鴉天狗
「しかし、神社にも湧くんだな、妖怪って。神聖な場所なのに」
「神も妖怪も似たようなもんだ。神聖な場所ってのは、それだけ妖怪にも居心地がいいのさ。だから、今回みたいに駆除する必要が出て来る」
「へぇー」
神様と妖怪が似たようなものか。その発想はなかったな。
「とりあえず、だ。終わったことだし、今日はもう帰っても大丈夫だよな?」
「そうだな、初日にしちゃあよくやったほうだ」
「珍しく褒めるんだな?」
「現場に出ている以上、百点満点の仕事をするのが当たり前だ。だが、今日のお前は百一点くらいの働きをしたからな」
「これだけやってプラス一か。厳しいな」
だが、まぁ、褒めてくれるのなら捻くれずに素直に喜んでおこう。
「さて、それじゃあ帰るとするか」
要もないのに、いつまでも境内にいることもない。
爪先を下り階段のほうへと向けて歩く。けれど、その後すぐに銀が付いてきていないことに気が付いた。足を止めて、後ろを振り返る。銀はあの場から、一歩も動いていないようだった。地べたに座り、ただ一点を見つめている。
自然と、そちらへ視線が移った。
その瞬間だった。
「伏せろッ」
その言葉の意味を認識する暇もなく、俺は凄まじい衝撃に身を攫われた。
殆ど無抵抗な状態から吹き飛ばされ、境内を転がり鳥居のすこし手前で停止する。何が起こったのか。それすらわからず、頭には疑問符ばかりが浮かぶ。しかし、とにかく立ち上がろうと無意識に身体が駆動する。
右手を支えにして両膝を地面につく。その時になってようやく俺は気が付いた。
「……なく、なってる」
上体を起こしてみると、なぜだかバランスが悪い。左側が妙に軽い。ゆっくりとそちらを向くと、あるべき場所にあるべきものがなくなっていた。左肩から先が、左腕がごっそりと失われていた。
そのことを、ようやく認識する。
「あ、ああ……あああああああああああああッ!?」
激痛。耐え難い痛みが波のように押し寄せ、頭の中を支配した。
眩暈がする。吐き気がする。腹の奥底が冷たくなる。痛い。痛い。痛い。激痛が、嘔吐感が、嫌悪感が押し寄せてくる。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛くて痛くて堪らない。死んでしまいそうだ。
「はやくこいつを接合しろ!」
微かに届く、銀の声。それを頼りに視線を移すと、銀が人の腕を咥えていた。あれは誰のものだ? いや、違う。あれは俺のだ。俺の左腕だ。
震える指先で失った左腕を求め、手が伸びる。冷たくなったそれを握り、根元を掴み、自分の左肩に押し当てた。
「ぐぅ……あああッ」
一際するどい痛みが走り、左肩の切断面と左腕の切断面が癒着する。そして傷が塞がり、骨が繋がり、筋肉繊維が結び付く。その頃になってようやく、俺の身体の中から、頭の中から痛みの感覚がなくなった。
乱れた息を整え、額の汗を拭う。そして、思う。
「なにが、起こったんだ?」
あの衝撃はなんだ? なぜ腕が断ち切られた? 武器は見えなかった。
「安心するな、奴はすぐそこにいるぞ」
そう言う銀は、やはり一点を見つめていた。睨み付けていた。
今一度、今度は最大限の警戒心をもって、そちらに目を向ける。
「鳥? いや、人……でもない。なんだ、あいつは」
満月を背景に滞空する一匹の、一人の何か。月光を浴びて影に塗られたシルエットは、人の形を模している。だが、奴は決定的に人間とは違うものを持っていた。幅広く伸びた一つの翼。背にそれを持つ奴は、決して人間と呼ぶべき存在ではなかったのである。
「天狗だ」
「てん――あいつがか」
天狗。
目をこらして見た奴は、たしかに山伏装束を身に纏い、一対の黒翼を有している。だが、人に化けているのか、鼻が長くない。顔は至って普通の青年だ。奴は空から俺達を見下している。腰に差した刀に手をかけて。
「奇妙な奴がいたものだ。落とされた腕を接合する者は数有れど、血を流さなかった者は初めてだ。汝、妖怪ではないな? だが、人でもあるまい。何者だ?」
「おい、鴉天狗」
空から降りかかる言葉を遮るように、銀が声を発する。
上空の天狗を、鴉天狗と呼んで。
「お前、どう言うつもりだ? 人の領分を無断で冒した挙げ句、身内に危害を加えるとは何事だ。事と次第によっちゃあタダじゃあすまねぇぞ」
「ふん。汝が、かの有名な犬か。そのような醜き姿に身をやつし、いったい何を望んでいる? まぁ、いい。詮無きことだ」
「質問に答えろ」
「私の使命は、この神域を我らが手中に収めること。そのためなら万難を排してでも、たとえ人間と争うことになろうとも、我らは一向に構わない」
「そいつがお前等の、天狗の総意か」
「如何にも」
その答えを聞いた銀は、なおも天狗の睨み付けつつ小声で俺に指示を出す。
「撤退だ。ここから逃げるぞ」
「倒さなくてもいいのか?」
「奴は鴉だ。剣術と神通力に秀でている、素人に勝てるような相手じゃあ――」
「逃がしはせんぞ」
逃げる算段をつけていると、唐突に天狗の声が通る。それを聞いて舌打ちをした銀は、すぐに背後を振り返り、俺の後ろにある鳥居をみた。釣られてそちらをみると、鳥居の先が黒く塗り潰されていた。
見える筈の空が、街並みが、消えていた。
「野郎、結界を張りやがったな。そうまでして殺しがしたいかッ」
銀が叫ぶ。
結界。そう銀は言った。その言葉には酷く聞き覚えがある。かつて折部凛が使ったものだ。もしあの黒く塗り潰されたものが結界なのだとしたら、俺達はもう逃げられない。あの天狗を倒さない限り、神社から抜け出せない。




