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桜の木の下

 真事疑誠一郎まことぎせいいちろうは死んだ。殺人鬼に殺された。

 四月四日のことである。暦が春とうそぶく肌寒い季節の中で襲われた。朝靄のかかる道路上を追い立てられた。公園に聳える桜の下で喉を抉られ、殺された。人の腕とはもはや言えないほどに、禍々しく無骨に変形した手によって。

 真事疑誠一郎は死んだ。異形のモノと化した殺人鬼、文字通りの鬼に殺された。

 そして、血溜まりの中で目を覚ます。人としてではなく、異形のモノとして。


「ぁああぁあ……ぁあ」


 指先一つ動かせない身体。風穴によって空気が抜けていく喉。機能を停止して鼓動を失った心臓。瞳に映る、血溜まりに浮かぶ紅色の花弁。そのどれをとっても自分がすでに死んでいることは明白だった。

 なのに、どうして俺は目を覚ました。なぜ、痛みを感じない。


「目覚めたようだね」


 血溜まりに波紋が広がる。その中心には、真っ黒な和服を身に纏う子供がいた。

 違う。子供ではない。見た目は子供だけれど、年端もいかず男女の区別も付かない童子だけれど。その中身は違う。肉体と精神が決定的に異なっている。目の前にいる得体の知れない存在は、きっと何百年もの時を生きていた。

 そう、なんの根拠もなく、確信する。


「ぁあああ……ぁああ」

「おっと、まずはその喉を直したほうがいい。言葉が口を通さず、空気のまま喉から抜けている。それじゃあ声じゃなくて隙間風だ。なに、簡単さ。手の平は血液に触れているんだ。後は頭の中で念じるだけでいい。食べたい、とね」


 言っている意味が分からなかった。だが、それが当然であるかのように、その言葉に従った。何も疑うことなく、迷うことなく、意味も意図も理解しないまま、ただ念じた。食べたい、と。

 瞬間、喉に激痛が走る。


「いッ!?」


 思わず声を上げ、直後に気付く。

 いま、言葉を作れたと。


「なにが……どうなって」


 指先一つ動かなかった身体が滑らかに駆動し、右の手の平が喉に向かう。そこには抉られた箇所が存在せず、元のあるべき形をした喉があった。傷口が塞がっている。痛みも、もう感じない。

 再生、した。


「君は自分を食べたんだ。正確には体外に流れ出た血液を、取り戻しただけだけれどね。それで幾らか生命力も戻ったんだろう。だから喉が直ったし、痛覚もある程度は蘇った」

「お前は、誰だ」


 治った喉の使い心地に若干の違和感を覚えつつ、そう問いかける。


「僕かい? 僕は略奪者だよ。略奪を司る、神にも等しい妖怪さ。名前は……そうだな。君の睡りを妨げたから、不睡ねむらずと名乗っておこう」


 不睡と名乗った妖怪が歩く。ゆっくりと歩いて、近付いてくる。地面にはすでに血溜まりがない。血の赤ではなく、土の茶が広がっている。その上を渡って、側に来た。


「俺に、なにをした」

「言っただろう? 僕は略奪者だって。奪ったんだよ、君から死を」


 目と鼻の先にまで来た不睡は、俺の頬に手を伸ばした。

 ひんやりと冷たい手が頬に触れる。その細い指が肌の上を移動し、下唇をなぞる。


「生命を失ったモノから死を奪うとどうなるか。その答えが君だ。正解は、生きているでもなく、死んでいるでもない、半生半死の生ける屍。君はそう言う存在に成った。成り果てたんだ」

「俺は、これからどうなる」

「あっはっは!」


 唐突に笑い出した不睡は背を向けると、子供のように歩いて俺から離れた。その後、くるりとこちらを振り返る。その顔は年相応の無邪気な少年少女のようで、途轍もなく不気味だった。


「さて、どうなるのかな。実は、人間から死を奪うのはこれが初めてなんだ。前々から考えてはいたけれど、禁じられていたからね。だから、これからのことは僕にも分からない」


 でもね。そう、不睡は言う。

 不敵な笑みを、浮かべたまま。


「僕は君に一つ能力を与えている。食べる、という能力をね。食べるということは、己の血肉に変えるということだ。つまり、食べたモノを君は得ることが出来る。例えばそう、生命力だとかね」


 言っている意味は、何故だか直ぐに理解できた。

 他者から生命力、生きる力を、食べることによって奪う。食べるということは、つまり奪うということ。略奪を司る妖怪に与えられた、食べるという名の奪う力。この能力を使えば、失った生に手が届くかも知れない。


「食えば、いいんだな? あの殺人鬼やお前みたいな、人間じゃあない奴を食えば、俺は生き返ることが出来る」

「かも知れない、ということを忘れてはいけないよ。あくまで可能性の話だ」

「十分だ。生き返ることの出来る可能性が、ほんの少しでもあるなら十二分」


 すでに俺は死んでいる。本来なら、こうして意志を、人格を、持ち続けることも出来ない。だが、俺はこうして半生半死という形で存在し続けている。俺はこれを天からの贈り物だと受け取った。天がほんの少しだけ与えてくれた、復活の希望。一縷の望み。

 チャンスは生かさなければならない。


「んふふ。これから君がどうなるか、とても興味深いよ。その食べる能力を上手く使うといい。そうすれば何時かは望みが叶うかも知れないよ」


 そう言いながら、不睡は虚空へと消えて行った。

 後に残されたのは、桜の花弁が美しく舞い散る公園のみ。いま目に映っているのは、何事もなかったかのような平穏だ。殺人証拠の一切が綺麗さっぱりなくなった、子供達の憩いの場。

 ゆっくりと立ち上がる。木の幹を支えに、二本足で立つ。まだ足下がふらつくが、歩けないほど酷い訳じゃあない。


「とりあえず、だ。とりあえず、第一目標を決めよう。まず絶対に食らうのは、あの殺人鬼だ」


 やることリストその一、殺人鬼を捕食すること。

 復讐を兼ねて、殺人鬼の生命力を食べる。食べて、奪う。後悔をさせてやる。悔いの残させてやる。人の生を奪い続ける殺人鬼を、奪われた俺が奪い返すんだ。そして与えてやる。不睡に奪われた死を、殺人鬼に。

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