49.トラブルホイホイの勇者様とあれこれ翻弄される親友様
ヘンリーは貴族の家柄に生まれ、幼い頃から魔法の才能に溢れていた上に、勉強、運動、芸術と何をやらせても人並み以上の才能を発揮してみせた。
彼は若干7歳で宮廷魔術師に弟子入りし、10歳にして弟子として一番の実力を手に入れてみせる。それから更に数年の月日が経った今では、宮廷魔術師の実力を凌ぐとさえ言われている超エリートらしい。
俺達が異世界留学でその姿を見かける事が無かったのは、国の命を受けて国外へ出ていた為らしく、俺やタクミと同い年にして単独での作戦行動を許可されている辺り、相当の実力である事が窺える。
昼間のサッカーにしても、ほんの数十分の間にぽんぽんとリフティングをこなし、サッカー部から助っ人を頼まれる事もあるタクミとディフェンス面だけとはいえ互角に近い駆け引きをしてみせたのだから、天才肌だというのも頷けるだろう。
低くは無い地位の貴族の家で何ひとつ不自由なく育ち、才能にも恵まれ、容姿も整っている。非の打ちどころが無いように見えるヘンリーには、何でも手に入る環境で育ってしまったからこその悪癖があった。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、女癖が極めて悪いらしいのだ。
ヘンリーはその一見柔らかい物腰とクールな佇まいで効果的に効率的に行動と発言を重ね、次々と女性を口説き落としていく。彼に狙われた女性は誰1人として落ちなかった事が無いという噂が宮廷内や近々の者達の間でまことしやかに流れているのだとか。
この交換留学で一緒になる事が決まった時、聖剣を担当した大親方からその噂を聞いていたトマスは、正直というべきか無謀にもというべきか、本人に面と向かって噂について確認してみたらしい。
次々と女性を口説いては捨てているという噂は本当か。本気で相手を愛した事はあるのか、と。
「捨てるだなんてとんでもない……出会いと別れは時の縁。もちろんいつだって本気ですよ」
返ってきた返事には感情が篭っておらず、ざらりとした感触を残すものだったという。
そして、そんなヘンリーが現在狙いを定めているのがルキちゃんらしい。姉のルカさんと共に国お抱えの特待生として学校に通う彼女の得意分野は闇魔法だ。
彼女にとって、次代の宮廷魔術師筆頭候補であるヘンリーが憧れの存在だったとしてもおかしくは無いだろう。最初からアドバンテージは向こうにあるという訳だ。
「どうしたんですか急に……ヘンリーさんの事を悪く言わないで下さい! あの人は色々な事をしっかりと考えていて、宮廷魔術師の筆頭候補というプレッシャーとも正面から向き合っています。そんな大変な中で、私やおねえちゃんの話も真剣に聞いてくれるとっても優しくて素敵な人ですよ!」
これまた真っ正直というべきか無謀にも程があるというべきか、トマスは大急ぎでヘンリーに気をつけろとルキちゃんに忠告をしに行ったらしいのだけど、その時に返ってきた返事がこれだ。
ヘンリーは既にルカ&ルキ姉妹に声をかけ、いつでも魔法の相談に乗るという形で接触に成功していたのだ。
「俺は頭をハンマーでぶん殴られたような気持ちだったね。もう遅いのかもしれねぇ……でもあいつにだけは好きにさせちゃいけねぇんだ」
「おい、なんとか言えよ。あいつの通り名、なんだと思うよ?」
ああ……えっと、一区切りついたのかな?遊びがないテンションが続くからリアクション出来なかったじゃないか。通り名まであるのか。
「春色の誘惑・ヘンリーだよ! とんでもねぇと思うだろ!?」
なんだ、ちゃんとオチがあったのか。とんでもないと言うよりは気持ちよく二度寝でもしてしまいそうなネーミングだ。
とりあえず、トマスの主観が多分に入りすぎているので、確認しておかなければいけない事は多い。それに、どうしてそれぞれ本人に突撃取材を敢行するような真似ばかりなのかもツッコんでおかなければいけない。
それはそれとして、これがある程度本当の話だとしたら、ヘンリーに対するルキちゃんの話だとかを聞く限り、手を組むどうこう以前に俺もトマスもほぼ詰んでいるんじゃないか?
トマスの言う通り、ヘンリーが生粋のチャラ男だったと仮定しよう。
そんなヘンリーが自身の立場と魔法の相談という絶対的に優位でルキちゃんの心を簡単に動かせそうなカードをチャラチャラと切って接触に成功した上に、ルキちゃんの反応を聞く限り既にかなりの好印象を獲得しているのだ。
こうなると、既に2人でミッドナイト・マジック・レッスンをしている可能性の方が高いのではないだろうか。くそ、何のレッスンがミッドナイトマジックなものか。自分で言っておいてなんて鼻につく響きなんだ。
今日はちょっと冷たいな、でも手紙出せなかったし怒ってくれているんだろうから後でフォローしないと……なんて呑気に考えていた俺はとんだ勘違いくんかもしれない。
「とりあえずいくつか質問していいか?」
「ああ、なんでも聞いてくれ!」
話に熱が入り、俺が朝の内に仕込んでおいたカレーライスを3杯もおかわりしてくれたトマスは汗びっしょりで、握りしめたままのスプーンをぐりぐりねじ曲げてテーブルにガシガシと突き刺している。それってスプーンもテーブルも元に戻らない感じだよね?今はスルーするけど後でちゃんと謝れよな。
「ヘンリーの女癖がどうとかっていうのはあくまで噂なんだろ? あいつにだけは好きにさせちゃいけない~なんて言ってたけど、それはトマスの勝手な印象だけじゃないのか? 噂の裏はどこまでとれてるんだ?」
噂が本当に噂でしかなくて、ヘンリーが個人的にルキちゃんと仲良くなったのなら、それこそ出会いは時の縁。どうもありがとうございましたと引き下がるしかない。
「そんな事か……俺は実際に見たし聞いたんだよ」
「見たし聞いたって何をだよ?」
この人、突っ走りすぎて春色の誘惑でも耳にしたのだろうか。
残念ながら、トマスの「俺は見た」は今のところ全く信用出来ない。それを言うなら俺だって同じ理由でとんでもない言いがかりをつけられた経験があるのだから。他でもない、目の前の汗だくの男から。
「つい一昨日、ヘンリーと城勤めの女が抱きあってるところをだ! しかもなんだ……す、好きとかなんとか言ってたの……だ!」
言ってたの……じゃないだろう。そんなところで柄にもなく照れて変な感じになるのはやめなさい。ここでお前のキャラまで崩壊したらもう本当にツッコミきれないからな。そういうのはアレックスだけでお腹いっぱい、全身のパンプアップが完了しているのだから。
「じゃあヘンリーは現在進行形で城勤めの女の人だとかもしかしたら他の子にもちょっかいを出しながら、ルキちゃんを狙ってると」
「そうだ、許せないと思わないか!?」
もしそうであれば確かに許せないとは思う。思うけど、それじゃあどうしてやれば良いのかと聞かれてすぐに答えられないのも事実だ。
そもそも俺自身の気持ちも曖昧で少し整理しておきたいところなのに。もし空気を間違えて突進すれば逆効果だしトマスの二の舞い三の舞いだ。
この段階での強行手段は、2人で物悲しい舞を重々しく踊る未来しか見えてこない。
頭をがっくりと垂れ、前を向くことを諦めたかのような屈んだ姿勢で、両手は放っておいてくれとでも言わんばかりの他者を追い払う動き、そして今にも倒れそうな足運びでふらふらと舞う姿は一切のポジティブを許しはしない。
バックミュージックもひどいもので、一瞬明るい曲調かと思わせておいてそこから際限無く沈んでいく構成はまさに絶望へと突き落とされる様を再現した仕様になっている。
しかしなんとこの絶望の舞には、対となっている希望の舞とシンクロさせる事で高いレベルの芸術作品へ昇華するという秘密が隠されていた。
今では踊り手がいなくなって久しい伝説の舞いを再び目にする事は出来るのだろうか。小さな集落の村興しから始まった奇跡の舞復活へのプロジェクトは、古ぼけた書物を手がかりにたった3人の村の少年少女の手から始まり、やがて日本中を巻き込む大きなうねりへと姿を変えていき――
「おい、おい! 何をぶつぶつ言ってんだよ。スマホってやつが光ってるぞ、ほっといていいのか?」
思考の海に沈みかけた俺をトマスの声とスマホの着信が現実に引き戻す。相手はタクミだ。全くこんな時になんだと言うのだ、もう少しで奇跡の舞が復活するところだったのに。一大プロジェクトに匹敵する用事なんだろうな。
「ユーキ! そっちに誰か来てる? 大変なんだ!」
「いや、誰も来てないな。なんならここにいる汗だくの男にもご退場願いたいくらいだ。そっち、空きがあるなら今から持っていこうか?」
おい、人をモノ扱いするなと鼻息を荒くするトマスをスルーしながらタクミのリアクションを待つ。
「それどころじゃないんだよ! みんなこっちに来ちゃって、バタバタしてる内にアレックスとルキちゃんが出て行っちゃうし、ヘンリーくんも来たと思ったら出て行っちゃうしで大変なんだ!」
うん、もしかしなくてもリアルにまずそうな話じゃないか。
こっちはトマスとヘンリーと俺の脳内だけでもえらい事になっているのに、アレックスとルキちゃんが出て行ったって?どこに?ヘンリーと一緒にいたはずの鈴木は?そもそもみんなってどこからどこまでだ。
「大丈夫だから落ち着け。今そこには誰が来て誰が残ってるんだ? 必要ならトマスを連れてそっちに行くし、警備担当の人にもうちの父さんにも連絡してみる。状況を教えてくれ」
タクミによると、アレックスに体操教室を案内していたところに、斉藤さんとリィナ姫率いる女子チームが大挙して押し寄せてきたのだという。それぞれにお泊まりセットをぷりぷりと装備して、ご丁寧にタクミの両親に先に根回しを済ませた上でだ。
案内どころでは無くなったタクミはとにかく女子達を落ち着かせる為、右に左にと駆け回ったらしい。
「むう……訓練場を見るどころではなくなってきてしまったな。それなら、今日はユーキのところに泊まるとしよう。ぜひ俺を家にと誘ってくれた友の気持ちに応えねば! 心配は要らない、道は覚えている!」
ここで、先の俺の発言がトマスをかわすための方便だった等とは微塵も思わないアレックスが立ちあがる。
「アレックス先輩、私も行きます! あの2人ってちょっと危なっかしいですし……」
そこに気を回したらしいルキちゃんが加わって出て行き、程なくして今度は鈴木とヘンリーがやってくる。
「ねねねに電話をもらって来てみれば随分賑やかになっているな」
「ここは一杯のようですね。ユーキ君の方にはアレックス君とルキが向かったのですか。それなら私もそちらに回りましょう。タクミ君がいるとはいえ、女性ばかりになっては心配ですから鈴木君はここに残って下さい。それでは皆さんまた明日」
ヘンリーは状況を把握すると、鈴木を残してさらりと出て行ってしまったのだそうだ。
「ごめん、僕が引き止めておければ良かったんだけど……まだ誰もそっちに着いてないんだよね? 僕も探しに……!」
「いや、とりあえずタクミはそれ以上誰も動かないように気を付けていてくれ」
俺の家とタクミの家は、俺がマンションに越してしまった事で少し離れたとはいえ、歩いてもそんなに遠くはない。
出て行った3人が道順通りにこちらに向かってくれていれば良いのだけど、とにかく探してみるしかないだろう。
例え道を覚えていたって、車であるとか信号であるとか向こうにはないものやルールが沢山ある。一刻も早く見つけなければ。
「中に友人がいるのだ! 本当だ! 開けてくれユーキ!」
「あの、本当なんです……すみません」
「スマホというのを誰かに借りてくれば良かったかな、失敗しましたね」
トマスを連れて大急ぎで飛び出した俺はマンションの入り口でがっくりと脱力した。
オートロックの解除方法がわからずアレックスが力技に出そうになったところで、帰ってきた他の階の住人さんと鉢合わせて揉めていたらしい。
あわや通報かというところで、住人さんに平謝りしてなんとか誤解を解く事が出来た。開けてくれユーキとか叫んじゃダメ!俺はこの後もここで暮らしていかなくちゃいけないんだから!
「とりあえず、3人とも正座」
「違うんだユーキ! 俺はお前の気持ちに応えようと……」
「私も、2人がちゃんと仲良く出来ているか心配で……」
「軽率な行動は反省していますが、僕がここに来たのはタクミ君のところが一杯だったからですよ」
「ええいまとめてやかましい、正座ってのはこうだ! ほら早く!」
俺は先に正座で臨戦態勢を整えて、3人に思う存分お説教した。
勝手にタクミの家に行った事やそこを飛び出した事はもちろん、アレックスにはオートロックを壊しかけた事を念入りに、ルキちゃんにはリィナ姫の護衛名目で来ている事への自覚、ヘンリーには本人も言っているように軽率な行動についてだ。
雰囲気に呑まれたトマスまで正座でしゅんとしていたので、経緯は伏せたままスプーンとテーブルの事を叱っておいた。特にスプーンは母さんのお気に入りだ、向こうに戻ったら一本背負いでもかけてもらうといい。お気に入りのスプーンを気軽に渡してしまった俺も一緒にぶん投げられるかもしれないけど。
「まあみんな無事で良かったよ、とりあえず順番に風呂でも入ってゆっくりしててよ。流石に3人も増えるのは想定外だったし、明日の朝ごはんとか足りなさそうなもの買ってくるから」
「あ、私も一緒に行ってお手伝いします!」
「ダメ、全員外出禁止!」
「はい……ごめんなさい」
警備担当の人にも入り口付近のチェックをお願いしてあるしこれ以上の万が一は起こらないはずだ。そもそもリィナ姫のいる斉藤さんの家の周りには警備の人はいなかったのだろうか?その辺りも父さんに事情を聞いて、場合によってはきつく言っておかなければいけないな。とにかく、しっかりと釘を刺した今しか買い出しのタイミングはない。
という最もらしい理由をつけて、俺は近所のスーパーへとエスケープしてきてしまった。
なんだあの面子、アレックスだけ浮いてはいるけど、役者が揃ったにも程がある。
あの状況でトマスが大人しくしているとは思えないし、トマスが暴発すれば曲がった事が大嫌いなアレックスもどうなるかわからない。ルキちゃんは空気を読んでくれる子だろうけど、ヘンリーの挙動は予想がつかない。
どの角度から切り込んでもハプニングの匂いしかしないじゃないか。それもとびきり香ばしいやつだ。
一番の火種になりそうなトマスだけでも連れてきてもう何本か釘を刺しておくべきだった。いや、あれだけ全員に説教した上で外出禁止令まで出したのに連れ出すのはおかしいか。
それならいっそ今夜はあらゆるものに蓋をしてしまうのはどうだろう。なに食わぬ顔で帰り、明日も早いし皆も疲れただろうと気遣う姿勢を見せつつ、バラバラの部屋に押し込んで寝てしまうのだ。無駄に広い4LDKはきっと今日この日の為にあったに違いない。
必然的に俺が両親のお土産部屋で寝ることになるけど仕方ない。あの部屋で異彩なオーラを放ち続ける謎の置物達とも向き合う良い機会じゃないか。なんなら全部まとめて夢に出てくればいい、あの面子で起きているよりいくらかマシに違いない。
この買い出しから戻った時点で修羅場になっていたらその時はその時だ。よし、きっとこれが最善策だ。
長い夜になってしまいそうな予感を直感的に感じながら、俺はそれを押し込めるかのように飲み物やら何やらを買い物袋に詰め込んでいった。
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