55.魔力の流れを感じ取る勇者様と空気の流れを読みきれなかった親友様
友人という関係が一括りに出来ないように、兄弟という関係にも様々な形がある。
仲の良い兄弟、仲の悪い兄弟、友達のような兄弟、上下関係のはっきりした兄弟……。
仲の良い兄弟はどうして仲が良いのだろう?
小さい頃からそれが当たり前であったのもしれない。
事ある毎にぶつかる事で、本音を言い合えるようになったのかもしれない。
本当は、お互いに気を遣いあっているのかもしれない。
あるいはもっと複雑な何かがそこにはあるのかもしれない。
仲の悪い兄弟はどうして仲が悪いのだろう?
自分に似ている事が気に入らないのかもしれない。
近くにいるからこそ、自分より優れている部分が目についてしまうのかもしれない。
わかりすぎるからこそ、わかりたくないのかもしれない。
あるいはもっと複雑な何かがそこにはあるのかもしれない。
それぞれを繋ぐ糸は、どれだけ単純に見えてもきっと他人にはわからない複雑な絡まり方をしているのだろう。
本人達に自覚があるにせよ、ないにせよ。
どこか達観した長女の亜希、気遣いの出来る長男の大樹、そして自由奔放でひねくれた次男の優樹。
瀧本家の3人を他人が評する場合、十中八九こういう捉え方をされる。
十回あったら八、九回。この言い方はなかなか当たらない天気予報に似ている。
外れる可能性もあるけどまあ大体こんな感じだよ、と涼しい顔で言ってのけるのはずるいと思う。
降水確率が0%でもそれはレイであってゼロではないのだと教えられた時、子供心に首を傾げたものだった。
なんでレイはゼロじゃないの? ないのになんであるの? 雨はどうして降るの? 降った雨はどこへいくの? なんで? どうして?
俺は子供特有の質問攻撃を迷走させて、周囲の大人を度々困らせた。
そんな俺に根気よく色々な事を教えてくれようとしたのはいつも兄だった。
姉に聞いても、そんなのはそうなっているからそうなのよ。としか言わない。
なるほど、どこか達観した長女に気遣いの出来る長男、ひねくれた次男だという評価は当たらずも遠からずだろう。
なんでも人並み以上にこなし、気遣いも出来る、そんな頼れる兄に見守られて育ったにも関わらず、高校生になる頃には俺は立派なひねくれ者に成長していた。
周りの大人が全て姉のようなスタンスであればひねくれ者になってもおかしくはないと考えそうなところなのだけど、それは逆だ。
例えば小学生の頃に6人1組で走った運動会の徒競走。
俺はいつも3位か4位だった。手を抜いていたつもりはないが、中の中から下の辺りをいったりきたり。
兄はもちろんと言うべきだろうか、いつも1番にゴールテープを切り、走り終えると共に競った仲間へと声をかけては爽やかな笑顔を浮かべていた。
姉は2位か3位である事が多かったが、走り終えた後で愛想笑いを浮かべた後の心底面倒そうな表情を見れば、ビリにも1位にもならないように加減をしているのは明らかだった。
兄は言った。ユーキは運動神経が悪い訳ではないのだし、もう少しだけ練習すればきっと1位になれる。いつでも練習に付き合うよ、と。
姉は言った。真ん中ぐらいにいるのが丁度良いの、バランスが大事よ。足が遅くて困るのは高校生くらいまででしょ、と。
例えば学校のテスト。
俺はいつも、平均からその少し上辺りの成績で、もう少しだけ頑張ってみないかと担任の先生に口うるさく言われていた。
兄はもちろんと言うべきだろうか、学年上位の成績を収め、先生からも太鼓判を押されていたようだった。しかも、その上で自身に足りない部分を即座に分析し、潰しにかかるのだ。
姉は俺と同じく平均から少し上辺りをキープしていたようだけど、俺のそれとは全く違う取り組み方であるのは間違いなかった。
兄は言った。ユーキ、いつでも相談にのるからわからないところがあれば聞きにおいで。一生懸命にやった分だけ進む道が広がるんだよ、と。
姉は言った。赤点とってる訳じゃないんだし別にいいんじゃない? 人生は長いんだからテストだとかで一喜一憂してないでその先を考えなさい、と。
いつだって兄は優しすぎた。そして優秀過ぎたのだ。
姉とは年齢が離れていた事もあったのだろうけど、俺は事ある毎に兄と比較された。
間違いなくいつも努力していて、それでもどこか余裕がある風で、終わってみるとベストに近い結果を残して爽やかな笑顔を浮かべていた兄とだ。
周囲からの柔らかな言葉の暴力に晒された俺が取るべき道はそう多くなかったと思う。
すなわち、逆立ちしてでも必死に兄を追いかけ努力するか、別のスタンスを確立して自身のアイデンティティーを守るかだ。
俺は、逆立ちをしようとは考えなかった。
どれだけ頑張ってみても兄に勝てる気はしなかったし、追えば追うだけ周囲の評価が兄と比べられるものになる。そんなのはご免だった。
中学に入った頃から、才能溢れるとはこういう事だとでも言わんばかりにめきめきと頭角を現し始めていたタクミが幼なじみとして隣にいた事も大きい。
真正面から全力でぶつかり、そびえ立つ壁をがしがしと叩き壊して満面の笑顔で突き進むタクミは兄とは別の意味で羨ましかった。
超えられない壁を前にした時、どうにかして脇から回り込めないか、水でもかけたら溶けてくれないか、どこかにドアノブでも付いていないかと考えるようになったのはこの頃からだったと思う。
そもそも、逆立ちしてでも頑張れなどというのはおかしな話だ。
せっかく2本で立てる立派な足が生えているのに、逆さまになって頑張ってみようという発想はどこから生まれるのか。逆立ちするより普通に走る方が速いのは間違いないのに。
世界で初めて逆立ちを始めたヤツを問い詰めてやりたいと思って逆立ちの起源をさらっと調べてみるも、納得のいくものは見つからなかった。厄介なものを広めておいて自分は雲隠れとはとんでもないヤツだ。
話が長くなってしまったが、順調に優等生街道を突き進んだ兄は高校2年生での異世界適性検査から短期留学を経て、実にあっさりと長期留学を決めて旅立っていった。
適性に関しては父も母もさほど高くは無かったので、近所ではトンビがタカだという評判が広まった。それ以前の振る舞いを見ても十分にトンビがタカだと思うのだけど、目に見える形があった方が評価を正当化しやすいものなのかもしれない。
別れ際の兄は実にあっさりしたもので、近所のスーパーに買い物にでも出かけるような気負いのない笑顔で手を振っていたのを覚えている。
それから約2年、回り道と搦め手に自身の小さな意地でしがみついて長期留学の切符を手にした俺の前に、才能と実力で有名人となった兄は現れた。おつかいに出かけたスーパーから帰ってきたような涼しい顔をして。
「ユーキくんのお兄さんってかっこいいね!」
「本当! タキモン、あんなお兄さんがいるなら先に言ってよ~!」
「血は繋がっているのよね? どっちが突然変異なのかしら……」
兄は俺の友人達にもすこぶる評判が良かった。
どっちが突然変異なのかしら、と言いつつも冷たい視線を俺に固定している渡辺さんには、こうやって包むんだよ、と解説しながら丁寧にオブラートを巻きつけてあげたい。
ベクトルは違うけど渡辺さんだって突然変異のようなものじゃないか、とは言わなかった。
「風魔法が得意だという噂は聞いていたが、筋肉もなかなかのものだった。あれは相当の御仁だな!」
慣れとは素晴らしいもので、アレックスが筋肉の具合で人の器を測れたとしてもさして驚かなくなってきている。
筋肉としては中の下である俺の評価がやけに高い理由を聞いてみたいのだけど、鍛えればものになる良い体幹をしているからだ。ようやくその気になったんだな、さあ特訓だ! とか言われそうなのでなかなか聞けずにいる。それこそ逆立ちダッシュであるとかが毎朝のメニューに入っていそうだもの。
「僕も久しぶりに会えて嬉しくなっちゃった! 纏う魔力の密度も凄くて、本当に尊敬しちゃうよ!」
魔力の密度がどうとかと興奮気味に話しているタクミの言葉は、自分の魔力の流れさえあやふやな俺にとっては耳の痛い話だ。じきに魔力量が何万だとか眉唾ものの数値を口にし始めるのではないだろうか、色々な意味で心配だ。
兄との再会で、俺自身にも嬉しい変化があった。
魔力の流れと扱い方について、兄の魔力を俺に流す形で教えてもらうことで、俺は今までの苦労が何だったのかと思うほどあっさりとファイヤーボールを使うことができたのだ。
もちろんテニスボールサイズの小さいものしか出せないし、威力だって大したことはない。それでも俺は本当に嬉しくて、魔力切れ寸前でふらふらになるまで、鼻の穴を膨らませて何度も小さな火の玉を飛ばした。
ちなみに、この事でベモット先生やルキちゃんを責めるつもりは全くない。
魔力の流れを補助するのには相性や限界があるからね、兄弟で相性も良かったからこそ出来た裏技みたいなものだよ。とは兄の談だ。
無理に流し込もうものならとんでもない吐き気やめまいに襲われる事もあるらしく、加減が難しいのだそうだ。
確かにベモット先生も基礎魔法担当のあのポールでさえも、サポートの時は真剣な表情をしていたものな。
それにしたって、まさしく目から鱗の体験だった。どうにかしてこの感動を伝えられないものか。
この目から鱗具合といったら、飛び散る鱗を両手で抱え、ハピネスを叫びながら街中を練り歩けるくらいの衝撃なのだ。
ボロボロとこぼれ続ける大量の鱗で前なんか見えやしないのだけど、それでも満面の笑顔で右に左に軽いステップを踏んでいく。
そこいくあなたにスケイルハピネスプレゼント。転んだきみにはスケイルハピネススローイン。馬車引く馬にもスケイルハピネスデコレイト。
……せっかくの感動が薄れてしまいそうなのでこの話はこれくらいにしておこう。
スケイルハピネスデコレイトってどういう事だ。勝手に飾り付けるんじゃないよ、お馬さんに蹴られるぞ。
そうしてひとしきりはしゃいで落ち着いたところで、俺は言い様のない悔しさに襲われた。
スケイルハピネスの話が上手くまとまらなかったからではない。
裏技みたいなものだから、と爽やかな笑顔を浮かべられても、俺の短期留学プラスアルファ数日の努力をたった数時間で飛び越えてみせた事実は変わらない。それがどうしようもなく悔しかったのだ。
だからだろうか。俺はこの兄が本気になったところを、もしかしたら困っているところや怒っているところを……見てみたいと思ってしまったのかもしれない。
「ユーキ、本当に良かったの? サポートの魔法もいくつかは使えるけど、彼は強敵だよ」
「ハハハ、兄貴がいればなんとかなるんじゃない? たとえ勝てない相手でも本気でぶつかっていく事に意味があるんだって、前に教えてくれたじゃないか」
「うーん、そこはちょっと違う意味で伝わってしまったみたいだね」
ただ偶然に王城で鉢合わせただけのはずだった。
「それでは3日後に広場で、楽しみにしていますよ」
「ええ、どうかお手柔らかにお願いします」
残された時間はたった3日。今がお昼すぎである事を考えれば実質的には2日半しかない。
「ユーキと魔法の模擬戦で肩を並べられる日がくるなんてね」
「自分でも驚いてる。でも兄貴だってなんだかんだで最後は乗り気だっただろ?」
「そうだったかな? ユーキがあれだけ真剣になっているのを見たらなんだか嬉しくなってさ。実力のある相手と本気で競い合えるのは素晴らしい経験になるからね。勝てるとは思えないけど、全力を尽くそう」
勝てるとは思えないけど、と口にしている割に兄の表情は涼しげだ。
「それにしても、次代の宮廷魔術師筆頭なんて言われているヘンリーくんと顔見知りだなんて驚いたな。レオナルドさんともフレンドリーに話していたし。頑張ったんだな、ユーキ」
「いや、その辺はちょっと色々あってさ。大したことじゃないんだけど」
「ふふ、そういう事にしておくよ。ヘンリーくんとは何度か話した事もあるけど、あんなに楽しそうなのは初めてだったから聞いてみたくなっただけだよ」
気が付くと俺は、ヘンリーを相手に兄と2対1で魔法の模擬戦をする事になっていた。
留学前にあれほど真正面からはぶつからないと決めていたのにもう計画の変更を余儀なくされている。
しかも魔法の模擬戦だなんて、相手のフィールドに鴨が葱を背負っていくようなものだ。背負った葱は1本どころではない、籠いっぱいのお葱様だ。
「兄貴ってさ、嫌いな人とかいるの?」
それとなく俺を見下す視線を飛ばし、遠回しに遠回しに挑発してきたヘンリーが楽しそうに見えたなんて、兄のそよ風は自身の頭の中にも優しく吹き荒れているのではないだろうか。それともヘンリーがやり手なのか。
「ん? そりゃあ嫌いな人くらいいるよ?」
そうだね、嫌いな人は特にいないかな。なんていう柔らかな返事を予想していた俺はこの質問を気軽に投げつけた事を後悔する事になる。
「ユーキが僕を兄として高く評価してくれているのは嬉しいけど、少し誤解があるかもね」
きょとんとしてしまった俺に優しい笑みで応えると、兄はたっぷりと間を取った。
「大事な弟にあれだけぐちゃぐちゃ言われて黙って笑顔でやり過ごせるほど、僕は大人じゃないって事」
びゅう、と思いついたように吹いた強い風が頬を叩いて通り過ぎていく。
決して大きくはない声で呟いた兄は、初めて見る表情をしていた。
お読みいただき感謝です!