19.玄人な味覚の勇者様と素人料理の親友様
包丁が奏でる小気味良いリズム。ほのかに香る食欲をそそる匂い。夕飯時の家庭を連想させるこの風景や空間は、なんとも言えない郷愁を誘う。
俺は、そうした家庭的な空気の溢れる雰囲気や空間に、憧れが強い。両親の共働きという事情もあって、家族団らんの時間が少なかったからだ。
実際、今も1人暮らしに近い状態が続いている。兄や姉にしても、アクティブであまり家にいる方ではなかった。自分以外の親しい誰かが作ってくれるあたたかいご飯は、それだけで特別な意味があるのだ。
大体にして、俺のやってきた自炊なんて、簡単な炒めものがほとんどだ。手の込んだものは作れないし、味付けもざっくばらんである。だから、誰かが作ってくれるご飯には、よほどの事がなければ口出しをしないと決めている。
もちろん、美味しいに越した事はない。しかし、最も大切なのは食卓の雰囲気だ。それを壊してしまうような、無粋な行為は必要ない。そう、よほどの事がない限り。
「ルキ、油断しないで! そっち押さえてて!」
「うそ! 本当にこっちから切っちゃってもいいの?」
「いいのよ! え、どうなの? いいの?」
がりがりと、何かを無理矢理に切断しようとする鈍い摩擦音。飛び交う怒号と、困惑の声。
何を、どちらの方向にぶった切ろうとしているのか、それは知らない。知りはしないけど、すぐに不安になって聞き返してしまうくらいなら、やめた方が良いんじゃないかと思う。
油断なく押さえておかなければいけないようなナニカにしても、本当に食べられるのか、どうなのか。
ここには、心あたたまる食卓の風景などありはしない。言うなれば、現場だ。戦場なのだ。絶対にどうこうできない戦いだとかが、そこにはあるのだ。
「お姉ちゃん、ちょっと火が強すぎない?」
「いいの! こうなったら、いくところまでいってやるわ」
「うん。えーと、いったん弱火にするね」
強火がいくところまでいったら、焦げしか残らないに決まっている。特に仕切りがあるわけではない。それなのに、キッチンに目を向けてはいけない重圧と熱気を、ひしひしと感じる。いや、熱気は本物か。いくとこまでいける強火だもんな。
「ふふ……よく頑張ったわね、褒めてあげるわ。でもこれでおしまいよ!」
ダンッ!
力強い音が響き、ナニカにとどめが刺される。お姉ちゃん、完全に悪い人の台詞で、食材に話しかけちゃってるけど大丈夫? ハンドルを握ると性格が変わる人っているよな……ふと、そんな事が頭をよぎる。
「さあ、こっちは片付いたわ。ご飯を炊くわよ!」
「待ってお姉ちゃん、ご飯は私が炊いておくから。お願いだから、そっちをみてて!」
「そう? わかったわ。ルキ、あなたに背中を預けるわよ!」
お姉ちゃんは1人で別次元の戦場にいるようだ。白米だけは……美味しいご飯だけは死守しておくれ、妹さんや。後はもうどうなってもいい。良くはないけどもういいだろう、2人の無事を祈るばかりだ。
「プロの料理って、なんだかすごいんだね! どんなのが食べられるのか楽しみだよ!」
なあタクミ、それを全くの皮肉無しに素で言えるって、ある種の才能だと思うよ。鬼気迫る怒号とか、何かをぶった斬ってすり潰す、あの音が聞こえないのか。
小さい頃、タクミの家で食べさせてもらったご飯は凄く美味しかったのに。どうしてこんな子に育ってしまったのかしら。料理ってのは、魔法をかけたら出来上がり、じゃないんだぞ。
「そうだね……でも、ちょっとだけ心配な声とかも聞こえるよね。大丈夫かな?」
「今回はハルカに賛成。ちょっとどころか、心配しかないわね。瀧本くん、美味しい屋台料理が食べられると思ってきたのに、大丈夫なんでしょうね?」
こちらにも全く話が伝わっていない子がいたようだ。これは実験的な試みである事。楽しいものになる可能性は低いかもしれない事。ルキちゃんに配慮した言葉にはしていたけど、道中であれだけ説明したのに。
美味しい屋台料理が食べられるから、みんなでパーリーしようぜ! なんて誘った覚えはないのだ。大丈夫なんでしょうねと言われても困る。
「もうすぐ完成するわ……もうすぐよ、ふふふ」
「な、なんとかなって良かったねお姉ちゃん。こっちの火はとめちゃうね?」
どうやら、もうじき完成するらしい。出来れば拍手で迎えたいのだけど、どうも手が上手く動いてくれない。手に負えない強大な何かを呼び出して、案の定、制御しきれなくなって……という展開が見えそうな、小悪党風の台詞が邪魔をしている。
お姉ちゃんが作ってるのって、料理だよね? ブラックなマジックを素にした兵器とかじゃないよね?
ルキちゃんは、最初こそ戸惑っていたものの、すっかり落ち着きを取り戻したようだ。姉の発言をスルーしながら、火の始末に入っている辺りは流石だ。
「出来たわよ、お待たせ!」
ほどなくして、ルカさんが明るい声で料理の完成を宣言する。立ち入り禁止と空間に書かれていたような、殺伐とした空気が嘘のようだ。
味どうこうの前に、ルカさん自身に大きな問題が見え隠れしている気がする。ただし、そこに踏み入ったら、きっと無事では帰ってこられない。そっとしておこう。
「特製ギュウドンよ。さあ、めしあがれ」
意外にも……と言っては失礼かもしれないけど、匂いは悪くない。屋台飯の体で考えるのであれば、美味しそうな匂いに分類されると思う。火加減のせいか、少し香ばしさが前に出ている気はするけど。
「ギュウドンのギュウって牛だと思ってたんだけど、こっちでは違うのかな?」
問題はまたしても、匂いとは全く別のところにあった。目の前には、俺の知っている牛丼とは全く別の光景が広がっているのだ。昨日のオヤコドンの時に似た既視感を感じる。
メインの具は、肉と魚介の混成部隊だ。丹念に敷き詰められたそれらに、早くも脳みそが混乱している。しかも、その上にはとろみを帯びた野菜スープがごっさりとかけられていた。つゆだくにしても限度がある。
「ギュウ詰めのギュウなんじゃない? ほら、いいから先に食べてみてよ。ルカさん、待ってるじゃない」
渡辺さんに促されて、どんぶりにもう一度目をやる。
肉と魚介は、いくところまでいってしまった強火の爪跡を色濃く残していた。焼き上げた後に、焦げ部分をごっそり削りとったであろう跡があるのだ。ごろんとこちらを見つめている巨大魚の目玉も、凄まじいインパクトと存在感である。変な方向からぶった斬られていたのは、この子だろうか。
魚の目玉や近い部位の肉は、栄養が豊富で美味しいと聞いた事はある。だとしても、そのまま転がしておくのはどうかと思う。色とりどりの野菜に囲まれて、まるでどんぶり自体が生きているかのように、こちらを見つめている。怖い。
「……いただきます」
匂いは悪くないんだ。そんなにおかしな味がするはずない。ギュウドンだと言われたから、イメージが邪魔しているだけさ。こういう料理だと思うんだ。そうだ、これはこの世界のスタミナ丼に違いない。それなら、目玉がごろりとコンニチハしていても、おかしくない気がしてくるじゃないか。
俺は、必死のイメトレで意識をどんぶりに合わせていく。まずはそう、安定感のありそうな、肉と野菜スープのコラボ部分から手をつけてみよう。いきなり目玉をつつくのはハードルが高すぎる。ゆっくりと箸を動かす俺にならって、みんなそれぞれに未知なるギュウドンを口に運んでいく。
「どう? 本場の屋台の味は?」
どうしてこの子は、こんなに強気なのだろう。正直に言えばまずい……でもやはり、食べられないほどではない。個人採点は、昨日と同じ30点台だ。
せっかく香ばしく焼き上げた肉は、味付けが無いに等しい。続いて口に入れた魚介は、火の入れ過ぎで固くなっていた。こちらも味らしい味はしない。反対に、野菜スープは味が濃すぎて、単体では食べられない。魚介の出汁も全て吸収して、とろみと共に謎の主張を繰り返している。
唯一、ご飯だけは、ルキちゃんが仕込んでくれたおかげか素晴らしい炊き上がりだ。具材の大喧嘩によって、すっかり存在を消しているのが残念でならない。
「なんだろう、個性的な味?」
「……そうね」
女子2人は言葉を濁しあっている。タクミは……駄目か、色々な具材に少しずつ口をつけてはいるものの、悲しそうに潤んだ瞳が全てを物語っている。
「遠慮しないでどんどん食べてよね! うちのお店、普段は並ばないと食べられないんだから!」
ルカさんはいまだに上機嫌だ。俺は、上からの発言にだんだん腹が立ってくる。
「ルカさん。これって味見してる?」
「え? そんなのしてないけど。こんなにいい匂いなのに、美味しくないわけがないでしょ!」
よし、もうだめだ。物申す。
「いいから食べてみて」
俺は一切の笑顔を消して、どんぶりを突き出した。
「美味しい?」
「うそ……美味しくない」
「普段から、味見もせずにこれをお店で出してるとしたら、お客さんに失礼なんじゃないかな」
凍りつく空気。このままでは、ただの悪者だ。でも、そうならない為の準備は、考えてきたつもりだ。
「まだ材料って余ってる? あと調味料」
「あるけど……どうするんですか?」
苦い顔をして味見を繰り返すルカさんにかわって、ルキちゃんが答える。
「ちょっと、味だけ整えてみようと思って」
なんの事はない。味付け無しの肉と魚介を、それらしくしようと思っただけだ。過剰に濃厚なスープは、薄めて体裁を整え、どんぶりからは切り離す。巨大魚の目玉は……どうしよう。まだこっち見てる、ごめんなさい。
キッチンに入ると、屋台の仕込みも兼ねていたらしく、大量の肉と魚介がお出迎えしてくれた。魚介というより魚塊である。
「すごい、醤油があるじゃん! これは勝てる!」
正直なところ、異世界仕様の謎調味料ばかりだったらどうしようと心配していた。でも、醤油があるなら、和風な感じでなんとかなりそうだ。
いつもの一人飯の要領で、適当に肉を醤油ベースに味付けしていく。スープの余りで残っていた野菜も加えて、どんぶりに盛り付ける。もちろん味見も忘れない。
「……美味しい」
「それなら良かった。まあ、まかないみたいなもんで、適当ご飯だけどね。スープの方に、魚の色々は入れちゃったよ。そのまま食べるのはきつそうだったから」
「意外な特技ね、包丁を握った事もなさそうな顔をしてるのに」
「ユーキくんすごい! 料理のできる男の子ってポイント高いよ!」
店に出せるレベルではないけど、どうにか普通に食べられる味にはなったと思う。女子2人の評価もなかなかのようだ。包丁を握りなれている顔とはどんな顔なのか、であるとか、気になるところはあるけど。
さて、ここまでの話の流れからして、ルカさんの味覚自体は崩壊しているわけではなさそうだ。これなら大丈夫だろう、俺は仕上げとまとめにかかる。
「色々詰め込みすぎないで、味見もすれば、美味しくなるんじゃないかな? 食材も調味料もいいのが揃ってるんだしさ」
「お姉ちゃん、嘘ついたみたいになってごめんね。屋台のお客さんって、ご飯目当てじゃないみたいな人も多そうだし……客観的に見てもらおうと思って、皆さんを呼んだの」
「ルキちゃんは、ルカさんを色んな意味で心配してたんだ。責めないでやってほしい」
ルカさんはうつむいてしまう。
姉妹の中心となって、屋台を切り盛りしてきた自負があるだろう。今まで、美味しいと言われ続けてきたプライドも。それを、味見をしているのかと突き返した上に、別の味付けまでしてしまったのだ。
微動だにしないルカさんに、俺の背を冷たい汗が伝う。やり過ぎてしまっただろうか。予定としては、ここで少しだけ反省してもらって、めでたしめでたしのはずだった。
「みんなが美味しいと言ってくれるからって、味見もせずに出すのは、間違ってたよね」
「お姉ちゃん……」
「ルキ、みんなもありがとう。本当に美味しいって自分でも思えるものを、作ってみせるわ!」
ルカさんの決意に、場の空気がほっと和らいでいくのを感じる。恥ずかしそうに小さく笑うルカさん。私も手伝うね、と嬉しそうなルキちゃん。斉藤さんと渡辺さんも笑顔を取り戻し、口々に励ましの声をかけている。一瞬だけひやっとしたけど、これで一件落着かな。
「ふう、やっぱりだ。ユーキのアレンジもなかなかだけど、プロは違うね!」
その時だった。まとまりかけた空気の中に、突如としてタクミが爆弾発言を放り込んできた。
「ルカちゃんが最初に出してくれたの、全部あわせて食べるとすごいよ!」
「いや、何を言い出すんだよ。だってあれは」
「お肉が4、お魚2、ご飯3、スープ1くらいで食べると凄く美味しい!」
「なんだその細かい比率は」
「お肉の柔らかさとお魚の歯ごたえを、スープの塩気とご飯が上手に包んでくれて、絶妙のハーモニーを奏でてくれるんだ!」
タクミくんや。ハーモニーがどうとか、取って付けたような言葉をどこで覚えてきたんだい。そんな比率で食べたからって、あの大喧嘩が収まるわけが……
「え、旨い!」
「うそみたい!」
「さすがタクミくん!」
「……信じられない」
本人でさえ、信じられないと口にしてしまっている。そんな驚きの黄金比がそこにはあった。
「そうだったのね、私の舌に間違いはなかったんだわ! 危うく自分を見失うところでした。勇者様、ありがとうございます!」
なにこの空気。自分を見失うところって、あれだよね。さっき美味しいって言ってくれてた、俺が味付けした、あれだよね?
「もしかして他のも? 勇者様、どうか他のメニューも救って下さいませんか?」
ルカさん、自分の料理なのに救ってほしいって言っちゃったよ! タクミも、口ひげが似合ってきそうな表情で頷いている。さっきのまとまりかけた空気を返してほしい。
その後は、ルカさんとタクミによる別次元のグルメトークが展開された。タクミ良ければ全て良しの渡辺さんと、美味しければ正義というミーハー斉藤さんも、すっかりそれに乗っかっている。
「あの、先輩……これって」
「ごめんルキちゃん、今日はこれ以上どうしようもないよ。あの比率を見つけた、タクミの舌がどうかしてるんだ」
まだ納得のいかない俺とルキちゃんをよそに、宴は続く。その後ろでは、俺の残した巨大魚の目玉が、悲しそうにこちらを見つめていた。
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