58.聖剣完成間近の勇者様と意地を見せたい親友様
自分が考えている自分と、人が考えている自分は全くの別物だ。
表面的にわかりやすい例を挙げるならば、声。
何かに録音された自分の声に違和感を感じた事のある人は多いのではないだろうか?
これは自身の内部で振動して伝わる自分の声と、実際に外に発せられている声との違いで感じる違和感だ。
しかしどれだけ違和感を感じようとも、他人に聞こえている声はその声なのであるし、自身が聞いている声を他人に再現して聞かせる事は難しい。
性格にしてもそうだ。
自分ではこうだと思っていてもそれを上手に外に出せていない場合は勿論、こうだと思った事がそうだとは取ってもらえない場合だってある。
自身の行動や言動が人づてに伝わり、思いもよらない結果を招く事だってあるだろう。
自身の考える相手と、その相手の行動や言動に違和感が生じた時、人は「らしくない」などという便利な言葉を使うのだ。
それはつまり、自分の考えていたその人らしくはない行動あるいは言動という事になり、なんとも自分本位な言葉になってしまう事がほとんどだ。
しかし、そうした周囲の人間の評価や感じ方で、自分という人間が形作られている事もまたひとつの事実。
本当の自分などというものは、一生かけても見つかるものではないのかもしれない。
こうした話をする時に、異世界でたびたび名前の挙がる人物がいる。
寡黙な宰相エス・ネリス。
戦争状態にある2つの大国に挟まれた小国で、齢23という若さで宰相の地位についた彼の逸話は多くの書物にも記されている。
曰く、たった1人で戦争を終わらせた男。2大国を導いた小国の英雄……そんな彼の逸話を少しだけご紹介しよう。
彼が宰相の地位に就いた頃、小国を挟んで10年続いていた戦争は苛烈を極めていた。
民も土地も空でさえも疲弊し、誰もが戦争の終わりを望んでいた。しかし、個人が如何に戦争の終わりを望もうとも、その大きなうねりを止める術を持つ者はいなかった。
事の発端が何であったのか、お互いの落とし所はどこだったのか……それをはっきりと言い当てられる者はとうの昔にいなくなってしまっていた。
そんな折、息を潜めるようにしてどうにか存続を保っていた小国の一室、書類の束を持ってやってきた部下に対して、彼はぽつりと呟いた。
美味しいお茶でも飲みたいですね、と。
必要な事以外を喋っているのを聞いた事がないくらい、その通り名が示す通りに彼は無口だった。
つまり、彼のこの一言には必ず意味があるはずなのだ。
そうして彼の意図を汲み取った部下は小国なりに精一杯の贅を尽くした茶会を催した。
その席には小国の王はもちろん、争いを続ける2大国の重要人物が名を連ねていた。
実際のそれは、優雅な茶会などという平和な催しなどではない。
総力戦に向けた宣戦布告の場、そしてこれまで中立の立場を保ってきた小国への最後通告を兼ねた一触即発の最後の晩餐であったのだ。
催された茶会で、敵意に塗り潰された刺々しいやり取りが2国間の幹部によって進められていく。
誰もが沈痛な面持ちで、あるいは攻撃的な表情で相手を睨み付け、張り詰めた空気が会場を支配していた。
小国の王も、その瞳を絶望と諦めの色に染めて大国間の形式的なやり取りをぼんやりと眺めるだけだ。誰も用意されたお茶に手をつける者などいない。
そんな中、エス・ネリスはゆっくりとカップを傾ける。カチャリ、と彼のティーカップが奏でた凛とした音色に、会場中の視線が集まる。
一体この男はお茶など飲んでくつろいで何を考えているのか。この流れを止められる者などいないのだから放っておけ。いいや、小国如きが無礼をはたらくのならいっそここで……ありとあらゆる負の感情が彼を突き刺す。
しかし、エス・ネリスは表情を変える事なく、ゆったりとした動作でティーカップの位置を正すと言葉を紡ぎ出す。
積もる話もあるでしょう。しかしどうか、冷めない内にお召し上がり下さい。とっても温まりますよ。
何という事はない。一切の空気を読まずに彼はお茶を勧めただけだ。
しかしこの一言が、何気ないただの一言が、誰も得をしない総力戦という決断に歯止めをかけた。
積もる話……即ちそれは宣戦布告であり、最後通告であり、悲壮な決意を後戻りの出来ない形にしてしまうやり取り。
この場の全てであったそれを脇に置いて、茶を楽しめというのだ。
そして、小さな笑顔とともに一呼吸を置いて奏でられた気遣いの言葉。
冷え切って何者も受け付けなくなってしまいつつあった自身の心を溶かせと、彼はそう言っていたのだ。
最も弱い立場で、戦う力など皆無に等しい小国の宰相が、堂々とした優雅な態度で、それを言葉にする。
その心根の強さと覚悟は如何ほどのものか。
そして仮にも国家同士の催しとして招待された茶会を宣戦布告の場としか考えていなかった、それだけ視野の狭まっていた自分達の愚かさを、2国の幹部は悟ってしまった。
総力戦を免れた2国ではあったが、それでは簡単に戦争を終結させ、めでたしめでたし等とはいくはずもない。
振り切った国民感情の暴発、戦争推進派による謀略、先の茶会で2国を繋ぐキーパーソンとなったエス・ネリスに向けられる壮絶な敵意。
そんな猛威に晒され続けた彼が饒舌に語る事は無かった。しかしそれでも数々の小さな戦を止め、謀略の蛇を手懐け、自国の民を守りながら、大国を導く。
戦争終結後もその傷跡を癒す為に奔走し、62年の生涯を駆け抜けた彼はまさしく英雄と呼ばれるにふさわしかった。
そんな彼が生涯を終えて半世紀の経ったある日、立派な中立国として成長したかつての小国の一室の隠し棚から発見されたエス・ネリスの手記。
そこに書き残されていたのは、寡黙で多くは語らず、それでいて何よりも平和を願い民と国の為に尽力した英雄の姿とは程遠いものだった。
「またノイスのやつだ。信じられない。茶を持ってこいと話しただけなのにどうして国家レベルの行事になっているんだ。そもそも宰相にされたのだってあいつが……」
「ノイスが広場にものすごい美人がいるというから行ってみれば危うく死ぬところだった。それにしてもノイスのやつ、一体何者なんだ。へらへら笑いながら暗殺者をボッコボコだ。なんだあれ。この事はどうか内密にお願いします、じゃないっての。笑いながら凄んできやがって。あれはお願いじゃなくって脅迫って言うんだ。怖いわ、くそ」
「行きたくない。行きたくない。最前線で演説なんて嫌だ。出立は明日ですよ、言ってませんでしたっけだと。ノイスのやつ。いつかあのカボチャ頭をパカリと割ってパンプキンにしてやる」
手記の大半は仕事に対する愚痴とノイスなる人物への恨み事で埋め尽くされていた。
カボチャ頭のノイス。エス・ネリスに仕えた重臣の1人。にこにことした笑みを絶やさず人当たりは良いが、特段の才能を見せた訳でも逸話が残っている訳でもなかった平凡な人物で3国の和平交渉直前に事故死している。
そのはずだった。
「ノイスの話にはもう乗らない。今日決めた。再確認だ。和平の最終合意ね、結構だ。結構だよ。どうしてそれを俺が仕切るんだ。無理無理むりむり。帰りたい。探さないで下さい」
「ノイスが死んだ。俺はあいつに助けられたのか」
「いいんだ、流石に気づいていたさ。お前は俺を使ってとんでもない事をやろうとしてたんだよな。1人で先にいきやがって……ふざけんな。いいさ、めいっぱい踊ってやるよ。だからちゃんと見てろ。終わったらお前の墓の前で引くぐらい大騒ぎしてやるからな。待ってろ。ちゃんと見てろ。俺に力を貸してくれ。ばか」
親愛なるカボチャ頭へ。
ざまあみろ、俺はやったぞ!
こう書き殴られたページを最後に、手記は終わっていた。
エス・ネリスの内心がどうであったにせよ、彼の残した功績は事実であるし、彼が英雄であることに変わりはない。
しかし、半世紀という時を経て人々は知ったのだ。もう1人の英雄がいた事を。
エス・ネリスはノイスがいなければ英雄にはなりえなかっただろう。
しかし、小さな愚痴を書き連ねる彼も、それがたとえ開き直りであっても大国の重臣や王を前に物怖じせずに向かっていった彼も、どちらも彼である事は間違いないのだ。
人の本質というものがどこにあるのか、本当の自分とは何者なのか。
それが如何に難しい問題であるか、そして如何に自分次第であるのか……今では数々の書籍が世に出ているエス・ネリスとノイスの半生から学ぶ事は多いだろう。
「だからさ、多少の誤解とかニュアンスの違いは仕方ないと思うんだけどさ。これはいくらなんでも前の時と違いすぎない?」
「エス・ネリスの手記に残されている最後の台詞、ぐっとくるよね! 僕もユーキにざまあみろって言いたい!」
タクミは色々と思い出したのか目をうるうるとさせながらサムズアップしてくる。
言いたいことはわからなくはないのだけど、ざまあみろのくだりだけ抜き取るとひどい事になるから気をつけような。
「それだけペラペラ喋れる余裕があるなら大丈夫よ。いざとなったら死なない程度には助けてあげるから。多分ね」
「さおり、ちゃんと助けてあげてよ~!」
多分ね。の一言で安心感を一足先に地の底に叩き落とした渡辺さんを苦笑いの斉藤さんがたしなめる。
俺は今、山の斜面にへばりつくような格好で心もとない足場を頼りにゆっくりと進んでいる。目的はタクミが持っている聖剣の欠片を探す事だ。
風魔法の力でふわふわと浮かぶ渡辺さんはもちろん、水魔法の力でするすると進んでいく斉藤さんも余裕がありそうだ。
タクミに至っては、スーパー勇者フットだかなんだかと叫んで足元を発光させると、物理法則を完全に無視して斜面を歩いている。俺から見ればほぼ横向きに立っているような形だ。なんだこれ。
「もう先に行っても良い? 探索は明日の予定とは言っても、日が暮れる前にキャンプは張っておきたいんだけど」
「さおり、ユーキくん頑張ってるんだからそんな事言わないの!」
「ユーキ、こうだよ! 足元に力を込めるんだ! そうしたら立てるんだよ! 景色が横になって面白いからやってみて!」
1人だけ移動手段が完全に徒歩である俺に渡辺さんがプレッシャーをかけ、斉藤さんがなだめるというやりとりも、これで数度目だ。
もちろんタクミのアドバイスを聞くつもりは一切ない。俺がスーパー勇者フットなどと叫んでみたところで、谷底に真っ逆さまに決まっている。
「ぜー……はー……やっと……ちゃんとした地面……!」
「ユーキくんお疲れ様! それじゃあキャンプ張っちゃおう!」
「僕はちょっとこの辺りをみてくるね、みんなは準備お願い!」
みんなは何も言わない。俺が魔法対決で気を失った事に対しても、兄が消えた事に対しても。そして、最後の聖剣の欠片探しに付いて行きたいと言った事に対しても。
どうやら俺は、自分で思っている以上に友人にも恵まれているらしい。
「それにしても、次でもう聖剣の欠片が揃うなんて。タクミ、凄いな」
「僕1人の力じゃないよ。色々と情報を集めてもらったおかげだし、探す時にも色んな人に手伝ってもらってたから。ユーキが一緒に行きたいって言ってくれたのも本当に嬉しかったよ!」
俺が長期留学を決めてファイヤーボールに苦戦している頃、タクミはちょくちょく出かけては聖剣の欠片を集めて回っていたのだ。そして今回で全てが揃うのだという。
いくらなんでも早すぎる、という感想が正直なところではあるのだけど、ゲームだとかでちょっとしたヒントを頼りに自分でキーアイテムを探すのとは違い、バックに国が付いているのだからおかしくはないのかもしれない。
タクミが手持ちの聖剣様と欠片を共鳴させて探す間もなく、現地に到着した時点で厳重警備で封印の解除を待っていた、なんていう事もあったのだとか。
「聖剣が揃ったら……どうするつもりなんだ?」
翌日の探索に備えて早めの晩ご飯を食べ、くつろいでいる最中に俺はタクミにストレートに聞いてみた。
女子2人も思うところはあったのだろう、黙ってタクミの返事を待っている。
「魔王を……倒すよ」
「そんなに簡単じゃないと思うぞ」
「うん、簡単にいくとは思ってないし、聖剣を手に入れたからじゃあすぐにっていう訳にはいかないのもわかってる。でも、自分で決めたんだ」
タクミは焚き火をまっすぐに見つめている。力強い意志の宿った瞳が炎にゆらめく。
「魔王を倒しても、それでめでたしめでたしって訳にはいかないかもしれないぞ?」
「そうだね。でも、平和に近づく事は間違いないはずだよ。聖剣を探すだけじゃなく、こっちで色々なものを見て、色々な人と話して、自分にとって大切な事が何かを考えたんだ」
「タクミくんの大切な事って……?」
パチン、と弾けて自身を主張した火花が夜に吸い込まれて消える。
「僕は、僕の目の届くところにいるみんなに笑っていてほしい。まだまだ未熟かもしれないけど、僕にその力があるのなら、可能性があるのなら、前に進みたいんだ」
タクミ、お前は根っからの勇者様だよな。
根拠の無い自信でも、本当にやり遂げてしまいそうな、こいつならと思わせるオーラがこの男には確かにある。
「タクミならきっと上手く出来るさ。でもな、お前に何かあったら消える笑顔もあるんだって事は覚えておいてくれ」
だから俺に出来るのは、こんな事くらいだ。
勇者様に期待を寄せる誰かではなく、1人の友達として本音で話す事。
「うん! 大丈夫だよ!」
「どうだかな~。最近ちょっと成長した気もするけど、まだまだ突っ走るとこあるしな~。あとスキルのネーミングセンスがひどい」
「ちょっと! 突っ走るところ……は最近のユーキに言われたくないよ! それから僕のスキルの何が駄目なのさ、かっこいいじゃない!」
「そうか。そう思うなら頑張って歴史に恥ずかしいスキル名を残すがいいさ。情報提供はこの俺が各方面に余す事なく手配してやろう。スーパー勇者フットもメモしたぞ」
「むむむ……ひどいよ! 一生懸命考えてるのに! 」
そして、勇者にツッコミを入れられる数少ない1人として、普段のタクミを出せる場所でいてやる事だ。
「ユーキ、ちゃんと聞いてるの!? 勇者スラッシュは大丈夫だよね? ね?」
「ああ、わかりやすいのは良いことだよな」
「本当? やった! いや、待って。今の褒めてないでしょ? わかるよ! わかってきた!」
「ふふ、成長したなタクミ」
そのかわりに……というのはずるいかもしれないけどさ。
少しだけ、お前の勇気を俺に貸してくれ。
お読み頂きありがとうございます!