54.我が道を進む勇者様と再会の親友様
日本の夏と異世界の夏にはやはり多少の違いがある。
地域によって多少の差はあるものの、梅雨を予備期間として湿気を含んだ暑さに仕上がっていくのが日本の夏だ。
それに対して異世界の……もちろんこちらも地域によって違うのだろうけど、俺のいるこの街の夏はからりと晴れた日の続く過ごしやすい気候になっている。
しかし、からりとしているからといって暑くないわけではない。
むしろ、からりとしているからこそ純粋な暑さを感じられると言っても良いかもしれない。
こういう時は何も考えずにザブンとプールにでも飛び込んで、ひとしきり下手くそな平泳ぎで涼んだら、後はのんびりと甲羅干しでもしていたらどんなに気持ち良いだろう。
プールか、そういえばこの異世界でプールを見た記憶はない。
銅貨数枚で気軽に入れるお手軽なプールでも建設したら、それだけでひとやま当てられるのではないだろうか?
建設業界には詳しくないけど、鍛冶工房の親父さんか最悪でもトマスに頼めばきっと口を聞いてくれるだろう。
資金繰りはタクミ経由で国に掛け合って補助金をもらおう。波のプールに流れるプール、ウォータースライダーを完備した子供から大人まで楽しめる一大テーマパークを築くのだ。
そうだ、タクミ経由でなくてもレオナルドさんに話せば面白がって乗っかってきてくれるかもしれない。
あれ、これはもしかして現時点で俺が持っているコネだけでも十分にビジネスチャンスが転がっているんじゃないのか?
こうしてじりじりとした日射しに照りつけられながら、どっしりと腰を落として両手をかざしている時間に一体どれだけの意味があるのだろう。
こうしている間にも、暑いの一言から俺と同じ思考にたどり着く者が何人もいるに違いない。こうしている場合ではないのではないか?
この衝動は今まさにピークを迎え、走り出さんとしている――
「なんだいそれ、まさか逃げ出すつもりかい? せっかく長期留学してきたって聞いたからどれだけ気合を入れてきたのかと思えば、てんで駄目じゃないか」
「いやあ聞こえてましたか。どうしてこの暑い中、自分から進んで更に熱い炎を産み出そうと踏ん張っているのかな、と思ったらちょっとくらっときちゃいまして」
2度目の異世界にやってきて数日が経った。
とりあえず両親の住む家に転がり込む形となった俺は、ある程度の衣類であるとか身の回りの物だけを抱えて、本当にお気軽お手軽にこちらにやってきている。
土産物部屋と化していた空き部屋をあてがわれた俺は、日本の自宅ですっかり仲良くなった邪神改め守り神様の生き写しとしか思えない像に見守られながら、快適に暮らしている。
ちなみに適性C-の俺が長期留学の切符を手に入れた事が公表されると、校内はちょっとした騒ぎになった。
ただし、これを機に同級生の間で俺の株が急上昇……とはならず、瀧本ってそういうとこ上手くやったりするよな。とのやたらと冷めた評価に落ち着いたようだった。
タクミの勇者適性がわかった時はあんなに黄色い声を出して群がっていた女子達も、へぇそうなの。程度のリアクションだ。
なんとか爪痕を残してきてくれ、我が校と私のため……ひいてはお前自身のためにも!
などと清々しい程に真っ正直で心温まる激励を下さった担任の先生を華麗にスルーした俺は、他に一切の見送りが無かった事に若干の寂しさを感じつつも異世界へと出発し、こうして魔法の練習に励んでいるという訳だ。
先日レオナルドさんに語った表向きの留学理由も、それぞれ順調にこなしている。
魔法の練習以外の時間はより奥のゾーンまで入れる事になった学校の図書館でスキルについて調べてみたり、父さんに連れられてなんとかいうお偉いさんを出迎えてみたりとなかなかに忙しい。
「ちょっと休憩にしませんか? こう暑いと脱水症状で倒れちゃいますよ」
「あんたここまで喋ってただけだろう? そうだ、語るに落ちる魔術師でカタオチ魔術師ってのはどうだい? ちょうど魔法もまともに使えないんだしぴったりじゃないか」
先生、上手いこと言ったつもりで嬉しそうな顔してますけど、ただの悪口ですよそれ。ちょうど魔法も使えないってどういう事ですか。
魔法を習っているのは、短期留学の時に適性別授業でお世話になったベル・ベモット先生だ。
間違いなく基礎魔法担当でエンターテイナー、変なところで絡みの多いポール・ネルナー先生をあててくるだろうと踏んでいた俺は肩透かしをくらったような顔でベモット先生を出迎えたのだけど、先生はお構いなしだ。
「やっぱりそこだね、ボールにする時のイメージが甘いし流れが悪い」
「うーん、自分ではやってるつもりなんですけど。どうしたらいいですか?」
「とにかく頑張りな、と言いたいとこだけどさすがに長期留学生でファイヤーボールすら使えないってのはいただけないからね。これは特別だよ」
1日3時間程度の練習時間を重ねているにも関わらず、いまだにファイヤーボールを安定して出す事すらできていないのだから、先生の扱いが雑になるのも仕方ない事かもしれない。
こうなってくると、俺の適性は本当はC-ですらなくて、DかEなのではないかと疑いたくなってくる。
「おお! 早速留学の恩恵が! 何か裏技みたいなのを教えてくれるんですね?」
「ほら、これを持ちな」
ベモット先生は、涼しい顔でごうごうと燃え盛る火の玉を投げてよこす。
「どわぁっ! なんですかいきなり!」
「こら、何避けてんだい。本場のファイヤーボールに触れて慣れろって言ってるんじゃないか」
先生の裏技はめちゃくちゃスパルタだった。
火の玉をイメージできないなら、実際に火の玉を掴んで考えろという訳だ。
「触れたら燃えるじゃないですか」
「そりゃファイヤーボールだからね」
「燃えたら火傷しちゃいます」
「そうならないように頑張りな。なあにしっかり魔力を込めりゃ大丈夫さ。死にはしないよ」
駄目だ、先生はすっかり据わった目をして、じりじりとタイミングを計りながらファイヤーボールを投げてよこそうとしている。日差しもじりじり、先生もじりじりでじり貧だ。そんな事言ってる場合か。
死にはしないよとかいう基準が既におかしい、安全マージンはもっと手前に取るべきではないのか。
「ほれほれ、観念しな」
「ひいっ! 投げた! また投げた! あちちっ!」
先生と俺のアツアツの授業はお昼過ぎまで続くのだった。
「えらい目にあった。最後に回復薬をぶっかけてさ、明日も逃げんじゃないよとか言うんだ。信じられるか?」
「わはは、それは大変だな! しかしそれでも逃げずに行くのがユーキだろう?」
「ユーキくん、大丈夫? ベモット先生って結構厳しいんだね」
「火傷して喝を入れてもらうくらいが丁度良いんじゃない? 来週中に逃げ出す方に賭けてあげましょうか?」
「タキモン、結局今日もファイヤーボール出来なかったの? もう逆にすごいね!」
「おいねねね、かわいそうだろ。瀧本がかわいそうだろ、ふふ」
そして、お気軽に異世界にやってきた上になんとも緊張感の無い語り口で白熱の授業だのプールだのを語っていられる理由がこれだ。
日本で仲の良かったメンバーは軒並み異世界にやってきていた。それも、俺とほぼ同じタイミングでだ。
誰も見送りにこない等と憤っていた俺は、異世界で待ち構えていたみんなに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして再会した。どっきりに引っかかるタレントさんはきっとああいう気持ちに違いない。
「くそ、みんなして。絶対に今週中にものにしてやる!」
「その意気だよユーキ!」
もちろんタクミもこちらへとやってきている。
ほとんど学校にはいないし毎日どこかへ出かけているようだけど、同じタイミングで長期留学を決めたのは間違いないようだった。
「タクミ、今日もこの後はどっか出かけるのか?」
「うん、まあちょっとね!」
タクミはこうして言葉を濁す事が多くなった気がする。親友としては少し寂しい気もするが、タクミはタクミなりに勇者としての道を模索しているのだろう。
「ユーキ、今日の午後は空いているのか? 時間があるなら俺と30本ダッシュでもどうだ?」
アレックス、帰りにどっか寄ってこうぜ的なノリでハードなトレーニングに誘うのはやめてくれないか。屋台ゾーンで飯でもどうだ、とか誘ってくれれば喜んでついていくのに。それにその感じじゃ誰もきてくれないんじゃないか?
「む……予定ありか。では鈴木はどうだ?」
「ああ、構わない。丁度走ろうと思っていたところだ」
いや、嘘でしょ鈴木くん。ちょうど30本くらいダッシュしたかったんだよね!行く行く!タイムとっちゃう?みたいな事ってそうそう無いと思わない?
「面白そう! あたしも走ろっかな! 2人とも置き去りにしちゃうよ!」
「面白い、負けないぞ!」
「ねねねも来るのなら狂戦士モードは抜きでお相手しよう」
あれ、もしかして俺の方がマイノリティ?
気軽にダッシュなお誘いってこっちじゃスタンダードなの?
狂戦士モードまで引っ張り出してアレックスとガチンコ対決の構えだったらしい鈴木はスルーしておこう、話が長くなりそうだ。
俺はくらくらとする頭を冷やすためにグラスの水を一気飲みする。
「まあ暑いんだし程々に頑張れよな。じゃあお先に」
体育会系な3人とそれを見守る女子2人に挨拶をして、俺は食堂を後にする。
この後は父さんと落ち合って、レオナルドさんのところに行く予定があるのだ。
ちなみに、俺を推薦したヘンリーにも、そしてルキちゃんにもこちらに来てからまだ会っていない。
ヘンリーは宮廷魔術師さんに付いてどこかに出かけているらしいし、ルカ&ルキ姉妹も特訓だか特別授業だかで俺の留学と入れ違いに遠征に出ているとの事だった。
もしヘンリーの下につく事になっていたら、宮廷魔術師の弟子のお付きとかいうもうその界隈では最底辺の留学生活が待っていたのかもしれない。
遠征と称して荷物一式をどさどさと持たされ、慣れない馬車を操り、ふらふらになったところでヘンリーが女の子とイチャつく姿を見せつけられるのだ。
実に危ないところだった。レオナルドさんありがとうございます。
「ん? ユーキくん、何か呼びましたかな?」
「いえいえ、こっちの話です。それで今日会わせたい人っていうのは誰なんですか? わざわざ2人揃ってるなんて交換留学の途中で俺が押しかけた時くらいじゃないですか」
「ユーキ、その話はもう忘れてくれ。父さん、お前をさっぱりした性格に育てたつもりだったのに」
いや、父さんのツッコミどころが満載だから色々と拾わざるをえないしつこい性格に育ったんでしょうが。まああれだ、感謝はしてますよ。ええ。
「まあ楽しみにしていて下さい。なかなかの有名人ですからな、滅多に会えないかもしれませんぞ」
「へぇ……でもこっちの世界の有名人って、俺あんまり知らないですよ? リィナ姫とかは有名人って事になるのかもしれませんけど、それ以外は特に」
後は図書館で本を読んだことのある現役の勇者くらいか。まさかね、その人達だって王都やこっちの街に来る事はあるかもしれないけど、俺との接点という意味では全く無い訳だし。
「おや、まだ来ていないようですな」
「まあ少し待ちますか。ユーキ、学校はどうだ? 少しは慣れたか?」
家に帰ると母さんを中心にして毎日聞いてくるくせに、父さんが親父風をばさばさと吹かしてくる。
「まあね。魔法はもう少しだけど、スキルとか適性は色々面白い事が多くてさ。レオナルドさん、図書館の許可、ありがとうございました」
「いえいえ、なんでしたら王都の王立図書館の方も許可を出しますからな」
「わあ、ありがとうございます!」
「宰相殿、ありがたいですがこいつをあんまり甘やかさんで下さいね。全くいつの間に宰相殿と直接やり取りまで……」
ヘンリーの件で密約をかわしてからというもの、父さんがぶつぶつと言うくらいには俺はレオナルドさんと仲良くなっていた。
わあ、なんて普段は決して言わないのだけど、わかりやすいパフォーマンスというのは時に必要な事もあるのだ。
レオナルドさんとの関係が良好なのは、父さんがちょこちょこアシスタント的な役割で俺を異世界のお偉いさんのところに連れていき、そこで概ね好印象を獲得しているというのも大きいのかもしれない。
タクミと一緒に出席した国家レベルの公開会議で好き放題に語って王様やレオナルドさんに渋い顔をさせた一件を面白がって覚えている人が多かったから、というのが好印象の理由ではあるのだけどそこは内緒だ。
「お、来たようですな」
扉の外で話し声がするのを聞いて立ち上がるレオナルドさん。つられて父さんと俺も立ち上がる。そしてノックの音。
「失礼します」
部屋に入ってきた男は、確かに俺も知っている有名人だった。
「あれ? 父さんに……ユーキじゃないか。いやあ、びっくりしたな」
少しもびっくりしているとは思えないのんびりとした口調で、男は爽やかな笑顔を浮かべた。
小さい頃からこれでもかというくらいに何度も見てきた涼しげな笑顔だ。
部屋に入ってきたのは『そよ風の申し子』こと俺の兄さんだった。
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