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第三話:僕の、生活

 そんな洋々も来年はもう中学、さらにその先には長い長い社会人生活が待っている。

 そこで、どうしたものかな、と父親はうなっていたのだった。日に日に大きく、過激になっていく洋々の右手。平生、冷静沈着なご当主を悩ませる威力は殴る叩くの比ではない。


 もともと入り婿である父親は、広木家の特殊な家業には関らず、普通の企業で普通の会社員として働いている。だから、祖父のように山ごもりなどして得体の知れない生き物と付き合ったりしないし、祖母のように占いをしては政財界の大物を嘲笑ったりしない。そんな父にとって、息子の現状はいかんともしがたい存在なはずである。それでも実に辛抱強く育ててきたのだ。


 それは洋々にとって、何より幸いなことだった。広木家の誰も、彼を蔑んだり邪険に扱ったりしないのだ。おかげで自暴自棄にも卑屈にもならず、右腕以外は健全な子供として育ってきた。友達はいないけれど。


 洋々は包帯にぐるぐる巻きに固められた右手を見る。先ほどの暴走の余韻で包帯はところどころで千切れていて、うっすらと赤銅色の肌が覗いている。


 日本人の肌色ではない。叩けば鉄のように硬く、厚い皮膚に覆われているのが分かる。そのくせ、包帯の重みを感じないほどに軽いから、もはや人間の手でもないかもしれない。ただ、日に当てるとそれこそ鉄のようにつるりと光り、そのきれいな輝きは少しだけ自慢だった。


 そうして微笑んでいると、家政婦の童顔がひょっこり覗いた。


「何か楽しいことでもありました?」


 洋々は慌てて表情を改めた。


「ううん、なんでもない」


「包帯、巻きなおしましょう。じっとしてて下さい」


 ポニーテールを軽く揺らして、家政婦の少女はすぐ隣に正座した。救急箱を置き、中から新しい包帯を取り出す。


 この少女、錦は幼い頃から、祖母の跡を継いで住み込み家政婦として奉公――もとい働きに来ている。それから八年、洋々にとっては姉のような存在だ。瞳と髪が茶色に近い淡い色をしていて、日に当たると柔らかな金色になる。日本人には珍しいのじゃないだろうか。それが不思議で、洋々はじっと年の近い家政婦を見つめた。

 気づいた錦がにっこり笑った。


「あたくしの顔に何かついてます?」


「錦の髪の毛って、金髪みたいだ」


「あたくしの家系は髪が細いので、日に当たると透けてしまうんでしょう」


 錦はそう言って、絹のようにさらさらした前髪をつまんだ。それだけじゃあ金色にはならないだろうと洋々は思ったが、とりあえず、ふぅんと頷いておく。

 錦はきょとんと目を丸くした。


「どうしました? 元気がないようですが。包帯がおいやですか、坊ちゃん」


 『坊ちゃん』と、これが前の家政婦のミト婆に言われるとこそばゆいのだが、錦の言い方はどこか軽妙で、心地いい。


「ううん。手が見えてると気味が悪いから、それは別にいいんだ」


 とたん、悪口に反応するように右手がはねた。錦がキャラキャラと年相応の笑い声を上げた。


「お手の悪口はいけませんよ、坊ちゃん。こんなに立派な手をした子は他にありません」


「立派っていうには品も風情もないようだけど。普通の手がよかったな」


「なんの、錦は普通じゃない坊ちゃんの手も好きです」


「でも恐いよね」


「坊ちゃんの手ですもの。優しくて温かくて、大好きですよ。ただ、人よりもちょっと大きくて、日に焼けた色をして、おいたが過ぎるってだけのことです」


 錦はいつだって、明るい声でちゃきちゃきと話す。本心から言っているのが分かるから、それがありがたく、洋々は笑った。


「ありがと。錦は優しいね」


「いやですよぅ、坊ちゃん」


 目を細めて、照れくさそうに頭をかいた。その横で、しかし洋々は笑みを引っ込めて唇をとがらせる。


「坊ちゃん?」


「ぼくは一人じゃ外に出られないし、家にいてもいろいろなものを壊しちゃうだろ。そうやって、みんなから平穏な生活を奪うだけで、何もできやしないんだ」


 口に出してしまうとなおさら情けなくなって、顔をしかめた。


 異形の右手。やろうとすれば、人すらも殺せる。実際、たった十数年の人生で何百回と殺人未遂をやらかした。そんな洋々を育てることができたのは、もともと常識離れしていた広木家だからこその芸当だ。

 それだからこそ、大切にされればされるほど、自分の立ち位置が危ういものに思えてならなかった。優しくされればされるほど、己の至らなさをひしひしと感じた。

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