71.おそらく剣を振っている勇者様と谷底でパンク寸前の親友様
人は現実味が無い事に対して、感覚が麻痺してしまう事がある。
例えて言うならパニックムービーだ。コトが動き出したらばたばた登場人物が減っていく、悲鳴が縦横無尽に木霊するくらいのやつがいい。
映画の中のキャラクター達は、どう考えても良い事が起こりそうにない湖のほとりであったり地下の洞窟であったり、そうした場所にずんずん突き進んでいく。これ以上はまずいよね、進まない方が良いよね。そんな表情を浮かべているにもかかわらずだ。頭のどこかで「自分だけは大丈夫」と考えてしまうあの現象の、何と恐ろしい事か。
その「何かおかしいぞ」という表情が作れるのであれば、そのまま引き返せば良いのに。致死量を明らかに超えた、禍々しい何かが充満する空間の事など忘れて、平凡な日常に戻れば良い。
もちろん、実際にその道を辿ろうものなら大ブーイングである。映画を観に来た皆々様は、怖くてたまらない思いをしに、そこへ足を運んでいるのだから。
開始30分で危険を察知した主人公達が「危ないから帰ろう」と、口々に冷静な意見をきりりと述べてあっという間に退散したらどうだろうか。残りの時間はひたすらに、彼らの日常風景が続くとしたら。
切り替わった場面の先では「今度こそくるか?」と期待を匂わせるかのようなアングルで、洞窟の深部が映ったりもするのだけど、その先はない。
中盤までは隠れていたクリーチャーさんも、痺れを切らしてひょっこり顔を出す始末。すみません、きょろきょろされても、皆さん帰っちゃったみたいなんです。
そうこうしている内に、物憂げな暗がりを置き去りに場面は日常風景へ逆戻り。同じサークルに所属する主人公達による、恋の駆け引きやら何やらがゆるやかに交換されていく。クリーチャー登場時に流れる予定だったおどろおどろしいBGMも、ポップス調に編曲されて青春の1ページを彩る始末である。
もやもやしたものを頭の中心に据えたまま、パーティーピーポーの日常を見せ付けられてめでたしめでたし。その上で、エンドロールは件の洞窟で締めるというシュールっぷりの、何とも言葉に詰まる作品の出来上がりだ。
――まさしくこの作品はパニックムービーである。
皮肉をこめて評した映画通によればこうだ。
これを撮り切った監督やスタッフ。疑問を抱かず……抱いてはいたのかもしれないが、演じ終えた出演者達。首を傾げながらもラストまでスクリーンを眺め続けた観客達。
全てが揃って初めて完成する、現代の闇を描いた問題作なのだと――
「私が魔王軍でも怖くない……って事で良いのか?」
角子さんって魔王軍なの?
そう聞いた俺に対して、ドスをたっぷりきかせて返ってきた答えがこれだ。そんな声色を使ったら、もうほぼ正解じゃないか。
怖くない訳ではない。命の危険が無いとも思っていない。この山に踏み入った時からそうではあったのだけど、つまり感覚が麻痺していると思うのだ。
それを伝える為に、早口で捻り出したのが冒頭の話である。これは俺にとって十分に、分不相応なパニックムービーなのだ。
「要はあれだよ。デリケートな問題だから、ありったけ気を遣ってくれないか」
「あっはっは、それをこっちに頼むのかよ。っていうかなんか、話もよくわかんなかったな。エイガって何?」
「あああ、映画が伝わらないとか盲点すぎる! 広まれ地球の文化!」
「まあいいや。話、進めても平気?」
「しょうがない。俺は信じてるからな。話が終わったらかすり傷も心の傷も一切ないまま無事に上に戻してくれるってさっき角に誓ってくれたの信じてる。その素敵な2本の角に」
「角に誓ったのはユーキが泣いてたのをみんなにばらさない話だろ」
「……ああ、もう一度泣き直したい」
こうして会話が成り立つ時点で、王都だとかで聞いていた話より随分マシではある。「人間め、問答無用で死ねい」というような形を想像していた俺としては、嬉しい誤算だ。
ちらりと空を見上げる。都合よくタクミが降ってきてくれたりしないかな。
「私は確かに、あんたらが魔王軍って呼んでる連中の関係者だ」
「関係者? 所属じゃなくて?」
「そのつもり」
「遠回りだな。どういう意味?」
この言い方では、それこそ王都にいたお偉いさん達のようだ。
関係しているとは交流が無くはないという意味で、私はそこの所属ではありません。ですから、あなた方に敵対するような事はありえません。と言うわけで未来の勇者様にどうぞよろしく。
ええいやかましいわ、とテンポよくツッコミを付け足したくなる言い回しの彼らだ。
「魔王軍に参加してる身内がいる。私は違う」
「え、魔王軍って自由参加なんだ?」
「自由だよ。捕まらなければね」
「なにその逃げる自由」
「逃げたくなければ、追われないくらいに力を見せつければいい」
「そっちの方がイメージは近いね」
「まあでも、私の場合はあんたに近いかな」
俺に近いという言葉がピンとこない。彼女との共通点を探そうとしてみるが、見つかりそうには無かった。肩を竦めて、先を促す。
「片方だけの意見は好きじゃないってやつ」
「ああ、それ」
「人間ってのが戦うべき相手なのかどうか、確かめにきたんだ。ついでにドラゴンで肩慣らしでもしようと思ってね」
「そしたら都合よく俺達がいたと」
「そ。しかも面白い事になってるだろ。大事そうに魔剣なんて抱えてさ。まあ的外れとも言えない代物ではあったけど。それに連れてる面子も、ユーキみたいになんでいるのかわからないヤツが混じってたりとか?」
悪気が無いだけに、言の葉が刺さる。鋭角というより真上から直撃である。しかし、このブロークンハートより聞き捨てならない単語を、俺は聞き逃さなかった。
「待った。魔剣ってどれの事言ってる?」
鼓動がうるさくなる。どうか予想が外れますように。
アレックスがダンベルがわりに拾ってきたとか、鈴木が闇のなんとかに引き寄せられて拾ってきたとか、ヘンリーが実は魔剣とか。とにかく、そんな事で済みますように。
「知ってて喋ってたんじゃないの? タクミが持ってたあれ、憑魔の魔剣だろ?」
ぐらりと意識が遠のく。これだから伝説なんてものは信用出来ない。あのじいさん、聖剣ヅラして魔剣だったってのか。
真っ先に心配されるのは渡辺さんだ。聖剣改め魔剣の効果ですっかり覚醒していた。直にあの子にも角とか牙とか生えてくるんだろうか。どうしよう、物凄くしっくりくる。
待て待て。そうなると、レオナルドさんや団長さんはどうなんだ。あの剣の欠片を集めるのに随分と執着していた。聖剣だと信じて急いでいたのだと考えたいが、こちらも確かめる必要がありそうだ。じいさんに魔剣の自覚があるかどうか、角子さんの話が本当なのかどうかも、裏を取らないと。
くそ、どんどんやる事が増えるじゃないか。誰にどこまで話せばいい。
タクミは駄目だ。情報を整理した後なら隠さず話すつもりではいるが、今話せば間違いなく、真正面から「どうなってるんですか」とか言って王城に乗り込んでいくに決まってる。アレックスも、実の父親である団長さんに突撃していくに違いない。既に影響を受けてしまった渡辺さんや、彼女と仲の良い斉藤さん、ねねねも駄目だ。ショックが大きすぎる。
ルキちゃんに聞いてみようか。いや、それも駄目だ。あの姉妹のそういう部分の考え方は聞いた事が無い。個人的な信頼を抜きにして、慎重にならざるを得ない。
くそ、可も無く不可も無いのは鈴木くらいじゃないか。相談相手としては決め手に欠ける。そもそも、この切り口でまともに相談出来る相手なんているのか?
「――おい、おいってば」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事」
「もしかして本当に知らなかった? ユーキがその様子だと、少なくともここに来てるみんなは誰も知らないって事か」
「そう、だな」
いっそ、角子さんに聞いてしまうか。魔王軍の関係者という立ち位置は限りなくグレーだけど、まだ会話になるかもしれない。留学サイド、異世界サイドのどちらにも属しておらず、意外と頭も回る。
次に会ったら敵同士、という別れ方になったとしても、情報収集をしておいて損は無い。どうせ上に戻れば、じいさんは心を読みにくるに決まってる。これだけ知ってるんだぞ、ってのを見せ付けて理論武装してやる。
「話がどんどん逸れて申し訳ないんだけどさ」
「ああ」
「そのヒョーマさんの事、もう少し詳しく教えてもらえたりする?」
「いいよ」
「おお、それじゃあ」
「ただし条件がある」
乗り出しかけた身を引っ込め、小さく深呼吸した。
流石に、こちらから何も出さずに情報だけというのは厳しいか。手持ちのカードが少なすぎてどうにも頼りないけど、乗ってみるしかないだろう。
「内容によるよ」
「そんなに身構えんなよ。とりあえずユーキは今すぐ敵じゃなさそうだ」
「そう願いたいね。それで?」
「なに、簡単さ」
そう言って、角子さんは上を指差した。
「今から私はあれと戦る。邪魔をするな」
「あはは……それなら心配要らない。絶対に手は出さないよ」
見上げた俺は、へらりと笑って脱力した。もしかしたら口は出すかもしれない。でも、手を出す事はありえない。理由は簡単。実力差からして、不可能だからだ。
視界に飛び込んできたのは、黒をたっぷり混ぜ込んだ青と赤の波動。
それを操り、殺気に塗れた笑みを浮かべてゆらりと降りてくる、緑髪の男だった。
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