53.祝福ムードの勇者様と策略モードの親友様
異世界における留学制度には、短期留学と長期留学の2種類がある。
短期留学は、適正診断直後に予定を組み始める事からもわかるように体験版の要素が強い。
俺のように留学資格ギリギリの適性であっても丁寧に基礎から教えてくれるし、それなりに楽しめるイベントも用意されている。その一方で、才能に溢れる者は次々とレベルの高い課題に取り組むことが可能な幅広いカリキュラムが用意されているのだ。
火魔法適性C-でプチファイヤーやファイヤーボールすら習得しきれなかった俺と、勇者適性A+で授業中に勇者スキルに目覚め、迷宮に潜って聖剣まで見つけてきたタクミとを比べればその辺りはよくわかると思う。
本来であれば俺とタクミが同じ班のメンバーとして行動していた事自体もありえないのだけど、短期留学だからこそ、そして同じ学校からきた友人同士であった上に様々な偶然と大人の事情が重なったからこそ実現した話だ。
つまり短期留学は優秀な才能を青田買いしながら異世界全体の心象を良くするという、スカウトと広報の役割を担っていると言えるだろう。
これに対して長期留学は、より本格的に異世界にウエイトを置いた生活をすることになる。
何かしらの適性がC以上でちょっとやる気があれば良いですよ、と両手を広げて手招きしていた短期留学とは訳が違う。
ついさっきまで、いらっしゃいませお客さま!ごゆっくりご覧くださ~い!なんてハイトーンボイスを笑顔にのせて軽やかに飛ばしていたお姉さんが、急に腕組みをしてこちらを睨み付ける筋肉質の頑固親父にチェンジするようなものなのだ。
ごゆっくりどころか、おいそこで何してる!と一喝されるのだからたまったものではない。一瞬の間に声のトーンが何オクターブずり落ちたのか冷静に判断する暇もありはしない。
しっかりとお手入れされた美白に満ちたキメ細やかな白い肌も、日焼けと古傷に満ちた浅黒いものに変わっている。
才能と志のある有望な若者を無闇に危険に飛び込ませないように、との頑固親父なりの配慮があったりするのだけど、それに気付く事が出来る留学希望者はほぼいない。いいからさっきのお姉さんを返して下さい、である。
そんな長期留学の資格を得る方法は主にみっつだ。
ひとつ。高い適性を持った上で異世界での活躍を希望し、然るべき手続きをとる事。
これはまさにお互いの利害が一致した形で、身近なメンバーではタクミが良い例だろう。勇者適性A+でまだ欠片とはいえ聖剣の主、もちろん意欲もある。今は色々と調整中との事で日帰り留学を繰り返しているけど、近い内に長期留学の話が固まるのはまず間違いない。
ただし、自分から志願するからには相応の覚悟をもって臨まなければならない事は言うまでもない。
異世界側も本気モードで、受付には完全に腕組みを決め込んだ頑固親父が鎮座して、眼光鋭く待ち構えている。
それでも飛び込んでくるのなら、その意気やよし。貴様を立派な戦士にしてくれる!
いいえ、魔術師希望なんですが。
そうか!ならば貴様を立派な戦斧の魔術師にしてやろう!早速特訓だ!来い、貧弱な小僧め!
このように、少しでも弱味を見せればあっという間に屈強な戦士に仕立て上げられてしまう茨の道だ。タクミが、戦士と書いて無理矢理ユウシャと呼ばせる勇者ではない何かになってしまわない事を願うばかりである。
ふたつめ。ある程度の適性を持っていて短期留学中にスカウトされる事。
身近な例を挙げるなら、そよ風の申し子とかいう日本ではあまり名乗りたくない通り名を持つ俺の兄がこれにあたる。
ひとつめの志願と違うのは、スカウトのされ方や本人の希望次第では短期留学の体をある程度保ったまま長期留学出来るという点だ。本人にさほど強い気持ちが無かった場合等に、もう少し本格的に体験してみませんか?と段階的に交渉するのである。
結果的に異世界で活躍してくれるようになれば良し、もし駄目でもめいっぱい心象を良くしてお帰り頂ければ万々歳というわけ。
受付にはやはり頑固親父がどっかりと腰を下ろして猛然と腕組みしているのだけど、隣にはハートフルな笑顔のお姉さんも同席している。
主に物腰柔らかなお姉さんが話を進め、時おり頑固親父が異世界の厳しさと戦士道について語りだすといった具合で、飴と鞭を駆使した交渉が行われる。
もちろん、その気があれば兄のようにどっぷり異世界生活に肩まで浸かる事も可能だ。あの人、正月くらいは帰ってくるんだろうな。激太りとか肉体改造とかして別人になっていたらどうしよう、ぜひ見てみたい。
そしてみっつめ。適性だけでは測れない何らかの能力を見極める為に異世界のお偉いさんや発言力の高い人物に推薦され、適性重視とは違う体でスカウトされる事。今回の俺は一応このカテゴリに入っている。
この場合の留学形式は様々で一括りにするのは難しいのだけど、日帰り留学をある程度自由に出来るようにして本人の裁量に委ねてみたり、短期留学の間隔を通常より短くして機会を増やしてみたりする場合が多いようだ。
異世界側にしてみれば、なんだか面白そうなやつではあるけどしっかりした席を用意するのは大変だから、まあやる気があるならおいでよ。鍵だけ植木鉢の下に置いておくからさ。というところか。
受付にはギチギチに腕組みをした頑固親父も、弾けんばかりの笑顔を振り撒くお姉さんもおらず、御用の方は奥の部屋へ、と雑な張り紙がしてあるだけだ。
扉の向こうに待つのは笑顔のお姉さんか、腕組みをした頑固親父か。
1人だと思っていた頑固親父が男らしいポージングをキメて部屋中にギッシリすし詰めという可能性も捨てきれないのが恐ろしいところではある。
放任主義となる部分も多いため、自身の目的意識を明確に定めて努力する必要はあるものの、交渉次第でこちらでの生活と異世界での生活のバランスを最も幅広く設定できる可能性を秘めているケースだと俺は考えている。
川を下り大海へ飛び出した鮭が成長を遂げてまた川に戻ってこられるかどうかは、まさしく本人次第なのだ。
「そんな訳で、とりあえず夏休みに体験長期留学してくる事になったから」
「魚の話に持っていくの、気に入ったわけ? 鮭ね……川に戻って産卵したら死ぬんじゃなかったかしら? 頑張ってね、さようなら」
したり顔で説明を終えた俺を渡辺さんが一瞬で死の淵に叩き落す。
いつもと変わらないトーンでさらっとそういう事を言えてしまうあたり、メンタル的に長期留学向きなんじゃないかな。向こうに行ったら推薦してみようか?
「やったねユーキ! また一緒に冒険しよう! そして僕は戦士じゃなくてちゃんと勇者になってみせるよ! 戦斧の魔術師はちょっと格好良いけど……う~ん、それなら僕は聖剣の……語り部なんてどうかな?」
ありがとうタクミ、タイミングがあえば向こうでも会おうぜ。でも語っちゃ駄目だろ、その役目はこっちによこして普通に聖剣の勇者で良いんじゃないか?
「ヘンリーくんが最後にしてた推薦の話って本当だったんだね、おめでとう! でもそれじゃあユーキくん、夏休み明けにはスキンヘッドになっちゃうの……? 似合うかな、ちょっと心配」
斉藤さんは一体何の心配をしているのか。人の脳内の頑固親父を勝手にスキンヘッドにしないでほしい、彼は一切の妥協を許さない立派な角刈りなのだから。
それにせっかくファンタジックな世界観を呼び戻そうとしているのに、夏休みをめいっぱい使った頑固親父留学に叩き込まれるのは勘弁してほしい。
交換留学から1週間と少し。俺はヘンリーから送られた上から目線のやたらと辛い塩を受け取って、留学することを決めていた。
ただし、ヘンリーを楽しませてやるつもりは一切ない。そもそも、向こうでの能力的にはやる前から詰んでいるのだから正面から張り合おうとしてはいけないのだ。
魔法対決はもちろん、珍しいアイテムを取ってくるクエストであるとか、やっかいな魔物討伐を競うであるとか、ましてや魔王討伐であるとかの異世界らしい展開では全く勝てる気がしない。
ではどうするのか、答えは簡単だ。せっかく留学出来るのだから目一杯やれる事をやって知識と経験を積み、人脈を広げる事に注力する。そしてその上でヘンリーへの対応とルキちゃんへのアクションを考える。
どこかでヘンリーとぶつかる事にはなるだろうけど、適性やら魔力量やら異世界での立場やらでやる前から結果が見えてしまうような方法は避けて斜めから張り合うべきだ。
塩だけもらって全力回避!ついでに異世界で下克上作戦の始まりだ。才能溢れる温室育ちのお貴族様に泥臭い庶民のやり方ってのを教えてやるぜ。へっへっへ。
「なんて顔をしてる、完全に三流悪役のそれじゃないか。それにしても、夏休みの体験長期留学にその後はこちらでの高校卒業を前提とした自由な日帰り留学か……推薦があったといっても、条件が良すぎないか? やたらと余裕のあるその感じも気になるな、何か隠していないか?」
「まさか! そこはほら、ご縁があったってやつ? 両親とかも向こうにいるわけだし馴染みやすいっていうのかな、ハハハ」
1人だけ渋い顔をしていた鈴木はなかなかに鋭いツッコミを入れてくる。鈴木の言う通り、ヘンリーの推薦だけでこの条件を手に入れた訳ではない。それは先週末のレオナルドさんとの交渉に遡る。
「そんな訳で出来れば笑顔のお姉さんをお願いしたいんですが」
「はて、君は何の相談をしにきたのでしたかな?」
先週末、レオナルドさんからの要請で交渉の為に王都へと出向いた俺は、教室でみんなに語ったのと同じ話から切り出した。レオナルドさん、人違いでしたかみたいな顔をしないで下さい。
「適性やスキルについての勉強と、合間を縫って我々と日本とを繋ぐ仕事も考えてみたいとは実に立派ですな。更に魔法の鍛錬もしてみたいとは」
「はい。父とは違う形になるかもしれませんが、異世界と関わる仕事には興味がありますから。適性やスキルについても自分なりに調べてみたいですし、魔法も適性は低いですが個人的にもう少し頑張ってみたいなと」
これが表向きのキレイな理由。レオナルドさんの顔をたてつつ、適性やスキルについて調べたいという名目で行動範囲を広げ、ついでに魔法もなんとかしてしまおうという算段だ。
「ふむ、そうなるとせっかく推薦してくれたヘンリーには悪いが、タキモト君を預かるのは私か君のお父さんという事になりますかな」
裏の狙いがこっち。ヘンリーは確かに俺を長期留学の価値ありと推薦したようなのだけど、ただレオナルドさんに俺を推してくれるだけでは終わらず、ヘンリーの下で色々と学ぶという条件が盛り込まれていたのだ。
同じ土俵に上がってくれないとつまらないなんて言っておきながら、最初から自分の下につけるつもりとはなかなか良い性格をしている。当然、全力回避しかない。
「ヘンリーくんの推薦はとても嬉しいのですが、ぜひご検討をお願いします」
普段は絶対にしないようなキラキラとしたまっすぐな眼差しでレオナルドさんに訴えかける。ある程度の発言や行動の自由を確保し、日本の高校も卒業出来るようなプランがベストと考えていた俺にとって、これは最初に越えなくてはならないハードルだ。
異世界が適性重視の社会である事は疑いの余地がない訳で、国の中枢に多少の知り合いがいて両親が働いているからといって安心する事はできない。どちらでも立ち回れる基盤は作っておかなければ。もちろんヘンリーの下にぶらさげられるのは論外だ。
「そんな表情も作れるとはやはり君は面白い。タキモトくん……いや、ユーキくん。表向きの事情はわかりましたので腹を割ってお話しませんか?」
咄嗟に、それは結構ですと言いそうになるのをぐっとこらえて先を促す。つい最近、やたらと上から腹を割って話すとか言われてえぐい思いをしたばかりだ。
「彼の推薦という事は何かしらのきっかけで、気に入られたのでしょう?」
レオナルドさんが、気に入られたという部分に含みを持たせた言い方をしてくる。
「ヘンリーは確かにタクミ殿とは違うタイプの天才だ。しかしどうも要領が良すぎるところがありましてな。失敗を糧にした成長もしてほしいと日頃から願っているのです。しかしこれが正攻法ではなかなかに難しい」
それだけの逸材ということではあるのですがね、いや実に。とか言いながら訳知り顔でしきりに頷いてみせる。
レオナルドさん、ちょっとも腹が割られてないんですけど。こっちに言わせる気満々、言葉に含みがありすぎてたっぷたぷじゃないですか。
「正攻法では難しいから、ためしに俺をぶつけてみようって事ですか?」
「とんでもない、ユーキくんは純粋な気持ちで存分に学んでくれれば良いのです。時々こうして私にも面白い話を聞かせてもらえれば十分ですよ。もちろん出来る限りのバックアップはさせて頂きます」
隙があればヘンリーの鼻っ柱をへし折って、レオナルドさんに詳細を報告して欲しいって事ですね、わかります。ついでにその気を見せておかないと諸々のサポートもしませんよって事ですか。いいですよ、半分くらいはそのつもりでしたしウインウインの関係といきましょう。
「そうですか、同世代で切磋琢磨する姿は実に胸が熱くなりますな。ついでと言ってはなんですが勇者殿の背中もそっと押して頂けるとありがたいのですが」
「せっかくのお話ですし出来る限りは頑張って学びたいと思います。ただし羽目を外しすぎずに1人の学生として、本分を忘れないようにしますよ」
頑張ってはみますけどこっちはただの学生ですから結果のお約束は出来ませんからね。と返しておく。タクミについては短期留学の時と同じスタンスでスルーだ。
どうやらこの世界で腹を割って話すというのは、普段より少し深くて暗いところでお互いの腹を探りあう事を意味するらしい。早く帰りたい。
こうして、ごくごく個人的な理由で異世界への行き来の自由を確保したい俺と、勝手気ままに振る舞うヘンリーを将来的に使いやすくするための手を増やしておきたいらしいレオナルドさんとの利害が一致し、密約が交わされた。
レオナルドさんが打っている手は他にもたくさんあるのだろうし、その中での俺の立ち位置が完全に大穴狙いであろう事を考えると、まあまあの結果が得られたと思う。
「ユーキ先輩、留学を真剣に考えてるって聞きました。将来の夢、叶うといいですね! また向こうで会えるのを楽しみにしてます!」
なにより、花火の帰りがけに本当に嬉しそうにルキちゃんがかけてきてくれたこの一言で、我ながら単純だとは思うのだけど、だいぶテンションが上がってしまったのも留学を決めた理由のひとつだ。
間違いなくヘンリー経由で話を聞いたのだろうし、俺自身の知らないところで俺が謎の夢に向かって走り出した事になっているのは気になるところだけど、そんなことはどうでもよくなる良い笑顔だった。
「まあとりあえずご報告って事で。みんなも楽しい夏休みを過ごしてくれたまえ、はっはっは」
「これは本格的に浮かれてるわね。面倒だから帰りましょ」
「タクミ、夏の留学に向けてこれから作戦会議しないか? この夏、俺達は大きく成長するんだ」
「うん! そうしよう!」
「よし決まりだ。ああ、渡辺さんは帰るんだよね? 残念だな」
俺は確かに浮かれていた。タクミにはどこかで会うこともあるかもしれないけど、これからたった1人での異世界生活が始まるんだ!なんて柄にもなく意気込んで。
そして迎えた夏休み。容赦なく照りつける太陽と盛大な蝉時雨に見送られ、俺は2度目の異世界に旅立った。
お読みいただき感謝です!