4.試験を気にも留めない勇者様と試験制度に物申す親友様
筆記試験。全世界の学生という学生を苦い顔にさせる、忌まわしきイベントの名前である。
古くは中国隋の時代やヨーロッパに始まったとされ、なかなか重厚な歴史を持っている。日本でも江戸や明治……説によっては、平安時代から存在していたという話もあるくらいだ。
この辺りは少しネット検索するだけで、いくつもの事例を見つける事ができる。
そんな大昔から世界的に試行錯誤を繰り返してきたくらいだ。人類という種族は、根っからの試験好きらしい。
異世界短期留学の応募者に課される筆記試験は、現代国語と英語、そして異世界史の3科目だ。異世界史に関しては、学んでおくのは当然だと思えるし言うことはない。
必修科目ではない為、出題範囲も専用のテキストのみに限定されていて、なんとも親切な設計になっている。
しかし、現代国語と英語については、是非とも有識者の皆様に再考をお願いしたい。
百歩譲って現代国語はまだわかる。学校の代表、ひいては日本の代表として異世界に留学するのだ。母国語すらおぼつかないのでは役不足である。
問題は英語だ。これを試験科目とするのは、全くナンセンスだと言わざるを得ない。理由はある。決して、英語が苦手だから勢いで言っているのではない。決してだ。
先に結論を言おう。
異世界には、言葉の壁が存在しないからだ。
ゲートをくぐった地球人はまず、大きな魔法陣の上で祝福と呼ばれる儀式を受ける。祝福とはすなわち、翻訳魔法をかけてもらう事なのだ。
これにより、現地の皆さんとはもちろん、各国から集まる地球人同士でさえ、言葉を意識せずに会話が可能となる。
異世界にも当然ながら文字や言語は存在するし、それらは国や地域によって様々だ。ただし、彼らの文字は文字本来としての用途より、故郷の文化や誇りを尊重する部分が強いのだそうだ。
こうした感覚の違いは興味深いのだけど、あまり話が逸れてもいけない。またの機会に置いておこう。
大切な事なのでもう1度言っておく。滞在中限定の効果であるとはいえ、異世界に言葉の壁は存在しない。
つまり試験科目に、少なくとも英語の割り込む隙は一切存在しない事になる。どのみち、翻訳魔法が無かったとしても、異世界で英語が通じるとは思えない。
現在の制度を根底から否定しようというわけではない。意欲を測る尺度のひとつとして、試験が有効であることは認めよう。
その上で、現状の試験制度をベースに、より効果的で、大人の皆さんの狙いも取り入れた形を考えてみた。
まず、試験については異世界史のみに絞りこむ。学習意欲をみたいとの名目であれば、十分のはずだ。
かわりに、書類選考に加えて面接を取り入れる。応募者が、自身の夢と未来の展望をアピールする時間を設けるわけだ。語りたい者は語り、歌いたい者は歌い、踊りたい者は踊れば良い。
きっと様々な形で、異世界への夢を抱く若い力とその可能性を見出だす事が出来るだろう。
それでもまだ、学習面が心配だという方々がいたとすれば、本当に残念だとしか言いようがない。
普段の試験での赤点や、素行に著しい問題のある場合は、留学資格は取消とする。それは適性の是非を問わない。応募要項にはっきりそう書いてあるではないか。
合格したからといって、通常の学校生活に気を抜く者など、いるはずがないのだ――
「だからこれさ、英語と現国いらなくない? どう思う?」
「なんかすごい! そうかも!」
「おお、わかってくれるか」
「うん。英語いらない!」
筆記試験に向けた勉強会と銘打って、俺達は放課後に集まっていた。例によって、学生の味方、駅前のファーストフード店だ。
「よし。じゃあ明日、校長先生だか教育委員会だか、偉そうな人にかけあってみてくれ」
「え、どうして僕が?」
「当たり前だろ。光の勇者様から直訴した方が良いに決まってる」
慌てるタクミに平然と言い放ち、アイスコーヒーをストローでつつく。
勉強は1人でするものだという持論の元、完全に気晴らしモードで口ばかり動かす俺。そんな俺の話を聞きながら、ハンバーガーばかり食べているタクミ。勉強会とはまさに名ばかりの、まったりタイムだった。
実際のところ、本人の希望と適性からして、タクミの留学はほぼ確定。冗談ではなく発言力もどんどん強くなるはずだ。
ゆくゆくは学校だけではなく、異世界の偉い人にもパイプを繋いだりしてほしい。話が簡単に通るとは思わないけど、色々と面白そうじゃないか。
「2人って本当に仲良いよね、いいな~」
「っていうか瀧本くん、さっきからしゃべってばっかり。これって勉強会だよね?」
異世界とのコネ作りはさておき、驚くなかれ。集まっているのは俺とタクミの2人だけではない。
くすくす笑いながら、器用に自分の勉強を進めている斉藤さんと、もう1人。呆れ顔でごもっともなツッコミを入れてきたのは、同じクラスの渡辺沙織だ。
渡辺さんはブラウンがかった大きな瞳に、瞳と同じ色のくせっ毛をショートにまとめている。小柄で主張の少ないスタイルも相まって、一見すると小動物のような可愛らしさだ。
男子の情報網でもちらほらと話題にのぼる、知る人ぞ知る眼鏡女子部門イチオシなのだそうだ。いつの間に部門制になったのかは知らない。きっと伝統的な、何かの、あれだ。
斉藤さんや3年のアイドル先輩、大型新人だと名高い1年ちゃんのような派手さはないが、確かにかわいいと思う。
2人は帰り際の教室で、俺とタクミの会話にナチュラルに滑り込んできた。そして、あっという間にこの流れになったのだ。光の勇者サマサマである。
「やる気ないなら帰れば。瀧本くんのせいで、タクミくんまで勉強できないじゃない」
渡辺さんが知る人ぞ知るポジションに留まっている最大の理由がこれ。わが親友タクミに一直線で、その他の男子への態度が辛辣だという噂は本当……いや、予想以上だった事を報告しなければいけないようだ。
この眼鏡女子には、タクミがやけ食いをしているように映っているらしい。3個目のハンバーガーに手を伸ばして、にこにこ顔で口元にケチャップをつけているというのに。
俺のせいで、勉強に手がつけられず、仕方なく、だそうだ。
何より、4人で集まっているのに、その中の1人に真正面から「帰れば」なんて口に出来る鋼の心臓には驚いた。ぐるりと回って、尊敬の念すら抱かせる。
「まあまあ、さおりちゃんも少し休憩しようよ。ポテト食べる?」
「え……いいの?」
「もちろんだよ、あまり詰め込みすぎてもいけないでしょ? 食べよ食べよ」
詰め込んだのはハンバーガーだけのくせに、さおりちゃんも、休憩しようとか言っている。ああ、食休みって意味かな。
「タクミくん、それ私にもちょーだい!」
すかさず斉藤さんが割って入り、タクミのポテトの取り合いが始まった。
男女4人で放課後にお勉強だなんて、男子の情報網にひっかかれば、異端審問にかけられそうな状況だ。しかし、女子2人の狙いが明確すぎて、俺はよくしゃべる空気のような存在になっていた。
部屋で勉強している時になんとなく流しているラジオか何かに似ている。今日も不敵なナンバーをお届けするぜ。
「っていうかこれ。異世界史。分厚くない? 読みきれる気がしない」
「そうかな? すっごく面白くて、昨日から何度も読んでるよ!」
嬉しそうなタクミに、俺は頭を抱える。聞かなきゃ良かった。面白くて読みまくっているとかいう、ベストに近い形で試験対策が仕上がっているとは。
その他文系科目も、いつも学年上位を争う成績のこの男には、問題にならないのだろう。タクミが苦手なのは数学と美術、それから雑学にネット関係くらいのものだ。普段の会話は隙だらけのくせに。
使い慣れていない感のあるネットにしても、興味を持つように煽ればきっとすぐだ。例えばそうだな、異世界の風景写真を集めたサイトでも見せてやれば良い。週明けには検索マスターとなって帰ってくるに違いない。
「すごーい! じゃあ何か問題出して!」
斉藤さんの提案で、即席のクイズ大会が始まる。鋭い切り口で次々と出題するタクミは、テキストなんて既に見てもいない。
表面上は感心した素振りでいたが、内心ではバタバタと危機感を煽られて吹き飛ぶ寸前だった。
そこから俺は、死に物狂いで勉強に打ち込んだ。
「瀧本、よく頑張ったな!」
「ありがとうございます。勉強も面接対策も、普段の数倍はしましたからね。ははは」
「そうか数倍か! でも、普段も頑張らないとな。赤点は留学取り消しだぞ。知ってたか? わははは」
「もちろんですよ、ハハハ」
担任教師とのハートフルなジャブの応酬を終えた俺は、満足気に席に着いた。父さん母さんのコネが効いたのかどうかはわからないけど、留学生に選ばれたのだ。
「やったね」
「おめでとう、ユーキくん……!」
隣の斉藤さんとその後ろのタクミが小声でお祝いの言葉をかけてくれる。もちろんと言うべきか2人も選ばれていた。ついでに、渡辺さんも。
ちなみにこの席順は、不正をしたのでもコネを使ったのでもない。進級後の席が名前順に並んでいたというだけの、よくある話だ。
サイトウハルカ、シマタクミの後にスズキ、セタ、タカハシだとかがずらずらと続き、斉藤さんの隣がこの俺、タキモトというわけ。
「異世界ってどんなところなのかな?」
「ネットみろよ、いくらでものってるぞ」
「待ち遠しくて今から眠れないっ……そうだユーキ!」
ネットのくだりはスルーか。こういう時のタクミは、きらっきらの面倒くさいボールをど直球で投げてくる。声のボリュームも上がってきていて心配だ。
「もしもの時に備えて、うちで秘密の特訓とか、しようよ!」
タクミ、ホームルームまだやってるぞ。テンションが高いのはわかったから、秘密の特訓とか言うな恥ずかしい。ひと呼吸ためているあたりに、本気度が見え隠れして辛い。
「あはは、楽しそう。私も参加しちゃおうかな?」
「ぜひぜひ、ハルカちゃんもおいでよ! トランポリンとかあるよ!」
身体を小さく揺らして「トランポリン~!」と盛り上がる2人。トランポリンはともかく、久しぶりにタクミの家に顔を出すのはありかな。小さい頃はよく遊びに行ってたもんな。
それはそれとして、2人にはとりあえず、エアトランポリンから戻ってきてもらおう。先生がものすごく複雑な表情でこっちを見ている。
光の勇者のせいで学級崩壊なんてしゃれにならない。この3人なら、俺だけ留学取り消しなんていう理不尽もありえそうじゃないか。
「スケジュール表とかが来週で……来月真ん中くらいが初の異世界か」
「あれ? 僕がもらったプリントだと今月末になってるよ?」
ホームルームの後も話題は留学一色で、教室全体がどこかふわふわとした熱気に包まれていた。
それにしても勇者タクミよ、知らなかったとはなさけない。
それな、適性が高くて意欲もあるって認められた人だけの特別枠だから。一足先に経験を積めたり、留学回数が一般生徒より多かったりするんだよ。
最初にもらった応募要項にも、それらしい事は書いてあったじゃないか。どうして俺の方が熱心に読んでいるんだ。「そうなんだ、やったあ」じゃないっての。
「いいな~! ね、他には誰が行くの? それにのってる?」
「書いてないみたい。今度チェックしてくるよ!」
「うんうん、がんばってね!」
斉藤さんはすっかりタクミを手懐けている。この高校にはもう1人、勇者ではないがA適性持ちがいるらしい。色々と噂だけは飛びかっているけど、誰なのかは俺も知らない。それを見つけるつもりだろう。
他にも、B以上の適性持ちは各クラスに2、3人ずつはいるらしい。うちのクラスでは勇者A+のタクミと水魔法Bの斉藤さん。それから野球部の山本武志が戦士適性Bって言ってたっけ。
こうして決まった短期留学を喜んでいた俺達は、この時点ではまだ何も知らなかったのだ。
異世界でお世話になる為の常識諸々を、留学開始までの約1ヶ月で叩きこまれる、更なる勉強漬けの日々が待っている事を。当然、通常授業とは別の、豪華スペシャルカリキュラムだ。
異世界への道のりは、まだまだ遠い。
最後までお読み頂きありがとうございます。