第01話:異世界への入口
始業にはまだ早い教室。
寮の同室でもある俺の親友は――、
いつもの通り自分の席に座って、綺麗な姿勢で文庫本を読んでいた。
俺は机の側まで駆け寄り、そのままの勢いで声を掛ける。
「ハヤト! ついに見つけた!」
「おはよう、ユウキ。で、なにを見つけたんだ」
俺の名前はユウキ。親友の名前はハヤト。共に高校一年の男子。
ハヤトは文庫本から端正な顔を上げて、女顔と良く言われる俺の顔を見る。
小柄な俺は座っている親友と顔の高さがあまり変わらない。
「異世界への入口だ!」
「ふむ……、どこにあった」
普通なら俺の頭がおかしいと思うのだろう。
しかしハヤトには以前から伝えていた。俺はいつか異世界に行くと。
信じてもらえているとは思っていない。
けれど、ふざけていると受け取らない程度には、
真面目に聞いてくれていたようだ。彼の返答に蔑みなどの負の感情はない。
もちろん俺は真剣に話をしている。嘘を言ってはいない。
「駅の南側にある新しい住宅地。
そこにある貯水池って言うのか、人口の池。その中だ。
今朝のジョギングで何気なくそっちに走っていったら――、
俺の眼が『異世界への入口』って教えてくれた」
「随分と変わったところだな。……で、行くのか」
「あぁ、これから行く。――一緒に行くか」
「もちろんだ」
間髪入れずに返ってきたハヤトの肯定の言葉。
用意していた「ははは、冗談だよ……元気でな」のセリフが喉の奥で止まる。
最後の別れを笑いで済ませたかったから、冗談で訊いただけだったのに。
「……………………えっ? 本当か?」
「なにがだ」
「いや……、こんな話、まず信じられないだろうし……、
それに、これから授業も始まるし……、
生徒会の役員もしているお前がそんな簡単に……」
「何を言っている。ユウキが見つけたのならそれはある。
オレが保証しよう。お前に間違いはない。
そして、あるのなら、それはユウキが望む世界だ。
オレも見たい。行きたい。当然の思いだ。
行けばお前は帰らない。それならばオレも帰らない。
それ以前に帰れるのかどうかもわからないが……。
いずれにせよ、授業も生徒会も関係なくなるじゃないか」
長いセリフを終えた親友の瞳には一点の曇りもない。
真剣な表情で俺に視線を向けている。そこには揺るがない意志の強さが見える。
ハヤトが俺の言葉を信用するのには訳がある。
それは俺の持つちょっとした能力。
いや、SFやファンタジー小説にあるような空を飛んだりとか、
手から火の出る魔法とかなんて大それたモノじゃない。
それは俺の眼。異世界への入口を見つけた眼。
本当に稀にだが、今日のような不思議な能力を発揮する。
見えない中身がわかったり、
見た物の行く末が何となく理解出来たり、
そのモノの真の意味を見極めたり。
ただ、その能力が働いたと自分が気付いたのは、
今日を含めても二十に満たない程度の回数しかない。
それを何度か見せた時があり、荒唐無稽な話も少しは真面目に聞いてくれる。
俺がいつか異世界に行くだろうという話も。
それでも――、
「うっ、そうか、時々怖くなるな、お前からの信頼が……」
「オレたちがいなくなれば、学校側は失踪とかで適当に処理をするだろう。
両親や兄弟に関しては、オレもユウキも何も気にすることはないからな。
必要そうなものを持って、すぐに行こうじゃないか」
「わ、わかった」
ハヤトの頭の中では、全ての用件が解決済みのようだ。
元より俺は全てを捨ててでも異世界に行くつもりだった。
彼の言い分に逆らう必要はないのだが、勢いに押されて怯んでしまった。
まぁ、良い。親友の意志が決まっているのなら否やはない。すぐに動こう。
異世界の入口が気まぐれを起こす前に。
俺たちは隣の席の男子生徒に「頭痛で早退する」と告げて教室を後にした。
持っていくもの。
二人とも寮暮らしの高校生。それほど物は持っていない。
そこから必要そうな物を選び出す。
鉛筆、ノート、十徳ナイフ、ライター、太陽電池式の時計と電卓、服等々。
その後に開店直後のホームセンターに行く、
携帯食料。鍋と水。サバイバルセットと、武器として大型のバール。薬等々。
元より必要以上の物を異世界に持ち込むつもりはない。
俺の望みはひとつだけ。
こっちの世界のモノでどうこうするつもりはないからだ。
一旦寮に戻って、買ってきた物をリュックに詰めるだけ詰め込む。
最後に俺は折り畳み式のスコップを入れる。これが俺の決意の証。
これから行く異世界には――ダンジョンがあるはず。
それは今から一年と少し前。鏡で自分の姿を見た時――、
『あれ、こいつ、ダンジョンがある異世界に行くんじゃないか』
自分でも笑ってしまうような突拍子もない予感。
しかし、あの能力が発動した感覚も同時に在った。
ダンジョンのある異世界に俺は行く――、己の眼が知らせた未来を俺は信じた。
そう、その時に俺は興奮したまま同室のハヤトに話してしまったのだ。
自分の顔を彼の顔に思いっきり近づけて。
多分笑いを堪える為だろう、彼が顔を赤くしていたのを覚えている。
思い出すと恥ずかしさで顔が赤くなる。
俺はその日から、それまであまり興味のなかったゲームや小説を集め始め、
やがてそこに描かれているダンジョンに熱中していった。
もちろん空想のダンジョンと、これから行くであろう異世界のダンジョン。
それが同じだなどと考えてはいないが、それでも自分を止められなかった。
俺がのめり込んだのはダンジョンの探索を夢見たからではない。
一部のゲームや小説にある題材。自分の思うがままにダンジョンを作る。
その想いは小さな男の子が秘密基地に憧れるのと何ら変わらない。
ダンジョンがある異世界に行くのなら、
――もし人の身でダンジョンが作れるのなら俺は作ってみたい。
それが俺の理由。
もちろん、この折り畳みスコップで土を掘ってダンジョンを作るつもりはない。
異世界なりの手段があると信じて、それを探すつもりだ。
だからこその決意の証。
そして俺はリュックを閉じる。
池の中に異世界への入口があったので、濡れても構わないジャージに着替える。
これで全ての準備完了。
ハヤトも行動に迷いはない。
俺の方が彼の思い切りの良さにちょっと引いているくらいだ。
淡々と荷物をまとめ、背中に背負い「行くか」とハヤトが立ち上がる。
「あぁ、出かけよう」
俺たちは書置きなんて残さずに部屋を出る。
異世界に本当に行けるのなら――、
ハヤトはまるで疑っていないが――この部屋に二度と戻るつもりはない。
といっても全く感慨など湧かない。
ハヤトが同行してくれるのなら、この世界に別れを惜しむ相手はいない。
俺がいなくなっても悲しむ奴はいない。
いや……、ハヤトがいなくなると――、
泣く女子生徒が何十人も、もしかしたら女性教師も何人かいるんじゃないか。
だが、それを言ってもあいつはまったく気にしないだろう。そういう奴だから。
だから男二人で気楽な出発だ。
そして俺たちは駅を越えて、新興住宅地の貯水池にやって来た。
立ち入り禁止の看板を無視して柵を乗り越える。
「ユウキ、どこにあるんだ。異世界への入口は」
「少し先にある」
コンクリで固められた人口池の上辺をしばらく歩く。
昨日の大雨のせいで水面の位置は高い。
「ここだ、この真下。円形に水の色が変わっているだろう。
俺の眼には異世界への入口とハッキリと映っている」
「そうか……」その一言でハヤトが足から水に飛び込んだ。
立ち上る水しぶき。
突然のハヤトの行動に、声も出ない俺の身体に水がかかる。
一瞬目をつぶった俺が再び目を開けると――、
水面には波紋だけが残り、ハヤトの姿は何処にもなかった。
「ハヤト……、俺を信頼するのにもほどがあるぞ」
聞く相手がいないので、その言葉は俺の独り言になる。
――じゃあ、俺も行きますか。
親友の後を追って、波紋の残る水面に飛び込む。
いくら大雨で水面が高くなっていたとしても、
足が届かないほどじゃないと思っていたが存外に深かったようだ。
……いや、これはもう異世界に到着したからなのか。
水の中で上下が分からなくなるほど深く潜っていた。
――落ち着け。
リュックは水濡れ防止のためビニール袋で包んでいる。
浮力を持っているので、このままじっとしていれば水面に出るはずだ。
心を落ち着けて身体から力を抜いて、成り行きに身を任せた。
すぐに俺の身体は水面に出た。
顔に掛かる水を手で拭って、あたりを見渡す。
視界に広がるのは初めて見る景色。
池を囲っていたコンクリの擁壁も柵もない。それどころか住宅すらない。
俺がいるのは樹木が密に生えている森の中、そこにある湖の真ん中だった。
予想してなかったわけじゃない。異世界に行くつもりだったのだから。
それでも現実として、ついさっきまでいた場所――、
そことはまるで違う景色を見せられて、驚いてしまうのも仕方がない。
少しだけ自分の置かれている状況に感じ入っていたが、
すぐに気を取り直し岸まで泳ぎ出す。
水は綺麗に澄みわたり、泳ぐのに嫌悪感も必要ない。
岸に泳ぎ着いた俺は日の当たる場所に荷物を降ろして、
リュックの中からタオルを取り出し、パンツだけの姿になって身体を拭く。
暖かな陽が射していて、裸でも支障がない。
気がかりなのは――近くにハヤトの姿が見えないこと。
俺は替えの服を着て、その場に腰を下ろし思案する。
考えられる状況が多すぎる。
大きく分けて考えよう。ひとつは、ここじゃない場所に飛ばされた。
それは場所だけでなく、時間やもしくは世界が違うなんて場合もありうる。
ここは異世界なのだから。
そしてもうひとつは、ここに先に到着したが、事情があってこの場から離れた。
ほとんど間を置かずに後を追ったのだから、そんな時間はないはずだが。
先の一つ目は今の俺ではどうにもできない。無事を祈るしかない。
後のひとつなら……。
――できるのは少し待つだけか。
未知の場所で動き回っても探し出せるはずもない。
俺はジャージを日に当てて乾かしながら、その場でハヤトの帰りを待ち始める。
ある程度、時が過ぎたら諦めて出発するつもりで。
もう二度と会えないかもしれない――そうも考えながら。
だが、俺自身がこの世界で生きて行くのを心配していないように、
あいつもどこに行ってもなんとかできるだろう――その程度の信頼はしていた。
そして小一時間経った頃。
ハヤトがようやく帰って来た。
「ユウキ、久しぶりだな。いや、お前にとっては数時間しか経っていないのか」
そう告げる彼は、やけに豪華な服を着ていて――、
漫画やアニメでよく見る――空飛ぶ竜――に乗って空からやってきたのだった。
新作、始めました。
お読みいただき、ありがとうございました。
※10月3日 改行と誤字修正
※11月4日 後書き欄を修正