不可侵
「そう言えば、あの後どうなったんだ?」
「あの後って?」
「ほら、桐釘神社のことだよ。俺、あのあと気を失ってたから知らないんだよ」
鴉天狗に辛くも勝利し、気を失った後のこと。目を覚ましたのは翌日で、場所は霜月組の日本屋敷だった。その後、すぐ学校に登校したので、まだあの桐釘神社がどうなったのかを俺は知らない。
「あぁ、あれな。一応、霜月組の人間が警備してるよ。天狗に神域を狙われたんだ、姉御も気合い入れるさ。今頃、全国各地の神社と寺で同じ事が起こってるんじゃあないかな」
「全国各地で? そんな大事になってるのか?」
「そりゃそうさ。って、あぁそうか。誠一郎はなにも知らないんだっけ」
抱えていた段ボールを下ろしつつ、俺に説明をしてくれた。
「いいか? この世には人の領分と妖怪の領分ってのがある。人の領分ってのが、いま私達が住んでいる土地のことだ。人のものは人のもの、妖怪のものは妖怪のもの。大昔にそう決められて、互いに不可侵であることを誓い合ったんだ」
大昔。まだ妖怪という存在が広く信じられていた時代。それこそ陰陽師と言った妖怪退治の専門家が大衆に認められていた頃の話だ。今よりもずっと妖怪の被害は大きかったはずだし、この誓いがあったから今の平和があるのかも知れない。
「天狗はその誓いを破って、神域を奪おうとした。だから、警戒が必要なんだ」
「でも、そんなの日常茶飯事だろ? 毎夜毎夜と、妖怪が出てきているんだし」
「それとこれとは話が別だ。外国人が日本で罪を犯したら、日本の法律で裁かれるだけだろ? それと同じさ。人の領分で好き勝手した妖怪だけ、人の法に裁かれる。ただそれだけのことだ」
だが、と折部凛は付け足す。
「外国人が武装して宣戦布告しながら日本の領地を奪おうとしたら、どうなると思う?」
「そりゃあ……あぁ、そう言うことか」
「そう、そいつは開戦の狼煙になる。戦争をしましょうってことだ。だから、自衛が必要なんだよ、全国各地に」
俺が思う以上に、あの鴉天狗の襲撃は深刻な事態を巻き起こしていた。人と妖怪との戦争が、その火蓋が落とされようとしている。その切っ掛けとなる所に、俺は当事者として立っていた。戦っていた。
非現実的で、尚且つスケールの大きな話に実感がわかないけれど。とにかく、あまり現状を楽観視するのは止めよう。何もかもが素人な俺は、それくらいでちょうど良いはずだ。
「さて、片付けも終わったし、特訓を始めるぞ。準備はいいか?」
「もちろん」
「よし、それじゃあ先ず霜月組からの支給品を渡そうか。銀」
「あぁ、わかった」
俺達が片付けをしている間、ずっと隅で丸まっていた銀がこちらに駆けてくる。その口には一振りの刀が咥えられていた。それを受け取って鞘から刀身を少し抜いて見ると、刃に俺自身の顔が映る。それほどまでに綺麗で美しい刀だった。
「妖刀、紅桜。そいつが誠一郎の武器だ」
「これが俺の……紅桜、か」
「どうした?」
「いや、桜の木の下だったからさ。殺されたの」
「そう言えば、そうだったっけ。奇縁だな、桜で殺して殺されてか」
この紅桜で妖怪を斬れば、そうなるのか。本当に、奇妙な縁だ。
「でも正直、扱える気がしないな」
つい最近までごく一般的な高校生だった俺に、剣術が使えるはずもない。出来ることと言えば殴る蹴るの単純な攻撃だけだ。それに今ではそれが一撃必殺に近い攻撃力を孕んでいる。捕食能力は、触れるだけで相手を食らう。
下手に斬るより、ずっと効果的だ。
「まぁ、そう言うなよ。剣術は見付けて置いたほうが何かと便利だぜ」
「例えば?」
「例えばー……そうだな」
折部凛はすこし考え込む仕草を見せた後、左手に携えた刀で天井を指す。それに釣られて上を見て見るも何もない。意味がわからずに視線を下げると、信じられない光景が飛び込んでくる。
刀が振り下ろされていた。
刃が降りかかってくる。そう認識してすぐに身体は反応し、咄嗟に紅桜を抜刀して攻撃を受け止めた。刃と刃が交差し、甲高い金属音が鳴り響く。
「こう言う時、攻撃を受け止められるだろ?」
「……冗談キツいぜ」
「大丈夫だって、もともと寸止めのつもりだった」
そう言って、折部凛は刀を下ろした。
たとえ、寸止めのつもりだったとしても心臓に悪い。心臓はもう動いていないが、それでも精神に毒だ。これが生前なら、きっと五月蠅いぐらいに心臓の鼓動が激しく鳴っていたことだろう。本当に、びっくりした。
「それに攻撃可能範囲が伸びる。飛び道具をたたき落とせる。威嚇にも使えるし、敵意を示すにも有効的だ。これ以上近付いたら抜刀するぞ、ってな具合にね」
「たしかに」
そう言えば、鴉天狗と戦った時も徒手空拳で戦う不利を実感した。得物のあるなしでは、かなり戦術が違ってくる。雑魚相手には必要ないかも知れないが、鴉天狗のような強敵と今後戦うなら、剣術は身に付けておいて損はないのか。
「よし、納得が行ったならそいつを構えなよ。今から軽く打ち込むから、防いで見るんだ」
「わかった。やってみよう」
鞘を腰のベルトに射し込んで固定し、紅桜の柄を両手で握る。
こうして構えて見ると、改めて真剣の重さを実感する。体育の授業で竹刀を握ったことがあったけれど、その時とは重量感がまるで違う。寧ろ野球のバットを持っている感覚に近い。だが、それでも重量で言えば真剣のほうが重いだろう。
扱いを間違えると、手元からすっぽ抜けそうだ。