第四話:僕の、名前
「面目ないよ」
はぁぁと気を沈ませる洋々を見て、錦は明るく笑った。
「なに言ってるんです。こうして元気に育ったんですから、十分じゃありませんか。坊ちゃんが真っ直ぐに、優しげな目をして錦を見てくれることほど、嬉しいことはありません」
「でもそれじゃ、ぼくの気が済まないっていうか」
「坊ちゃん」
錦が優しく呼び、包帯を巻き終えた手に、そっと柔らかい手を重ねた。
「坊ちゃんがお生まれになって、旦那さまも奥さまも、大奥さまも大旦那さまも、あたくしもミト婆も、みんなが喜んでお迎えしたのです。それは坊ちゃんが坊ちゃんだからで、この世に二つといない大切な家族だったからですよぅ。たとえ片方の手が他の子と違っていても、それがなんですか。坊ちゃんは坊ちゃんなのだから、シャンと背筋を伸ばしてお生きなさい」
それが何よりのお返しですよぅ、と囁く。
洋々はしばし黙って、包帯に包まれた右手を見た。
「そうかなぁ」
「そうですよぅ。だいたい、なにもできやしないだなんて言うもんじゃありません。大奥さまが聞いたら、お嘆きあそばします」
と、錦は恐い顔を近づけて。
「それに、奥さまと旦那さまからいただいたお名前があるでしょう。名は体を表すという。大事になさいませ」
「うーん……」
この暴力的な右手があるなら、むしろ拳太郎だとか僕助だとかいう名前のほうが良かったんじゃないかと、思う。それでも、錦がじっと真剣な顔を近づけてくるので、大人しく頷いた。
「そうだね、希望をもって、洋々とね」
「そうです」
錦が満足げに頷き返したところで、座敷のほうからひょこひょこと猿のような男がやって来た。気づいた錦が、さっと立ち上がる。
「お取り込み中のところすんませんね。修理が終わったんで、見てもらっていいかい?」
小男はそう言って、首にかけたタオルで禿頭をなでた。まださほど時間が経っていないというのに、ずいぶんな早業だ。
とはいえ広木家のこと、修繕のたびにやって来るこの職人が人間かどうかは、見た目からして怪しいものである。そのところの事情には洋々よりも明るい錦が、慣れた調子で頷いた。
「はいはい。ただ今まいります」
「ぼくもいいかな?」
洋々はとっさに言った。なにしろ壊してしまった当人だ。二人を尻目に、徒然と庭を眺めているのも心苦しかった。
「そりゃあ、ぜひとも」
職人の厳つい顔に、笑顔が浮かんだ。
「今度は坊ちゃんでも壊せねぇような頑丈な木ぃ選びましたからね。しかし、あれだけ力が強いなら、いっそワタシみてぇな大工仕事が向いてるかもしれませんねぇ、坊ちゃん」
まんざらでもない口調で言って、先に立って座敷へ向かった。口は悪いが、気の良い御仁のようである。
この人の「坊ちゃん」もなんだか良い感じだ、などと思いながら、洋々は立ち上がった。
その時、ちらりと離れに人影が見えた。急いで振り向いたが、細い人影はすぐさま建物の中に消えてしまった。
「母さん?」
小さく呼ぶ声に、右手が呼応するように疼いた。