69.前線で奮闘する勇者様と攫われた親友様
ドラゴンが大空へ舞い上がる。
エメラルドグリーンの瞳。土色の身体は日光を受けて淡い光の粒を反射させている。ゆったりと旋回してこちらへやってくるその姿。なんて美しくて、大きいんだろう。
自然と漏れた「すごい」の一言。竜の視線がこちらに固定されている事も忘れて、ぼんやりと眺めてしまった。そのまま空気に飲み込まれそうになっていた俺の肩に、そっと手が置かれる。
ルキちゃん。本当に不思議な子だ。彼女は一瞬だけ口の端を柔らかくすると、タクミ達に続いて颯爽と前へ出ていく。
風になびくプラチナブロンドの髪は、強くて、優しくて。何も言葉は無かったけど、十分過ぎる。タクミの言う「力を合わせて倒す」を信じたい気持ちにさえなってきていた。
なんだ。俺もすっかり異世界仕様か。
「よーし」
右の掌に意識を集中させ、集まる熱をぐるりと回して球をかたどる。まだ小さい。こんなものでは、ドラゴンの餌になんてなりはしない。もっとだ。もっと。
空高く舞い上がった覇者から目を逸らしはしなかった。尊敬の念を込めて、真っ向から対峙する。
人間から見れば死を運ぶ脅威の怪物かもしれない。しかしあちらにすれば人間こそ、同胞を狩り回る侵略者。怒るのも無理はない。物事はどの角度から見るかによって、全く別のものになるのだ。
わかっているけど、結局、俺は人間だ。今、出来る限りの事はさせてもらう。
真っ直ぐに腕を伸ばし、炎の玉を真上に掲げた。大きさは最初の拳サイズから、直径2メートル程まで膨れ上がっていた。これが今の俺の限界サイズ。
ヘンリーと角子さんも、さすがに喧嘩はやめていた。発散しきれなかった鬱憤をかの竜にぶつけようと、揃って殺気を放出している。怖い。だけど、今は頼もしい。
アレックスは、ルカさん同様にルキちゃんの生み出した闇を纏い、自身を強化しているようだ。
ちゃっかり鈴木もいる。やったな、闇の狂戦士なんて香ばし過ぎるじゃないか。ダークバーサーカー鈴木。後でいっぱい呼んでやろう。
左足を前に出し、掲げたファイヤーボールを振りかぶる。狙うはドラゴンの少し手前。
上手く食らいついてくれるか、気を取られてくれれば、一斉攻撃。駄目でもこれを合図に開戦だ。
俺は撃ったら下がるしかないけど、口火を切る役は悪くないんじゃないか。
「くらえええ!」
何叫んでんの、そんなキャラだっけ? とは言わないで欲しい。当てるつもりでなくても掛け声は大事だ。せっかくの、数少ないまともな見せ場になりそうなのだから。
どん、と低い破裂音と共に渾身のファイヤーボールが放たれる。それは、我ながらなかなかの速度で描いた通りの軌道をまっすぐに……飛んでいくつもりが、勢い余ってドラゴンの顔面にクリーンヒットした。
「え?」
一番驚いたのは俺自身だ。どごお、とか何とか。一丁前に良い音が響いている。嘘でしょごめん、当たっちゃったの?
「やったあ!」
あ。ねねねさん。それ、言ったら駄目なやつ。一気にやってない感じになるやつだって。
お約束の女神の加護を受け、吹き荒れる怒りの咆哮。顔を上げれば、しっかりとこちらを見据えたまま、件の竜が目を細めていた。やだ……笑ってる。ドキドキしちゃう。
そんなもので、この私を倒せるとでも?
ドラゴンの声なんてもちろん聞こえない。しかし俺には、その獰猛な笑顔の通訳が出来てしまった。速度を上げてこちらに爆進しながら、土色の竜がその身を赤く染めていく。
わあ、知らなかった。あの赤って怒って後からつく色だったりもするんだね。
「ユーキくん逃げて」
「いいや、俺はみんなを信じる」
叫ぶ斉藤さんに堂々とした背中で答えながら、俺は必死に拳に力を込めた。何の為ってそれはもちろん。
足が震えないように抑え込む為じゃないか。
お言葉に甘えて逃げたいのはヤマヤマなのに。竦んで動いてくれないのだ。せめてみんなの士気を下げないよう、不敵に笑って背中で語るのが精一杯。
こんな事なら、真っ向からどうこうなんて虚勢を張らずに、岩陰からスナイプすれば良かった。
ヒットアンドアウェー……アンドランアンドエスケープ。多分、俺にはこれくらいが丁度良かったはずだ。
「ありがとうユーキ、後は任せて」
みるみる内に大きくなるドラゴンの姿に、死の1文字がよぎったその時だった。凛と響き渡った声に、竜から離せなかった視線をおろす。
まばゆい光を纏う本物の勇者が、そこにいた。
「ブレイブ……レーザー!」
一直線に発射された光の束が、ドラゴンの腹を直撃する。苦い表情を浮かべたドラゴンが、身をくねらせて方向を変えた。心なしか飛び方に力が無くなったように見える。きっと効いているのだ。
いや、助かったし良いんだけどレーザーってどういう事。へい、世界観。今ってさ、ファンタジー的にきっと凄くいいところじゃない。少し前のちょっとした雑談とは訳が違うじゃない。
百歩譲って勇者なんとかでもいいから。もっとこう、ふさわしい名前をつけなさいよ。
「ふん、火竜を消し炭にすると言うのも悪くない」
寒気のする声が上から降ってきた。声の主が誰かは……見上げるまでもない。
「地獄の業火……地獄の業火地獄の業火地獄の業火地獄の業火……調合! 殲燃地獄!」
ほらな、これだよタクミ。ヘンリー君を見習いなさい。ヘルヘル言っててちょっと怖いけど、世界観の方向性は正しいと思うぞ。凄く怖いけど。
ぎらついた殺気がここまで届きそうな、黒い炎の塊がドラゴンを包む。竜は苦悶の雄たけびをあげ、上空へ逃れようとした。逃れようと、したのだ。
「逃げんなおらあ!」
「ふん、マッスルタックル!」
ルキちゃんの闇で強化され、おそらく渡辺さんの魔法で飛んでいったであろう2人が、ドラゴンの真上からアタックをかけた。弾かれ、叩き落とされる巨体。
角子さんが規格外なのは何となく察していたが、アレックスまで大口を開けたドラゴンにタックルで突っ込むとか、もうね。
後で説教してやる。だからお前はインナーマッスルが甘いんだ、とか言って。俺にはよくわからないけど、アレックスにとっては痛そうなところを突いてやる。
地面に激突する寸前、ドラゴンは身を翻して着地した。あれだけ食らっても普通に立てるのか。
「ユーキ、離れて!」
駆け出しながらタクミが叫ぶ。ドラゴンの口元に赤が漲る。今にもこぼれだしそうなそれは……ドラゴンブレス。
四肢をどっしりと地面に着け、怒りを凝縮させているかのような。その間にも赤は輝きを増していく。
「離れろっつっても……」
みんなの解説なんてしている場合じゃ無かった。これ、色々と手遅れなんじゃない?
ドラゴンが翼を大きく開く。準備は整ったとでも言わんばかりだ。やばい。本日、何度目かの涙目で後ずさった。
「は?」
突如、乾いた音を立てて、眺めていた翼の片方が千切れ飛ぶ。何が起きた。理解が追い付かない。
「あはははは! ざまあみやがれ!」
「うるさいわね。師匠みたいにスマートにしてよ」
完全に闇墜ちした鈴木と、大剣を手にしたルカさんだった。師匠のタクミもブレイブレーザーとか叫んでましたよ、というツッコミはさておき、凄いな2人とも。色々と。
「全員うるさい。タクミくん以外」
続いて、勢いよく肉の切れる音。取り残されたドラゴンの片翼が、後を追うように宙を舞う。
待って。この声、渡辺さん……ですよね?
空を飛べないメンバーを浮かせつつ、自身も飛んでドラゴンの翼を切り落とすだなんて。いくらなんでも覚醒し過ぎではないだろうか。父さんは君の将来が心配です。
翼を失ったドラゴンの目の光が弱くなる。急速に色を失う赤。左右と上空に散った3人をうるさそうにして牙や爪を伸ばすが、届かない。
聖剣を手に距離を詰めるタクミ。左右にルカさんと鈴木。上空には渡辺さんを筆頭にヘンリーやアレックス達が取り囲み、その後ろにサポート陣が並ぶ。最後方には涙目の俺。
もしかしなくても、このパーティーはとんでもないレベルなんじゃないのか。ただし最後尾は除く。くそ。
とにかく、これはいける。
「おい」
「あれ。角子さん? どうしたんだよ。ってかあんたもすげえな」
「ふふん。そうだろう凄いだろう」
「さっきヘンリーにはキレたのに、角子さん呼びは気にしないのか……で、何かあったわけ?」
「すぐにわかるさ」
何が、とは聞くまでも無かった。
俺の左側から、一回りサイズの小さなドラゴンがぞろぞろと現れたのだ。その数5体。
俺達のいる場所は山道の途中で、左側が崖になっている。ある程度の距離を挟んで向こう側にも荒れ地が続いているので、谷になっているというべきか。その死角を利用して這い上がってきていたという訳だ。
これはいけるなんて、一瞬でも考えた罰だろうか。熱い視線を独り占めである。
「ユーキの魔力はこの山のドラゴンにとって、随分おいしそうに見えるらしいな」
「何その急で要らない特異体質! ってかどうすんのこれ!」
前方が明るくなる。どうやら、土色の竜が最後の力を振り絞って、ドラゴンブレスを放とうとしているらしい。
俺の目の前は暗くなっていく。飛び出してきた1体のドラゴンを殴りつけ、角子さんが飄々とした声を出す。
「心配すんなって。あっちは譲ってやったんだし、こっちも楽しもう」
「ちょっとも楽しめるかこんなもん! 俺はさっきの火の玉ゆっくり出すくらいしか出来ないんだって! 断言するけど、今この場では何にも出せないね! 集中出来るかこんなとこで!」
「あっはっは! ユーキって本当に面白いな。何でこんなとこまで来たの? ああ、好きな子の為だっけ?」
右から迫っていた1体に喧嘩キックを食らわせて、豪快に笑う角子さん。伏兵に気付いてくれたのはありがたいが、その話は忘れてくれ。というか、あんたこそ何しにきたんだ。あれだけ戦いたがっていたドラゴンを置いて、ここにいる意味がわからない。
「1発殴って感じもわかったし、1人でやれそうなこっちにきたんだよ」
「うわ、心読まれた」
「読めない読めない。なんでお前がこっちに来たんだって顔してたから教えてあげたの。まあ後は、タクミとユーキ、どっちにしようか考えてたのもあるんだけどね」
今度はブレスを放とうとした1体にヘッドロックをキメて、にやりと笑う。あっという間に白目を剥くドラゴンさん。どっちにしようか考えてたって、次の喧嘩相手ですか。それなら俺を候補にするのは間違っている。おそらくこの子のデコピンでも気絶……じゃ済まないかもしれない。
「この山って一体どれだけ……のどらごっ!」
続いて角子さんがタックルをかましたのは、何を隠そう俺だ。
ヘッドロックの間に俺を射程距離に捉えた残りの2体が、爪を振るってきたのだ。その隙間に潜り込んだ角子さんは、2体の攻撃を防ぐのではなく、俺を連れて回避する道を選んだ。
「ごめん。ちょっと強かった? 生きてるよな?」
「やってから聞くなよう」
「他にも謝りたい事があるんだけど、いい?」
いい? も何も、俺に拒否権は無い。
「なに」
「もう2体、今突っ込んでいってる谷の方から上がってきててさあ」
「えええ。すぐ止まってくれ」
「悪いけど無理。急ブレーキはユーキの身体がねじれちゃうから止めといた方が良いと思うんだけど、それでも良ければ」
「是非とも急ブレーキなしでいってくれ」
「じゃあいいよな?」
「何が」
「だからこのまま突っ込むけどって話。っていうかもう口閉じてな、舌噛むよ」
嫌だ、という言葉は強制的に飲み込まざるを得なかった。ひょっこり顔を出した2体の内、1体を足蹴にして、角子さんが空中に飛び出す。つまり、俺も一緒に。
「わあ。良い眺めだな。見てみろよユーキ」
「あははそうだね。ところで角子さんって飛べるんだよね?」
「何言ってんの。どうして私が飛べるんだよ」
にっこりと笑顔を見せ合う。そして、やってくる自由落下。
俺の絶叫と、彼女の高らかな笑い声が谷底に突き抜けていった。
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