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多分タイミングが恐ろしく良かったのだ。もしくは悪かった。
だから、気付いた時にはヤツに腹立たしさを覚えたが、まあそれは八つ当たりみたいなモノだと後日納得した。
ただ、その点での怒りが無くなったからと云って、他の恨みまで帳消しには為らないけど。
雪也が不意に顔を近付けて来た日、私は無意識に抵抗した。
そこは簡易キッチンだった。
ナリの部屋は中学に上がると共に母屋から離れへと場所を移したと聞く。元々の離れを潰し、組み立て式の離れが出来た訳だが、そこには簡易キッチンも付いていて、元々の離れにあったトイレが外付けとは云え併設されている。
中学生男子がそんな部屋を手に入れて、母屋に度々戻る筈も無い。そして、部屋と同じ時期にナリと仲良くなった私の存在は、彼の母親に物凄く悪印象だった。
「ああ、多分煙草の匂いも原因のひとつだわ。」
中学に上がって煙草と酒を覚えたナリが云った。
「確かに私も好奇心で吸ったけど、ナリじゃん。呑むのも吸うのもナリじゃんか!」
それで私が嫌われるのは理不尽では無かろうか?ナリは特に気にしなかった。まさかそれで将来困るだなんて想像出来る筈も無かった。
ナリは大抵の子供がそうである様に、過保護な母親にうんざりしていた。
「お前は良いよなあ。」
ナリはよくそう云った。
私の母親は過保護と云う言葉とは真逆の放任主義だった。
時には平気で20時くらいまでナリの部屋に居座る私の存在は、彼の母親から見たら大層な「不良」に見えたのだろう。ナリの素行が悪くなったのも、口答えする様になったのも、母屋に寄り付かないのも、全部「私」が悪いとナリの母親は思っていた節がある。
「理不尽だわぁ。たまたまナリの反抗期の時期と、私が来る様になった時期が重なっただけだよね。」
「反抗期云うな。」
「反抗期じゃん。反抗期じゃないなら、親くらいちゃんと説得しろや。」
ナリは憮然とした。
私は普通思っている事をハッキリとは云えない小心者だが、隣町や更に足を伸ばした此処では、自由に振る舞えた。
何か失敗して、辛くなれば、この場所にもう来なければ良いだけだからだ。
とは云え、ナリと波長が合うのも本当だった。
何故か彼の気持ちはよく理解出来た。何が云いたいか、何がしたいか、口を開く前に理解する事も珍しく無かった。
ナリも私の事を理解した。
その時も、目が泳いだ彼が飲み物を欲していると気付いて立ち上がった。何だかんだで私たちは互いに甘かったかも知れない。云われたくない台詞をわざと口にしても、直ぐに甘やかしてしまう。特にナリは私が嫌な事はしなかったから、私にとってのナリは害虫かも知れないとも思っていた。
二人で完結して良い訳が無い。
けれど居心地は良い。
インスタントの珈琲を淹れて、ナリが近付く気配に訊ねた。
「お砂糖幾つ入れる?」
「お前はブラックなの?ミルク入れた方が胃に優しいらしいぜ?」
「ううみゅ。ミルク嫌い。薄く淹れるから平気。薄いから砂糖1ヶで良いね?」
私は背後のナリを見上げ、ナリはハイハイと頷き。視線が絡み合った。
――あ……マズイ。
私が思ったと同時に、ナリの顔が近付いて来た。そうだね、嫌では無かった。ただ、ビックリして抵抗しちゃっただけだ。
私はインスタント珈琲の瓶に蓋を閉めていた。つまり瓶を握っていた。思わず体がナリを避けて、腕を振り上げて、足も上がった。
簡単明瞭に云うならば。
珈琲の瓶はナリの側頭部を容赦なく殴った。揺らいだ彼の体を蹴った。そのまま腕を伸ばしてドツケば完了だ。
「うわっ。嘘っ?違う違うゴメン!」
私は周章てた。ナリは何とか体勢を整えようとして敵わず、仰向けに寝転んだ。
すぐ傍らに座り込んで謝罪した。
「ご……ゴメンね?」
「ゴメンで済むかっ……念入りにやりやがって。」
ナリは気分が悪そうだった。
「病院行こう。病院。」
「ああ、や、大丈夫。少し休めば。」
「頭打ったんだよ?甘く見ちゃダメだよ。」
ナリは胡乱な目で私を見た。
「誰の所為だよ。」
「だから悪かったって。ともかく病院は行け。でも私の事はオフレコで頼む。」
「ハイハイ。転んだ事にしとくよ。」
ナリは諦めたみたいだった。苦しそうに息をして、踏んだり蹴ったりだとごちる。
「何か……要る?」
「要らん。ほっとけ。」
私は帰宅した。
奇妙な衝動に駆られて、何か仕出かしそうで怖かった。
――違う。あれは違うからっ。
取り敢えず否定するしか無かった。
そう。
ナリが苦痛に喘ぐ姿にドキドキした。
――そんな筈あるかっ!
もっと苦痛を与えてみたいと思ったのは、気の所為に決まっていた。
それもこれもヤツの所為だと考えた。
ナリが、最近キスにこだわるのも。私がこんな妙な衝動に駆られるのも。
――ヤツの所為だっ!もう!滅びろ滅びろ滅びろっっ!!
取り敢えず呪っといた。
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