36.星空に夢中な勇者様とシリアスになりきれない親友様
きっかけはほんの小さな出来事だった。
俺はちょっとした質問に答えただけなのだ。中学の頃、イケメンの才能を開花させつつあったタクミの事だ。好きな子はいるのか、食べ物の好き嫌い、普段どんな話をしているのか、などなど。実際のところ、それを聞いてどうなるとも思えない他愛のない話である。
しかしこれがなかなかに好評だった。あの頃は、俺も真っ当で初心な少年の心を持っていた。つまり、女の子に次々と話しかけられる事自体に喜んでしまったのだ。すっかり調子に乗った俺は、タクミ狙いのミーハー女子達にぺらぺらと親友の話をしまくった。
「タクミくんの事なら瀧本くんが何でも知ってるよ」
こんな噂があっという間に広まった。尾びれ、背びれ、胸びれがあちこちで装着され、コントロールの効かないスピードで。
一部では、タクミを高身長のイケメンに改造したのは俺だという事になっていた位だ。そんな事が出来るのなら、とっくに俺自身が180cmのイケメンになっているはずなのに。噂とは本当に恐ろしい。
身長の話はともかく、当時の俺はちょっとした情報屋気取りだった。
当のタクミは今でさえ恋愛や噂話に疎い鈍感勇者様だ。多少、プロフィールや経歴にアクセントをつけたところでどこからもクレームがこない。それどころか喜ばれるとあっては、調子に乗るのも仕方なかっただろう。
もちろん、内緒の話だと言われればそれを他に漏らす事は無かった。しかし、所詮は女の子と話せるのが嬉しくて舞い上がっていたお子様のやる事だ。全方面に良い顔をして物事が丸く収まる事などそうは無い。
調子の良い事ばかり言っていた俺は、すぐに痛い目を見る事になった。一部の女子の間で、俺はあっさりと信頼を失ってしまったのだ。耳障りの良さに現実が付いてこないとなれば、それも当然である。
気が付けば俺は、対タクミのラスボスとして、当事者達の前に涙目で仁王立ちする羽目になっていた。この頃には背びれと胸びれはすっかり力をなくして項垂れていたし、話を大きくしないよう気をつけていた。それでも、言う事を聞いてくれない尾びれだけが前に進めと地面を叩く。
この尾びれを俺にくっつけたのは悪い噂を流した女子の1人で、今にして思えば黒幕的存在だったのだけど、あの時の俺がそれに気付くはずもない。
まさに絶体絶命。まな板の上のヒレ。そんな状況を切り抜ける事が出来たのは、他でもないタクミのおかげだ。
「ユーキ、これはどういう事なの?」
「タクミ……いや、その」
「聞いてよタクミくん。瀧本くんってひどいの」
タクミの話を脚色していた事までバラされる寸前。そこで飛び出したタクミの一言で状況は一変した。
「ずるいよ、最近付き合いが悪いと思ったらこんなに新しい友達作って! 僕にも紹介してよ!」
涙目の俺とそれを取り囲む鬼の形相の女子数人。この絵面を一体どこまでポジティブに映したらそういう事になるのか。
理解出来ない天然発言ではあるのだけど、本人がそう言うのであれば、こんなにありがたい事はない。そもそも彼女達が怒っていたのは、一向にタクミとお近づきになれないからである。それが、一瞬で解決されたのだ。
場はすっかり和み、全てはタクミくんのおかげだとかいう事になって、事態は丸く収まっていった。
俺は情報を扱う事とイケメンの恐ろしさ、形はどうあれいざという時に助けてくれる友人の大切さを学んだのだった。
下手をすれば矢面に立たされかねない、誇大広告の塊のような情報屋遊びはここで終わった。ただし、それまでに築かれた情報網や不思議な繋がりの一部は残った。
そのおかげで、癖はあるものの良い友人にも恵まれていると思う。充実したひねくれスクールライフの確立された瞬間である。俺が、今でも失恋後の相談やら明らかに無理そうな恋愛相談を男子から受ける事が多いのも、この名残りだろう。
少し話が逸れてしまったが、何よりも大切なのは信頼関係を築く事だ。
その為には、ある事ない事を喋り散らすだけではいけない。胸びれを背中に装着するなどもっての他だ。バタつく尾びれを後ろから装着されるような真似もしてはいけない。
いかに未来的で斬新なフォルムの尾びれであろうとも、である。その機能が本人の望まぬものであるならば、それは必要のない進化なのだ。また、尾びれと背びれのバランスも重要だ。一体どれほどの組み合わせをもってすれば完璧な組み合わせとなりえるのか。
今なお沈黙を守り、研究に明け暮れる海洋学の権威アーノルド・マディスティーニ氏の動きには、世界が注目している。尾びれと背びれ、胸びれのバランスまで含めた完璧なバランスのヒレが――
「ヒレヒレうるさい! タクミくんの話かと思って念のため聞いてあげてたらこれだもの」
「ちょっと話が逸れちゃったかな」
「そう言った後の方が余計に逸れてるじゃない。静かにしないとひきちぎるわよ」
「こわ! 重くならないようにウィットに富んだジョークを織り交ぜたんじゃないか。そっちこそ、大声出すと周りに響くよ」
ひきちぎるって背びれとか尾びれの事でしょ? 怒っていても話には乗っかってくれるそういうところ、大切にしてほしいな。
「で、結局何なの? まさかここまで来て帰ろうって言うんじゃないでしょうね?」
「だから、大事なのは信頼関係って部分だよ」
「で?」
「今のこの状況はあんまり嬉しくないわけ。このまま帰るのも選択肢のひとつじゃないかな」
「嫌よ」
「ですよね」
俺は今、渡辺さんと2人っきりで、星の綺麗な夜空の下を散歩している。
こんな言い方をすると、風に乗って甘酸っぱい空気でも流れてきそうなのだけど、もちろんそんな事になりはしない。ざっくりと言ってしまえば、俺達はタクミを追跡中なのだ。吹いてくるのは、一切の甘さを排除したスパイシーな向かい風ばかりである。
宰相さんと騎士団長さんから手厚い歓迎を受けて疲れきっていた俺は、晩ご飯もそこそこに部屋で眠りに落ちていた。しかし心地よいうたた寝は長くは続かず、強烈なボディブローで起こされる事となる。今も隣を忍び足で小走りする眼鏡女子の手によるものだ。
彼女は俺とタクミに割り当てられた男子部屋に堂々と入ってきた。それどころか、寝ていた俺のボディにスクリューの効いたブローをワンツーでかましたのだ。とんでもない話である。
100歩譲って、ノックをしても返事が無かったのだとしよう。部屋で寝ていた俺が、声をかけても体を揺すっても全く起きなかったのかもしれない。それでもせめて、ワンパンチで反応を見るべきではないのか。2発同時に叩き込む理由も、スクリューを効かせる意味もわからない。
普段なら寝起きのローテンションごと怒りをぶつけてしまうところである。俺の怒りを止めたのは、渡辺さんの浮かべていた表情のせいだ。
真剣な眼差し、それでいて今にも泣き出しそうな空気。何とも、有無を言わさぬものがあった。決してボディブローで息が詰まって勢いを殺された訳ではない。
聞けば、斉藤さんがタクミに大事な話をしに行くと言って出ていったらしい。詳しい場所や時間は告げず、気が付くといなくなっていたのだと。
大事な話がどんな内容か、なんて俺にもわかる。聖剣探しという危険な冒険に出かける前に、自分の気持ちを打ち明ける。つまり告白である。
普段の渡辺さんであれば、誰かがタクミに告白すると聞いても、取り乱したりはしないだろう。問題は、今回の相手が斉藤さんである事だ。同じ班のメンバーとして仲を深め、強烈な魅力を放つライバルである。
居ても立ってもいられなくなった渡辺さんは、藁をもすがる気持ちで男子部屋までやってきたという訳だ。
「追いついたら、割って入るって事だよね?」
「そんな事しない! そんな事はしないけど……でも気になって」
変なヒレの話で薄めながら、信頼関係の大切さを語った理由がこれだ。渡辺さんは、2人に追いついたとしても、何もする気が無いと言うのだ。
ちょっと待ったコールと共に上空から軽やかに降り立ち、真正面から斉藤さんと同時告白をキメる。その為に追いつく。そう思っていた俺としては実に難しい状況だ。
ただこっそり覗くだけ、という行為はよろしくないばかりか、信頼関係を損ねかねない。これが、渡辺さんがタクミになんて一切興味が無いなら話は別だ。ホームステイの夜を彩るワクワクイベントとして楽しめたのかもしれない。
告白が上手くいけばその場で踊り出て2人を祝福し、そこかしこに特製の胸びれを投げつけてやれば良いだけである。もし失敗したとしても、そっと背びれを差し出してフォローすれば良い。
しかし、そうではない。渡辺さんは誰が見てもわかる位にタクミが好きなのだ。そして、ライバルであり友人でもある斉藤さんに先手を取られて動転している。そんな精神状態で、黙って覗いているなんて。どちらに転んでも良い結果には繋がりそうにもない。見えるのは2人の間に走る亀裂ばかりだ。
「うそでしょ……本当に見つけちゃった。瀧本くんってある意味凄い」
闇雲に探しまわって見つかる程、この城は狭くはない。逆に言えば、俺達が自由に歩き回れて、なおかつ人気の無い場所は限られているという事だ。
俺は目星をつけた数ヶ所を近い順にあたり、2ヶ所目で2人を捉える事に成功していた。やるからには見つけてやる、という俺の気質も問題のひとつなのかもしれない。
「そりゃどうも。それじゃあちょっとストップ」
「なによ」
「どうするか、ちゃんと確認させてほしい」
俺は、せめて混乱を最小限に抑えようと、足を止めて渡辺さんに向き直る。爆発した女心はわからなくても、言質だけでもとっておきたい。
「だから何もしないってば」
「何もしないって、本当に意味わかってる?」
「うるさいわね、わかってるわよ」
「タクミと斉藤さんが付き合う事になっても黙って見てられるの? って事なんだけど」
「う……」
「こんなとこで、友達同士の修羅場とか嫌だしさ。きつそうなら黙って戻ろう。知らない方が良い事もあるよ」
「何もしないわよ!」
「絶対?」
「……絶対」
酷い言い方で申し訳ないとは思う。それでも、自覚があるのと無いのとでは大違いだ。結果として飛び出してしまったとしても、その時はその時だ。
「後は野となれ山となれ!」
こう叫んで、最初に野山に駈け出した人もこんな気持ちだったに違いない。
「わあ、星がこんなにいっぱい見える! 凄いね! あ、流れ星!」
「本当だね、凄く綺麗」
誤解の無いように言っておこう。お星様に感動してはしゃいでいるのがタクミ。落ち着いた調子で相槌を打っているのが斉藤さんだ。
「ごめんね、急に呼び出したりして」
「いいんだよ! こんなに綺麗な空が見られるなんて夢みたい! 教えてくれてありがとう!」
お星様のせいで、タクミには必要無いはずの女子力が無駄にブーストしていて、雰囲気がシリアスになってくれない。斉藤さんの緊張した顔が目に入っていないのだろうか。
俺は、今すぐ飛び出して、タクミの頭をハリセンでしばき倒したい衝動に駆られていた。あれだけ、どうするか決めろとか渡辺さんに詰め寄っておいて、本当に申し訳ない。
「え……と、それで大事な話があるんだけど、いいかな? ごめんね、空は綺麗だけど、その事だけで呼んだわけじゃなくて」
「そうだったんだ? うん、いいよ! 何か相談とか? 精一杯のるよ!」
タクミ、そうだったんだ? だなんて、ど天然にも程があるだろう。
空が綺麗で呼んだ訳じゃない、なんて説明させるんじゃない! くそう、透明になれる魔法アイテムか遠距離射程の透明のハリセンが欲しい!
「あはは、相談かぁ……タクミくんに聞いてもらったら元気が出そうだね。今度お願いしようかな?」
「うん! 悩み事って話すだけでも気持ちが楽になるからね!」
「そうだよね」
「そうなんだよ! 僕もこの間、ユーキに相談に乗ってもらってすっごく楽になったんだ!」
「とりあえず今はユーキくんの事はどうでもいいから、聞いてもらってもいいかな? 本当に大事なお話なの」
業を煮やした斉藤さんの矛先が俺に向けらっる。どうでもいい、っていう一言は必要なのかな? あれ、綺麗な星が急にぼやけて見えなくなってきた。
ちなみに、2人の話がこれだけよく聞こえるのは、渡辺さんが風魔法で何かしているせいらしい。随分クリアに聞こえるから変だとは思ったんだよ。
そんな魔法、いつの間に覚えたの? もしかして普段も使ってたりする? 下手したら盗聴になるんじゃ? なんて今は聞けない。今度にしよう。
「うん、わかった。聞くよ」
タクミもようやく空気を察したのか正面に向き直る。それだけで今までのふわふわした空気が、凛と澄み渡るようだった。
告白前だろうが何だろうが、へらへら笑ってお星様に夢中でも大丈夫。ただしイケメンに限る、ここに極まれりという感じだ。
俺の隣で息を潜める渡辺さんも、決意を秘めた真剣な表情だ。不安と戸惑いの色は濃いものの、これなら不用意に飛び出したりはしない……かな?
未だに場違いな空気を消しきれずに尾びれを引きずる俺を置き去りに、場の空気は完成した。そして、斉藤さんが言葉を紡ぎ始める。気持ちを込めて、決意を込めて。
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