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主人公、唐揚げ定食を貪り喰らう。

廊下の端に芳香は固まっていた。くんくんくん、ここが臭いの発生源ですワンなどと喧しい脳内わんこにフリスビーを投げつけた後、俺は辺りを見回した。観音開きの扉の向こう側から、いやによだれを垂らさせるビューティホーな匂いがぷんぷんしてくるじゃあないか。こりゃたまらんぜよズビズバーンな気持ちになり、胃袋は開けろ開けろと急かしてくる。俺はおっかなびっくり、扉を開けた。


扉の向こう側では、広い部屋に、テーブルと椅子の群れが踊っていた。恐らく食堂じゃないだろうか。カウンターの向こう側には、人影と、柔らかく漂う湯煙が見える。うーむ湯煙殺人事件、探偵気取りの俺は、這い寄り、カウンターの近くに身を隠した。


調理場には、一人の男がいた。なんというか、この世界にはイケメンしかいないのか? レオナールや男前とは違い、まだまだ子供の横顔であるが、青年と少年が混じる妙にアンバランスな美しさ。ぼんやりと真理を睨む無感情な瞳は、料理人のものだろう。お玉片手に湯煙上がる大鍋や、はぜる油の前を動いている。何を、何を作っているのか。俺の鼻を信じれば、あの鍋には味噌汁が入ってると思うんだがね!

ついつい気合いが入りすぎ、俺は身体を乗り出してしまう。ちょうどその時だった。男はこちらを向き、まるで石を見るように、俺をじろりと見つめた。


「……まだ、時間じゃない」


時間じゃない? 何がだろうと思ったら、あれか。晩御飯の時間だろう。依然として睨まれ、俺は冷や汗を拭いながら謝ろうとしたら、お腹が鳴ってしまう。実にバッドなタイミング、リーチで中を捨てたら大三元だったみたいな気分。バッドというよりもワーストである。


「……見ない、顔、だけど。誰?」

「……えー、今日から、居候に、なった、瀬戸内海の瀬戸に口、賢いなりで瀬戸口賢也と申します。以後、よろしく願います」


奇妙に区切られた男の言葉に最初はつられたものの、俺はとりあえずの自己紹介を済ませる。その間に何度も腹の虫が騒ぐので自家製ボディブロウをかましていると、男は無感情な瞳を鍋に戻した。


「椅子」

「……椅子?」

「座ってて――準備、するから」


これは契約成立ということでよろしいですね! よろしいんですね! 俺は張り子の虎のように首を振り、カウンター近くの席に陣取った。それから暫くして、男は漆塗りのお盆に湯気立つ皿々を載せ、テーブルに運んできてくれた。


――おお! 白米、味噌汁、唐揚げと脇のキャベツ!それはまごうことなき、唐揚げ定食である。漬物までついているのに愕然とする。この世界はなんなのだろう? 横に立つ青年やレオナールなどから察するに、ヨーロピアンな民族と思われるのに、先ほどのカツ丼よろしく食文化は和である。何かしらの違和感がある。レオナールは箸使いが上手かった覚えがあるから、もしかしたら、コーカソイド的なのに文化はアジア系、というよりむしろ日本風なのかもしれない。これはなかなかに興味深い内容ではあったが、やはりここはブリア・サヴァランに倣い、目の前の食事を見つめようと思うのだった。


艶やかに光る白米は、その豊満な肉体に甘味と旨さを隠しているのだろうと思われる。そうして、唐揚げ――なんということか。その肌はアラビア人のように美しく、てらてらと油が滑らかに輝いている。いただきますの後、俺はひとまず箸で唐揚げをつまみ上げ、口に放り込んだのである。


口中を飛び交う肉汁! 鶏肉の臭みは、丁寧な下処理により消え失せており、醤油の下味が実に美味い。米に合いすぎてむしろ冷めてしまうのは頭脳、ハートは三万度の熱を帯びているかのよう。貪り、喰らう。禽獣のような俺を見ながら、対面に座った青年は微笑んでいる。目敏い俺は、短い間であるが初めて見た青年の感情に何事か尋ねようと見上げた。


「美味しそうに食べるね」

「事実美味しいですからネ……もしや、貴方、昼にカツ丼を作りましたかな?」


不思議そうな顔で、コクりと頷いた青年に俺は微笑みかける。いや!いや!彼がそれだったか!


「あれも食べたんですがね、いや美味いべらぼうに美味い! もう一度食べてみたいと思っていた所でこの出会い、運命ですナ! ありがとうございます非常に美味しく頂かせてもらいますよいやほんと」


賛辞の後で俺は再び意識を食事に向けた。沢庵をポリポリかじれば、ふと父の実家を思い出す。定食ごときがいやにしんみりとさせるじゃないか。

ほとんど無我夢中だった。食というのは素晴らしい、悩みもなにもかも消えてしまう。食べ終わるのは、そう大して時間もかからなかった。まだ温かい味噌汁を飲み干した後、俺はご馳走様を言うために青年に目を向けたのだが。何故か。彼は目を見開き、頬に手を当てたまま、赤面していた。


「……あの、どうかしましたか?」

「初めて、言われた……」

「……なにが?」

「美味しいって、初めて……」


初めて? こんなに美味い料理を作る人を誰も褒めなかった? なんなのシャイなのみんな。俺は内心、毎日食べているだろうに何の感動も持っていなかったレオナールに対して好感度が下がる。おいおい、それでも人間かよ。

俺は深く頷きながら、赤面青年に目を向ける。まだ戸惑っているような彼に、俺は語る。


「本当に美味しかったです。ご馳走様でした」


カタカタと震える青年。ボクにはもう訳が分からないヨ……「うわぁ、嬉しい……」なんて言いながら、耳まで真っ赤にさせる青年を見た俺は、なんだかこっちまで赤面させられた。あの、なんだ、素晴らしい物にはちゃんと褒めるようにと世間に罵り叫びたい気持ちになった。

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