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ゴシック・ホラー ロマン

作者: 武田花梨

コバルト短編もう一歩の作品。

「栄養不足ですねー。ちゃんと飲んでいますか?」

 白い病室内。居心地悪く座りながら、その問いに対し、かすかに首を横に振った。

「いいえ」

 黒髪がさらさらと揺れる。まいったな、怒られるのは好きじゃない。神経質そうな男の医師は、ボールペンの後ろでおでこをかく。

「『慢性的人血偏(まんせいてきじんけつへん)欠乏症(けつぼうしょう)』ですね」

「ま……なんですって?」

 何を言っているのかすぐには理解できず、聞き返してしまう。しかし医師は繰り返そうとはしなかった。

「ま、手っ取り早い治療方法は、さっさと飲むことです」

 飲めないから、こうして病院に来ているというのに。

「いやぁ、しかし、本物の吸血鬼に会えるとは。医者やっててよかったですよー」

 三つ目を細め、さも嬉しそうに医師は笑う。笑っている場合ではないような気もするのだが。

「私の専門は日本のものに限るんで、アッチの妖怪……といったら語弊があるのかな? まぁ洋物の患者さんなんて早々来ないですよ。狼男とかフランケンシュタインとか……」

 なぜか目を輝かせている。この様子なら症状は軽いということだろう。少し安心した。

「じゃあ私帰ります。ありがとうございました」

 軽く腰をあげ、席を立とうとする。三つ目の医師は「お薬、出しておきますんで」と言った後、付け足すように続けた。

「これ以上飲まないと、早死にしますよ」

 その言葉に、カーミラは動きを止める。随分重要なことを最後に放り込んでくるではないか。

「そんなに、危険ですか」

 三つ目の医師は頷いた。

「そりゃそうでしょう。吸血鬼が人の血吸わないでどうするんですか。ロマンがないですよ」

「いえ、ロマンとかじゃなくて、体のほうは……」

「ですから、危険です。一刻も早く飲んでください。あ、でも私はダメですよ」

 あっはっは、と笑いながら手を左右に振る。

 身勝手なことを。いっそ噛み付いてやろうかと思ったが、妖怪の血では栄養補給にはならない。かえって危険だ。妖怪同士の血は混ざり合うものではない。

「カーミラさん、美人だからすぐにでも誰かの懐に入れるでしょ。男だったら吸われても逆にラッキーくらいな」

 神経質そうなのは見た目だけだった。なんと調子のいい妖怪なんだ、この医師は。

「考えておきます」

 それだけをぼやくように言うと、カーミラは診察室を出た。

 すれ違う妖怪は日本のものばかりだった。布切れのようなものから、首が伸びる女。マスクをしているあたり夏風邪にでも引いたのだろうか。妖怪でもみんな病気になる。

 窓口で気休め程度の栄養剤を受け取り、カーミラは地下にある病院から地上に出た。

 夏の暑い日差しは、エアコンで冷えた体に辛くあたる。しかし、汗が滲むことはなかった。

 人の血を吸わなくなったカーミラ。正確にはかの有名な『吸血鬼カーミラ』の名を継ぐものだ。現在三代目カーミラとして生活している。

 とは言っても、吸血鬼として、何もかもが終わっていた。

 太陽の光も、十字架も、鉄の杭も、賛美歌も、何もかもが平気になっていた。いちいち気にしていたらテレビも見られない。すっかり現代の生活に馴染んでしまった。ロマンがないと言われても仕方がない。

 それが理由で、ヨーロッパを追い出されたようなものだ。

『ゴシック・ホラーの夢を壊す厄介者』

 として、日本へと来たわけである。それも数十年前のことだ。だが、カーミラは未だ十代後半の姿。

 今は異国人として、山間にある村に住んでいた。日本へ来た当初は、外国人が物珍しくない都心部で過ごそうと思ったのだが想像以上に騒がしかった。さすがに現代っ子の吸血鬼といえど、夜でも明かりが絶えない世界は苦痛だった。目立つことは承知のうえで、人口の少ない場所へ行き着いた。

 地下病院へ繋がる洞窟を見つけたのもここに決めた一番の理由だった。しかし、何年たっても見た目の変わらない女がいては怪しまれる。ここにいられるのもそう長くはない。

 次に住むところも色々便利であればいいなと思った。駅に近いとか、コンビニがあるとか。

 そんなことを考えながら、止めておいた自転車に乗る。日本に来てから、この乗り物の便利さを知った。これといったメンテナンスもなく、歩くより早い。風をきる感覚は、ロマンを守る生き様では経験出来ないものだ。

 ここでは、異国人でもない。元々の黒髪を生かし、紫の瞳は黒いカラコンで隠している。それだけで「彫りの深い顔の日本人」になれる。ここではただの人間、しかも日本人として生活出来ている。

 セミの鳴く声を聞きながらの自転車は心地よかった。砂利道だから、上下に揺れるのはあまりいい気分ではなかったが。

 その上下運動が続き、胸の奥が塞がれるような気持ちの悪さを感じた。最近の体調不良の初期症状。

 病院に行ったのに帰り道に倒れるわけには行かない。自転車を止めようとしたが、ブレーキを握る手に力が入らなかった。

 あぁ、と手も足も出来ない状態で幹の太い木に突っ込んだ。さほどスピードを出していないとはいえ、その衝撃でカーミラは体を道路に投げ飛ばされた。

 砂利の上、薄手の黒のワンピースは土煙にまみれた。

 衝撃のせいで、気分の悪さよりも痛みの方が優先されていた。顔を少ししかめ立ち上がろうと膝を立てると、手を差し伸べられた。

「馬車で菩提樹、じゃなくて、自転車で楠にぶつかるなんてね」

 男の声に、カーミラは警戒する。

 先々代――小説で有名なカーミラは、馬車が菩提樹にぶつかったことで、主人公ローラの城に住む事ができたのだ。

 なぜ、それをなぞらえる……?

 差し出された手を取らず、カーミラは自力で立ち上がった。

 改めて、男の顔を見る。学生服に、長くも短くもない黒い髪はさらさらと夏風になびいている。

 高校生だろうか。それにしては、色気があるというか……透明感ある肌と、整った顔立ちは日本人離れをしていた。カーミラが思うのも違う気がするけど。制服を着ていなければ、大学生か、それ以上に見える雰囲気だった。

「あなた、何を言っているの?」

 流暢な日本語で話す。これもゴシック・ホラーの夢を壊すようで悪いが、その土地に住めば勝手に語学はついてくる。そういうものなのだ。

「この村のジジババは騙せても、俺はそういかないってこと」

 言葉の悪い男だ。だから顔のいい男は嫌いなのだ、とカーミラは内心毒づく。

 ふと、数十年前、まだこの村ではないが日本に住み始めたときのことを思い出す。

 いい人だった。顔はイマイチだったけど、それも含めて好きだった。だから、血も美味しかっただろう。けれど、それを口にすることはなかった。出来なかった。

 ノスタルジーを打ち消すように、男の声が聞こえる。

「城じゃないけど、俺の家に来る? 誰もいないから」

 下世話な笑みを浮かべている。お世辞にも頭はよさそうではないが、こういうタイプはきっと学校では優等生なのだろう。

「行きません」

 倒れた自転車を起き上がらせ、サドルにまたがる。しかし、臀部に感じたのは柔らかさではなく突かれるような痛みだった。

 ゆっくり顔を向けると、そこにサドルはなかった。

 くすくす、という笑い声にカーミラは男のほうを向く。その笑顔はまだ少年っぽさが残っていた。だが、その手にはサドル。

「転んだ拍子に、とれちゃったみたいだね」

 嘘をつけ。簡単に取れるものではないはずだ。しかし、いつの間にはずしたのだろう。そんな時間もなかったし、やはり衝撃で外れてしまったのだろうか。

「返しなさい」

「やーだ」

 手を出したカーミラから、するりとサドルを離れさせる。どうやら、外見と違ってかなり子供のようだ。色気のせいで下世話に見えた笑みも、ただのイジメっ子顔(づら)なのだろうと感じた。腹立たしい。

「木にぶつかっても、サドルがなくてもほとんど反応しないなんて、やっぱあんたおかしいよ」

 そう言われ、カーミラは内心下唇を噛む。普通の人間ならば、悲鳴をあげたり、痛いと言ったりするだろう。だがそれしきのことでいちいち動揺しないクセがついてしまったせいで、疑われるとは。

「私をどうしたいの?」

 単刀直入に聞くと、男はサドルを弄びながら空を見上げる。濃い青空は、真っ白な雲がゆっくりとながれていた。

 セミの鳴き声と、木々の揺れる音。

 カーミラは髪を押さえながら男の顔を凝視した。

 せっかく平穏な生活をしてきたというのに。人間に迷惑をかけないように生きてきたというのに。こんな体になってまで。

 そう思うと、この男、いや少年が憎らしくなってきた。

「どうって……そこまで考えてなかった。けど、知りたいんだよね、あんたのこと。俺は(りょう)。涼しいって書いて涼。あんたは? 俺は勝手にカーミラって呼んでたけど」

「……それ、本名」

 すると、涼は予想通り吹き出した。だから名乗りたくないのだ。偉大な先人のせいでこっちが迷惑している。

「正確には、三代目カーミラ」

 涼は手の甲を口元にあて笑いをこらえていた。高校生に気を遣わせた笑いをさせるとは寂しいものだ。見た目ではカーミラとさしてかわらないが、年齢は何十倍も違う。

「落語家みたいに、襲名するんだ」

 口元を引きつらせながら言う。失礼極まりない奴だ。これだからゆとり世代ってやつは……今の高校生はゆとりだっけ、つめこみだっけ? とカーミラは日本の教育についてつい考えてしまった。

 その沈黙を怒りと感じたのか、涼は少し気まずそうに陳謝した。

「ごめん」

 意外と素直に謝るんだな、と思うと、見た目より悪い奴ではないのかもしれない、と思った。好きになれそうな人格ではないが。

 カーミラは軽く咳払いし、動揺した心を落ち着けた。

「別に、私はここに居座るつもりもないし、あなたがどう喚こうがなんの影響もない。だからあれこれ詮索して、それを公表することに私はなんの抵抗もないの。あなたのやっていることはムダなの」

 どうせ、長く同じ場所にはいられない。カーミラに怖いものはない。今までも、これからも、ひとり生きていくのだから。

 しかし、涼の反応は意外なものだった。

「公表なんてしたって、ジジババにはよく分からないことだと思うけど? 座敷わらしが出ると言った方が驚くと思うし。時折見かける女の子の正体なんて、それほど興味もないし、信じもしないと思う。どういう力か知らないけど、あんたは丸山さんちの親戚という扱いで馴染んでいる」

 丸山という家は、この村一番の大きな地主の家だ。丸山一家は、カーミラを別の家の人間だと思い込んでいる。そうやって、身分を作り上げて馴染むのが一番なのだ。

 おかげで、村人たちは

「お宅の娘さんは……」「うちに娘などいませんが」「ああ、親戚の子でしたっけ、この間自転車に乗っていましたよ」「夏休みだから遊びに来ていたんです」

といったように、かみ合ったようでかみ合わない会話を展開している。

 カーミラのゴシック・パワーで身分もろもろを隠してきていたが、それもまた現代社会によって弱まってきているのかもしれない。非常に嘆かわしい事実である。

 ちなみに、カーミラは丸山家の裏庭、竹林の奥から地下にもぐり生活している。

 とはいってもモグラではないので、土の中で生活しているわけではない。が、ゴシック・ホラーのロマンを守るためにこれ以上のプライベートは非公開としている。

 生活費をどうしているか、などと聞くのは愚問だ。間違っても、小さなスーパーでレジ打ちなどしない。絶対にしていない。

 手を尽くして身分を隠してきたが、なぜこの男は何か知っている風なことを言うのだろう。何が目的だと言うのだろう。

「どうしたいの?」

 言葉少なに尋ねると、涼はまた年齢よりも上に見える笑い顔を見せた。

「俺も、そっちの世界に興味があるんだ」

 核心に迫る言葉を避け、だがカーミラが無視出来ないような言葉も選ぶ。

 ここで逃げたところで、涼はまた追ってくるに違いない。面倒だが、今のうちにつぶしておいた方がいいかもしれない。いざとなれば、どうにでもできる。なんてったって吸血鬼だもの。

「後悔することになるかもしれないけど?」

 最後の忠告をしてやるが、涼は笑みを浮かべたままだった。

「しないんじゃない、たぶん」

 カーミラがその気になったとわかったのだろう。余裕のある口ぶりが癪に障るが仕方ない。最悪、まずそうだけど血を吸わせてもらおうか……。

 もう人の血は吸わないと決めたあの日。だが我慢はできても体は言うことを聞かなくなっている。早死にと言っても、あと何十年かは生きられるだろうが。

 誰でもいいか、という気分も手伝い、カーミラは涼の家に行くことにしようとした。が、目にとらえたバス待ちのベンチにその決意は変更された。

「あそこでいいんじゃない?」

 指をさすと、涼は不満げではない表情で「いいけど」と頷いた。


「ほい、アイス」

 バス停の近くには、小さな雑貨屋があった。涼はそこで入手してきたようだ。

 高校生に奢られるとは。とはいえ真夏の日差しで喉が渇いていたので、おとなしく受け取ることにした。しかし、涼はぱっとそのアイスを遠ざける。青い色した棒付きアイスは、無常にもカーミラの手を離れる。

「こういうのは食べないか」

「夢を壊すようで悪いけど、私はなんでも食べられます」

 もぎ取るようにアイスの袋を奪うと、封をあけた。人血には遠く及ばないが、人間の食べ物も一応は栄養になる。

「じゃあ、人間の肉も食べる?」

 目を輝かせながら聞いてくる。大人っぽいかと思えば、無邪気な少年の顔にもなる。分かりづらい年頃だ。

「まぁ、食べようと思えば」

 昔の思い出が胸をさす。同じ質問を、されたことがあった。

 どうして、自分が吸血鬼などと言ってしまったのだろう。言わなければ、きっと楽しい思い出のままだったはずなのに……。

「でも人間を食べるのは面倒。戸籍が邪魔なんだ。その割りに美味しくない」

 涼は、大きな口でアイスを口に入れると、もぐもぐとほおばった。犬歯にストローのある吸血鬼としては、知覚過敏が気になるところだ。あっさりと食べきって脇のゴミ箱に捨てる。

「随分、本音で話してくれるんだね」

 少し意外そうに、涼はカーミラを覗き見る。その仕草もあの日の誰かと重なって、胸が高鳴ってしまう。隠すようにアイスを口にした。

「上書きしたいの。思い出を」

「上書き?」

 同じことを聞かれたら、同じように返す。そうすることで、誰か一人だけを思い浮かべなくて済むようになる。

「涼には悪いけど」

「いや、なんでも教えてくれるなら別にいいよ」

 ふふ、と口元を緩める。

 すぐに、カーミラは視線をそらした。

 綺麗な形の唇についた青いアイスを見て、吸血鬼としての欲望が目覚めそうになる。ダメだ、乾ききった体はアイスでは誤魔化せない。

「じゃあ、人の血を吸わないのも、誰かを吸血鬼にしてしまうと戸籍的に問題だから?」

 相変わらずロマンも夢もない会話だが、カーミラは頷いた。

「昔々の出来事なら、神隠しだとか悪魔に連れ去られたとか、結構適当だったんだけどね。今はどこの国もきっちりしちゃったから」

「アフリカとか、中東とか。紛争の絶えない所に行けば?」

 それくらいカーミラだって考えた。アホじゃあるまいし、と眉をひそめる。

「考えても見なさい。私のような姿の女がいたら怪しいでしょう。誰も近寄ってこない」

 外国人を知らない、もしくは外国人を敵とみなすような場所で、黒いストレートの髪、紫の瞳、透き通るような白い肌の少女は浮く。しかも言語はその場所でのもので話す。もし逆の立場だったら走って逃げる。

 実際行ってみた時、子供達が大泣きして、ビッグママたちに石やらなにやら放り投げられたのも思い出だ。

「……そりゃそーか……」

「もっとも、こんなに長く日本にいる気はなかったんだけどね」

 思ったより、居心地がよかった。この国にも妖怪の伝説は絶えないし、外国人の風貌をしていても、お人形さんみたいだともてはやされた。時代も変わって、日本人に成りすます事だって出来る。

 そして、あの人に出会ってしまった。

 数十年たっても、あの人のいた国から出ていくことがなぜか心苦しかった。

 人間に恋することなど出来ない。そう思って、せめて相手の幸せを願おう。あの人の大切な家族を、仲間をこちらの世界に引き込むなんて出来ない。

 それ以来、カーミラは人の血を吸うことを辞めた。禁血を続けてはいるが、もう、あんな昔のことに縛られている場合ではないけれど。

 すっかり異国の雰囲気に慣れてしまった。四代目を作る義務など、ヨーロッパを追い出されたときからないし、日本のどこかの、のどかな街で朽ちるのも悪くない。

 最近では、そんなことまで考えていた。ついうっかり病院に行ってしまったけれど。

「涼は、私の世界に興味があると言ったけど、どの程度知っているの? ほとんど確信があるから言うのだろうけど、意味分かってる?」

 見た目が大人っぽくても、所詮子供だ。どこまでの覚悟があるのか、そんなものは最初からないのか。どちらなのか気になる。

「カーミラは吸血鬼。最近、血を吸っていない……俺の血を吸えば、君は満足できる?」

 呟くように、空に向かって言ったかと思えばカーミラの顎に手をやり自分の方を向かせる。

「……好みじゃない人間の血は、美味しくはないけど。栄養があると思えばとりあえず口にするしかない」

 空腹の目の前に食事を置かれたら、誰だって生唾のひとつも飲むだろう。

 誘われている、とわかった。けれど「ではご相伴に預かって遠慮なく」というわけにはいかない。

「こんなことやめなさい。人間として生まれたからには人間として生きるべきよ」

「吸血鬼に説教されてもね」

 手を外し、涼は手を後頭部で組む。動く雲を眺めながら、自嘲気味に笑う。

「信じてもらえないから、言うのやめようと思ったんだけど」

「じゃあ言わなくていい」

 すぐに切り返すと、涼は苦笑いを浮かべる。

「いや、そこはとりあえず言ってみて、とかでしょ」

「何? 実はこの国の妖怪とか? 確かに信じられないけど、別にいいんじゃない?」

 涼の姿を眺め回すが、とりたて妖怪の部分はない。ああ、そういえば、美しい容姿で人を手中に収める妖怪がいたな……それは日本だったか。

 カーミラの一方的な押し付けに、涼はあっけに取られた顔をする。

「違うよ、正真正銘日本人の、人間です」

「じゃあ、何が信じてもらえないことなわけ?」

 すると、いつも自信に満ち溢れた涼が珍しく下を向く。ローファーのつま先で砂利をつついて、それから下を見ながら呟くように言った。

「俺があんたに詳しいのは、カーミラのことが好きだからだよ」

 唐突だが、どこかで待っていた言葉。あの人が何ヶ月一緒にいても言わず、結果普通の人間の元へ行った時から諦めていた言葉。

 それを、こんな初対面の男に言われるなんて。

「……確かに、妖怪ですと言われたほうが信じられたかもね」

 言葉とは裏腹に、心臓は高鳴った。涼が自分のこと、吸血鬼のことに詳しい理由もそれなら納得……か?

「でも、本当なんだよ!」

 声を荒げる姿は、最初に感じた印象よりも幼く、けれど一生懸命さを感じた。

「本当だとして、もし涼が吸血鬼になってしまったら悲しむ人はいるんじゃないの?」

「俺にも家族はいるけど……でも、吸血鬼になっても、カーミラは普通に生活している。俺も、今までどおり生活できるんじゃないかと思って」

「だったら、別に人間のままでいいんじゃないの」

 押し問答に、涼はしびれをきらしたようだ。

「カーミラにはわからないかもしれないけど、好きな奴が違う国籍だったら、同じ国籍になりたいと思うのが人間なんだよ! 同じ家に住みたい、同じ時間を共有したい、それと一緒! 血を吸えなくて苦しんでいるカーミラを見ていられない」

 長らく日本にいると、その気概も分からなくはない。国籍を変えるアスリートもいる。それは家族と戸籍上、距離を作ることになる。

 そう考えれば、吸血鬼なら戸籍等どうでもいいことではある。案外お手軽に吸血鬼になれるのか、とも思うと一抹の感傷が胸をよぎる。

「国籍変えるのと、人間から吸血鬼になるのとではまったく意味合いが違う。私と同じように、誰かの血を欲しながら、家族や友達の誰よりも長生きしなくてはいけないの。あなたにその覚悟はある?」

 問い詰めると、さすがに涼は押し黙る。若いから、勢いでなんでも持っていこうとするけれど、先々のことを考えれば思いとどめた方がいい。

 吸血鬼のように、誰かの不幸の上で成り立つ怪物になんてならなくていい。

「お試し、とかそういうのない?」

 決まり悪そうに言われ、さすがのカーミラも髪を逆立てる。

「あるわけないでしょ! そんな調子で告白されたところで何も心に響かないわね。出直してらっしゃい!」

 勢い余って立ち上がると、途端めまいに襲われる。気分が悪い。そのままベンチにしゃがみこんだ。

「大丈夫?」

 涼が抱えるようにして座らせてくれた。頭を手で押さえながら、ぎゅっと目を閉じてめまいが遠のくのを待つ。

 涼の体が湿っぽいのに気付く。対してカーミラは、ひとつも汗をかかず、髪に覆われた首筋もさらさらのまま。

「わかったでしょう。吸血鬼といっても今や人に助けられるような生き物よ。もう人の血なんか吸わない。私はひとり、朽ち果てていくと決めたの」

 浅い呼吸の中言うと、涼は手にしていた通学カバンの中からカッターを取り出した。

「そんなことさせない」

 そう言うと、左手中指の腹をえぐるように切った。鮮血がほとばしる。

 カーミラが何か言う前に、血の滴る指は口の中にあった。

 好きじゃない人間の血は美味しくない。そのはずだったのに、それはとても甘く、口の中に広がった。体中に、その血が巡るようだった、めまいも胸のつかえも、すべての不調がどこかへ消えた。

「おいしい?」

 尋ねられ、つい頷いてしまう。我に返り、その指を手で口から抜く。

「バカじゃないの! そんなことしたら……」

 すると、涼は悲しそうな笑みを浮かべた。けれど、そこにはどこか充実感が漂っている。

「知ってたよ。カーミラの名前も、過去も。吸血鬼がどんな生き物か。カーミラから見たらとんでもなく子供だと思うけど、人を傷つけないように……傷つけられたのに、傷つけないようにしているカーミラを放っておきたくなかった」

「なんでそんなことまで……涼って、まさか、あの人の息子? 孫?」

 随分前のことなのでどちらかわからなくなったがまぁそうれはいい。だとしたらなんという同情だ。それはいただけない。

 しかし、涼は首を振る。

「無関係だよ。安心して」

 じゃあ、純粋な気持ちで?

 だとしたら、なおさら信じられない。

「本当に、バカね」

 今のバカね、には、自分でも驚くほど優しい声音になっていた。

「バカでいいよ。それに、俺の血を美味しいって言ってくれたってことは、そういうことだよね」

 嬉しそうに、無邪気に笑われるとカーミラは固まってしまう。確かに、美味しかった。ということは、つまり……。

 それよりも心配なことがある。

「ねぇ、どこか変わったところはない? 誰かの血が吸いたいとか」

 吸血鬼化しているかもしれない。カーミラは強引に口を広げた。犬歯は人間のもので、特に発達はしていなかった。近頃は吸血鬼化したところでわかりにくい。太陽が平気なのだから。

 口につっこんだ指をとる。しかし、血を吸ったのになぜ平気なのだろうか。カーミラも過去人間の血を吸ってきたが、大抵はその場で吸血鬼化したものだが。

「どうして……?」

 疑問に首を捻ると、涼は口元をさすりながら歯を見せて笑った。太陽が反射して、やたら白く見える。

「吸血鬼の能力が衰退しているってことは、血を吸っても吸血鬼にはならないってこともあるんじゃない?」

「え……」

 そこまで衰退しているなんて、間違ってもヨーロッパには帰れない。未練はあるのに。

 絶望に肩を落としていると、涼は左手を包むように抑えながら、楽しそうに言った。

「だったら、俺をエサにすればいいよ。カーミラ専属で血を吸われてあげる。いつ吸血鬼になっても、俺は構わないから」

 言って欲しい言葉が、数十年の時を経てカーミラの耳に心地よく響く。

 夏風が、汗ばむ涼の額にはりついた前髪を揺らしていた。カーミラの髪はさらさらと音をたて、涼に流れていった。


   了


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