三 四条河原芝居小屋
四条河原の芝居小屋に入ると案の定、りんの美しさは人々の目を奪う。
厳めしい古武士の小吉が側にいるので無事だが、ほっておくと芝居そっちのけで何人もがりんを口説くだろう。
腕の股を小刀で切り、血を見せつけるような連中も出てくる。それがこの時代の求愛の表現の一つであった。
りんはそんな連中に気が付いていないのか、小吉に話しかけはしゃいでいる。
儂のような男に、この天から降りてきた者はそのような笑顔を呉れるのか・・・
芝居が終わると、ぞろぞろと幔幕の外に出る行列の中、小吉はりんの肩を抱いた。芝居を見ていた後ろの若い連中の一団が、じろじろとりんを見ていたのだ。後に傾奇者と呼ばれる男気を売る連中だった。女に飽きて若衆を連れ歩くのが流行だ。
この時代は『若衆好み』という風俗があった。良家に生まれて素直に育てられた、恵まれた子息達が世間の羨望の的だった。見目麗しく身こなしのよい少年達に男も女も憧れた。彼らの姿絵が飛ぶように売れた。
この連中も煌びやかな金糸の小袖を着て、女のような仕草をする若衆達を連れていた。明らかにふしだらな生活をしていると判る。だが、りんの清楚な美しさに心を奪われた傾奇者達に、若衆達はつっけんどんな態度を取り、喚きはじめていた。
りんは肩を抱かれると、びっくりして小吉を見た。夜に同じ布団で寝る。だが、お互いに性を望むことはしない。
小吉もりんも、それをしてしまってその結末を怖れているのだ。
・・・お互いの暖かさと匂いに包まれいつしか寝てしまう。起きている時も決していちゃいちゃしたりしない。だから外で手を握り合ったこともないのだ。
りんは、その口に愛らしい笑みを浮かべて唇を噛んだ。うれしかった。
りんの刺客として育てられた感覚は危険に対して鋭い。
傾奇者達は金覆輪の鞘の太刀をぶら下げていたが、そんな抜きづらいものを持つ彼らの戦闘能力の低さに、りんの警戒心は発動していなかった。
りんには小吉しか見えておらず、その小吉だけに向けた表情が、どのような影響を周囲に及ぼすか関心が全く無かった。
だが、傾奇者の一人が小吉を思い出した。
前田慶次の『かまやり』だと。
そしてさらに思い出した。この四条河原で、過去に行われた『決闘』を。
十数人の荒くれ者に囲まれて、瞬く間に数人を血祭りにして残りを潰走させた『阿修羅』のことを。その阿修羅は少女のような容姿なのに、無慈悲に荒くれどもの首を刎ねていった。興福寺におわす少年阿修羅が降臨したと流れいる見物人達はどよめいた。そして後からその阿修羅は伏見に住む浪人武士、前田慶次郎利益の従者、『ながくろかみ』だと知れた。
その事件の後に、阿修羅様を拝むために老若男女が慶次郎の伏見の屋敷に押しかけた。
絡むのに相手が悪すぎることを悟ったか、傾奇者どもは散っていった。ほっと緊張を緩める小吉だった。
だが、小吉の受難はこれで済まなかった。