術で、あんな強力な妖怪は降霊しない。大半は低俗霊が呼び出され、人の死に直結することはねーんだ。本来はな」
「じゃあ、なんで今回は?」
「神無月の小倅がいたからだよ。あの馬鹿野郎は腐っても神無月の一族だ、潜在能力は十二分にある。そんな奴がお遊び気分で降霊術に手を出したんだ。神無月の血筋に呼応して、それなりに強力な妖怪を降霊しちまったのさ」
だから、あれほど苛立っていた。
たしかにそう聞くと、迂闊としか言いようがない。生まれ持った才能を、自覚していなかった訳じゃあないだろう。そうでなければ共闘を願い出たりはしないはずだ。たぶん、恐らく、それが油断に、慢心に、繋がった。
いざとなれば、自分が倒せばいいと思っていたのかも知れない。神無月の誤算は、想定よりも強力な妖怪が降霊し、取り憑かれてしまったことか。
「神無月の一族ってのは……あー、霜月と何か関係があるのか?」
霜月と神無月。どちらも和風名月の名を冠している。
偶然の一致にしては、少々出来すぎだ。
「この日本には十二の組織、団体、それに類する機関がある。霜月と神無月はその十二の中の一部だ。相当、強い権限を持っている。お前が今でもこうして自由に外を彷徨けるのも、霜月の後ろ盾があるからだ。感謝の念は常にもっておけ」
「あぁ、それは重々承知してるよ」
凛と出会っていなければ、霜月の後ろ盾という安全を得ることは出来なかった。これほど効率よく、生命力を集めることも出来なかっただろう。だから、感謝はしている。しけれないほど、している。
それを再確認しつつ、俺達は校舎内を駆け抜けた。そして、到着する。目的である妖狐のもとに。
「さっきよりも、デカい……か?」
辿り着いた先、破壊し尽くされた教室の中心に妖狐はいた。
朱い瞳、金色の毛並み、すらりとした体型に、三つ叉の尾。完全なる姿で降霊した妖狐には、もはや淡さも薄さも儚さもない。ただそこにある脅威として、君臨していた。
「こいつを渡しておく」
投げ渡されたのは、紅桜だった。本当に、何処から取り出されているのか皆目見当が付かない。だが、とにかく鞘をベルトに差し、刀身を抜刀する。それは明確な敵意の表れとなり、妖狐を警戒させた。
「――よし」
意を決して地面を蹴った瞬間、妖狐の敵意が牙を剥く。
それは夜を照らす蒼白い光、妖狐の周囲に点々と現れた複数の炎だ。妖狐はその名の通り、狐火を灯して見せた。そして、それを容赦なくぶつけてくる。飛来する狐火の数々は、避けられるだけの隙間がない。
故に、携えた紅桜で斬り裂いた。
次々と迫る狐火を、鴉天狗の剣術を持って掻き消していく。一つ一つを捉え、正確に刃を入れ、両断する。そうすれば狐火は火花と化して消滅した。雪崩のように押し寄せる攻撃を切り開いて進み、本体にまで辿り着く。
間合いに捉え、その首を落とそうと紅桜を振りかぶる。だが、それは予備動作だけに終わり、振るうにはいたらなかった。
「がッ!?」
強い衝撃に襲われ、教室の壁まで吹き飛ばされたからだ。
壁に激突し、崩れ落ちる最中に考える。今の見えない攻撃には、覚えがあった。ふたたび体験して、思い当たった。かつて桐釘神社で戦った際に体験した、あれに似ている。いや、そのものだ。
神に通ずる力、神通力。この妖狐はあの鴉天狗のように、その力が使えるのだ。
「くそッ、面倒だ」
紅桜の鋒を地面に突き刺して杖の代わりにし、ふらつく体勢を立て直す。壁に激突した所為で少し脳が揺れた。だが、まだ問題ない。この程度なら、俺は大丈夫だ。
紅桜を引き抜いて、杖から武器へと本来の使い方を戻す。そして再び紅桜の間合いにまで踏み居るため走り出す。けれど、今度はその行動自体を神通力で縛られた。俺の身体は走り出したモーションのまま固まってしまう。
これではまるであの時の焼き直しだ。同じ事を繰り返している。
いや、待てよ。あの時、俺はどうやって鴉天狗の神通力を突破した? あの左手に宿った鬼の力は、どうして神通力を突破できた? もしかして、効かないんじゃあないか? 鬼には神通力が。
その可能性の有無を、脳内会議している暇はなかった。
左腕を変える。あの時のように、変貌させる。人から鬼へと、一時的に身をやつす。俺の意志に従い、生命力となって体内を駆け巡っていた鬼の力が左腕に集中する。それは肉体の変化を促し、強制的に作り替え、鬼の左腕を再構築する。
ここに鬼の力は、復活を遂げた。
「奴が逃げるぞ!」
左腕の鬼化。そのことに集中するあまり、妖狐の行動を見逃していた。
妖狐は逃げていた。教室の壁にまた大穴を開け、空へと駆け上がっている。この鬼の力を警戒し、畏怖し、逃げている。やはり、鬼だ。妖狐の弱点は、神通力が通用しない鬼の力。そうと分かれば話は早い。
「追いかける」
左手から、今度は背中へと意識を向ける。鬼の腕を再構築できたのだ。なら、鴉天狗の黒翼も可能なはずだ。体内に宿る鴉天狗の生命力に方向性を付け、一気に放流させる。それは背中から突き抜けて黒く変色し、一対の黒翼を構築した。
「逃がさない」
黒翼の使い方は理解していた。
人が手を上げるのに説明が必要か否か。そう考えると答えは自ずと出て来る。説明は不要、練習も予行も不要。黒翼は手足を動かすかの如く自在に駆動し、俺自身の身体を空へと舞い上げた。




