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第一話:僕、殴る

 緑深い山間にひっそりと建つ、大きなお屋敷があった。

 コの字を描いた母屋から、渡り廊下で繋がる無数の別棟。それを中心として、点々と建つ離れや東屋。庭園には池があり、橋を渡したその下を鯉が泳いでいる。築何百年と経つような年季の入りようである。

 

 場所も悪いし、人気はないが、廃虚にしては手入れがされている。狐狸妖怪の住処か幻かといった風情の屋敷ながら、そこは立派に人家なのだった。

 

 イグサの匂いが香る、奥座敷。いま、平穏な庭をのぞむその座敷で、それぞれ上座と下座に座って父子が対面していた。父はむっつりと口を閉じ、息子は気弱そうに視線を落として。

 

 しばしして、息子と向かい合った父親がうなった。


「どうしたものか」

 

 その正面、十二、三歳ごろの少年はちんまりと正座して、間の抜けた声を発した。


「はぁ……」

 

 優しげな細面、父親に似た痩身。ごく普通の少年だ。しかし、その右腕は奇妙なものだった。

 

 肘から下にかけて包帯がぐるぐる巻きに巻かれ、本来の手よりずっと大きな棒と化している。棍棒を三本ほど添え木にして覆ったかのようだ。その全長、四十センチに届くかというほど。

 ちょっとした凶器になりそうなそれを一瞥し、父親は小さなため息を吐いた。


「この広木家は古くから怪異や占いを扱ってきた家系だ。ちょっとした異常には目をつぶる。とはいえ――」


「はぁ」

 

 少年は純朴そうな目をくりくりさせて、大きな包帯の塊で頭をかく。

 そうして黙々と向かいあう二人へ、若い家政婦がしずしずとお茶を配った。たすきでくくった和装にエプロン姿の、十八、九歳ほどの娘である。

 

 ありがとう、と穏やかに言いおいて、広木家のご当主はさっそく湯のみを手に取った。息子は大人しく父親の所作を眺めている。

 

 と。


「あちっ」


 ずずずとお茶をすすったご当主が、いきなり湯のみをひっくり返した。透きとおった緑茶が畳にこぼれ、しずくが飛ぶ。それは正面で畏まっていた子供の頬にも飛び散った。

 あ、と声を出したのはご当主と家政婦のご両人。とっさに拭き取ろうとした家政婦だったが、遅かった。


「うぅぅ」


 少年がうめく。見る見る間に眉を吊り上げ、目を見開いた。優しげな顔立ちが一転、牙を剥いた鬼のごとし形相へと変わる。


「うがああああああおおおおおおおう!」


 天を割るような咆哮が上がり、押しつぶされんばかりの圧迫感にびりびりと空気が震える。

 そうして勇ましく立ち上がった少年は、それこそ棍棒を振るうように腕を上げ、襲いかかった。


 お茶をこぼした湯のみに。畳に飛び散った緑茶に。


「がああああああああああうううううう!」


 包帯に巻かれた手を一心不乱に振りおろし、これでもかというほどに殴りつける。強烈な打撃に畳が砕け、さらに棍棒のごとし拳は床を穿って床下まで突き抜けた。

 埃が立ち、座敷はたちまち土の匂いにまみれていく。


「ううううううぅぅぅぅぅ……!」


 床に大穴を開けたところで、少年はようやく殴打をやめた。しかし腹の虫は収まらないようで、狂気に満ちた目玉がきょろきょろする。


 その視線が、襖に描かれている龍とかちあった。


 幻想的な渓谷で、風のように空へ昇る一匹の龍。墨で描かれたそのつぶらな瞳が、怒りに満ちた少年の目には嘲り笑っているように映ったのだった。

 そちらへゆらゆらと近づき、少年は腕を振り上げた。


「うごぉぉぉぉ!」


 ドコバキボコバキと、すさまじい破砕音とともに座敷が破壊されていく。

 もしもその腕に棍棒が仕込んであったなら、すでに折れていてもおかしくない衝撃を受けているはずだ。しかし少年の腕は順調に座敷の景色をぼろぼろにしていく。


「どうしたものかな……」


 父親がポツリと呟くその横で、家政婦は慌てて、暴力の嵐に巻き込まれそうな壷や掛け軸を避難させるのだった。

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