67.毅然とした態度で指示を出す勇者様と目を丸くする親友様
日本の夏は暑い。では異世界の、夏にあたる季節はどうか?
答えは場所による、である。王都であるとか学校のある平地であれば、過ごしやすいとはいってもそれなりに気温が上がる。森に入れば木々が暑さを和らげてくれるし、山に登れば自然と空気は冷えてくる。
中には異世界らしく、火の山であるとか、氷の湖だとかも存在するらしいのだけど、おそらくお目にかかる事は無いだろう。
そうした危険区域には、何らかの魔法の力であるとか、魔物の力が働いている事が多い。よって、勇者未満の留学生がそこに足を踏み入れる事なんてまず無いというわけ。
もしそんな体験をする機会があるとすれば。
例えばそう、今回のドラゴン退治。これならありえる。我こそが山の主である、とふんぞり返ったドラゴン様が炎のブレスを吐き出したりすれば、あっという間に火の山の出来上がり。なんて、山を丸ごと一息で燃やしてしまうような個体は確認されていないらしいから、これは俺の妄想だけど。
とはいえ、その昔の魔王は一撃で山を谷に変えたとかいうハードな絵本もある。何が無いとは言い切れない。
ちなみにその絵本では、勇者が谷を山に戻してめでたしめでたしとなっている。何がめでたいものか。削られた山を押し戻したか、谷の両側からどうにかしたか。方法はわからないけど、とんでもない天変地異の連続じゃないか。
魔王に削られて出来た谷は、程よく土が耕されていました。その上、山の底に眠っていた栄養分の恩恵も受け、作物がよくよく育ちました。人々は根気よく谷となった山を耕し、一生懸命に暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
俺ならこうする。クオリティはどっちもどっちかもしれないが、現実味はあるだろう。
異世界の異常気象の話だったか。もう一つの可能性は、大規模な魔法戦がすぐ近くで繰り広げられた場合。まあ……厳密に言うと気象とは呼べないかもしれないが。
例えるならヘンリーとうちの兄貴の戦い。あれをイベントではなくお互い本気でぶつけあったら、あるいはそういう事になるのかもしれない。どうして俺はあんな場所でふらふらとファイヤーボールの欠片を空に飛ばしていたのか。今考えると、恐ろしい話である。無知って怖い。
とにかく、何かしらの人為的で魔法的な大事が起こらない限り、気候は穏やかなのがこの世界だ。
さて、ここで問題。
今、俺が転がっているこの場所は、何とも暑くてどうにも寒い。
その原因については皆さんとっくにお気付きで、いいから早く先に行けと急かされているかもしれない。だが、どうか待ってほしい。今の俺は先程までの俺とは違う。
怪しい角子さんと、しきりにそれを挑発する渡辺さん。そこに油をだぶだぶと注ぐヘンリー。頼みの綱の勇者タクミは明後日を向いて微動だにしないし、聖剣じいさんは沈黙を守っている。斉藤さんやねねねに至っては、存在を消しにかかっている始末だ。出ておいで、怖くないから。
ええと、とにかく。
そんな危機的状況の中で孤軍奮闘、獅子奮闘。疾風怒濤な電光石火の活躍でバランスを取っていた先程までの俺とは違うのだ。四字熟語ってかっこいいね。クセになりそう。
いやいや。待って。わかってるから。もうちょっとだけ。
状況はがらりと、すっかり変わってしまったのだ。先程より更に危機的となったこの状況を打開するには、考える時間が必要だ。
だから俺は決して、その、もう少しこのままでいたいとかそういう邪な理由でくっちゃべっている訳ではなくて――
「そういう事でしたか。本当に心配して損しました、早くどいて下さい」
ごつんと後頭部を母なる大地にキスさせて、俺は涙目になった。
頬を膨らませて膝枕を解いたルキちゃんが立ち上がる。視線は、目の前で繰り広げられる事態に固定されていた。
「それで、考えはまとまったんですか?」
「ああ。もちろん」
何とも暑くて どうにも寒い。その原因は言わずもがな、目にも止まらぬ速さでバトルを繰り広げる2人の男女によるものだ。
1人はヘンリー。炎と氷の魔法を掛け合わせるとかいうチートな調合魔法を操る緑髪の男。暑くて寒いのは主にこいつの仕業である。
もう1人は、完全にタイミングを失してしまったけど、いい加減に名前くらいは教えてほしい魔族の角子さん。こちらは外向きに魔法を放る事こそ無いものの、負けず劣らずの反則っぷりを披露している。禍々しいフォルムのヘンリーの魔法を殴りつけてはじき返しているのだ。素手とかどうなってんですか。
この2人の争いを止めなければいけない。流れ弾が誰かに当たれば大惨事であるし、そうこうしている内にドラゴンに囲まれて全滅なんて事もあるかもしれない。いや、今の勢いだと、ドラゴンもろとも全滅という線が濃厚か。
どちらにせよ明るい未来は見えてこない。最後の希望だった膝枕も解かれてしまった。どうか、あの平和な時間をもう一度。
「先輩」
「はあい」
「先にお1人で全滅してみますか? お手伝いしますよ」
それは全滅って言わないと思うなあ。
あ、俺ってもしかして最初からソロパーティーだった? ソロパーティーってそれらしく言ってるけど、つまりはご相席扱いだった?
などと、威圧感を込めてにっこり笑うルキちゃんに言い返せようはずもない。
「……ごめんなさい」
本気で謝り、咳払いを一つ加えて姿勢を起こす。
ここで打てる手なんて、考えるまでもなく1つしかない。
「なあタクミ」
明後日の方向を睨みつけたままの勇者に声をかける。お前がしっかりしてくれれば、後はこっちの口先で何とかするのに。黙っていたら何も肉付け出来ないじゃないか。
「タクミってば」
「ユーキ、悪いけど静かにして」
それを言うなら相手が間違っている。静かにすべきなのは、もう目で追える気もしない血気盛んな2人ではないのか。
どうしてトーンを落として話しかけた俺が怒られているのだ。
「……くる」
「やめろよ。雰囲気たっぷりにそういう事を言うとな、お約束のカミサマってやつが全力で」
直後、響き渡る怒気を孕んだ鳴き声。先に聞いた断末魔の主など赤子に等しい。そう思える程の圧を纏った、本物の咆哮。
「ほらあ。願いを叶えてくれちゃうんだってば」
「2人は流石だよ。あれが目を覚ますのをわかっていて、身体を慣らしていたんだね」
俺は絶句するしか無かった。目から鱗の好意的な解釈である。勇者様の頭の中は本日も満員御礼か。
「なんだ、そうだったの。それじゃあ私もちょっとだけ、身体を、慣らしてこようかしら」
「斉藤さん、ねねね、お願いだから渡辺さんをとめてくれ。その子が渡辺さんである内に!」
不敵に笑う渡辺さんはウォーミングアップで全てを終わらせる気にしか見えない。爛々と輝く彼女の瞳に映っているのは、もちろん角子さん。これ以上ややこしくするのはやめてくれ。
何より怖いのは、そこに入っていっても渡り合えそうな空気を醸し出している事だ。適性が同じCだなんて笑いあっていたあの頃が懐かしいよ。いや、君の目は笑ってなかったけどさ。お願い置いていかないで。
「みんなは隠れていて」
「みんなって」
タクミが、今もバトルまっしぐらの2人を除いた俺達へ、順番に視線を移す。
「あれは、僕が倒すよ」
ゆるりと、山の一部から切り取られたように大岩が動く。岩のように見えていたそれこそが、大きな竜であったのだ。あんなのいくらタクミでも無茶が過ぎる。国がまるごと1つになって仕掛けるような相手じゃないのか。
というかあれを討伐してこいとか言って、ヘンリーとルカルキ姉妹の3人だけを放り投げた王様はどうなっている。いけると思ったのか、あれがいるのを想定しきれていなかったのか……読みの甘さはともかく、後者を信じたい。
「わ、私達も」
「駄目だよ。ハルカちゃん、ねねちゃん」
2人が振り絞った勇気は一蹴された。タクミにしては珍しく、有無を言わさぬ迫力だ。
「私達はお供します。ね、ルキ?」
「はい。サポートくらいは出来ると思いますから」
纏った闇の一部を、姉のルカさんに乗せて返事をしたルキちゃんの表情は穏やかだ。
俺はルキちゃんがするりと離れていくのを止める事も出来ず、その線を越えられずに立ち尽くしていた。
「俺はやれるぞ、タクミ殿! トレーニングの成果を今こそ見せる時!」
バンプアップを終え、一歩前に出たアレックスが息を巻く。鈴木も無言で前へ出る。タクミが何も言わないという事は、2人の参加を肯定したのだろう。
「私も」
「さおりん、駄目だよ」
「大丈夫よ」
タクミが制するのも聞かず、渡辺さんがふわりと浮かびあがる。
「なんだかとっても、調子が良いみたいなの」
「……わかったよ。でも絶対に無茶はしないで」
「ふふ、その時はタクミくんが守ってくれる?」
「うん! もちろんだよ!」
さおりんすげえや。どうなってんだ。
タクミが認めたという事は、斉藤さんやねねねより戦力になる、渡り合えると判断したからに他ならない。そんな馬鹿な、と思いかけたところで俺は気付いた。気付いてしまった。
聖剣じいさんが光っている。淡い青。その優しい光が渡辺さんに吸い込まれていく。なんだか調子が良いと言っていた渡辺さんの顔を窺う。この子は、まさか。
――適性の成長。
それしか考えられないじゃないか。妙な焦りを覚えて、ぎゅう、と自分の胸を掴んだ。
俺はなんて無力なんだ。ちょっと火の玉をまともに飛ばせるようになったくらいで、何を成長したつもりになっていた。
「ユーキ」
タクミが静かな声色で口を開く。
やめてくれ。その顔で、優しげな声で。下がっていてくれ、なんて言うな。
今、置いていかれたら。守られる側に座ってしまったら。俺は。
「力を貸してほしいんだ」
やめろ、俺は――え?
「怖いと思うけど、ユーキじゃなきゃ駄目なんだ」
「ぱーどぅん?」
俺は今日、初めて知った。
目を丸くする、とはこういう事なのだ、と。
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