十 阿修羅が泣いた
言葉を継げぬ小吉に、廻りの若衆どもががなり立てた!
「そうじゃ!お前のような情けない男にりんは渡せぬ!」
「帰れ帰れ!」
「りんを連れて行きたくば、土下座して願え!」
「そうじゃ!土下座じゃ!」
武士が間違っても、武士でない者に土下座などせぬ。家と土地と名誉のために生きる武士が、そのようなことをする分けがない!
小吉は震えて刀を握りしめていた。顔は鬼瓦のようだ。りんは横を向いている。紅潮した頬にかかる逃れ毛が口端に入っている。美しい。
越後は小吉がりんに乱暴しようものなら、即座に番人に取り押さえさせ放り出そうと思っていた。『大切な者』などと人前では言いながら、帰れば打って従わせようなどという男ならば許さぬ!
土間の番人の一人に目を合わせた。番人はゆっくり頷いて棒をくるりと廻した。
すると小吉は諦めたのか、土間の方に向かった。りんの目は小吉の背を追った。
これでいい。さよなら、小吉さん。
だが、小吉は土間に裸足で飛び降りると、力士のように足を広げ、腰を落とし土を足の指で踏みにじった。そして天上を睨んだ。
りんのほうに振り返り、両膝をどしんと落とした。そして両手を土壇に突いた。
皆、それを見て声を押し殺した!
頭の越後は面白そうに見台から見物している。りんははっとして立ち上がり、式台に走った。
小吉が大声で言った。
「りん!今生の願いじゃ!儂のもとへ」
「小吉!駄目じゃ!」
りんが土間に駆け下り小吉の前に跪いた。
小吉の動きを止めようとした寸前、小吉の頭は鈍い音を立てて土壇に打ちつけられていた。頭の下から小吉のくぐもった声がする。
「戻ってくれ!」
「馬鹿!さむらいが!俺のような者に頭を下げるな!頭を上げろ!」
りんは小吉の頭を掴んで必死に上げようとした。だが、小吉の強靱な首はびくとも動かない。
りんは小吉の頭と背をぽかぽか叩き出した。
「小吉の馬鹿!馬鹿野郎!なんで俺なんかに!・・・」
小吉の声が再びした。土を舐めている。
「お前は儂の宝じゃ!儂は前田様のために死ぬ!しかしお前は死んでも守り抜く!お前は儂の生き甲斐じゃ!」
叩く力が弱まった。小吉の背中にりんは顔を付けた。愛おしそうに背を撫で回す。肩がびくっびくっと震え出す。
皆は次に来るだろうことを予想した!
固唾を呑んでそれを待つ。
わーとりんは泣き出した。
顔を上げわんわんと泣く。
涙が滝のように頬から落ちた。
小吉はがばと跳ね起き、りんを抱きしめた。りんは小吉の厚く広い胸で泣き続けた。
誰かが言った。
「阿修羅が泣いた!」
「そうじゃ!阿修羅を泣かすとは何という悪い男よ!」
「悪鬼羅刹よりも恐ろしい男じゃぞえ!」
「阿修羅が泣いた!阿修羅を泣かせた!」
大合唱が黎明の宮川筋に湧き上がった。
前田慶次は物持ちよ。
かはらげ(愛馬、松風)、
かまやり(小吉)、
ながくろかみよ。
了




