44.成長を決意する勇者様と反省しきりの親友様
「ユーキ先輩は馬鹿です! 自分が何をしたかわかってるんですか? 死ぬところだったかもしれないんですよ!」
意識を取り戻した俺は、状況の把握もそこそこにお説教を受けている。不規則な揺れと独特の匂い、天井の低さから馬車に揺られている事だけはわかる。
右腕は布でぐるぐる巻きにされて動かせないし全身もだるい。勝手に飛び出して、1人で意識を失って、どうやら怪我までして運ばれているのだとすれば、頭から馬鹿だと断定されても仕方ないか。
りんごを前にして、これはりんごですか?と優しく確認した上にリピートまでしてくれるのは初めての英語のテキストくらいのものだ。
ここで、私はユーキ先輩を模した何者かであってユーキ先輩ではないかもしれません、よって馬鹿ではないかもしれない等と宣えば、良くて2倍のお説教、悪ければ愛想を尽かされるかのどちらかだろう。よし、逆回転ではあるかもしれないけど少しずつ頭が回ってきた。
「身体は動くか? ほら、とりあえず水だ」
「ユーキ、今は王都に戻ってるところだよ。村を出てからまだ2時間くらいかな」
鈴木から受け取った水を飲みながら、タクミの話に耳を傾ける。
風魔法と土魔法で制御されているというこの馬車は怪我人の俺でもなんとか乗っていられる乗り心地を保っていて、異世界の馬車に碌でもないイメージを持っていた俺を現在進行形で驚かせてくれている。
湿地帯での討伐作戦は俺が怪我をした事以外は概ね成功、しばらくはフロスクルも大人しくなるだろうとの事だった。
村に戻る頃には完全に日が落ちていた事、応急処置をしたとはいえ意識を失ったままの俺がいた事、そして村の皆さんに引き止められた事もあって王都への出発は翌日という事になり、その日は盛大な宴が催された。そして今朝、村を出発して大体2時間という事らしい。
意識の戻らない俺の事を皆がどれだけ心配したかというじんわりと胸の熱くなる話から入ったはずの状況説明は、ふもとの村の宴で振る舞われた料理が如何に美味しかったかのグルメリポートへとシフトされ、食べられなくて残念だったね!などという悪気が無い事がわかっているからこそ余計に色々な想いを掻き立てられて止まない形で締め括られた。
「山鶏とキノコのデンジャラス焼きにお芋の炊き込みご飯……次の機会があったら絶対に食べてやる。それにあの村人さんにも説教し損ねたな。まあいいさ、顔は覚えてる」
あの村人さんとは、俺の残念な司令塔ぶりに感激していたやや天然気質のお兄さんの事だ。ぼんやりと馬車の天井を見つめながらどうでもいい後悔を並べて不敵な笑みを浮かべる俺に、状況説明が終わるのを待っていたルキちゃんが再び語気を強める。
「もう、またそんな事! どれだけ心配したか、本当にわかってくれてるんですか?」
「まあまあ落ち着きなさいよ。ユーキ先輩が目を覚まさない! とか言って今にも泣きそうだったのに、目を覚ましたと思ったらこれだもの。不器用な妹でごめんなさいね」
「お姉ちゃん! そんな事わざわざ言わなくてもいいの!」
あの瞬間、俺の咄嗟の体当たりを完全に意に介さなかったハイフロスクルは残念な事にそのままの勢いで突進した。俺のすぐ隣にいたルキちゃんは軽いステップでそれをかわすと、慌てる事なく闇魔法を放ち、ハイフロスクルをくしゃっとやってのけたらしい。
その場で見ていたはずの誰もがそれ以上の表現を意図的に避けているようなので、詳細は聞かない方が良いのだろう。自身もなかなかに物騒な魔法を使うはずであるねねねの、本気の闇魔法ってとんでもないよねとの一言が全てを物語っている。
とにかく、俺の小さな良心と一握りの勇気はただのお騒がせに終わってしまった訳だ。黙っていてもあの場は切り抜けられた上に、しなくても良い怪我をしただけという事になる。
骨折り損のくたびれ儲けとは今の俺のような状態から生まれた言葉に違いない。これ、本当に折れてたらどうしよう。せめて儲けたはずのクタビレをちゃんと見える形で用意してほしい。
地味なアースカラーでふわふわと宙を舞う謎の物体クタビレは、付かず離れずまとわりついてくるだけでうっとおしい上に何の役にも立たず、触れるだけでちょっとした疲労感を覚えるどうしようもないアイテムだ。
それでも、そんなものでも構わないから俺の心は形のある報酬を求めている。俺は頑張ったのだと、これだけクタビレたのだと証明させてほしい。
「うわ、俺……めちゃくちゃ格好悪い」
「本当ですよ。ユーキ先輩、めちゃくちゃ格好悪いです」
そっぽを向きながら俺の呟きを復唱するルキちゃんに、折角イメージの固まってきたクタビレは吹き飛ばされてしまう。と思ったらすぐに一回り大きくなって俺の手元にふわふわと舞い戻る。そう簡単に逃がしてはくれない、これこそがクタビレなのだ。
「そんな事はない! ユーキよ、あそこで飛び出したお前は真の漢だ! 貴様の友である事を我は誇りに思う!」
「あはは、アレックスくんが言うとなんだか仰々しいけど、とにかく無事で良かった~! それにあそこで飛び出すとかなかなかポイント高いよ、ユーキくん!」
アレックスのキャラクターが、バターをたっぷり塗ってこんがりと焼き上げたトーストを更に溶かしバターに浸して食べるくらい濃厚になっている。もう少し簡潔に言うのであれば、実に暑苦しい。昨日からぐらぐらと安定しない彼のキャラクターは、俺の怪我なんかよりもよっぽど心配だ。
だから斉藤さん、そんな簡単にスルーしないであげて。これは彼のアイデンティティーに関する重大な問題だと思うんだ。
「きりもみしながら飛んでいった時は流石に心配したけど、ソレを空中で優しくキャッチしたタクミくん、とっても格好良かったわ」
「本当に……タクミくん、王子様みたいでした!」
渡辺さんは俺をソレ扱いしながら頬を赤らめているし、ナナちゃんもつられてメルヘンな感じに仕上がっている。聞けば、タクミにお姫様抱っこで優しくキャッチされた俺はそのままの状態で村まで運ばれるという羞恥プレイを受けていたらしい。
ユーキは僕が運ぶ!誰にも触れさせない!との誤解を招きそうな一言はその場にいた女子達を大層ざわつかせたようだ。
「とにかく今回みたいな事は本当に気をつけるよ。皆も迷惑かけてごめん」
認めたくはないけど、お荷物だった事は間違いないのだ。怪我程度で済んでラッキーだったと思うし、そんな悪運は何度も続かないに決まっている。反省の一言だ。
「ユーキ先輩はもう少し自分の実力を考えて下さい。あれくらい、先輩が飛び出さなくてもなんとか出来るんですから」
真正面から実力不足を指摘されるのはなかなか堪えるのだけど、結果としてその通りなのだからぐうの音も出ない。
「底なし沼にハマった時だって、自分がそんな状態なのに変な騎士の話で皆さんを落ち着かせようとして……そんなのは沼から出てからで良いんです」
ああ、村人さんとかナナちゃんの気が紛れれば良いかもなんて事も考えてはいたけど、あれのほとんどは自分を落ち着かせる為だったんだよ。
それとラウルさん結構人気者だから、変な騎士とか言うと怒る人がいるかもしれないよ、例えば目の前で拳を握りしめてるアレックスとか。彼、昨日今日とデリケートな時期みたいだから気を付けてあげて。
「遭難しかけた時だってそうです。馬車から出る時は膝をガクガクさせて震えてたのに、皆が焦っているのを見たら平気なフリしてお茶なんか淹れて」
なんて事だ、あれを見られていたのか。あの場では知らないフリして笑顔で乗っかってくれていたというのなら、ここでもその機転をきかせてカミングアウトを思いとどまってほしかった。視界の端で鈴木がニヤついているのがわかる。くそ、今は目をあわせちゃ駄目だ。
「タクミ先輩も、ユーキ先輩に頼り過ぎですよ。ユーキ先輩がいれば自分はいくらでも無茶して平気だとか思ってませんか? この人、そんなに強くないですからもう少し考えてあげて下さい」
「ユーキ……みんなも本当にごめん。もっとしっかりするよ、約束する」
いやいや、それはどうだろう。タクミがいて何とかなる事はあっても、俺がいてタクミが何とかなる事なんてそう無いはずだ。なんだか納得している風のタクミとルキちゃんには何か違う世界でも見えているのだろうか。
「おいタクミ、今の話ちゃんと聞いてたのか? いや、ちゃんと聞かずにスルーしてほしいところも沢山あったけどそれはそれとしてだな」
「とにかく! 2人とも反省して下さい!」
はい。後にしよう。まずはこの子のお怒りを鎮めなければ、今度は魔法を教えてもらった時に満面の笑みでぶっ倒れた話だとかを暴露されかねない。俺はタクミに目配せすると、なんとか身体を起こして姿勢を正す。その隣にタクミも完璧な正座で並ぶ。
「ごめんなさい」
そして一礼。心からの謝罪に余計な言葉は要らないのだ。
「はい、許してあげます。それから……ありがとうございました。無事に目を覚ましてくれて本当に良かったです」
謝罪を受けたルキちゃんは、今まで頑張って作っていた険しい表情をやっと崩せますという風に、心の底からほっとしたような笑顔を見せてくれた。
「ユーキ先輩。案外まじめな癖にいつも変な話で誤魔化そうとするし、ほとんど自業自得で損してるし、頼りになりそうでならなかったりしますけど、本気の顔はちょっとだけ格好良かったですよ」
そこから更に、素直な笑みをいたずらっぽい表情に変えてにっこりと微笑む。
「ふうん、ルキちゃんって物凄くしっかりとユーキくんの事を見てるんだね。そうなんだ~」
「ちょ、違います! そういうのは断じてないんです! ええと、断じてっていうのはあれですけど……違いますから!」
斉藤さん、めちゃくちゃポジティブ。散々な事を言われ続けたはずのここまでの会話をそう取りますか。せっかくお説教キャラで頑張って最後は小悪魔的に締めくくろうとしたルキちゃんがすっかり元に戻っているじゃないか。
そしてどうやら、きっぱりと断じられていた以前よりは俺の好感度は半歩ほど前進してくれているらしい。気を失って右肩を布でぐるぐる巻きにされた甲斐くらいはあったかな。
「この宿舎って普段はこんなに静かなんだね~!」
「これはこれでなんだか良い雰囲気だよな」
王都に戻り、報告と治療とで更に1日を費やした俺達は、他の留学生がいなくなってすっかり静かになった宿舎へと戻ってきていた。
どう見ても貴重そうな魔法の回復アイテムを惜しみなく使ってもらった事で、俺は完全回復を果たして元気に歩き回っている。みるみる内に消えていく傷跡を見て、凄い!ありがとうございます!と元気一杯の愛想笑いを張り付けながら、本気で治療費の心配をしていた事は内緒だ。
急にとんでもない額の請求が届いたらどうしよう、異世界からの請求書なんてもらえる人はそうそういないだろうけど、少しも嬉しくない。父さん母さんのお土産コレクションを全て売り払ったら足りるだろうか。
「2人とも準備出来てる? そろそろ行くよ~」
呼びに来てくれた斉藤さんに手を振って合図を返すと、俺はタクミと並んで歩き出す。
ゲートには迎えにきた担任と学年主任の他、リィナ姫や班のメンバーであるとか、数名が見送りに来てくれているらしい。
「色々あったけど、良い経験だったよな」
「そうだね。でもまだまだこれからだよ!」
「そっか。俺は夏休み明けにまた来れるかどうかだけど、タクミは聖剣の事もあるしな」
「う~ん、聖剣もそうだけど……今回で力不足を痛感したから、もっと自分を磨いていきたいって思ってるんだ。僕にはまだ、足りないものが多すぎるよ」
男子3日会わざれば活目せよ……なんて昔の人は言ったらしいけど、俺がちょっと気を失っている間にタクミは少し大人になったような気がする。
善意の治療を受けておきながら治療費の心配をして冷や汗をかいていた俺とは大違いだ。俺の滝のような汗を見て、もう傷は良いはずなのですが……と首を傾げていた担当のお姉さんにもう一度謝りたい。
「やあ、私が王様である。また気軽に遊びに来たまえ」
「聖剣を回収した上にふもとの村でも大活躍とは実に頼もしい! わっはっは!」
「タキモトくんもすっかり良いようだね。念には念を入れて、我が国の誇る貴重な秘薬を使った甲斐があるというものだ。なに、全く気にする事はありませんぞ、本当に」
王様、何度か登場されてるんですから知ってますよあなたの事は。気軽に遊びにと言って頂けるのはありがたいですけど、なんですかその自己顕示欲がマントを羽織ってのしのし歩いてきたみたいな挨拶は。危うく本気でツッコミを入れて、せっかくゲートの手前まで来たのに不敬罪だとかで逆戻りするところですよ。
そして何より恐ろしいのは、本気の秘薬を使ってやったのだからしっかりと恩に着たまえと物凄く柔らかに暗示してきているレオナルドさんだ。
呼び方がタキモト殿からタキモトくんにランクアップして距離が縮まった分、突き付けてくる内容まで以前にも増して鋭くなってきている。きっとこれを言いたいが為に貴重な秘薬を持ちだしたに違いない、ただの高校生にここまでするとはこの人の根は物凄く深そうだ。
「タクミ殿、ユーキ! また会おう! 別れは言わないぞ! くそう、止まれこの……俺は泣いてなどいない!」
「タクミ様、次の冒険には連れていって下さいね。今回は凄く寂しい思いをしたんですから……」
「うん、リィナとも大冒険したいな! 頼りにしてるからね!」
また会おうという男らしい台詞とは裏腹に、アレックスは今生の別れのような顔をしてぐしゃぐしゃに泣いている。このまっすぐで嘘のつけない不器用な感じ、それでこそアレックスだ。ようやく戻ってきてくれたんだな、心から歓迎しよう。
そしてさっきまで大人っぽく見えていたタクミはリィナ姫の潤んだ瞳とボディタッチにすっかり鼻の下を伸ばして、一緒に大冒険したいとか言い出している。その後ろで穏やかな表情をみるみる内に鬼の形相に変え、私は王である前に父親なのだと叫びだしそうなお父さんにタクミはまだ気付いていない。後ろ後ろ!その大冒険、早くも佳境を迎えてるから!
「馬車の感じだと脈ありそうだったのに、しばらく会えないなんて残念だね~。ユーキくん、ちゃんと挨拶しておいたら? ねえ寂しい?」
「本当ね。でもその方があの子の為になるんじゃない? 凄くしっかりしたいい子なんだから、こんなのに引っかかったらかわいそうだもの」
にんまりしながら話し掛けてきた斉藤さんと渡辺さんはルキちゃんの事を言っているようなのだけど、2人の切り口の振り幅が広すぎてリアクションが難しい。しかも、どちらに寄っても大怪我しそうだ。せっかく治ったのに。
確かに、馬車でのやりとりの最後に見せつけられたあの笑顔に全く心が動かなかったかと聞かれれば答えはノーだ。しかし当の本人はそんな事など無かったかのようにこちらへ話しかけてくる気配すら無いのだから、1人で盛り上がってみても仕方ない。
それに、街の屋台や鍛冶工房にちょっと入っただけで筋肉質のライバルがぞろぞろとパンプアップしながら出てくるような相手なのだ。遠距離どころか世界が違う上に未知のライバル多数なんて、ハードルが高すぎる。いっその事、ハードルを上げるだけ上げておいてその下をくぐった方が早いのではないだろうか。下からくぐった結果がとても残念なものになりそうであるという事は別にして。
「ハハハ、何の事かなお2人さん。そういう不純な気持ちは一切ないさ。俺の心は清らかな川の流れのように澄みきっているのだよ、水源はすぐそこだ」
「ユーキくんがそういう喋り方する時って間違いないよね。そっか~、なかなか上手くいかなかったり相手が気付いてくれなかったりすると辛いよね」
「あら、この程度で動揺するなんて意外と本気だったりするの? 一応借りがあるから、1回くらいは協力してあげなくもないけど?」
斉藤さんは完全にスルーされた自身の告白を思い出しているようだし、渡辺さんの言う借りというのもその告白を覗き見しに行った時の事だろう。2人とも同じ話をしているというのに、これまたどちらに乗っても大火傷しそうだ。この2人はどうしても俺を五体満足では帰さないつもりなのだろうか。
なんだかんだと言い訳をした俺は、なんとも締まらない形で挨拶もそこそこに地球へと戻ってきた。
高適性でやる気のあるメンバーはちょくちょく異世界へ出掛けて訓練やら講義やらを受けられるらしいのだけど、そんな話とは無縁な俺は秋口に予定されている次回のスケジュールを待つしかない訳で、しばらくは平和な日本のありがたみであるとかを噛みしめながら日常を謳歌する事になるだろう。
まずはほったらかしにしてきた家の掃除をしっかりとして、思いきりジャンクな丼ものを特盛で食べて、自分のベッドでゆっくりと眠ろう。それから録画してあるはずのお気に入りのテレビでも観て、最低でも丸1日はだらだらと過ごすのだ。
帰ってくるなり現代っ子モードを全開にした俺は、一切の緊張感を放り投げてゆるゆると歩き出した。
お読み頂きありがとうございます!